「婚約破棄します」その一言で悪役令嬢の人生はバラ色に

有栖川灯里

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秋の空は澄みわたり、風は少しだけ冷たかった。

「準備できたよー!」

子どもたちの声が朝の庭に響く。

薬草の匂いが残る小道には、手製の屋台が並べられ、  
テーブルには小さな焼き菓子、乾燥ハーブの包み、色とりどりの布細工が並べられていた。

《アウストリアの灯》、初めての秋祭り。  
主役は、ここに集った名もなき子どもたち。

けれど今日だけは、全員が自分の“名札”を胸に付けていた。

「名前を書いたら、ちゃんと“わたしのお店”って言えるんだよね」

そう話していたのは、かつて王都から連れてこられた少年──  
名乗ることを避け、“他人のふり”でしか居られなかったリュカだった。

「リュカ、お店出すの?」

クラウディアが聞くと、彼は少しだけうつむいて笑った。

「……うん。でも、“あの名前”は使いたくないから、違う名前で呼ばれてることにした」

そう言って、彼が名札に書いていたのは──

《ルカ》

ほんの一文字しか違わない。  
けれど、それは“自分が選んだ形”で、“過去をなぞらない新しい音”だった。

「今日は、ルカとして頑張るから」

祭りが始まると、笑い声と香ばしい匂いが広場に満ちた。

小さな焼き菓子の店を開いたクラウディアは、ラベンダーの砂糖を混ぜたクッキーを配り、  
エリクは薬草のくじ引きを作って、子どもたちに大人気だった。

そして──

一番小さな角のテーブルで、ルカが置いていたのは、自作の木の小物入れだった。

不器用で、いびつで、でも一つずつ丁寧に彫られたその木片には、  
小さく“L”の焼き印が押されていた。

「お名前は?」

そう聞かれた瞬間、彼はほんの少し迷って、  
けれど顔を上げて言った。

「……ルカです」

たったそれだけの言葉に、周囲の空気がふっとやわらいだ。

自分で選び、自分で名乗った名。

その声は、制度や記録ではなく、ただ“生きたい”という意志から生まれたものだった。

祭りの終わり、私はルカの隣に並んだ。

「よく、名乗ったわね」

「……ちょっとだけ、怖かったけど。  
でも、呼ばれるたびに“自分になれる”のって、すごく気持ちよかった」

私は微笑んだ。

「それが、名を持つということ。  
あなたは、もう誰かの影じゃないわ。  
“ルカ”という一人の人間として、今日を生きたのよ」

空には秋の星が滲みはじめていた。

その夜、焚き火を囲んで子どもたちが歌った歌の中に──  
確かに“名を持った声”が、いくつも重なって響いていた。
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