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第五話:決戦の舞台裏
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父の書斎から戻った私の頭の中は、これから始まる復讐劇のことでいっぱいだった。
父は、愛娘からの珍しい願いを快く聞き入れ、「お前の好きなようにやってみなさい」と微笑んでくれた。もちろん、その裏にある私の本当の目的など、知るよしもない。
計画の第一歩として、私は王都で最高の腕を持つと噂の衣装デザイナーと宝飾職人を、グランヴェル家の名を使い、密かに屋敷へと呼び寄せた。
「お嬢様、どのようなドレスをご所望で?」
初老の女性デザイナー、マダム・ロゼールは、私の前に何枚ものデザイン画を広げた。
私はその全てに首を横に振る。
「もっと、シンプルに。そして、どこまでも気高く。まるで、月の光をそのまま織り上げたような、純白のドレスをお願いしたいの」
私の注文に、マダムは意外そうな顔をした。流行の最先端をいく彼女のデザインは、複雑な刺繍や華やかな装飾が特徴だったからだ。
「テーマは『純白の薔薇』。誰もが息をのむほど清らかで、一点の曇りもない。そんなドレスを作ってくださる?」
私の真剣な眼差しに、マダムの職人魂が刺激されたのだろう。彼女は力強く頷いた。
「お任せください、お嬢様。最高のドレスを仕立ててご覧にいれますわ」
次に、私は宝飾職人に、あの日見た黒薔薇のネックレスのスケッチを見せた。
「これと対になるような、白薔薇の宝飾品を作っていただきたいのです。ネックレスと、揃いの耳飾りを」
職人は、その複雑なデザインに感嘆の声を漏らす。
「素晴らしいデザインですな。しかし、黒曜石の代わりに何を……」
「最高品質の真珠と、ダイヤモンドで。そして、中心には……夜空の色を閉じ込めたような、大粒のサファイアを」
黒薔薇の不吉なルビーとは対照的な、静かで気高い宝石。
私は最後に、こう付け加えることを忘れなかった。
「この黒薔薇の宝飾品よりも、豪華に、そして精巧に。誰が見ても、こちらの白薔薇こそが『本物』だと分かるように、作っていただけますね?」
私の言葉に隠された毒を察したのか、職人はごくりと喉を鳴らし、深く頭を下げた。
父の誕生夜会までの数週間、私は完璧な『アルフォンス様の婚約者』を演じきった。
時折、屋敷を訪れる彼を笑顔で出迎え、愛らしい会話を交わす。あの日の宝飾店での一件以来、少し私をいぶかしんでいたアルフォンス様も、すっかり元に戻った私を見て安心したのか、再び油断に満ちた甘い言葉を囁くようになった。
「お父様の誕生夜会、本当に楽しみにしていてくださいね。アルフォンス様がきっと驚くような、素敵な趣向を凝らしているのですわ」
私が無邪気にそう告げると、彼は「それは楽しみだ。君からの贈り物かな?」と嬉しそうに微笑んだ。
ええ、あなたへの、特別な贈り物ですわ。心の中で、私は冷たく呟いた。
その一方で、レオンとの間には、凍てつくような沈黙が流れていた。
訓練場の前を通りがかっても、中庭で彼の姿を見かけても、彼は私に気づくと、さっと視線を逸らしてその場を離れてしまう。たまに廊下ですれ違っても、交わすのは「ごきげんよう」という、形式的な挨拶だけ。
かつてのように、私の名を呼び、心配してくれる温かい声は、もう聞こえなかった。
そのたびに、私の胸はナイフで抉られるように痛んだ。
でも、私はその痛みから目を逸らした。
(これでいいの。彼を、私の復讐に巻き込むわけにはいかない)
そう自分に言い聞かせ、私は孤独という名の鎧を、さらに固く身に纏っていく。
