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第二話 イザリス砦に棲む獣

ブルースキン・タンゴ Part.1

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レイチェル一味 壊滅ス

 テキシイ州デュラン郡の悪夢が遂に終わりを迎えた。
 サウスポイントの住民を恐怖によって支配していた盗賊団《レイチェル一味》の残党を全て捕えたとカウフマン保安官が発表したのである。
 所謂《魔女》と呼ばれる女性、レイチェルを│首魁《しゅかい》としたこの盗賊団は一年ほど前より同地区に現れ、誘拐や恐喝、強盗などの犯罪行為によってサウスポイントの住人や駅馬車などを襲っていたとみられている。
 誘拐の被害者は女性が多く、その大半が奴隷として売られていた。また、先日カウフマン保安官率いる追跡隊により救出された女性達の証言によると、レイチェルは被害女性の中から数名を選び、彼女達の心臓を食していたようである。《魔女》の異常な行動にどのような理由があるのかは、現在のところ判明していないが、レイチェルが死亡したことは喜ばしいニュースであるのは間違いないだろう。魔女によって率いられていた盗賊団による被害と、それによる影響は多大であるが、いずれにせよ残党を捕えたという知らせは、ようやく同地区の住人にとって安堵の息を漏らせる朗報であったことは確かである。

 …………
 ――…………

 旅の道中で野営をする場合は、ある程度道から外れた場所でキャンプを張った方が良い。道沿いでは通行の妨げになる怖れがあるし、何よりも目立つというのが最大の理由だ。
 広大なアトラス大陸の西部地域は、最後のフロンティアと呼ぶに差し支えなく、そこには果てしない地平と同様の夢が詰まっているが、自然のど真ん中で寝起きするとなれば用心は必須である。

 野生動物は勿論として、人間にも注意が必要だ。
 ひたすら無人の荒野に森林で迂闊に寝息を立てようものなら、朝日を迎える頃にはよくて身ぐるみを剥がされ、最悪冷たくなって朝を迎えることとなりかねない。いつ何時でも、目立たないくらいが丁度いいのである。

 彼の場合――、いや、彼等の場合、もう一つ特殊な事情もあるのだがひとまずそれはおいておこう。とにかく、そういう諸々の理由から、街道から外れた滝の音が聞こえる水辺で、人目を避けて起こしたたき火で暖を取りながら、黒髪の青年――レイヴン・ヴァン・クリーフ――は愛銃の手入れに勤しんでいた。

 コバルト社製シングルアクション・リボルバーはその堅牢かつシンプルな設計故に、発売から数年と経たず拳銃遣い達の間に広まり、同社の看板商品となっているが、いかに頑丈に造られていても銃であることに変わりなく、銃は道具で、道具は使えば汚れるものだ。

 刃物は研いでやられなければ切れ味が落ち、それは銃とて例外ではない。
 撃った後には磨かねば精度が落ちる、現に銃身内部は煤だらけで、ブラシを軽く突っ込んだだけでも煤汚れがたき火に影を作るくらいだった。道具の手入れは出来る時にやっておくのが鉄則、そういう意味では、たき火を頼りに愛銃の手入れをしている彼の姿は別段特別なことなどなかった。

 彼だけを視界に収めていたならば、だが……。

 もしもたき火の明かりを偶然見つけて寄ってきた者がいたならば、その人物は腰を抜かすか、或いは闇夜をつんざく悲鳴を上げて一目散に逃げ出すことになるだろう。もしくはレイヴンのイカれっぷりに苦言を呈すかもしれない。なにしろ彼が平然と野営している湖では、真白い龍が水浴びをしているのだから。

 龍と言えば、気性荒く、肉食で、人間さえも襲う空飛ぶ化物である。周囲を囲む木々よりも背の高い化物の目と鼻の先で、顔色一つ変えずに銃の手入れなんかしている人物がまともなはずが無いと誰しもが思うだろう。レイヴンも、そして繋がれている馬も、平静にしているなんてどうかしているのだ。
 確かに一理ある。だが、物事とは中々どうして表面道理とは行かないものだ。むしろ、関係性という不可視の糸を一目で見分けろというのが、無理難題なのである。

