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2.小鳥が伴侶を選ぶ日に
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バレンタインの日の朝一番に、窓辺に一羽の小鳥を見たのなら、それは、あなたを恋慕う誰かの魂が翼を得て飛んできたのだ――。
この言い伝えに、ゲールは大いに異議があるらしい。
聖ミカエルが降り立ったという謂れのある小高い丘、グラストンベリー・トーの頂きにある屋根のない教会跡からは、四方に広がる風光明媚な田園風景を見渡せる。
だがゲールは見慣れた景色には目もくれず、塔の内側の冷たい敷石の上に腰をすえ、ゴツゴツと積み重ねられた石壁にだらりとその背をあずけていた。彼の低い囁きは、歌を口ずさんでいるようにしか聞こえず、愚痴の聞き役になっている、彼の膝ほどの背丈の侏儒たちの姿は、東西に開いた扉のない入り口からたまに覗きこむ観光客には見えないようだ。彼らはこの四角い吹き抜けの内部に足を踏みいれようとしながら、なんとなく躊躇し、自分でも判らないままに踵を返して離れていく。
だからゲールは安心して時間を忘れ、この「異界の入り口」と呼ばれている塔の狭い空間で、日がな一日を過ごすのだ。
彼の不機嫌のことの起こりは、今朝学校で彼のロッカーに入っていた、バレンタイン定番のハートと赤い薔薇の印刷された一通のカードだ。これをゲールは、怪訝な思いで見入っていた。なぜなら彼は、この朝小鳥に出逢っていない。こんなものを受け取る謂れがなかったのだ。
案の定、その無記名のカードは友人たちの悪ふざけだった。彼をがっかりさせるためだけじゃない。誰からもらったものかを推察させて、意中の人を探ろうとする仕掛けの意味もあったのだ。けれどゲールはこの悪戯に引っかからなかった。その腹いせか、この年齢になっても色恋沙汰と無縁だなんて野暮すぎる、とさんざん仲間にからかわれた。
「17で経験ないって、そんな天然記念物? 魂が翼を生やすほどの恋なんて、そうそうあるはずないじゃん、なぁ!」
すぐ横に立っている侏儒に、ゲールは同意を求めて呼びかける。
「いやいやいや、お前たちの寿命は短いのじゃからの。そんな呑気では干からびてしまうぞ」
身体に不釣り合いな大きな紫色の頭巾をすっぽりとかぶったその侏儒は、顔のほとんどを覆うふさふさとした白い髯をしごきながら首を振る。と、とたんに、緑や茶、赤、黄、様々な色違いの頭巾までがひょこひょこと左右に揺れ、口々に自論を語りだす。
「いやいや、戯れの恋を数限りなくこなすことこそじゃな、」
「そもそも魂の相手を見つけるには、ほれ、」
「石をほいっ、と放ってじゃな、」
「おまえなら、なんぼでも、ほれ」
ほれ、ほーれ――、と風が笑っているような声が、彼らを囲む石壁をぐるぐる、ぐるぐる駆け巡る。だがどの声も自分の意見の正当性を主張して譲らないので、声は混じりあい、溶け合ってケーキ種のようになってしまっている。
「まるでチョーサーの『鳥の議会』だね」ゲールは呆れたように苦笑った。「他人の恋愛に言いたい放題じゃん!」
なぜだかここで、ひょこひょこと動いていた頭巾がピタリと止まった。皆が皆口を揃えたその声が、震え響きながら上空へ抜ける。
「ならば我らが御方に、おまえの伴侶を選んでいただこうぞ!」
「嫌だよ、鳥の世界も階級社会じゃん。それにさ、選ぶ権利があるのは女の子の方だけだろ! 男は自慢合戦して待つだけじゃん! 女神さまは理性を働かせて考えろ、って言うくせに、結局はより強い者を選ぶようにってアドバイスするじゃん」
「ほれほれ、それは本のなかの話じゃろ。我らが御方はな、」
「だめだめ、14世紀の価値観を現代に持ち込まれるなんて、まっぴらごめんだよ! それにさ、昔も今も、理性なんかぶっ飛ぶからできるんじゃないの、恋なんて」