そんなある日、侍女のアンナが、新たな情報を私の耳に入れた。
「お嬢様、例のイザベラという女ですが……近頃、有力な貴族の方々に盛んに取り入って、お父様の誕生夜会の招待状を手に入れようと画策している、との噂が」
アンナは、憤りを隠せない様子だった。
「なんという、厚かましい女でしょう!きっと、夜会の場で公然とお嬢様に恥をかかせるつもりですわ!」
だが、その報告を聞いた私の口元に浮かんだのは、怒りではなく、不敵な笑みだった。
「そう。それは、好都合だわ」
「お嬢様……?」
「ええ、ぜひいらしていただかないと。彼女も、私の劇の大事な観客ですもの。それも、最前列で見ていただく、ね」
私の言葉に、アンナは息を呑んだ。彼女の目に映る私は、もう以前の、ただ優しいだけのお嬢様ではなかっただろう。
そして、運命の夜会の前日。
完成した純白のドレスと、白薔薇の宝飾品が、私の部屋に届けられた。
言葉を失った。
ドレスは、私が想像していた以上に見事な出来栄えだった。幾重にも重ねられた最高級のシルクオーガンジーは、月の光そのものを固めたように淡く輝き、スカートの裾には、銀糸で白薔薇の刺繍が繊細に施されている。
そして、白薔薇のネックレスとイヤリング。大粒の真珠は柔らかな光を放ち、無数のダイヤモンドが星のようにきらめく。中心のサファイアは、どこまでも深く、静かな夜の空を思わせた。
「……お美しい……」
アンナが、うっとりとため息を漏らす。
私は鏡の前に立ち、その純白のドレスをそっと体に当ててみた。
鏡に映っているのは、誰もが聖女と見間違えるであろう、清らかな乙女の姿。
けれど、その瞳の奥には、地獄の業火にも似た、復讐の炎が静かに、しかし激しく燃え盛っていた。
私は、白薔薇のネックレスを、そっと手に取った。
ひんやりとした宝石の感触が、私の決意をさらに固くする。
「アルフォンス様、イザベラ……」
鏡の中の自分に向かって、私は静かに囁いた。
「あなたたちが私にくれた絶望を、明日の夜、何倍にもしてお返しするわ。私の舞台で、最高の屈辱を味わわせてあげる」
父は、愛娘からの珍しい願いを快く聞き入れ、「お前の好きなようにやってみなさい」と微笑んでくれた。もちろん、その裏にある私の本当の目的など、知るよしもない。
計画の第一歩として、私は王都で最高の腕を持つと噂の衣装デザイナーと宝飾職人を、グランヴェル家の名を使い、密かに屋敷へと呼び寄せた。
「お嬢様、どのようなドレスをご所望で?」
初老の女性デザイナー、マダム・ロゼールは、私の前に何枚ものデザイン画を広げた。
私はその全てに首を横に振る。
「もっと、シンプルに。そして、どこまでも気高く。まるで、月の光をそのまま織り上げたような、純白のドレスをお願いしたいの」
私の注文に、マダムは意外そうな顔をした。流行の最先端をいく彼女のデザインは、複雑な刺繍や華やかな装飾が特徴だったからだ。
「テーマは『純白の薔薇』。誰もが息をのむほど清らかで、一点の曇りもない。そんなドレスを作ってくださる?」
私の真剣な眼差しに、マダムの職人魂が刺激されたのだろう。彼女は力強く頷いた。
「お任せください、お嬢様。最高のドレスを仕立ててご覧にいれますわ」
次に、私は宝飾職人に、あの日見た黒薔薇のネックレスのスケッチを見せた。
「これと対になるような、白薔薇の宝飾品を作っていただきたいのです。ネックレスと、揃いの耳飾りを」
職人は、その複雑なデザインに感嘆の声を漏らす。
「素晴らしいデザインですな。しかし、黒曜石の代わりに何を……」
「最高品質の真珠と、ダイヤモンドで。そして、中心には……夜空の色を閉じ込めたような、大粒のサファイアを」
黒薔薇の不吉なルビーとは対照的な、静かで気高い宝石。