 満ちた月明かりを受けて白龍が喉を鳴らす。低い唸り声でもどこか柔らかく親しみがあり、レイヴンは独りごちるように口を開いた。

「しつこい奴だな、俺はいいって言ったろ」

 手元から目を離さずに彼は言う。
 すると白龍がまたも喉を鳴らし、レイヴンは鬱陶しそうに鼻で笑った。

「冷たい湖で泳ぐ気なんかしねえよ、しかも夜だぞ。お断りだ」

 喉鳴り。
 今度はレイヴンも手を止めて龍の方に目をやっていた、その眉間には深い皺が刻まれていて、口元はひん曲がっている。

「…………いくら裸っつっても、その姿に興奮覚えるのは俺には難度が高い」

 と言ってやると、水飛沫を上げて龍は水面下へと姿を消した。

 多種族に性的興奮を抱く者がいるとは聞いたことがある。相手は別の人種だったり、亜人種だったり、動物だったりと様々で、そいつらがどう関係を持とうが彼には関係の無いことだ。当人同士が合意しているのならハメてようが好きにすれば良い。自由の国らしく結ばれていけば良いだろうさ。ただレイヴン自身は、いかに美しい姿であっても、龍に欲情するほど餓えてはいないのである。
 概ねの同意を得られる意見だろう。しかし、そんな彼の言葉に異を唱える女性の声が湖から上がってきた。

 水面から覗く金髪、金色の瞳。
 透き通る声音の主は、柔肌から滴る水滴を純白の鱗へと伝わらせながら、そのか細くも美しい肢体を露わにする。彼女の姿は、先程のまでの龍が人型に化けたならば、こうなるだろうと想像したとおりの姿であった。
 人型で、しかし翼と尻尾があり、身体の一部は鱗で覆われている彼女は、水から上がるなりレイヴンの方へと歩み寄り、そして……盛大に頭を振った。まるで濡れた犬がそうするように、腰まであろう金髪を振り払い、滴る水気を払い飛ばしたのである。

 当然、水滴はレイヴンに直撃した。

「ぷぁっ、何すんだアイリスッ!」
「ふふふん、ふん、これでおあいこです。レイヴンが意地悪を言うからです」

 縦割れの勝ち気な眼付きと龍人の姿でありながら、アイリスの浮かべる笑みは無邪気に尽きる。一見すれば彼女は凛々しく知的であるが、存外子供っぽい面が強いのだ。その子供っぽさが原因で、アイリスは大変な思いをしているのだが……。

 彼女が人の形を成しているのは、魔女にかけられた呪いによるもの。
 ここだけ聞けば、龍であっても同情を禁じ得ないが、詳細を知れば考えも変わる。友人である魔女宅をうっかり木っ端に吹き飛ばした為に、遠く西部の地へと呪いと共に送られたとなれば、彼女の現状は自業自得と思えてしまう。
 しかも強力な呪いのおかげで、龍の姿に戻れるのは満月の夜に限られる。龍人の姿になれるのも月の出ている夜だけだ。彼女にしてみればとても窮屈なはずなのだが、生来の楽天気質のおかげか本人はあまり気にしていないらしく、むしろ現状を前向きに捉えているのだから、同情はむしろ友人だという魔女の方に覚えてしまう。

 罰として呪いをかけた魔女が今のアイリスを見たら何を思うだろうか。彼女は今、華奢な肢体を月明かりに晒したまま、説教を始めているのだから。

「そもそもですよ、レイヴン。外見に囚われるなんて愚かしい事だと思いませんか?」
「生き物は感覚の殆どを視覚に頼ってんだから、寧ろ自然だろ」

 それからレイヴンは拳銃を組上げると、傍で草を食んでいる愛馬を指して続けた。

「例えばシェルビィは雌だし頼れるが、あいつに欲情したりはしない。信頼してるし、付き合いもお前よりずっと長いが、それとこれとは別の話だ」
「彼女が人語を操り、人型であれば可能性はあると聞こえなくもないですね」
「否定はしねえな。同じ修羅場を何度も潜った仲だぞ、良き相棒だ」

