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第一話 拳銃遣いと龍少女

銃よ、暗き夜を照らせ Part.3

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 レイチェルが振り返った先には有翼の蜥蜴トカゲ、両翼を広げたドラゴンの影がくっきりと月に映し出されている。そしてその影は、一つ羽ばたき翼を絞ると鋭く彼女に襲いかかった。

「なんだい、このドラゴンめッ!」

 慌てて小型龍を操るレイチェルは飛翔し、小型龍の二倍はある巨体で着地したドラゴンの重厚な足音にレイヴンはうすら目を開けた。
 驚くことに、死に体の頭にも活は入るらしい。数秒目を閉じて次に目を開けた時、いきなりドラゴンが大口を開けていれば、脳裏をよぎるのは走馬燈が精々だろうが、彼の手はすぐに拳銃を探して地を這った。

 実際に銃把を掴むことは無かったが、とにかくレイヴンはまだ生きていた。とはいえ、生きた心地がしているかは別の話である。

 幻想的なまでに美しい白鱗と、縦に割れた黄金の瞳。たなびく鬣たてがみが夜空に黄金の橋を架けていた。鱗の一枚の輪郭が鮮明に見分けられる至近距離で、生暖かい鼻息を浴びれば一番予想しやすい未来は、一口でぱくりだ。
 しかし白龍は喉を鳴らすと、分厚い舌でレイヴンの顔を優しく一舐めしただけで、不思議とレイヴンは親しみを覚えていた。

 大きく外見は変化したが、あの瞳には見覚えがある。

「まさか……、アイリスなのか……?」

 ドラゴンの表情など読めるはずも無いが、頷いたのは分かる。微笑むように瞳を細めると白龍――アイリスは魔女を睨み上げた。

「この魔力……嬢ちゃんだね。これはこれは驚きだよ、ドラゴンが人間に化けてるなんてさ。どうりで強力な魔力を持っていたわけだ」

 しかし所詮は獣の延長と見下すレイチェル。いくら魔力を保持していようが人間に劣り、魔女には更に劣るとあざけるが、頭に響く荘厳な声には眉根を寄せた。

《レイチェル。魔女とは程遠い存在よ》
「口調変えたトコで怖かないよ。大層な説教でも垂れるつもりか、ドラゴン風情が何様だい」
《我が友を傷つけ、魔女を貶めた罪は重いぞ》
「だから? 何が出来る、気楽に飛ぶのが精々だろうが。けれど迂闊だね嬢ちゃん、忘れたのかい、あたいは魔女、龍使いの魔女なのさ」

 赤々とした宝珠を手にして、にたり吊上がるレイチェルの口元に、レイヴンは嫌な予感がした。

「マズいぞ、離れろアイリス……!」
「魔力を蓄えた龍の心臓ならどれだけの力が得られるか楽しみだよ、さぁ《服従しな!》」

 宝珠が赤く輝きを放ち、光を受けた小型龍は荒々しく咆哮を上げた。アイリスも、じろり首を振ると転がっているレイヴンを見る。

「あらあら、虚しいねえヴァンクリフ。可愛い恋人が化物で、騙された上、しかもそいつに食い殺されるなんて。まぁ化けてたって事は、ハナっからそのつもりだったのかもしれないけどね? そのドラゴンは、もうあたいの言いなりさ」
「……魔法に頼らなきゃ友達も作れないか、寂しい女だ」
「絶望と憎しみに染まった心臓は最高の味なのさ、あんたが味付けしておくれよ。――喰っちまいな、嬢ちゃん」

 鋭利な牙がレイヴンの眼前に再び迫る。まるで彼の瞳を覗き込むようにして低く喉を鳴らしているが、レイヴンの心は不思議と平穏だった。

 すると、アイリスの大翼は空気を掴み、一気に巨体が地を離れた。

 彼女の纏う他を圧倒する覇気に半狂乱となった小型龍の一頭が襲いかかったが、アイリスは腕の一振りで叩き落とし、魔女と同じ高度まで舞い上がる。
 レイチェルを見据える眼光には明確な意思を込められていた。

「なにをしてるんだい、あの男を喰らうんだよ!」
《魔法を受けて理解した。貴様の力は宝珠の、魔具によって授けられた力だな。我が声を理解しているのも、魔具による恩恵だろう》
「だ、だったらどうしたってのさ! あたいは魔女になった、この力で全て支配してやるのさ、あたいを見下してきた世界を!」
《恨みは深いな。使い方を誤らねば救いはあったろうに、愚かにも仮初の力に溺れたな。真の魔女とは思慮深く、世界の真理を探る探求者だ。魔具に頼らねば動物と言葉も交わせぬ貴様が魔女を語るなどおこがましい》
「ドラゴン如きに何が分かる、えぇッ⁉ 餌を食って、糞して寝るだけの動物にあたいの何が分かるよ!」
《……過去は知らんよ。だが、貴様は重大な過ちを犯した、我が友を傷つけた事だ。これほどの怒りを覚えたのは初めてだよ》

 そしてアイリスは首を引き、突撃体勢を取った。

《貴様が侮るドラゴンの真の力、その身に刻むがいい》

 引き絞られた巨躯はまさしく白い矢弓となって突貫する。
 手綱を引くレイチェルが小型龍を上昇させるが、お構いなしにアイリスは追撃し距離は即座に縮まった。牙を剥くアイリス、しかし小回りでは小型龍の方に分があり、安易な攻撃は魔女に当たらない。

 レイチェルは魔女になる前は盗賊であった、荒事の経験は豊富だ。対するアイリスは森の中で安穏と暮らしてきた龍。こと戦いにはセンスと経験が物を言う、となればどちらが有利かは明らかである。

「所詮は獣だね! 狩りとは違うのさ馬鹿め!」

 ひらり身を躱したレイチェルは再び距離を取り両手を突き出した、渦巻く魔力が急速に集中していく。月の恩恵を彼女も受けているらしく、桁違いに早い。

「満月ってのはいいねえ、力が漲るよヴァンクリフ!」
《二度目は無い、次で終いだ小娘》

 たてがみが尾を引く。旋回し、またも突撃体勢に入るアイリス。しかし、一直線に突っ込む事の愚かさは、遙か上空の戦いを眺めることしか出来ないレイヴンにもよく分かる。
 待ち構えている相手に対しての正面突撃は愚策でしかない。レイチェルは既に、迎撃に必要な距離と時間を稼いでいた。

「突っ込むなアイリス!」
「もう遅いってのもんさ! 《灼熱の鎖にて虜囚りょしゅうを焼き尽くせ、ごくから出るのは灰だけさ! 溶岩牢獄ボルカノ・ケイジ!》」

 避けない相手を捉えるのは簡単だ、進行方向に壁を作ってやるだけで勢いを殺すことが出来るのだから。夜空さえ焼きかねない煮えたぎるマグマの壁、粘性を持ったとろける牢獄はアイリスの巨体を待ち構えていた。
 翼を広げ急減速するが、間に合わず彼女は灼熱の獄に捕まってしまう。
 くぐもった咆哮が木霊する。
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