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第4話 鍋敷きの魔法陣
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一夜明け、王立学院は一人の少年の噂で持ちきりだった。
「聞いたか?昨日、平民のリンクスってやつが、またやったらしい」
「ああ、剣術の授業で、アレクシス様の木剣を叩き折ったって話だろ?」
「魔法で壁を吹き飛ばしたかと思えば、剣でも規格外……。一体何者なんだ?」
「『歩く破壊兵器』だなんて、陰で呼んでる奴もいるぞ……」
そんな噂の中心人物であるアッシュ・リンクスは、教室の自分の席で、昨日二人の教官から受けた「極秘命令」を思い出していた。
「(えーっと、『絶対に本気を出すな』『常に力を抜け』『手加減しろ』だったよな。よし、今日こそはがんばって手抜きするぞ!)」
本人は真剣に、そして元気に、そう心に誓っていた。その「手抜き」の加減が、自分でも全くわかっていないことなど、露ほども考えずに。
「おはよう、アッシュ君」
声をかけられ、アッシュが顔を上げると、そこにはクラスメイトのリリアナが立っていた。
「おはよう、リリアナさん!昨日は大丈夫だった?」
「ええ、もちろん。本当にありがとう」
にこりと微笑むリリアナに、アッシュも「へへへ」と笑顔を返す。昨日の一件で、二人の間には少しだけ親しい空気が流れていた。
教室の隅では、公爵家の嫡男アレクシスが、その光景を苦々しげに睨みつけていたが、迂闊にアッシュに絡むことはできなくなっていた。魔法でも剣でも完敗したのだ。次に何かを仕掛けるには、相応の準備と覚悟が必要だった。
やがて始業の鐘が鳴り、一時間目の授業が始まる。今日の午前中は座学だ。魔法の歴史を学ぶ「魔法史」の授業で、生徒たちは分厚い教科書を開いていた。
「……以上のように、古代魔法文明は、現代とは比較にならないほど強力な魔法体系を誇っていた。特にその最盛期に編み出されたと言われる戦略級魔法は、たった一撃で地形を変え、天候を支配したという記録が残っている……」
教師の退屈な説明に、アッシュの意識は早くも船を漕ぎ始めていた。昨日は色々あって疲れたし、朝ごはんもしっかり食べた。暖かな日差しと、単調な声の組み合わせは、最強の睡眠魔法だ。
「……例えば、その代表格とされるのが、大災害魔法『大崩壊(カタストロフ)』だ。その魔法陣はあまりにも複雑怪奇で、完全に解読できた者は現代には一人もいない。教科書の38ページに、不完全な写しが載っている。これについて、何か知っている者はいるかな?」
教師は、生徒たちの反応を見るために、意地悪な質問を投げかけた。もちろん、答えられる者などいるはずもない。皆、教科書の複雑な図形を見て、顔をしかめている。
「まあ、無理もないか。これはあくまで参考資料で……」
教師が説明を続けようとした、その瞬間。
「はい、先生!」
うとうとしていたアッシュが、寝ぼけ眼で勢いよく手を挙げた。
教室中の視線が、一斉にアッシュに集まる。
「お、リンクスか。なんだ、わかるのか?」
教師が意外そうな顔で尋ねる。
「えーっと、その魔法陣の模様、うちの鍋敷きにそっくりです」
「…………は?」
教室が、水を打ったように静まり返った。
教師は、一瞬何を言われたのか理解できず、やがて顔を真っ赤にして怒鳴った。
「な、鍋敷きだと!?リンクス!貴様、この神聖な授業を愚弄するか!ふざけるのも大概にしろ!」
しかし、アッシュは全く悪びれる様子がない。
「ええ?でも、本当ですよ?この真ん中のくるくるした模様がちょっと違うだけで、外側のギザギザとか、そっくりです。じいちゃんが『頑丈で熱い鍋を置くのにちょうどいい』って、どこかの遺跡から拾ってきたって言ってました」
あまりにも堂々としたアッシュの言葉に、教師は言葉を失う。クラスメイトたちは「またリンクスが変なことを言ってる」と呆れたり、クスクス笑ったりしている。
だが、リリアナだけは違った。彼女は、真剣な顔でアッシュを見つめ、(まさか……アッシュ君のおじいさんなら、本当に伝説級のアーティファクトを鍋敷きにしていてもおかしくないかもしれない……)と考えていた。
アッシュは、「手抜き」をしようと静かに授業を受けていたつもりが、またしても規格外のエピソードを披露し、学院中の注目を集めてしまったのだった。
波乱の午前授業が終わり、昼休み。
