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第二話 イザリス砦に棲む獣

世界、滅ぼせし者 Part.4

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 先ほど放った一発で、魔力はほとんど吐き出してしまった。自分の身体だ、魔力を感じられなくても、あとどれだけ動けるぐらいは予想が付く。眼前にそびえる邪龍を見上げながら、どれだけしか動けないのか、レイヴンには予想が付いてしまっていた。

「どうした人間、はやく欲望を示すがよい」
「急に願いって言われてもな、……少し時間をくれ」

 ある意味、レイヴンが一番求めるものであり、邪龍は一言「よかろう」としゃがれ声で応じた。他の願いはあるにはあるが、絶対に聞き入れてもらえない願いしか思い浮かばない。万年ぶりの朝日を拝む前にくたばってくれ、と言うのが正直なところで、時間稼ぎに適当な願いを考えていると、突然、邪龍は鉤爪でヴァネッサを指さした。

 蘇ったばかりの割に、鋭い。彼女は気配を闇に紛らせようとしているところだった。

「よく見ておるのう……」
「その場より僅かでも動けば八つ裂きにして喰ろうてやるぞ。隠密の術は時を超え受け継がれているようだが、我輩には通じぬ。深き闇は我が手中も同然、姿は隠せても欲を孕んだ魂は眼に写る。――貴様もだ、小娘」
「う――――ッ⁈」

 機先を制され、いつ飛びかかるかと僅かに翼を拡げていたアイリスは、びくりと身体を震わせた。心が読めずとも彼女の行動は予想が付くが、それでもアイリスの動きを止めるには十分な効果を発揮している。

「龍でありながら支配者たる我輩に牙を剥く不遜、貴様がまだ息をしていられるのは、我輩の気まぐれに過ぎん、この復活の昂揚を妨げてくれるな」
「……アイリス」

 一つ気を落ち着けろ、とレイヴンは手をかざし、そして――

邪龍様・・・の機嫌を損ねるな」
「――――ッ⁈」

 ぞわり、アイリスの癖っ毛が逆立った。が直後、彼女は納得したように握り拳を緩める。邪龍から見えないように瞬かれたレイヴンの瞼を、彼女はしっかり捉えていた。

「…………はい、そうですねレイヴン」
「邪龍様、連れの失礼をどうか許してやってください」
「ふむ、まあ良かろう。貴様に免じて目を瞑ってやろうではないか。それよりも、だ……。人間よ、願いは決まったのか」

 普段と同じ無愛想で首肯するレイヴン、決めたのは何を願うかではない、腹だ。とびぬけたギャンブル、伸るか反るかの勝負に臨むには、先に心を固める必要がある。

「そうか、では近こう寄れ」

 手招く鉤爪に従いレイヴンは進んだ、邪龍の懐、鱗一枚の輪郭を拝めるくらいまで。地を踏む動揺が心を揺さぶらぬよう慎重に、そして自然に。

「人間……」
「…………なにか?」

 邪龍は巨体で、レイヴンはほとんど見上げるようにして答えた。

「矮小な人間の割に、貴様は肝が据わっているらしいな。我輩の前に立ち、膝を震わさぬ者は数えるほどだ、人間はおろか龍でさえ我輩にひれ伏したというのに」
「どうも……あぁ、恐縮です……」
「故に問う、貴様の願いを訊く前にだ」

 首を伸ばした邪龍の鼻先が、レイヴンの眼前へと降りてきた。まるで獲物の恐怖を嗅ぎ分ける狼のように鼻を鳴らし、誘う蛍のように喉を鳴らす。

「我輩に仕えろ、人間。貴様の魂、その深淵に眠る乾きを我輩が満たしてやろう」
「乾き……?」
「そうだ、貴様の魂は乾いておる、復讐を遂げた解放、そのまやかしの泉に沈みながらな。平穏な暮らしを望みながらも、一方で闘争に酔いしれ、命を奪う瞬間に快楽を見いだしているのだ、貴様が望む終の住処は安寧としたとこではなく積み重ねた死の頂上、朱に染まった頂にこそある。我輩と来れば、永遠の命と終わりなき狂宴を与えてやろう。この世のすべてが思うがままだ、想像してみるがいい」