 するとシェルビィが低い声で啼いて、アイリスは羨ましそうに目を細める。

「……彼女も同意見のようです。少し妬けますが、まあいいでしょう。それよりも、魔具を操るあなたなら魂を見つめることも出来ると思うのですが」

 悪魔の魂の欠片が誰かが欲する様々な形をとった物、それが魔具だ。
 レイヴンが持っている拳銃は三挺あるが、その内の一挺も魔具であり、銃として性質を色濃く叶えた能力を有している。撃ち、貫く、悪魔の銃と呼ぶに相応しい破壊力は、旅人には大きな支えとなる。
 そしてもう一つ、彼は魔具を所持していた。

 レイヴンがポケットにしまっているルビーをはめ込んだペンダント。傍目には装飾品にしか見えないが、これもまた魔具なのだ。しかも、悪名高い龍使いの魔女が有していた曰く付きの代物だが、かといって道具に罪はない。
 要は使い方である。
 その龍使いの魔女は、このペンダントの力を使い小型龍を使役していたが、そこには術者と龍との間に意思の疎通があったのだ。つまり、レイヴンが龍状態のアイリスと会話できていたのは、この魔具の効果である。

 無論、ペンダントには龍を強制的に従わせる力も備わっているがしかし、レイヴンはその能力を使うつもりは毛頭無かった。魔具の力を借りたとしても、そもそも魔女ですらない、普通の人間である彼が龍を従わせるなど妄想もいいところで、龍語を解するようになっただけでも御の字だと考えていたからだ。
 とはいえ、あまりにもアイリスが鬱陶しく騒ぐようなら、試しに黙せてみようかと思わなくもない。だが、アイリス本人はそんなレイヴンの思いなど露知らず、お気楽な弁舌を振るっていた。

 いや、ある意味、のろけかもしれないが……。
「それにレイヴンは言ってくれたじゃないですか、この姿を見て綺麗だと。人ならざるわたしに向けたあの言葉、わたしはちゃんと覚えてますよ。龍であろうと人であろうと、わたしであることに違いは無い、と。ならば種族の違いなど些細な問題です、外見など取るに足りませんよ」
「さっきの誘い方は、外見による内容だったろうが」

 詳しい内容は伏せるが、子供には聞かせられない内容だったのは間違いない。どうにもアイリスの羞恥心というのは人間のそれと大きくズレがある、人間のモラルを龍に強要するってのもおかしな話だが、人の姿で旅をする以上はある程度の常識を身に付けておいてもらわなければ、後々トラブルの種になりかねないのでレイヴンはキツめに戒めてやる。

「往来では絶対言うなよ、軽い女だと思われる。また攫われても知らねえぞ」
「む、失礼ですね。わたしだって気を付けるくらいの事は出来ますよ?」

 アイリスは頬を膨らませて不満を露わにした。
 それは実に子供っぽい態度だったが、次いだ言葉と一転して凛々しい微笑がレイヴンの背筋をゾクリとさせる。

「それにです、わたしが身体を許すとすれば、レイヴンを置いて他にありませんから」

 アイリスの真っ新な肢体は月明かりに良く栄えていた。
 裸体の美女にこんな台詞を嘯かれたらどうするべきなのだろうか。
 瞬間よぎった欲を払ったレイヴンが出した答えは、ある意味腰抜けとも取れる選択肢で、彼は毛布を投げ付けて言った。

「いいから身体拭いて服着ろ、それから尻尾や翼やらもしまっとけ」
「え~、暫くこのままでいたいのですけど」
「年頃の女が裸がいいとか言うんじゃねえよ」
「裸がいいというよりも人型に戻ると窮屈なんですよ、ホビットの服を着てるみたいで息苦しくて。ここなら人目にも付きませんし、元の姿で一晩明かしてはいけませんか」

 元の姿とは、すなわち龍である。
 月が沈めば自然と呪いが表面化して、アイリスは人型に変わっていくがそれでも駄目だとレイヴンは止めた。

「誰も来ないって保証はない、見られたら大事だ。騒がれたら旅しにくくなるだろ」
「う~ん……、そうなっては確かに撃たれ損ですね」

 そう言ってアイリスが撫でる胸元には、小さな銃創がある。
 死に際の魔女に取憑かれ暴走しかかった彼女を止める為にレイヴンが魔銃で付けた傷跡だ。暴れた彼女の死を装い、後腐れ無く旅立ったというのに目立ってしまっては元の木阿弥、危機を裏返した好機をふいにしてしてしまう。