生徒たちが食堂でランチを楽しんでいると、校内放送が鳴り響いた。それは、学院長直々の発表だった。
『全校生徒に告ぐ。来週、全学年合同の特別野外実習を行うことが決定した。場所は学院の東に広がる〈囁きの森〉。目的は、薬草の採取と、同エリアに生息するゴブリンの討伐である』
突然の発表に、食堂は騒然となった。
「野外実習だって!?」
「ゴブリン討伐……本物のモンスターと戦うのか!」
『実習は、3名から5名のパーティを組んで行うこと。パーティのメンバーは、本日中に決定し、担当教官に届け出るように。以上』
放送が終わるや否や、生徒たちは一斉にパーティ編成へと動き出した。
貴族たちは、すぐに自分たちの派閥で集まって強力なパーティを組んでいく。アレクシスも、腕利きの取り巻きを集め、今回の実習で名誉を挽回しようと意気込んでいた。
一方、数の少ない平民たちは、どうしても余りがちだ。
そんな中、アッシュは一人だけ目を輝かせていた。
「やったー!遠足みたいだ!森に行くんだ!」
しかし、そのアッシュに声をかける者は誰もいない。「歩く破壊兵器」とパーティを組みたい生徒など、いるはずもなかった。下手に組めば、ゴブリンではなく、アッシュの魔法で森ごと吹き飛ばされかねない。
あっという間に周りには人だかりができ、アッシュだけがぽつんと取り残されてしまった。
「あれ?みんな、もう決まっちゃったのかなあ」
しょんぼりするアッシュ。その時だった。
「アッシュ君」
凛とした声に振り返ると、そこにリリアナが立っていた。彼女もまだ、パーティを組んでいないようだった。
「もし、まだ決まっていないのなら……その、私とパーティを組んでくれないかしら?」
少し頬を赤らめながら、リリアナは言った。
「え!いいの!?」
アッシュの顔が、ぱあっと明るくなる。
「もちろん!ありがとう、リリアナさん!嬉しいな!よろしくね!」
「ええ、よろしくね。アッシュ君」
周囲の生徒たちが、その光景を信じられないといった様子で見ていた。成績優秀で、貴族からの誘いも断っていたあのリリアナが、なぜわざわざ学院一の問題児であるアッシュと?
リリアナは、賭けてみたのだ。
危険な森での実習だからこそ、常識など通用しないかもしれない。ならば、誰よりも規格外で、そして誰よりも優しくて頼りになる、この不思議な少年の隣が、一番安全な場所に違いない、と。
こうして、たった二人だけのパーティが誕生した。
「聞いたか?昨日、平民のリンクスってやつが、またやったらしい」
「ああ、剣術の授業で、アレクシス様の木剣を叩き折ったって話だろ?」
「魔法で壁を吹き飛ばしたかと思えば、剣でも規格外……。一体何者なんだ?」
「『歩く破壊兵器』だなんて、陰で呼んでる奴もいるぞ……」
そんな噂の中心人物であるアッシュ・リンクスは、教室の自分の席で、昨日二人の教官から受けた「極秘命令」を思い出していた。
「(えーっと、『絶対に本気を出すな』『常に力を抜け』『手加減しろ』だったよな。よし、今日こそはがんばって手抜きするぞ!)」
本人は真剣に、そして元気に、そう心に誓っていた。その「手抜き」の加減が、自分でも全くわかっていないことなど、露ほども考えずに。
「おはよう、アッシュ君」
声をかけられ、アッシュが顔を上げると、そこにはクラスメイトのリリアナが立っていた。
「おはよう、リリアナさん!昨日は大丈夫だった?」
「ええ、もちろん。本当にありがとう」
にこりと微笑むリリアナに、アッシュも「へへへ」と笑顔を返す。昨日の一件で、二人の間には少しだけ親しい空気が流れていた。
教室の隅では、公爵家の嫡男アレクシスが、その光景を苦々しげに睨みつけていたが、迂闊にアッシュに絡むことはできなくなっていた。魔法でも剣でも完敗したのだ。次に何かを仕掛けるには、相応の準備と覚悟が必要だった。
やがて始業の鐘が鳴り、一時間目の授業が始まる。今日の午前中は座学だ。魔法の歴史を学ぶ「魔法史」の授業で、生徒たちは分厚い教科書を開いていた。
「……以上のように、古代魔法文明は、現代とは比較にならないほど強力な魔法体系を誇っていた。特にその最盛期に編み出されたと言われる戦略級魔法は、たった一撃で地形を変え、天候を支配したという記録が残っている……」
教師の退屈な説明に、アッシュの意識は早くも船を漕ぎ始めていた。昨日は色々あって疲れたし、朝ごはんもしっかり食べた。暖かな日差しと、単調な声の組み合わせは、最強の睡眠魔法だ。
