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第二話 イザリス砦に棲む獣

アトラスの誇る、無法者と詐欺師達 Part.1

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 この世界を支えているものとは一体なんだろうか。

 神父にそう尋ねれば、神の教えと答えてくれるだろう。作家に問えば真実の愛なんて答えが返ってくるかもしれない。科学者なら頭が痛くなるような、知識の積み重ね。魔女ならきっと、普通の人間ではこれまた理解の及ばない難解な話を、くたばるまで続けてくるかもだ。

 つまるところ、個々人が語る世界のイメージとは、その人物が何を支えにして生きているかによって変わってくるものだ。そして恐らく、そのどれもが間違っていて、その全てが正しい。

 無責任に言ってしまえば、│お好きにどうぞ《・・・・・・・》、である。

 他人が一体何を信じているのかなど、突き詰めてしまえば自分とは無関係。そもそもとして、同じ思想を持っていても多少の差異はあるものだから、完全な理解など得がたいのが当然で、愛やら信仰やらがまばらに転がるドデカい世界の受け皿は隙間だらけである。

 となれば世界を支えているのは、その隙間を埋める物ではなかろうか。例えば、疑念や欺瞞がそれにあたり、実際に人間社会は騙し瞞されで回っている。
 そんな中にあれば易々と人を信じるってのは、迂闊と言わざるおえない。胡散臭い、嘘が服を着て歩き回っているような商人の言葉となれば尚のこと。明け透けな嘘っぱちを鵜呑みにするより、毬栗(いがぐり)でも呑み込んだ方がまだマシだ。

 だがレイヴン達は、堅牢な壁をするりと通りイザリス砦に入っていた。通行証の威力は本物だ、一度は追い返された二人が、見るからに怪しい商い馬車の護衛として戻ってきても通してくれたのだから。
 そして今、レイヴンとアイリスは人目を避けて馬を下り、表通りの様子を覗っていて、特にアイリスはどこか不安そうに訪ねるのだった。

「う~ん、先に一つだけおしえてください、レイヴン。これってやっぱりわるい事です?」
「どうかな……。俺にも分からん」

 ハットを目深に被り直して、レイヴンは歯切れ悪く答えた。
 所謂一つの、背に腹は替えられないってやつだ。



 少しばかり時間を戻す。
 ブームタウンからイザリス砦に至る道中の話だ。

 アイリスはいつも通りレイヴンの後ろに跨がって、シェルヴィの足並みに揺られていた。
 ……が、なんだか身体を預けているレイヴンの様子が変だなと思ってしまう。彼女は後ろに座っていたから、彼の表情は見えない。もし面と向かっていたら彼女は尋ねていたに違いない。「そのおもしろい眉間のしわには、どういう意味があるんです?」と。

 釈然としない、かといって文句を言うのも違う。レイヴンは正しく、苦虫を大量に噛潰しているような表情である。それもこれも、隣を征く馬車を操る男の所為だ。

「いやはや、ありがたいですな。なにぶんこの辺りは物騒で、砦に着くまでに襲われでもしたら事ですよ。はっはっはっ! 決闘騒ぎで客が流れてしまったのは残念でしたが、貴殿が申し出を受けて下さったのは神の思し召しかもしれませんな」
「利害の一致、それだけだ」
「はっ! 大いに結構、貴方も中々の商売人のようだ。まあ、わたくしには劣りますがね」

 悪びれた素振りなど皆無。溌剌とした紳士の笑顔は寧ろ腹立たしいくらいだが、アイリスはまだ彼に好意的だった。

「つかぬ事を尋ねますけど、おじ様は――」
「おっと、そういえば名乗っておりませんでしたな。貴女のように可憐な女性にご挨拶も済ませていないとは申し訳ない。あらためまして、アーサー・C・ウェリントンと申します。お気軽にアーサーと読んでくだすって結構ですぞ」
「わたしはアイリスです。そして彼は――」
「レイヴン。レイヴン・ヴァン・クリーフだ」