「まだ痛むか?」

 問われアイリスは微笑みを返す。
「レイヴンが気に病む必要はありません、すでに塞がってますし痛みもありませんから。なにより、止めてくれた事にわたしは感謝しているんです。もしもあのまま、レイチェルに操られていたらどうなっていたことか、考えるだけでも恐ろしいです」
「最悪の事態もあり得たからな。悪質な最後っ屁ひりやがって……」

 それはきっと現状以外の全てを指している。

 つまりはどちらかがいないという未来、互いに顔つき合わせていられる今が刃の上を渡りきった奇跡の先にあるというのは、この先、一生忘れないだろう。
 刃の左右、どちらかに転んだ未来を想像するだけでも寒気がして、少しばかし湿っぽい空気になってしまうが、そう考えたのはレイヴンだけだったらしく、アイリスはあっけらかんとしたものだ。

 過ぎた過去は思い出、彼女はそう捉える性質なのかもしれない。とはいえ、前を見るのは良いことだが楽天的なのも考えものだが、アイリスは「それはさておきと」話を戻した。
「……レイヴンの心配は分かりました。なので龍の姿で休むのはやめにしようと思います」
「おう、そうしてくれ。寝返り打ってうっかり潰されても困るしな」
「代わりに龍人の姿で休もうと思います」
「話聞いてたか? 目立つって言ってんだろ」

 龍人の姿であれば人間サイズに収まるが、それでもシルエットとしては異端なのだ。パッと見でも人外であると理解するのに疑問は浮かばないだろう。

 だがまぁ、当然というかアイリスは反論した。
 日中は一〇サイズ近く小さな服を着させられていると考えれば、ハメを――もといベルトを外したくなるのも当たり前の心境である。大木に迫る巨体を二メートル以下にまで収めているのだから、そのストレスはかなりの物だろう。

「心配は理解してますけど、少し過敏に過ぎません? ここならばまず見られることも無いでしょうし、万が一誰か来ても、龍人からならすぐに人間状態に戻れるので平気ですよ。ふふん、忍び寄られるような不覚を、わたしが取られるとお思いですか?」
「大いにな。抜けてるトコがあるからなぁ、お前は」

 アイリスの感覚は鋭い。しかし、彼女の明るい笑みと過剰とも取れる自信が、むしろレイヴンには不安要素でしか無い。

「まぁまぁ、レイヴンもシェルビィもいますし、誰かしら気が付きますよ。なので何と言われようと、わたしはこのまま休みます。止めたって聞きません。何よりレイヴンも、この姿が一番好みのようですし」
「…………ッ⁉」
「ふふ~ん、隠したってダメダメです、レイヴン。人間状態の時よりも視線の気配を感じています、それはもうひしひしと。人間の姿よりも龍人のわたしに興味を持ってくれているとは、嬉しい限りです。外見など陳腐な違いであると認識している証拠ですからね」
「勝ち誇った面ぁしやがって」
「当然です、勝ち誇ってますから。わたしの雌としての魅力が種族を超えて、レイヴンを虜としているのです、これを誇らずにどうしろと言うんですか」
「虜になった憶えはねえぞ」
「いいですよ、そういう事にしておきます。レイヴンにもプライドがあるでしょうから」

 悪戯っぽくアイリスは笑っていた。
 自画自賛する相手を肯定するのは非常に悔しいところだが、しかし否定できないレイヴンがそこにいた。いっそ彼女の鼻っ柱をへし折ってやりたいが、揺るがぬ事実としてアイリスは、全く以て認めたくないが、美人なのである。

 性格を反映したような自由奔放な金髪
 凛々しくも温かい金色の瞳
 絹の如く上品な柔肌と細くなだらかな肢体には文句の付けようも無い

 そしてそれは、龍人となっても変わりなく彼女を輝かせている。むしろ角や翼といった龍の一部は、よりアイリスをアイリスたらしめるアクセントとして彼女を飾り付けているかのようでさえあった。

