王都の謎は焼きたてパイのあとで ~少年探偵の推理日誌~

シマセイ

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第十八話:忘れられた村と、月光の錠

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森の番人一家に別れを告げ、僕たちはさらに半日ほど、険しい獣道を進んだ。
やがて、鬱蒼とした木々が途切れ、目の前が不意に開ける。
僕たちは、息をのんだ。

霧だ。
まるで、牛乳を溶かしたかのように、白く濃い霧が、谷間の窪地を覆い隠している。
そして、その霧の底に、まるで沈没船のように、いくつもの建物の屋根が、静かに浮かび上がっていた。
あれが、『忘れられた村』だ。

僕たちは、谷へと続く、かろうじて道と分かる坂道を下っていった。
霧の中に足を踏み入れると、ひんやりとした湿った空気が、肌にまとわりつく。
周囲の音は、すべて霧に吸い込まれ、聞こえるのは僕たちの足音と、緊張した呼吸の音だけ。
時間が、完全に止まってしまったかのような、不気味な静寂が、そこにはあった。

村の入り口には、苔むした石碑が、傾きながらもかろうじて立っていた。
そこには、風化してほとんど読み取れなくなっていたが、翼を持つ獅子の紋章――からくり公爵家の紋章が、確かに刻まれている。
ここが、僕たちの目的地で間違いない。

僕たちは、警戒しながら村の中を探索し始めた。
石造りの家々は、屋根が崩れ、壁にはびっしりと蔦が絡みついている。
道端には、錆びついた農具や、割れた壺が、まるで持ち主が帰ってくるのを待ち続けているかのように、そのままの姿で放置されていた。

いくつかの家の中を覗いてみると、さらに奇妙な光景が広がっていた。
食卓には、食器が並べられたまま。
寝室には、読みかけの本が開かれたまま。
まるで、村人たちが、ある日突然、一斉に姿を消してしまったかのようだ。

「見て、アル」

リナが、ある家の作業場らしき場所を指さした。
そこには、作りかけの、鳥の形をしたからくりの部品や、設計図、そして、様々な大きさの歯車が、作業台の上に散らばっていた。
他の家でも、同じようなものがいくつも見つかった。

「すごい……。
この村の住人たちは、皆、からくり技術者だったのかもしれないな」

エリアス君が、感心したように呟く。
この村全体が、一つの巨大な工房だった。
そう思わせるだけの、異様な光景だった。

そして僕たちは、ついに村の中心へとたどり着いた。
そこには、他のどの建物よりも高く、天を突き刺すかのように、一基の塔がそびえ立っていた。
石を寸分の狂いもなく組み上げて作られた、円筒形の塔。
森の番人が言っていた、『時計職人の塔』だ。

塔は、長い年月の間に、蔦に覆われ、窓ガラスはほとんどが割れていたが、その佇まいには、他の建物を圧倒するような、不気味な存在感があった。
僕たちは、塔の入り口へと、吸い寄せられるように近づいていった。

扉は、閉ざされていた。
いや、ただ閉ざされているだけじゃない。
扉そのものが、巨大な円盤状になっており、表面には、いくつもの歯車が複雑に噛み合った、巨大な錠前が取り付けられていたのだ。
物理的に破壊するのは、到底不可能だろう。

「何、これ……。
ただの鍵じゃないわね」

リナが、眉をひそめる。
錠前の円盤の周りには、月や太陽、そして、いくつかの星々を模した、奇妙なシンボルが刻まれている。
これは、何かのパズルロック(仕掛け錠)だ。

「誰か、最近もここに来ているみたいだ」

僕が、扉の前の地面を指さす。
そこには、定期的に誰かが立ち、作業をしたかのような、不自然な足跡や、地面の窪みが残っていた。
ギデオンや、ボードレールの子飼いの者たちが、今もこの塔を訪れている証拠だ。

「この天体のシンボル……。
古代天文学で用いられていた、惑星の配置図と一致する」

エリアス君が、自身の知識を披露する。

「おそらく、特定の日の、特定の時刻の星の配置に、このシンボルを合わせることで、扉が開く仕組みなんだ」

「犯人たちは、夜中にここを訪れていた。
だとしたら、鍵となるのは『夜』に関連する何かだ」

僕は、塔の壁を注意深く観察した。
すると、扉のすぐ脇の壁に、一見するとただの装飾にしか見えない、奇妙な模様が刻まれているのを発見した。
それは、月の満ち欠けを表す、月齢カレンダーだった。
そして、満月と新月を表す部分にだけ、誰かが印をつけたような、小さな傷が残っている。

「……分かった。
この扉を開ける方法は、『満月か新月の夜、その時刻の星の配置』に、円盤のシンボルを合わせることだ」

犯人たちは、月の力が最も強まるか、あるいは弱まる、特別な夜にしか、この塔の中に入ることができなかったのだ。
しかし、今日がその特別な夜であるはずもない。
僕たちは、途方に暮れた。

「……いや、待てよ」

僕の脳裏に、一つの閃きが走った。

「物理的に条件を満たせなくても、この『仕掛け』そのものを騙すことができれば……?」

僕は、塔の扉の上部、ちょうど錠前の真上あたりに、光を取り込むために磨かれた、小さな水晶のレンズがはめ込まれているのを見つけた。
あれが、センサーだ。
夜空の状態、おそらくは月の光を感知して、ロックの解除を許可する仕組みなんだ。

「リナ、エリアス君、手伝ってくれ!」

僕は、リュックから小さな携帯ランプと、祖父の形見の剣を取り出した。
リナにランプを特定の角度で持ってもらい、僕は剣の、磨き上げた刀身を構える。

「僕の剣で、ランプの光を反射させて、あの水晶に当てる。
擬似的な『月光』を作り出して、この仕掛けに、今が『特別な夜』だと誤認させるんだ!」

武器としてではない。
謎を解くための、知恵の道具として、今こそ、この剣を使う時だ。
エリアス君が、僕の立ち位置と角度を細かく指示してくれる。

「アル君、もう少し右だ!
よし、そこだ!」

僕は、息を止め、ランプの光を剣の腹で受け、慎重にその反射光を、扉の上の水晶レンズへと導いた。
一筋の、しかし強い光が、レンズに吸い込まれる。
すると、次の瞬間。

ガチリ。

僕たちの足元で、地面が震えるような、重い音がした。
扉の錠前を構成していた巨大な歯車たちが、ゆっくりと、しかし確実に、回転を始めたのだ。
長い沈黙を破り、塔が、目を覚ます。

ゴゴゴゴゴ……。

扉が、ゆっくりと、内側へと開いていく。
その向こう側は、完全な闇だった。
そして、その闇の奥から、ひんやりとした、機械油と、何十年も眠っていたカビの匂いが混じったような、異様な空気が、僕たちの方へと流れ込んできた。

「……行くぞ」

僕は、ゴクリと唾を飲み込み、仲間たちに合図を送る。
僕たち三人は、これから、からくり公爵が遺した、最大の謎の中心部へと、足を踏み入れるのだ。
塔の闇は、まるで巨大な獣の口のように、僕たちを静かに待ち構えていた。
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