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第11話 賢者の戦術
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アッシュのトーナメント第一回戦は、伝説として、あるいは笑い話として、瞬く間に学院中に広まった。
「15秒」「無抵抗」「自爆」。
そんなキーワードと共に、彼の勝利は「世紀のまぐれ」として語られるようになった。しかし、あの日、闘技場で彼の戦いを目の当たりにした者たちの間では、笑いは消え、代わりに不気味な沈黙と困惑の囁きが交わされていた。
「相手の魔法が、ただ消えたように見えた」
「まるで、そこにブラックホールでもあるみたいだったな」
アッシュの渾名は、『木の実投げ』から、いつしか『歩く虚無(ヴォイド)』などという、物騒なものに変わりつつあった。
もちろん、そんな渦中のアッシュ本人は、どこ吹く風。
リリアナが、「あんな勝ち方は普通じゃないのよ」と懸命に説明しても、「でも、何も壊さなかったから、手抜きは大成功だよ!」と胸を張るばかりで、全く話が通じない。
アレクシスは、あの日以来、図書館の最深部に引きこもり、「魔力吸収」「因果律干渉」など、現実離れしたキーワードが書かれた禁書を読み漁り、日に日に目の下の隈を濃くしていた。
そして、波乱の予選トーナメント、第二回戦の日がやってきた。
「第二回戦、第一試合、アッシュ・リンクス!対するは、奨学生、セレナ・アシュフォード!」
アナウンスが響き渡る。
アッシュの対戦相手、セレナは、彼とは全く対照的な生徒だった。
同じ平民でありながら、奨学金を得て入学した学院一の才女。彼女の武器は、腕力でも魔力でもない。全てを分析し、最適解を導き出す、その卓越した「頭脳」。罠と幻術を駆使して相手を無力化する、クレバーな戦術家だ。
セレナは、アッシュの一回戦の映像を、何十回となく見返していた。
(偶然じゃない。あの勝利には、未知の法則が働いている。直接攻撃は悪手。力でねじ伏せようとすれば、相手の土俵に乗ることになる)
彼女は、結論を導き出した。
――アッシュ・リンクスとは、戦わない。
――彼に一度も触れることなく、勝利する。
「始め!」
試合開始の合図と共に、セレナは即座に杖を掲げた。
「いでよ、惑わしの領域。『迷霧(ラビリンス・ミスト)』!」
彼女の詠唱に応え、闘技場は一瞬にして、視界も音も奪う濃密な魔力の霧に包まれた。彼女の得意とする、結界魔法だ。この霧の中には、相手を拘束する無数の魔法の罠が、巧妙に仕掛けられている。
「わあ!真っ白だ!すごいなあ!」
一方のアッシュは、突然の状況に、はしゃいでいた。故郷の裏山で、じいちゃんとかくれんぼをした時の、朝霧を思い出す。
彼は、セレナを探そうと、呑気に霧の中を歩き始めた。そして、足元に仕掛けられた拘束の魔法陣(ルーン)を、まさに踏み抜こうとした、その時。
くんくん……。
アッシュの鼻が、観客席から漂ってくる、香ばしい匂いを捉えた。
「あっ!あれは、焼きトウモロコシの匂い!いいなあ!」
匂いのする方角を確かめようと、くるりと体の向きを変える。その偶然の動きで、彼は足元の罠を完璧に回避してしまった。
(……回避した?偶然?ありえないわ)
霧の外から、魔力スクリーンで戦況を監視していたセレナは、眉をひそめる。
アッシュは、さらに歩を進める。今度は、彼の行く手に、幻の炎の壁が立ち塞がる。しかし、その手前で、これも幻である美しい蝶がひらひらと舞っていた。
「あ、ちょうちょだ!」
アッシュが、その蝶を追いかけて数歩駆け出す。その無邪気な行動は、炎の壁を大きく迂回するルートを、寸分違わずなぞっていた。
セレナの額に、冷たい汗が浮かぶ。
(罠にも、幻術にもかからない……。まるで、何かに導かれているみたいに。一体、何が彼を……?)