ゲールはすかさず口を尖らせて反論しながら――、けれど自分には、そんな機会は一生訪れないかもしれない、などと頭の隅で思い描く。
クリスマス生まれの彼にこんな能力がある限り、ちょっと変わった友だちどまりで――。
彼にしたってお年頃の17歳なのだ。それなりに異性に興味はある。いつも身なりは清潔にしているし、おしゃれにも気を使っている。甘すぎる髪色がコンプレックスのストロベリーブロンドだって、流行りのツーブロックにしてみたり。
だが、何をやったところでどうせ無駄。どうせ邪魔される。
――今日のように。
バレンタインの朝にゲールが小鳥を見るなんて、生れてこの方一度もないのだ。その前日も翌日も、鳥たちはうるさいほど彼の周りで囀っているのに。
いつの日か、ゲールが誰かに恋をして、その魂を捧げるほどに愛してしまい、彼の持つ贈り物、「妖精が見える能力」を手放してしまうことのないように――。
彼らは絶え間なくゲールの恋路の邪魔をする。どのみち今日のカードの悪戯だって、ここにいる彼らが、こっそり友人たちの心に吹きこんだに違いないのだ。ゲールの心を探ろうとして。
それは確かに腹立たしい。文句の一つも言いたくなる。
けれど、恋と稀有な能力とを天秤にかけるとなると、まだまだこのままでもいいかな、と考えてしまうのも本当で。結局、バレンタインの日の、朝一の小鳥を追い払っているに違いない彼らに、ゲールは苦情を言いきれない。
塔の友人たちが西側の入り口から長く射しこむ夕映えのなかへ、ぴょんぴょん飛びこんでは大小さまざまな鳥に変わり、天井のない塔の上空へ吸い込まれるように羽ばたき去っていったあと、ゲールも、金色に黄昏るグラストンベリー・トーの斜面を、もやもやしながら下っていった。
彼にしても人間の友達連中と同じように、恋に憧れないわけではない。こんな何もない特別な日はとくに、一人でいるのが無性に淋しい。
彼を一人置いていくことなどない誰かが、ずっと傍にいてくれるなら――。
だからきっと、ゲールはふと目に入った小さなスノードロップにつぶやきかけてしまったのだろう。応えが返ってくるなど思いもせずに。
「俺の特別な人になってよ」、と――。
この言い伝えに、ゲールは大いに異議があるらしい。
聖ミカエルが降り立ったという謂れのある小高い丘、グラストンベリー・トーの頂きにある屋根のない教会跡からは、四方に広がる風光明媚な田園風景を見渡せる。
だがゲールは見慣れた景色には目もくれず、塔の内側の冷たい敷石の上に腰をすえ、ゴツゴツと積み重ねられた石壁にだらりとその背をあずけていた。彼の低い囁きは、歌を口ずさんでいるようにしか聞こえず、愚痴の聞き役になっている、彼の膝ほどの背丈の侏儒たちの姿は、東西に開いた扉のない入り口からたまに覗きこむ観光客には見えないようだ。彼らはこの四角い吹き抜けの内部に足を踏みいれようとしながら、なんとなく躊躇し、自分でも判らないままに踵を返して離れていく。
だからゲールは安心して時間を忘れ、この「異界の入り口」と呼ばれている塔の狭い空間で、日がな一日を過ごすのだ。
彼の不機嫌のことの起こりは、今朝学校で彼のロッカーに入っていた、バレンタイン定番のハートと赤い薔薇の印刷された一通のカードだ。これをゲールは、怪訝な思いで見入っていた。なぜなら彼は、この朝小鳥に出逢っていない。こんなものを受け取る謂れがなかったのだ。
案の定、その無記名のカードは友人たちの悪ふざけだった。彼をがっかりさせるためだけじゃない。誰からもらったものかを推察させて、意中の人を探ろうとする仕掛けの意味もあったのだ。けれどゲールはこの悪戯に引っかからなかった。その腹いせか、この年齢になっても色恋沙汰と無縁だなんて野暮すぎる、とさんざん仲間にからかわれた。
「17で経験ないって、そんな天然記念物? 魂が翼を生やすほどの恋なんて、そうそうあるはずないじゃん、なぁ!」
すぐ横に立っている侏儒に、ゲールは同意を求めて呼びかける。
