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第二話 イザリス砦に棲む獣

ブルースキン・タンゴ Part.3

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「…………どう思います、レイヴン?」
「……?」
「先程の女性は、彼等の言っていた通り人を殺めているのでしょうか?」

 ガンマン達が去ってから暫くした後、たき火を眺めながら考え込んでいたアイリスがぽつりと尋ねた。眠たくて黙っているものだと思っていたレイヴンは静かに読み物に耽っていたが、どうやら彼女は脳味噌を回転させていたらしい。

「西部じゃあ、そう簡単にお目にかかれるもんじゃないからな、ダークエルフなんて。連中が探してる女と、俺達が会った女が同一人物だと考えるのが妥当な線だな。つまり、Yesだ。まぁ、連中が言ったことを鵜呑みにするならの話だが」
「どこか怪しい雰囲気を覚えたのは事実なんですけど、わたしには、彼女はそこまでの悪人には見えませんでした」
「アトラス大陸北部の森林地域が連中の住処だ。こっからだと、州を二つ跨がなきゃならない、砂漠と山脈を越えた更に先だ。住処離れて遙か遠方の、西部のど真ん中を旅してるような女だぞ、別段驚くような話じゃない。故意にせよ、自衛にせよ、一人二人くらい手に掛けてても不思議じゃねえさ」
「旅慣れているレイヴンが言うからには、そうかもしれませんけど……」
「男には男の、女には女のトラブルが付きまとう。あの女くらい美人でスタイルも良いと、男絡みの問題に巻き込まれてても驚きやしねえよ。西部は男の割合が多いからな、基本的にみんな女に餓えてんだ。そんな日照りが続いたところに、オアシスが湧いてみろ。悪魔の末裔だろうが我先にと飛び込むさ。…………どうした?」

 アイリスは、はっとしたような表情でレイヴンを見つめている。何かに気が付いたような、そんな雰囲気だが、彼女の言葉は歯切れが悪い。

「あっ……と、なんでもないです。いえ、なんでもはあるんですけど、今の話とはあんまり関係がないので、やっぱりなんでもないです。はい」
「訊いて欲しいのか? 欲しくないのか、どっちなんだ」
「ほしいけど、ほしくないです。なので尋ねないでください」

 気にはなるが、話したくなれば勝手に話すだろう。こうまで尋ねるなと言う相手に迫るのは野暮なので、レイヴンは肩を竦めるに留めてやる。するとアイリスは、不意に途切れた会話の続きを探すように、話題を見つけたのだった。

「と、ところでレイヴンは先程から何を読んでいるんです?」
「ただの新聞だが……」
「しんぶん? しんぶんとはどういった読み物なんです?」

 人間の世界では一般的なものでも、アイリスにとっては物珍しさで溢れている。知らなくて当然だ、龍社会に記者や、ましてや新聞社なんてものが存在するとは思えない。

「なんて説明したモンか……。情報を広範囲に、すばやく広める手段ってのが妥当かな。政治、宗教、宣伝、事件、色々載ってる」
「ちょっと読ませてもらってもいいです?」
「ああ、構わねえよ」

 畳んだ新聞を渡してやると、アイリスは興味深げに書面をおっていた。今更かもしれないが、レイヴンがあることに気が付く。

「……言葉もそうだが、そういやアイリスは文字読めるんだな。何処で習ったんだ? 龍には読み書きなんて必要ないだろ」
「わたしの友人に魔女がいると話しましたよね、あの子が教えてくれたんです。あの子の家には本が沢山ありまして、わたしも読んでみたくて教えて貰いました」
「魔女が持ってる本ね。魔術書の類いか? あんまり楽しそうな本には思えねえな」

 余程難解だろうし、読んだだけで呪われそうな気配すらある。そもそも読書など趣味では無いレイヴンが難色を示していると、アイリスはくすくすと笑い始めた。

「ふふっ、殆どが魔術とか研究資料とか難しい本ばかりだったのですが、わたしが興味を惹かれたのは伝記や物語です。文字を覚えてからはずっと本を読んでいました」
「…………どうやって?」
「どうって、本を読むのに作法があるんです?」
「そうじゃなくて、魔女っていっても人間だろ? 本だって人間サイズに合わせて書かれてるんだから、お前が読むには小さいだろ」

 龍が本を読む様は、さながら人が木の葉の皺をなぞるようなものだろう。そもそも想像しにくいし、その姿を思い描けば、なんて不毛な行為なのかと考えてしまう。ところが、アイリスはさらりと疑問に答えるのであった。

「ああ、そういう意味ですか。その点は苦労しませんでしたよ、あの子が魔法で本を大きくしてくれましたので」
「……便利だねぇ、魔法ってのは」
「言ったじゃないですか。正しく使えば、魔法は世界をより良くしますと。……そうです、レイヴン。魔法と言えば、このしんぶんも魔法で書かれているんです? 整然と、均一な形で並んだ文字はとても人の手によって書き移された物とは思えません。それに、新聞売りの少年が足元に積んでいたのを見るに、沢山売られているようですけど」
「印刷機って機械があるんだよ。魔法をつかえない人間の発明品だな」

