【完結】怠惰な天才の夜想曲(ノクターン)~伯爵家の次男は英雄になりたくない~

シマセイ

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第十四話:怠け者の哲学と見えざる敵

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狩猟会から屋敷に戻った後、そこには何とも言えない複雑な空気が流れていた。

兄のルドルフは、見事、強力な魔獣を討伐した英雄だ。

だが、その決定的な一撃が、弟の「まぐれ」によってもたらされたという事実に、その表情は晴れない。

父上も、手柄を立てたのだからと素直に喜ぶべきか、そのあまりに締まらない勝ち方に顔をしかめるべきか、判断に迷っているようだった。

そして、セレスティーナ様。

彼女は、あの一件以来、俺に対してあからさまな探りを入れるのをやめた。

その代わり、遠くから、まるで未知の生物でも観察するかのように、静かに俺の動向を見守っている。

その視線は、以前よりもずっと重く、そして深くなっていた。

その夜。

俺が自室で、今日一日分の疲労を癒すべくソファと一体化していると、静かなノックの後、セレスティーナ様が部屋に入ってきた。

予告なしの、突然の来訪だった。

俺は驚きを顔に出さず、だらしない格好のまま、彼女を迎える。

「これはこれは、セレスティーナ様。

夜分に、俺のような怠け者に何か御用で?」

彼女は、俺の軽口には答えなかった。

ただ、まっすぐに俺の目を見つめ、静かに、そして予想外の問いを投げかけてきた。

「アレン様。

あなたにとって、『力』とは、一体何ですの?」

哲学的な問いだった。

あまりに唐突で、俺は一瞬、言葉に詰まった。

いつものように「面倒な質問ですね」とはぐらかそうとしたが、彼女の紫の瞳は、真剣そのものだった。

答えを、渇望している瞳だった。

俺は、はぁ、と一つため息をつくと、珍しく少しだけ、真面目に答えてやることにした。

「力、ですか」

俺は天井を見上げ、しばし考える。

「まあ、あるに越したことはない代物でしょうね。

ですが、同時に、これ以上ないくらい面倒事の種でもある。

力があれば、それをあてにされ、頼られ、利用され、あるいは妬まれ、狙われる」

俺は体を起こし、彼女に向き直った。

「俺にとっての力は、ぐうたらするための『道具』、ですかね。

誰にも邪魔されず、静かに、このソファの上で昼寝をする権利を守るためのもの。

それ以上でも、それ以下でもないです」

その答えに、セレスティーナ様は目を見開き、息を呑んだ。

彼女にとって、力とは「国を守るため」「民を救うため」「責務を果たすため」のものであったはずだ。

俺のそのあまりに個人的で、矮小で、しかし揺るぎない価値観は、彼女の理解を完全に超えていたのだろう。

「……ただ、昼寝をするために……?
その、神業とも思えるほどの力を……?」

「ええ。

俺にとって、昼寝以上に価値のあるものなんて、この世にはありませんから」

俺がそう言ってのけると、彼女はしばらく絶句していたが、やがて、ふっと憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。

「……そうですか。

なるほど。

ようやく、少しだけ、あなたのことが理解できた気がしますわ」

その時、彼女はふと、話題を変えた。

「今日のオルトロスの件ですが、やはり、何者かが意図的に森に放った可能性が高いですわ。

討伐した後で死体を調べたのですが、首に、うっすらと魔法的な拘束具の跡が残っていました」

「でしょうね。

あなたを狙ったのか、それともヴァインベルク家そのものを狙ったのか」

俺の言葉に、セレスティーナ様は首を横に振った。

「おそらく、その両方。

そして……アレン様。

あなたを『試す』ため、だったのかもしれませんわね」

彼女は、意味深な視線を俺に送る。

つまり、俺たちの知らない、第四の勢力が存在する、ということか。

面倒事が、また一つ増えた。

俺たちがそんな話をしていると、部屋の扉が勢いよく開かれた。

「セレスティーティーナ様。

夜分に、私の弟の部屋で一体何を?」

不機嫌さを隠そうともしない兄さんが、そこに立っていた。

彼は、セレスティーナ様が俺に近づきすぎていることを、明らかに警戒している。

セレスティーナ様は、そんな兄さんを見て、優雅に微笑んだ。

「アレン様の、深遠なる哲学に触れておりましたの。

本当に、興味深いお方ですわ、あなたの弟君は」

その言葉は、火に油を注いだだけだった。

兄さんの眉間のシワが、さらに深くなる。

三者の間で、緊張感に満ちた視線が、静かに交錯した。

やがて、セレスティーナ様と、そして兄さんが部屋から去って行き、俺は再び一人になった。

「また、面倒なことになりそうですね」

いつの間にか部屋に入ってきていたソフィアが、心配そうに呟く。

俺は、天井を見上げ、今日一番の、深いため息をついた。

「ああ、全くだ。

探偵ごっこだけじゃなく、陰謀だの暗殺だのまで出てきやがった。

俺のソファは、一体いつになったら平和になるんだ……」

その口調は、心からのうんざりしたものだった。

だが、俺の瞳には、もはや退屈の色はなかった。

次から次へと降りかかってくる、面倒事の数々。

その全てを、心のどこかで「仕方ない、片付けるか」と、腹を括り始めている自分がいることに、俺はもう、気づかないふりはできなかった。
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