「いやいやいや、お前たちの寿命は短いのじゃからの。そんな呑気では干からびてしまうぞ」
身体に不釣り合いな大きな紫色の頭巾をすっぽりとかぶったその侏儒は、顔のほとんどを覆うふさふさとした白い髯をしごきながら首を振る。と、とたんに、緑や茶、赤、黄、様々な色違いの頭巾までがひょこひょこと左右に揺れ、口々に自論を語りだす。
「いやいや、戯れの恋を数限りなくこなすことこそじゃな、」
「そもそも魂の相手を見つけるには、ほれ、」
「石をほいっ、と放ってじゃな、」
「おまえなら、なんぼでも、ほれ」
ほれ、ほーれ――、と風が笑っているような声が、彼らを囲む石壁をぐるぐる、ぐるぐる駆け巡る。だがどの声も自分の意見の正当性を主張して譲らないので、声は混じりあい、溶け合ってケーキ種のようになってしまっている。
「まるでチョーサーの『鳥の議会』だね」ゲールは呆れたように苦笑った。「他人の恋愛に言いたい放題じゃん!」
なぜだかここで、ひょこひょこと動いていた頭巾がピタリと止まった。皆が皆口を揃えたその声が、震え響きながら上空へ抜ける。
「ならば我らが御方に、おまえの伴侶を選んでいただこうぞ!」
「嫌だよ、鳥の世界も階級社会じゃん。それにさ、選ぶ権利があるのは女の子の方だけだろ! 男は自慢合戦して待つだけじゃん! 女神さまは理性を働かせて考えろ、って言うくせに、結局はより強い者を選ぶようにってアドバイスするじゃん」
「ほれほれ、それは本のなかの話じゃろ。我らが御方はな、」
「だめだめ、14世紀の価値観を現代に持ち込まれるなんて、まっぴらごめんだよ! それにさ、昔も今も、理性なんかぶっ飛ぶからできるんじゃないの、恋なんて」
ゲールはすかさず口を尖らせて反論しながら――、けれど自分には、そんな機会は一生訪れないかもしれない、などと頭の隅で思い描く。
クリスマス生まれの彼にこんな能力がある限り、ちょっと変わった友だちどまりで――。
彼にしたってお年頃の17歳なのだ。それなりに異性に興味はある。いつも身なりは清潔にしているし、おしゃれにも気を使っている。甘すぎる髪色がコンプレックスのストロベリーブロンドだって、流行りのツーブロックにしてみたり。
だが、何をやったところでどうせ無駄。どうせ邪魔される。
――今日のように。
バレンタインの朝にゲールが小鳥を見るなんて、生れてこの方一度もないのだ。その前日も翌日も、鳥たちはうるさいほど彼の周りで囀っているのに。
いつの日か、ゲールが誰かに恋をして、その魂を捧げるほどに愛してしまい、彼の持つ贈り物、「妖精が見える能力」を手放してしまうことのないように――。
彼らは絶え間なくゲールの恋路の邪魔をする。どのみち今日のカードの悪戯だって、ここにいる彼らが、こっそり友人たちの心に吹きこんだに違いないのだ。ゲールの心を探ろうとして。
それは確かに腹立たしい。文句の一つも言いたくなる。
けれど、恋と稀有な能力とを天秤にかけるとなると、まだまだこのままでもいいかな、と考えてしまうのも本当で。結局、バレンタインの日の、朝一の小鳥を追い払っているに違いない彼らに、ゲールは苦情を言いきれない。
塔の友人たちが西側の入り口から長く射しこむ夕映えのなかへ、ぴょんぴょん飛びこんでは大小さまざまな鳥に変わり、天井のない塔の上空へ吸い込まれるように羽ばたき去っていったあと、ゲールも、金色に黄昏るグラストンベリー・トーの斜面を、もやもやしながら下っていった。
彼にしても人間の友達連中と同じように、恋に憧れないわけではない。こんな何もない特別な日はとくに、一人でいるのが無性に淋しい。
彼を一人置いていくことなどない誰かが、ずっと傍にいてくれるなら――。
だからきっと、ゲールはふと目に入った小さなスノードロップにつぶやきかけてしまったのだろう。応えが返ってくるなど思いもせずに。
「俺の特別な人になってよ」、と――。
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