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第二話 イザリス砦に棲む獣

無法者と狩人に龍少女は憂いを抱き Part.5

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 純粋さは素直さに繋がり、素直さは正直さに繋がる。そして正直な心を持っていると、清水が川を流れるように、気持ちは表情に表れるのだ。危険な狩りに出た想い人を、やきもきしながら帰りを待つ少女なんかは特に素直に顔に出るもので、分かり易い分、容易く他人に気持ちを読まれる。

 溜息深く、カウンターに寄り掛かるアイリスなんかは、見るからに傷心の――丸め込みやすそうな女にしか思えないが、両肘ついてむくれている彼女に真っ先に声を掛けたのは、忙しく酒を注いでいるバーテンダーだった。
「捨て猫みたいなツラしてるなら部屋に戻りな」
「……え? ……それは、どうしてです?」
「はぁ、旦那が気を揉む訳だ。奥さん。あんた、自分がどう見られてるか、知った方がいいよ。危なっかしくていけねえや、俺までハラハラする」

 と無防備さを責められているのに、アイリスはぽかんと口を開けているのだから、バーテンダーも呆れるばかり。

「ほら、それがいけねえんだ。男ってのは餓えた獣だ、あんたみたいな美人ほっとかないぞ」
「ああ、いえ……、わたしが驚いているのは、その……奥さんとは誰のことです?」

 今度はバーテンダーの方が間抜け面を晒す番だった。
「あんたに決まってる、黒髪の旦那の連れだろ」
「一緒に旅をしています。けれど、夫婦めおとというわけでは……」
「あぁっと、これは失礼、おれはてっきり結婚してるものかと。なにせ旦那ときたら、戻るまであんたの面倒をみてくれと言ってきたもんでね。へへ、チップも相当弾んでくれた」

 宿代と護衛代にレイヴンは糸目を付けなかった、むしろ金払いが良すぎるくらいと言ってもよく、意味するところは……言うまでもないはずだ。
 それ故気を遣ってなのか、色々とバーテンダーは喋っていたが、アイリスの耳に届いていたかは怪しい所だ。彼女の思考はちょっと前に聞いた一単語を処理してから、動きが止まっていたから。

「――だから夜の間は酒場か、上の部屋にいてくれよ、そうじゃないと面倒をみれないからな。目の届くトコにいてくれれば……っておい、あんた、聞いてるかい?」
「ふぇッ? ああ、はい……えぇっと、だいじょうぶです。夜の間は表に出てはいけなんですよね。どうして酒場にいなくてはならないか、理由を尋ねても?」
「全然聞いてないじゃないか、まったく、ぼけっとしないでくれよ。……まぁ、不安にもなるか。俺だったら、我慢できる自信ない。あんなにセクシーなダークエルフと夜の荒野で二人きりになった日にゃあもう――」
「ストップ、ストップです! その件は、わたしの中で区切りを付けたので蒸し返さないで欲しいです。それよりも、酒場にいなくてはならない訳を」

 バーテンダーにしてみれば、同じ説明の繰り返しだから一度は面倒そうに眉根を寄せた。けれど、他の客を捌いてから口を開くと、彼は丁寧に話してくれたのだった。

「化物もだが、町の中も充分物騒なんだよ」
「そうは見えませんでした。緊張してますけど活気があります、自警団の方々が、守って下さってるみたいですし」
「あんたは来たばかりだからな、この町の実態を知らねえのさ」
「……と、言うと?」

 いくらアイリスでも露骨すぎるキナ臭さは嗅ぎ付ける。抜けているところがあっても、寝ている訳ではない。彼女の勘が正しいか否かは、バーテンダーの素振りが語ってくれる。

 彼は、アイリスに顔を寄せて声を潜めた。
「最初の犠牲者は湖の近くに住んでいた猟師だった。月に二、三度、町に寄っては肉や毛皮を売りに来ていたんだが、ある日突然姿を見なくなってな、友人が様子を見に行ったんだ。小屋は壊され、辺りは血塗れで猟師の姿はどこにもなかった。それで、こりゃあ何か危ないのがいるってなってな、狩りをする事になったんだ。……それに参加した連中がどうなったかは?」
「大勢、犠牲になったと聞いてます」
「殆ど帰ってこなかった。犠牲者の中にはキャロルさんもいる」