 魔女が魔術や魔法の研究に頭を捻るように、魔法を扱えない大多数の人間は、機械技術や科学技術に頭を絞ったのだ。電信や、蒸気機関もそれにあたり、結果として世の中はこの百年でめざましく便利になったらしく、アイリスは興味津々にどういった仕組みなのかを尋ねるのだった。ただし――

「どういった仕組みなのか教えてください、レイヴン! わたし、とても興味があります!」「あー……」

 彼女のキラキラと輝く瞳に対して、所詮は一介の無頼者に過ぎないレイヴンは渋面となるだけである。

「文字が沢山並んだスタンプを捺していくモンらしいが、悪いな、俺もよく知らない」
「むぅ~、レイヴンでも知らないことがあるんですか」
「生きていくのに必要な事だけ知ってりゃいいからな。新聞の作り方より、狩りの方法や、火のおこし方の方が俺には大事だ。どうにも文明ってのは肌に合わねえ」
「勿体ないです。……でも理に適ってますね」

 とは言いつつ、アイリスはしげしげと新聞を眺めていた。その紙面からなんとか技術の欠片でも想像しようとしているのかもしれない。

「そんなに必死にならなくても、どこかの町で実物を見れるさ」
「え⁉ 本当です⁉」
「新聞社があれば覗けば良い。お前が頼めば見学くらいはさせてくれるだろ」
「おお~! 素晴らしい提案です! となれば、その時がくるまでにどういった技術が使われているのか考えておかなければいけませんね」
「待ってるだけじゃ駄目なのか」
「考えるのが楽しいんじゃないですかー、わくわくします」

 あれこれと想像を巡らせているアイリスは実に楽しそうだった。たかが新聞一つでよくもまぁ、目を輝かせられるものであるが、レイヴンにとっては技術そのものよりも、それによって生み出されたものが重要なのだ。

 銃ならば、弾を撃ち出すという性質。
 新聞ならば、記された情報といった具合にだ。

「折角なら文面もよく読んでみろ、俺達が知ってる名前が載ってるぞ」
「わたしもです? どれどれ……」

 一面に戻って読んでいくと、アイリスは「あっ」と声を上げた。どうやら知った名前を見つけたらしい。

「カウフマンさんです、盗賊の残党を捕えたと書いてあります」
「息子撃たれてかなり頭にきてたからな、復讐戦ってとこだろうよ。あのジジイ、かなりしつこいぜ、相当追い回したんだろうな」

 カウフマンは年喰った保安官だが、胆力も執念もかなりのものだとレイヴンは踏んでいた。そんな男が、魔女の手勢に、家族を傷つけられて黙っているはずが無い。頭目であった魔女を失った残党共は悲惨な目に遭っただろう。
 経験があるだけに想像しやすく、残党共の逃走劇をレイヴンが思い描いていると、ぽつりアイリスが声を掛けた。

「レイヴンも気になっていたんです?」
「……ん、何がだ?」
「貴方がレイチェルを……、龍使いの魔女を討伐した、その後をです」

 内容だけなら、真剣な、そしてしんみりとした質問のようだがしかし、アイリスの問い方は少しばかり矛先が違った。

「なんかひっかかる言い方だな。バカにしてるか、もしかして?」
「だって、レイヴンって、本とか読むような人には見えないので。それで、気になっているから新聞を買ったのかと」
「無自覚かも知れねえけど、すげえ失礼なこと言ってるぞ、お前」

 と、窘めてやるが、アイリスは首を傾げているので本当に無自覚なのだろう。まぁそこまで目くじら立てるほどでもないので、レイヴンは話を戻した。

「カウフマンの記事は偶然載ってただけだ、俺にとっては終わった事だから、その後どうなってようがどうでもいい」
「では何故です?」
「やっぱ肝心なトコがとぼけてるな、アイリスは。お前のダチに渡す魔具を探す為に決まってんだろ」

 当て所ない旅路の目的は、アイリスの友人である魔女に渡す魔具を集める為である。
 かつての仲間の仇を討ちレイヴンの旅は終わりを迎えた。しかし、いざ終えてしまうと、それまでに注ぎ込んでいた熱量が一気に失われ、目指す場所も、すべきことも無く宙ぶらりんの虚無状態となってしまうのだ。彼一人ならば、そのままふらりとどこかへ消え、そして人知れず土にでも還ったろうが、レイヴンは独りではなく、冗談のような相棒であるアイリスがいたのである。

 道中で約束を交したし、それに命を救われた借りもある。
 結果として彼はアイリスにかけられた呪いを解く為に、彼女がぶっ壊した魔具の代わりを集める旅を手伝うことにしたのだった。