「……例えば、その代表格とされるのが、大災害魔法『大崩壊(カタストロフ)』だ。その魔法陣はあまりにも複雑怪奇で、完全に解読できた者は現代には一人もいない。教科書の38ページに、不完全な写しが載っている。これについて、何か知っている者はいるかな?」
教師は、生徒たちの反応を見るために、意地悪な質問を投げかけた。もちろん、答えられる者などいるはずもない。皆、教科書の複雑な図形を見て、顔をしかめている。
「まあ、無理もないか。これはあくまで参考資料で……」
教師が説明を続けようとした、その瞬間。
「はい、先生!」
うとうとしていたアッシュが、寝ぼけ眼で勢いよく手を挙げた。
教室中の視線が、一斉にアッシュに集まる。
「お、リンクスか。なんだ、わかるのか?」
教師が意外そうな顔で尋ねる。
「えーっと、その魔法陣の模様、うちの鍋敷きにそっくりです」
「…………は?」
教室が、水を打ったように静まり返った。
教師は、一瞬何を言われたのか理解できず、やがて顔を真っ赤にして怒鳴った。
「な、鍋敷きだと!?リンクス!貴様、この神聖な授業を愚弄するか!ふざけるのも大概にしろ!」
しかし、アッシュは全く悪びれる様子がない。
「ええ?でも、本当ですよ?この真ん中のくるくるした模様がちょっと違うだけで、外側のギザギザとか、そっくりです。じいちゃんが『頑丈で熱い鍋を置くのにちょうどいい』って、どこかの遺跡から拾ってきたって言ってました」
あまりにも堂々としたアッシュの言葉に、教師は言葉を失う。クラスメイトたちは「またリンクスが変なことを言ってる」と呆れたり、クスクス笑ったりしている。
だが、リリアナだけは違った。彼女は、真剣な顔でアッシュを見つめ、(まさか……アッシュ君のおじいさんなら、本当に伝説級のアーティファクトを鍋敷きにしていてもおかしくないかもしれない……)と考えていた。
アッシュは、「手抜き」をしようと静かに授業を受けていたつもりが、またしても規格外のエピソードを披露し、学院中の注目を集めてしまったのだった。
波乱の午前授業が終わり、昼休み。
生徒たちが食堂でランチを楽しんでいると、校内放送が鳴り響いた。それは、学院長直々の発表だった。
『全校生徒に告ぐ。来週、全学年合同の特別野外実習を行うことが決定した。場所は学院の東に広がる〈囁きの森〉。目的は、薬草の採取と、同エリアに生息するゴブリンの討伐である』
突然の発表に、食堂は騒然となった。
「野外実習だって!?」
「ゴブリン討伐……本物のモンスターと戦うのか!」
『実習は、3名から5名のパーティを組んで行うこと。パーティのメンバーは、本日中に決定し、担当教官に届け出るように。以上』
放送が終わるや否や、生徒たちは一斉にパーティ編成へと動き出した。
貴族たちは、すぐに自分たちの派閥で集まって強力なパーティを組んでいく。アレクシスも、腕利きの取り巻きを集め、今回の実習で名誉を挽回しようと意気込んでいた。
一方、数の少ない平民たちは、どうしても余りがちだ。
そんな中、アッシュは一人だけ目を輝かせていた。
「やったー!遠足みたいだ!森に行くんだ!」
しかし、そのアッシュに声をかける者は誰もいない。「歩く破壊兵器」とパーティを組みたい生徒など、いるはずもなかった。下手に組めば、ゴブリンではなく、アッシュの魔法で森ごと吹き飛ばされかねない。
あっという間に周りには人だかりができ、アッシュだけがぽつんと取り残されてしまった。
「あれ?みんな、もう決まっちゃったのかなあ」
しょんぼりするアッシュ。その時だった。
「アッシュ君」
凛とした声に振り返ると、そこにリリアナが立っていた。彼女もまだ、パーティを組んでいないようだった。
「もし、まだ決まっていないのなら……その、私とパーティを組んでくれないかしら?」
少し頬を赤らめながら、リリアナは言った。
「え!いいの!?」
アッシュの顔が、ぱあっと明るくなる。
「もちろん!ありがとう、リリアナさん!嬉しいな!よろしくね!」
「ええ、よろしくね。アッシュ君」
周囲の生徒たちが、その光景を信じられないといった様子で見ていた。成績優秀で、貴族からの誘いも断っていたあのリリアナが、なぜわざわざ学院一の問題児であるアッシュと?
リリアナは、賭けてみたのだ。
危険な森での実習だからこそ、常識など通用しないかもしれない。ならば、誰よりも規格外で、そして誰よりも優しくて頼りになる、この不思議な少年の隣が、一番安全な場所に違いない、と。
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