 知らない名前でも、アイリスにはその女性が誰なのかは予想ができた。同時に、どれだけ好かれていたのかも。

「町長さんの家族ですね」
「妹だよ、サイモンの」

 ぽつりと溢すバーテンダー。その横顔は思い出を探すように懐かしげだ。
「身体は弱かったが、よく散歩していてね。昼過ぎに酒場の前を通るんだ。通りで楽しそうに話しているキャロルさんは、輝いて見えたもんだよ。……賢い女性だった、気取らず、白百合のようでね、町の人間は、みんな彼女を愛していた」
「素敵な方だったんですね。あなたが、想いを寄せていたのが伝わってきます」
「みんなだよ、そう言っただろ? キャロルさんは町の象徴だっただけじゃない、廃墟同然だった砦を町に変えたのは、彼女のアイデアだったのさ。サイモンが町長に収まってるのは、彼女が譲ったからだ。病弱な女の身じゃあ町を守りきれないからってな。いい人だったよ、本当に。行方不明だということだが、……もう、期待はしていない」

 人の価値は死んだ後に分かる物。惜しまれているだけ、その人物は慕われていた証拠だ。
 自らよりも他人を愛する献身と慈愛。キャロルは、心から愛された人物だったのだと聞かされると、会ってお話をしてみたかっという思いが起こる。しかし、それと同時にアイリスはこうも考えたのだった。
 現町長であるサイモンに不満があるのかと。

 アイリスが受けた印象では、彼もまた善人に思えていたのに、町の住人にとっては違うらしかった。
「不満があるかって? 我儘な子供が好き放題してるのを楽しめるのは自分の子だからだ、そんなのが町を治めてるなんて悪夢でしかないのさ」
「自警団の方々と町を守っているじゃないですか、とても我儘だとは思えませんけど」
「連中には町の出身者は一人だっていやしない、実際には流れ者の賞金稼ぎでこしらえた傭兵集団だ、化物狩りに集まった連中を丸め込んだだけのな。自警団を名乗ってるのはその方が耳触りがいいからだよ、口にこそ出さないが誰も歓迎してないんだ」

 まるで、成長を見守ってきた娘が穢される様を眺めているような、唇を固く結んだバーテンダーの表情は深い苦悶に染まっていて、吐息一つからも悲しみが溢れ出ていた。愛情深いだけ反動も大きい、彼が気を取り戻すまで暫くかかった。

「……まあ、こんなところか。愚痴が混ざっちまったが勘弁してくれや」
「いえいえ、訊いたのはわたしですから。興味深いお話、感謝です」
「旦那も言ってたが、あんた変わった人だねえ」
「そうですよ、わたしは特別なのです。えへへ」

 変人と言われてはにかむ図太さ。
 変わり者っぷりを存分に発揮されて、バーテンダーは苦笑いだった。

「――ところで一晩中カウンターに寄り掛かってる気かい? まだいるつもりなら、酒の一つも頼んでくれねえと他の客に示しが付かねえんだが」
「酒場ですもんね。それじゃあ、えぇっと……琥珀色の、強いお酒をおねがいです」
「ウィスキー? 勿論だ、置いてない酒場を酒場とは呼ばねえ。でもよぉ、頼むってんなら酒は出すが、ウチのは強いぞ、止めといた方がいいと思うが」

 真面目ぶった雰囲気を振り払えば、バーテンダーは気遣いとからかいが半々に言い、冗談交じりにアイリスは頬を膨らませた。空気と一緒に口内を満たしているのは多分、意地だろう。レイヴンにも同じようにからかわれたので、どうせならば驚かせてみせたいのだ。

 すると、パチン――、バーテンダーが手を打った。
「そういえば、あんたも不安の種抱えてたんだっけな。そりゃ酔いたくもなるか」
「うぅもう! せっかく忘れかけてたのに!」
「じゃあもう一度忘れちまいな、憂さ晴らしに頼るならウィスキーは正解だよ」

 グラスに注がれていく琥珀液からツンとくすぐる酒の香り、それだけでも焼けそうだが、アイリスは大口開けて一息に煽ると、カウンターを強く叩いた。

「ふわぁ~ッ! これはキョーレツですね、けどおいしいです!」
「いい飲みっぷりだ、男顔負けだな」

 知っていれば備えられて、気構えが出来ていれば堂々と飲める。不意を打たれない限り、誰だって大抵の事には対応できるものである。白い歯を覗かせてニッコリと笑うアイリスが得たのは一つの自慢で、その自信が彼女自身に拍車を掛けた。

「ではでは、もう一杯です! おかわりを!」
「あいよ」

 窓の外は赤々と燃え
 そしてグラスは、繰り返し繰り返し満たされる事になるのだった。

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