私は最後に、こう付け加えることを忘れなかった。
「この黒薔薇の宝飾品よりも、豪華に、そして精巧に。誰が見ても、こちらの白薔薇こそが『本物』だと分かるように、作っていただけますね?」
私の言葉に隠された毒を察したのか、職人はごくりと喉を鳴らし、深く頭を下げた。
父の誕生夜会までの数週間、私は完璧な『アルフォンス様の婚約者』を演じきった。
時折、屋敷を訪れる彼を笑顔で出迎え、愛らしい会話を交わす。あの日の宝飾店での一件以来、少し私をいぶかしんでいたアルフォンス様も、すっかり元に戻った私を見て安心したのか、再び油断に満ちた甘い言葉を囁くようになった。
「お父様の誕生夜会、本当に楽しみにしていてくださいね。アルフォンス様がきっと驚くような、素敵な趣向を凝らしているのですわ」
私が無邪気にそう告げると、彼は「それは楽しみだ。君からの贈り物かな?」と嬉しそうに微笑んだ。
ええ、あなたへの、特別な贈り物ですわ。心の中で、私は冷たく呟いた。
その一方で、レオンとの間には、凍てつくような沈黙が流れていた。
訓練場の前を通りがかっても、中庭で彼の姿を見かけても、彼は私に気づくと、さっと視線を逸らしてその場を離れてしまう。たまに廊下ですれ違っても、交わすのは「ごきげんよう」という、形式的な挨拶だけ。
かつてのように、私の名を呼び、心配してくれる温かい声は、もう聞こえなかった。
そのたびに、私の胸はナイフで抉られるように痛んだ。
でも、私はその痛みから目を逸らした。
(これでいいの。彼を、私の復讐に巻き込むわけにはいかない)
そう自分に言い聞かせ、私は孤独という名の鎧を、さらに固く身に纏っていく。
そんなある日、侍女のアンナが、新たな情報を私の耳に入れた。
「お嬢様、例のイザベラという女ですが……近頃、有力な貴族の方々に盛んに取り入って、お父様の誕生夜会の招待状を手に入れようと画策している、との噂が」
アンナは、憤りを隠せない様子だった。
「なんという、厚かましい女でしょう!きっと、夜会の場で公然とお嬢様に恥をかかせるつもりですわ!」
だが、その報告を聞いた私の口元に浮かんだのは、怒りではなく、不敵な笑みだった。
「そう。それは、好都合だわ」
「お嬢様……?」
「ええ、ぜひいらしていただかないと。彼女も、私の劇の大事な観客ですもの。それも、最前列で見ていただく、ね」
私の言葉に、アンナは息を呑んだ。彼女の目に映る私は、もう以前の、ただ優しいだけのお嬢様ではなかっただろう。
そして、運命の夜会の前日。
完成した純白のドレスと、白薔薇の宝飾品が、私の部屋に届けられた。
言葉を失った。
ドレスは、私が想像していた以上に見事な出来栄えだった。幾重にも重ねられた最高級のシルクオーガンジーは、月の光そのものを固めたように淡く輝き、スカートの裾には、銀糸で白薔薇の刺繍が繊細に施されている。
そして、白薔薇のネックレスとイヤリング。大粒の真珠は柔らかな光を放ち、無数のダイヤモンドが星のようにきらめく。中心のサファイアは、どこまでも深く、静かな夜の空を思わせた。
「……お美しい……」
アンナが、うっとりとため息を漏らす。
私は鏡の前に立ち、その純白のドレスをそっと体に当ててみた。
鏡に映っているのは、誰もが聖女と見間違えるであろう、清らかな乙女の姿。
けれど、その瞳の奥には、地獄の業火にも似た、復讐の炎が静かに、しかし激しく燃え盛っていた。
私は、白薔薇のネックレスを、そっと手に取った。
ひんやりとした宝石の感触が、私の決意をさらに固くする。
「アルフォンス様、イザベラ……」
鏡の中の自分に向かって、私は静かに囁いた。
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