彼女は、最後の切り札を使うことに決めた。闘技場の中央、広範囲に仕掛けた最大の罠、偽りの床の下に網を張った、落とし穴だ。彼女は、微かな魔力の光で、アッシュをその中心へと誘導する。
「お、光ってる!きれいだなあ」
アッシュは、素直にその光に惹かれて歩き出す。今度こそ、かかった。セレナは勝利を確信した。
だが、アッシュの足が、ぴたりと止まる。
彼は、祖父の教えを思い出していた。
『森で迷ったら、綺麗なものに釣られるな。まず立ち止まって、地面の声を聞くんじゃ。大地は嘘をつかん』
アッシュは、目を閉じると、そっと闘技場の床に手を触れた。彼の規格外の感覚が、足元の地面が持つ、不自然な「空虚さ」を感じ取る。
「こっちの地面は、なんだか元気がないなあ」
そう呟くと、彼は全く違う、安全な方角へと歩き出した。その方向は、セレナが身を隠している場所へと、まっすぐに続いていた。
「(まずい……!来る!)」
不可視の結界に身を隠していたセレナは、アッシュが一直線に自分の方へ向かってくるのを見て、パニックに陥った。全ての策が、破られた。直接戦闘の能力など、彼女にはない。
アッシュは、セレナのすぐ近くまで来ると、鼻がむずむずするのを感じた。
「は、は……はっくしょん!!」
勇者の孫が放つ、盛大なくしゃみ。
その瞬間、アッシュの呼気に含まれた、ごく微量だが高密度な魔力の塊が、衝撃波となって周囲に拡散した。
その、ただのくしゃみが起こした風圧は、セレナが隠れていた脆弱な不可視の結界を、いともたやすく粉々に砕け散らせた。
パリン、とガラスが割れるような音と共に、セレナの姿が霧の中に露わになる。
アッシュは、突然現れた彼女を見て、目を丸くした。
「あ、セレナさん!こんなところにいたんだ!僕、ずっと探してたんだよ。もしかして、かくれんぼしてたの?じゃあ、次は僕が隠れる番だね!」
自分の戦術、魔法、そして自信の全てを、たった一回のくしゃみで粉砕されたセレナは、目の前で屈託なく笑う少年を見上げ、か細い声で呟いた。
「……わたくしの、負けです」
杖が、力なく手から滑り落ちる。
霧が晴れると、闘技場の中央には、勝利したアッシュと、なぜか自分から降参したセレナの姿があった。
観客たちは、またしても理解不能な結末を前に、静まり返るしかなかった。アッシュ・リンクスという存在は、もはや「不気味」を通り越し、「恐怖」の対象となりつつあった。
アッシュは、少しだけ不満そうに闘技場を後にした。
「あれー?もう終わっちゃった。今回は、手抜きする暇もなかったなあ」
「15秒」「無抵抗」「自爆」。
そんなキーワードと共に、彼の勝利は「世紀のまぐれ」として語られるようになった。しかし、あの日、闘技場で彼の戦いを目の当たりにした者たちの間では、笑いは消え、代わりに不気味な沈黙と困惑の囁きが交わされていた。
「相手の魔法が、ただ消えたように見えた」
「まるで、そこにブラックホールでもあるみたいだったな」
アッシュの渾名は、『木の実投げ』から、いつしか『歩く虚無(ヴォイド)』などという、物騒なものに変わりつつあった。
もちろん、そんな渦中のアッシュ本人は、どこ吹く風。
リリアナが、「あんな勝ち方は普通じゃないのよ」と懸命に説明しても、「でも、何も壊さなかったから、手抜きは大成功だよ!」と胸を張るばかりで、全く話が通じない。
アレクシスは、あの日以来、図書館の最深部に引きこもり、「魔力吸収」「因果律干渉」など、現実離れしたキーワードが書かれた禁書を読み漁り、日に日に目の下の隈を濃くしていた。
そして、波乱の予選トーナメント、第二回戦の日がやってきた。
「第二回戦、第一試合、アッシュ・リンクス!対するは、奨学生、セレナ・アシュフォード!」
アナウンスが響き渡る。
アッシュの対戦相手、セレナは、彼とは全く対照的な生徒だった。
同じ平民でありながら、奨学金を得て入学した学院一の才女。彼女の武器は、腕力でも魔力でもない。全てを分析し、最適解を導き出す、その卓越した「頭脳」。罠と幻術を駆使して相手を無力化する、クレバーな戦術家だ。
セレナは、アッシュの一回戦の映像を、何十回となく見返していた。
(偶然じゃない。あの勝利には、未知の法則が働いている。直接攻撃は悪手。力でねじ伏せようとすれば、相手の土俵に乗ることになる)