 遅れた挨拶を済ませると、アーサーはにんまりと口髭を歪ませた。
「どうぞよろしくお願いしますぞ、御二方」
「わたし達こそよろしくです、アーサー。……それで、なぜあなたは砦へ向かおうと?」
「太陽は何故、昇るか。そう問うているに等しいですなお嬢さん。それは勿論、我が社の発明した素晴らしき万能薬をお届けする為、開拓者たる西部の人々から病を遠ざける為ですよ。人は皆、神に救いを求めますが、まずは我々人間同士で助け合わねば」
「つまり人助けです?」
「ええ、正しく仰るとおり。素晴らしき発明は人助けの為に使われるべきなのです!」

 嗚呼、素晴らしきかな善意に満ちた弁舌。
 アーサーはどこか悦に入っている語り口だが、ふと疑問を抱いているようなアイリスの表情が目に入った。

「どうかされましたかな、アイリスさん?」
「でもお金を取るんですよね? 人助けに見返りを求めるのは、なんだか変な感じです」

 彼女は純粋に過ぎ、人間社会に疎い。
 その為アーサーは一瞬返答に困ったようだった。そこから持ち直したのは流石と言えるが。

「ああ……、ええ、そうですな。わたくしにとってはたつきの道でありますから、無料でという訳にもまいりません。しかし勘違いされては困りますぞ、わたくしは何も金儲けを優先してる訳ではないのです。むしろ万能薬の開発には多額の投資をしておりますから、販売価格は非常に良心的と言えましょう」
「一オンス、二ドルでか? 良心ってのは高く付くな」
「考えてもみてください、Mr.ヴァンクリフ。たったの二ドルで健康な肉体が戻ってくるとすれば、破格と思えませんか。しかも継続的に飲み続ければ、ずっと健康でいられるのです。効果の程は満足された顧客の皆様が証明してくださっています、貴方になら、今回の成果如何で特別割引にてご提供しますよ? 一オンス、一ドル九五セントでどうでしょう、百オンス以上お買い上げの方限定の価格ですがね、貴方になら――」

 すらすらと商売文句を並べるアーサーであるが、聞かされるレイヴンは感情も薄く答えるだけ。馬鹿にするにも程があるというものだ。

「タダでもいらん、どうせ蛇油か何かだろ」
「え⁈ 万能薬じゃないんです?」
「あのなぁ、アイリス。そんな都合のいいものがある訳ないだろ」
「疑念は無知から生まれるものですが、貴方にまで疑われるとは実に心外ですな、Mr.ヴァンクリフ。貴方こそ思慮深き人物だと考えていたのですがね」
「ふん。俺を騙すのは諦めるんだな、じいさん」
「敬意を払って戴きたいものですな!」
「……諦めろ・・・、じじい」

 嘘ばかり吐き出す口から、敬意なんて言葉が零れるだけでも驚きで、やはり静かにアーサーを捉えるレイヴンの口調は有無を言わさぬ威圧感が込められていた。彼の手伝いをするのは、他に選択肢がないからに過ぎないのだ。

 ようやくその事に理解が及んだのか、アーサーは言葉詰まらせ唸っていた。
 気まずい空気が漂い、なんとか明るくしようと試みたのはアイリスである。

「えっとアーサー? それじゃあ、わたし達、というかレイヴンに頼みたい事とは何です?」
「なに、単純なお手伝いですよ、MS.アイリス。わたくしは貴方の様な若く、頑丈な方を探していたのです。この商品は素晴らしき科学の結晶で、既知の病、その全てに効果抜群だ。しかしながら、それを浅学な方々に証明するのは実に難しいのです」
「今更隠す必要はねえ、あんたがどういう奴かはとっくに分かってる。承知の上で手を貸してやるって言ってるんだ、グダグダ御託並べてねえで何をさせる気か教えろ」
「貴方の職業柄、得意な事を披露していただくだけですよ。いくら言葉を並べたとて印象に残りにくいですが、信じられない光景であっても目の当たりにすれば、イヤでも人は信じますからな。百聞は一見にしかず、所謂ひとつの実演販売です」