 その囁きはさしずめ毒。
 じわり精神を蝕む感覚にアイリスが身を強張らせると、邪龍の眼が彼女の方へと向いた。

「小娘、貴様も仕えるか」
「お、お断りしますッ」
「クックク、痩せ我慢など無駄なことだ」
「我慢なんてしてません! わたしは本当に――」
「違う。歪んだ貴様の愛は、我輩の元でこそ実を結ぶ。小娘、貴様もこの人間と同様だ、慈愛に満ちた振る舞いを心掛けているのは破壊衝動の裏返し、いずれは龍の本能に屈することになろう」

 アイリスは何も言い返せず、小さな拳をまた固めていた。
 大声で否定したいのに出来ない、それどころか息さえ苦しい、底なし沼に引きずり込まれるような錯覚を覚えていると、筋のしっかりした声が彼女を救った。

 レイヴンは言う。
「邪龍様。申し出はとてもありがたいですが、俺たちじゃあお邪魔になるでしょう。願い事、それ一つ叶えてもらえるだけでも充分です……」
「クックック、我輩の提案を拒む者、これもまた数えるほどだな。愉快だ、実に愉快だぞ人間、我輩を楽しませてくれるとは余計に気に入ってしまうではないか! さあ、願いを言うが良い」
「それではお言葉に甘え――」
「待て、人間」

 突然だった。

 固い声で邪龍は遮り、獅子さえチビりかねない笑みを浮かべる。
「我輩としたことが言葉を誤ったようだ……、試してみろ・・・・・と、そう言うべきだった。絞りカス程度に残った魔力が我輩に届くかどうかをな」

 表情には出さなかった。
 が、流石のレイヴンでも邪龍には気圧され、必殺の魔銃を掴む右手が思わず震えていた。

「何が不思議だ、人間。殺意とは、誰かを殺したいと願う欲。この場において、すべての欲は我輩の手中にあるのを忘れたか」
「そこまで分かってて懐に? ……ふん、俺も嘗められたモンだ」
「愉快だとも言った。復活して早々に、貴様のような魂を持った人間に出会えるとは幸運だ、贄として実にふさわしい。特に生にしがみつき、あがいた魂はな。貴様にチャンスをくれてやろう、無為に抵抗するチャンスを。さあ人間、あがいてみろ……!」
「後悔するぜ、早撃ちは俺の領分だ」

 動きこそないが、すでに戦いは始まっていて、二人はひたすら待っていた。
 風さえ沈黙させる邪龍が醜悪な笑みを浮かべ、それに負けじとレイヴンも口角をつり上げる。殺意を込めて睨み合い、不敵な笑顔をたたえ合いながらきっかけを求め、再び吹いたそよ風がその役目を買って出た。

 先に動いたのは邪龍だ。
 月明かりを舐めた鉤爪が振り上げられ
 それを見て取ったレイヴンは上体を仰け反らせて後ろに飛ぶと
 同時にポンチョを脱いで邪龍めがけて放り投げた

「フン! 小賢しいッ!」

 豪腕の一振りで、ポンチョは木の葉の様に吹き飛ばされる
 掠めた鉤爪に額を裂かれた
 だが、それでいい
 払われたポンチョの影では……魔銃の銃口がすでに狙いを付けている

「貴様ッ⁈」
「てめぇはデカい風呂敷拡げちゃあいるが、言ってることはこの国の政治屋と変わりゃしない、そういう連中から自由でいるために俺は西部ここにいるのさ!」

 激発
 放たれた魔弾は雷を纏い、寸分違わず邪龍の眉間に命中……しなかった
 咄嗟に額をかばった邪龍の手に阻まれ雷撃は霧散
 本来なら貫通するだけの威力を出すことは、レイヴンに残された魔力では足らなかった。

「この程度の浅知恵が通じると思うたか、我輩にはすべて視えておるのだ! その首、掻き切ってくれるぞッ!」
「……そいつはどうかな?」

 邪龍は全てが視えているというが怪しいものだ。
 欲望を読み取ることが出来るのならば、それは行動を事前に知ることと同義で、だとしたら何故、しきりに周囲へ眼を配る必要があるのか。レイヴンは、真正面で向き合ったからこそ違和感に気づけた、会話の最中も、邪龍は時折、アイリスやヴァネッサの動きを目で追い観察していたのである。

 そして邪龍自身気が付いていない見落とし、恐らくは復活直後で衰えている――一度に視える魂の数――にレイヴンは賭け、勝ちの目があることを知る。

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