彼女は、結論を導き出した。
――アッシュ・リンクスとは、戦わない。
――彼に一度も触れることなく、勝利する。
「始め!」
試合開始の合図と共に、セレナは即座に杖を掲げた。
「いでよ、惑わしの領域。『迷霧(ラビリンス・ミスト)』!」
彼女の詠唱に応え、闘技場は一瞬にして、視界も音も奪う濃密な魔力の霧に包まれた。彼女の得意とする、結界魔法だ。この霧の中には、相手を拘束する無数の魔法の罠が、巧妙に仕掛けられている。
「わあ!真っ白だ!すごいなあ!」
一方のアッシュは、突然の状況に、はしゃいでいた。故郷の裏山で、じいちゃんとかくれんぼをした時の、朝霧を思い出す。
彼は、セレナを探そうと、呑気に霧の中を歩き始めた。そして、足元に仕掛けられた拘束の魔法陣(ルーン)を、まさに踏み抜こうとした、その時。
くんくん……。
アッシュの鼻が、観客席から漂ってくる、香ばしい匂いを捉えた。
「あっ!あれは、焼きトウモロコシの匂い!いいなあ!」
匂いのする方角を確かめようと、くるりと体の向きを変える。その偶然の動きで、彼は足元の罠を完璧に回避してしまった。
(……回避した?偶然?ありえないわ)
霧の外から、魔力スクリーンで戦況を監視していたセレナは、眉をひそめる。
アッシュは、さらに歩を進める。今度は、彼の行く手に、幻の炎の壁が立ち塞がる。しかし、その手前で、これも幻である美しい蝶がひらひらと舞っていた。
「あ、ちょうちょだ!」
アッシュが、その蝶を追いかけて数歩駆け出す。その無邪気な行動は、炎の壁を大きく迂回するルートを、寸分違わずなぞっていた。
セレナの額に、冷たい汗が浮かぶ。
(罠にも、幻術にもかからない……。まるで、何かに導かれているみたいに。一体、何が彼を……?)
彼女は、最後の切り札を使うことに決めた。闘技場の中央、広範囲に仕掛けた最大の罠、偽りの床の下に網を張った、落とし穴だ。彼女は、微かな魔力の光で、アッシュをその中心へと誘導する。
「お、光ってる!きれいだなあ」
アッシュは、素直にその光に惹かれて歩き出す。今度こそ、かかった。セレナは勝利を確信した。
だが、アッシュの足が、ぴたりと止まる。
彼は、祖父の教えを思い出していた。
『森で迷ったら、綺麗なものに釣られるな。まず立ち止まって、地面の声を聞くんじゃ。大地は嘘をつかん』
アッシュは、目を閉じると、そっと闘技場の床に手を触れた。彼の規格外の感覚が、足元の地面が持つ、不自然な「空虚さ」を感じ取る。
「こっちの地面は、なんだか元気がないなあ」
そう呟くと、彼は全く違う、安全な方角へと歩き出した。その方向は、セレナが身を隠している場所へと、まっすぐに続いていた。
「(まずい……!来る!)」
不可視の結界に身を隠していたセレナは、アッシュが一直線に自分の方へ向かってくるのを見て、パニックに陥った。全ての策が、破られた。直接戦闘の能力など、彼女にはない。
アッシュは、セレナのすぐ近くまで来ると、鼻がむずむずするのを感じた。
「は、は……はっくしょん!!」
勇者の孫が放つ、盛大なくしゃみ。
その瞬間、アッシュの呼気に含まれた、ごく微量だが高密度な魔力の塊が、衝撃波となって周囲に拡散した。
その、ただのくしゃみが起こした風圧は、セレナが隠れていた脆弱な不可視の結界を、いともたやすく粉々に砕け散らせた。
パリン、とガラスが割れるような音と共に、セレナの姿が霧の中に露わになる。
アッシュは、突然現れた彼女を見て、目を丸くした。
「あ、セレナさん!こんなところにいたんだ!僕、ずっと探してたんだよ。もしかして、かくれんぼしてたの?じゃあ、次は僕が隠れる番だね!」
自分の戦術、魔法、そして自信の全てを、たった一回のくしゃみで粉砕されたセレナは、目の前で屈託なく笑う少年を見上げ、か細い声で呟いた。
「……わたくしの、負けです」
杖が、力なく手から滑り落ちる。
霧が晴れると、闘技場の中央には、勝利したアッシュと、なぜか自分から降参したセレナの姿があった。
観客たちは、またしても理解不能な結末を前に、静まり返るしかなかった。アッシュ・リンクスという存在は、もはや「不気味」を通り越し、「恐怖」の対象となりつつあった。
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