 具体的な内容は一切語られておらず、流石のアイリスも問い糾すくらいには疑念を抱き始めていた。

「要領を得ないです、つまり?」
「……イヤな予感がしてきた」
「つまりは、Mr.ヴァンクリフには、神に与えられし類い希な才能をもって、商品の効能をシンプルに宣伝していただきたいのです。ですから砦に入り次第、別々に行動しましょう。知り合いだと思われない方がお互いの為ですからな」
「お互いの? あんたの為の間違いじゃないのか」

 レイヴンが抱く疑念は深まるばかり。そもそも信じていないが、彼の態度は段々と露骨になっていくのである。ところがだ、アーサーはそれで良いという。

「素晴らしい。今のままの態度でいらしてください、あまりに歓迎されてしまうと返って逆効果ですからな。わたくしの準備が整いましたら、群衆の中へ何気なく近寄ってきてください。そうしたら薬を試してもらうように貴方を指名しますので、わたくしが効能を宣伝した後に、貴方にいくつかの奇跡を起こしてもらいます。こうすれば、売り上げの元となる客に驚きと共に深い印象を植え付ける事ができるのですよ」
「……何をする?」
「リアルな反応をしてもらいたいので伏せておきますが確約しましょう、貴方には朝飯前の事ですよ」
「疑わしいこと、この上ないな」
「ちょ、ちょっと待ってくださいです!」

 アイリスが声を上げる、愕然としたような様子だった。
「それじゃあアーサーさんは、レイヴンに嘘をつけと言うんです⁈」
「全部、詐欺だぞアイリス。気が付くのが遅すぎる」
「いやいやお嬢さん、これは更なる人助けの為の潤滑油と思っていただきたい。事実のみを書き連ねた歴史書よりも、派手に脚色された創作物の方が受けるのと同じですよ。これから先は宣伝が物を言う時代でしてね、純粋な真実というのは大衆には届かんのです」
「万能薬は? あれも嘘なんです?」
「同業社の中には、似たような宣伝文句で粗悪品を売りつける者もおります。しかし、わたくしの商品こそ、真なる万能薬なのです。医療科学と、商売の先駆者、そして命に遣えるわたくしの信念を持って申し上げましょう」

 レイヴンの口元には苦笑が浮かぶ。
 事ここにいたってまだ信念なんてのたまう図太さには呆れるばかりだ。腹を下した馬よりもホラを吹くくせに、その自信は一体どこから湧いてくるのか不思議でならない。

「そこら辺にしとけアイリス、まともに取り合っても改心なんかしねえよ」
「むぅ~。レイヴンはそれでいいんです? 人をだます片棒を担ごうとしてるのに」
「誰かを撃ち殺そうってわけじゃねえんだ、交換条件としちゃマシな方だろ」
「けれど、人に騙されるというのはとても辛い事です。心から信じたのに裏切られるのは、寂しくて切なくて、胸が苦しくなります。レイヴンだって分かってるじゃないですか」
「そんなになるまで誰かを信用した事はない、だが――。あまり人を裏切り続けると、いつか大きなしっぺ返しを食うだろうな」

 偽りで塗り固めた商売など確実に恨みを買う生き方だ。正直すぎるのは愚かであるが、得がたい美徳で在り、逆も又然り。嘘というのは積み重なっている間こそ強固でも、一度崩れれば砂上の城より脆いものだと皮肉るレイヴンだが、そんな説教など聞き飽きているのか、アーサーはまったく気に留めていなかった。

「さて、そろそろ着きますぞ御二方。忘れないでくださいね、砦には入ったらすぐに解散しますからな」

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