 だというのに、とぼけた当人はまたも首を傾げていた。
「魔具を探すのにどうして新聞を読むんです? 人間の間では、そもそも魔具の存在自体知られていませんよ?」
「んな事ぁ百も承知だ。魔具ってのは悪魔の魂の欠片が元なんだろ? つまりこの世のものじゃ無い訳で、妙な力が宿ってる。俺が持ってる魔銃や、レイチェルから奪ったペンダントみたいに、だな?」
「おおまかには正解です。わたしの説明、覚えててくれたんですね。感心、感心です」
「…………。つまり、魔具があるところには変な事件が起きる。逆を言えば、変な事件が起きてる場所には魔具がある可能性が高い」

 反論があればどうぞ。
 そう覗いつつレイヴンが両手を広げてやると、アイリスは大いに納得したようで感嘆の声を上げていた。

「おお~! レイヴン、鋭いです! 確かに、魔具の記述が無くても、事件があった場所に行けば、何か分かるかもしれません」
「まぁ確証は殆どねえが、それでも闇雲に探し回るよか大分マシだろ。魔具がいくつあるのか知らねえけど、適当に歩き回ってたら何年かかるか分かったもんじゃねえ」
「……わたしは、それでも構いませんけどね。レイヴンと一緒にいられますから」
「いつまでも呪われたままになるぞ?」
「それも一興です。レイヴンもそう思わないです?」
「思わねえ、俺なら呪われっぱなしは御免だ」

 というか、喜ぶ奴などいるのか甚だ疑問であるが、アイリスは牙を覗かせながら、むしろ嬉しそうにくすくすと笑い始めた。

「そんなに面白い事言ったか?」
「えへへ~。だって、わたしと旅してくれるじゃないですか~、うんうん」
「……俺は悪党だが、恩知らずじゃない。それに約束もしたしな」
「あー、照れてる? 照れてます? レイヴンってば可愛いですね~」

 たき火はおろか、月光までも呑み込まんばかりの笑みをその身に受ければ、反射的に身体は動く。眩しさを遮るようにしてレイヴンはハットを目深に被り直していた。

「ふん。馬鹿を言うな、馬鹿」
「わたしは感じたままに口にしているだけですよ。ちなみにです、レイヴン。これから何処へ行くかは決まっているんです?」
「一応はな。この森の先、エルパソ郡にあるイザリス砦だ。大体二日ってとこだな、何が起きてるかは新聞読め」
「どれどれ……。ああ、これですね。巨大な化物が暴れていると書かれています。イザリス砦北東にあるミルトン湖周辺で化物に襲われ、町長の家族が行方不明、他犠牲者多数……。この化物が魔具に関係していると?」
「俺はアイリスの意見が聞きてえ、どう思う」

 魔具の知識はアイリスの方が豊富だ。となれば、記事の事件と魔具が関係しているかは、彼女の方が見極めが付くだろう。

「う~ん、あり得ると思います……。魔具はただの道具ではありません、それぞれに意思があるんです。レイヴンが待つ魔銃も同じく意思を持ち、その意思によって貴方が求める形を取っていますが、これはレイヴンが魔具を従えているから成り立っているのです。ですが、主の精神が弱まっていたり、そもそも魂が負けていると、この主従関係が入れ替わってしまう事があるんですよ」
「……取憑かれるって意味か」
「はい、近いです。例えば獣などが魔具となっていない魂の欠片に触れたりしたら、そのまま呑み込まれてしまうでしょうね」
「そして化物が生まれる、か」
「そうです。なので、新聞に書いてあることは充分に信じるに値すると思います」

 次なる目的は決まったので、後はそこを目指すのみ。
 レイヴンはそう頷くと、堅くなったケツを上げた。

「あれ? レイヴン、どこに行くんです?」
「さっきの連中が素直に消えたとも限らねえしな。先に休んでろ、少し見回りしてくっから」
「こんな森の中に、わたしを一人残していくんです? 獣やらに襲われたらどうするんです、それにレイヴンと入れ違いに、彼等が戻ってくるかもですよ」

 なんて、か弱い女性らしい台詞を吐いてはいるが、アイリスは守られる対象とはなりがたい。特に満月の夜であれば尚更だ。

「そしたら脅かしてやれ。すこし本気出せば、チビリながら逃げ出すさ」
「……目立っちゃいけないという話は何処へ行ったんでしょう?」
「始末を付ければ噂も広まらねえよ。逃がしても、真に受ける奴もいないだろうがな」
「ふふん。ではもしもの時は、わたしの一声で見事撃退してみせましょう。がお~、です!」

 吼える龍のポーズ……だろうか。
 威嚇らしく爪を立てて吼え真似をしているアイリスではあるが、人間状態では鼠一匹追い払えないだろう。

「まぁ、いないとは思うが、念の為だ。寝てていい、軽く見回って――」

「それには及ばぬよ、小僧」
 さしものレイヴンも、これには驚きを隠せなかった……。

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