 人化の呪いを受けた龍。

 この事実を知らなければ、彼女は普通の、どこにでもいる女性に他ならないのだ。その上、時折見せるいじらしさが、内面的な魅力も引き立てている。先程までの自信満々な眼差しを不思議そうにきょとんとさせて、彼女は首を傾げてみせた。

「どうかしました、レイヴン? わたしの顔に何か付いてます?」
「頭に角がな。……もうその姿のままでいいから、最低限、服は着ろ」
「ムリですよ、翼と尻尾がありますから」

 当たり前でしょ? とアイリスは言う。
 翼が邪魔でシャツは着れないし、尻尾が邪魔でパンツも履けない。
 龍人の姿でいるためには、どうしたって裸でいるしかない。アイリス本人はそれでも構わないと明言するが、困るのはレイヴンの方である。龍人姿の彼女の裸体は、すでにレイヴンに珍しさを感じさせないが、それでも裸体の女性が彷徨いているっているってのは、なんというかよろしくない。
 なので仕方なく馬からコートを下ろして彼女に羽織らせてやるが、レイヴンの顔は完全にそっぽを向いていた。

「なんだか今更ですね、そんなに恥ずかしがらなくて、も……?」
「…………」

 だがレイヴンは黙って唇に指を立て、そして静かに腰の拳銃を抜く。
 彼が見つめるのは木々の先、そこから感じる気配を敏感に感じ取っていた。
 遅れて気が付いたアイリスが声を潜めて伺いを立てる。

「もしかしてですけど、レイヴン……、誰か、います?」
「のんびりしてやがる、早く化けろ」
「あっと、そうでした」

 夜風が逆巻くのを背中で感じている間も、レイヴンは警戒を怠らない。そっと撃鉄を起こしてから振り返れば、アイリスは人の姿になっている。ただし焦った所為か、完全では無かった。

「角が残ってるぞ」
「わわわ……! ちょ、ちょっと待ってください」

 わしゃわしゃと髪を引っ掻き回したアイリスの頭から角が消えるのを確かめてから、レイヴンは三度、木々の隙間を注視する。木の葉に隠され月明かりは届かず、じっとりとした暗闇が拡がるばかりだが、何かがいたのは間違いない。勘違いでない事はシェルビィの耳の向きが証明してくれていた。

 問題はその何かが、何なのか、或いは誰なのか、だ。

「覗き見されるのは趣味じゃねえんだよ、とっとと出て来やがれ」

 見極めようと目を細めながら威圧するレイヴン、銃口も言葉に添うようにして暗闇へと照準を巡らせていた。だが、返事の代わりに返ってくるのは、波間のようにさざめく木々の声ばかりである。

「素直に出てくりゃ撃ちやしない、隠れてねえで出てこい!」

 と、吼えてみてもやはり返事は無く、少し周囲を探してみるかと考えていると、アイリスが遠慮がちに彼を呼んだ。

「レイヴン、レイヴン……」
「静かにしてろ、狙ってるかもしれない」
「いえ、何というかですね……、とっても言いにくいのですが……」

 話ながらも、レイヴンの視線は森の中へと注がれている。なので、気まずそうにしているアイリスがどこを見ているか、彼はまったく知らなかった。
 そして、彼女が見つめる先に何がいるのかも。

「探してる相手ならそこに。その、レイヴンの右側に……」
「え?」

 レイヴンの口から出たのはなんとも間の抜けた声。
 そして、まさかと思いながらも言われ其方をチラと見れば、木々の隙間に人影が立っていて、彼は大いに驚いた。それこそ思わず二度見するくらいに。
 なにしろ背後を取られ、しかも至近距離まで近づかれているのに、そんな気配をまったく感じ取れなかったのだ。その上、相手がその気なら、背中に鉛を喰っても不思議では無い距離と位置関係が、よりレイヴンを心胆寒からしめた。

 さくり、さくりと草を踏み
 人影はたき火に照らされる
 そして、露わになった人影を認めたレイヴンはある種の納得がいった。道理で背後を取られた訳だ、その人影は森において優秀な狩人、ダークエルフの女だったから。
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