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今日のタイシは来た時から様子がおかしかった。
いつもフェリシアがどれだけ下らない話を聞かせても、肩を揺らして歯を見せて笑ってくれていたのに、今日はなんだか、元気がない。
いや、今日だけじゃない。このところよく、タイシはこんな顔をする。
目を伏せて、顔からは色がなくなって。眉間にシワを寄せて、何かを堪えるみたいな顔だ。
あの日から髪を結んでもらうのは、二人の日課になっていた。タイシは勤勉で、毎日フェリシアの綺麗な金髪を違う形に結ってくれていた。
だから髪を結んでと頼めば笑ってくれるのは分かっているが、後ろを向いてしまったらタイシが今どんな顔をしているのかフェリシアには分からなくなってしまう。いつからか言えなくなってしまった。
顔が見えるように、持ってきてくれるお菓子を差し出しても、顔を赤くすることはなくなって、取り繕ったような笑顔が向けられるようになったのはいつからか。
それが今日は、よりいっそう酷くなったように思う。
「タイシ、元気ない?」
膝に置かれた手を取って尋ねる。その手を見つめていたタイシは顔を上げて、作り笑顔で首を振った。
「『そんなことないよ。ほら。君の話を、聞かせて?』」
これにはフェリシアも不満気に言い募った。
「タイシがそんな顔をしてたら、話せるものも話せなくなるわ。理由があるなら教えてくれない? わたしじゃ頼りないって思われても仕方ないけど……」
「『そんなことっ──……』」
タイシの声は尻すぼみになって消えてしまう。ほらね、とフェリシアは頰を膨らませた。
「やっぱり頼りないって思ってる」
「『思ってないよ!』」
「じゃあ教えてくれても良いでしょう? タイシが笑ってくれないと、寂しい。教えてくれるまで、わたし、今から一言も喋らないから」
フェリシアは唇を結んで、じっと淡い青色の瞳に目を合わせた。
途端にひどく狼狽するタイシはいつものタイシだ。しかしこの人は往生際が悪い。
この後に及んでも『何でもないんだよ』と言い訳をしてきたが、フェリシアは頑固だった。
決して負けないという強い意志で、タイシと目を合わせ続けた。
初めからタイシに勝ち目などあるはずもない。
数分ののち、フェリシアから目を逸らして、タイシは諦めを滲ませた息を深く吐いた。
そして躊躇ったのちに、ようやく口を開いた。
「──、『か……帰る、んだ』」
その答えにフェリシアはきょとんとした。
首まで捻った。
だって当然だろう。
タイシはこの池に住んでいる魔族じゃない。この庭に住む魔族でもない。
毎日帰ってるじゃないか。──魔王城に。
それがどうかしたの? と、問いかけようとしたが、その寸前、タイシは繋いだままの手を縋るようにして握って、言ったのだ。
「『君の歌を、聴かせてくれないかな』」
人魚の歌は見事なものだって聞いたんだけどと、タイシは小さな声で囁くように言い添えた。
これには本当に困ってしまったフェリシアだ。
わたしじゃ頼りないって思ってるんでしょうと、たった今タイシを責めたばかりだというのに。
しかしこちらに目を合わせようともせず、むしろ叱られる子犬のようなタイシをそのままにもしておけず、意を決して──口元に手を添えてタイシにも負けないほど小さくなって言った。
「ごめんなさい、タイシ。わたしね、ちょっと……本当にちょっとだけなんだけど──音痴、なの」
なんとも居た堪れない思いだった。
友達ならタイシの言う通り、綺麗な声で歌ってあげられるのに。あまりの恥ずかしさに身を縮こませる。
そんなフェリシアの告白を聞いたタイシは目を溢れそうなほど大きく見開き、「『音痴?』」と息とともに吐き出した。
「そうなの。本当に、ちょっとだけ、なんだけど」
「『音痴って、歌うのが下手って意味で合ってる?』」
「はっきり言わないでほしいわ」
タイシのデリカシーのなさにフェリシアはちょっと抗議したが、タイシは口をポカンと開けて、固まって──大きく吹き出したのだ。
お腹まで抱えて笑う姿に、フェリシアは顔を真っ赤にして怒った。
「ひどい!」
「『ごめん! だけど……歌が下手って……音痴な人魚がいるなんて思わなくって……ははっ』」
目尻には涙まで滲むほど笑っている。
フェリシアの怒りは頂点に達し、怒りのまま池に飛び込んだ。
タイシの驚きの声が水の中でも聞こえる。
それを無視して睨みつけ、食らえ! とばかりにフェリシアは尾びれを振って、水上のタイシ目掛けて水をぶっかけた。
「うわっ! 『ごっ ごめん! ごめんって!……ふふっ』」
「まだ笑ってる!!」
フェリシアの抗議にタイシは何度も謝るが、顔は完全ににやけている。
ひどい!
突然始まった二人の争いに、後ろで控えていた剣の人と優しい人が駆け寄ってきたが、タイシが言った言葉を聞いて、二人もまた大笑いした。
「みんなしてひどい! 笑うな!」
水を掛ける対象は三つに増え、池の水がなくなるのではと思えるほどフェリシアは憤慨したが、その後献上されたお菓子によって、ようやくその怒りは幾分か鎮められたのだ。
いつもフェリシアがどれだけ下らない話を聞かせても、肩を揺らして歯を見せて笑ってくれていたのに、今日はなんだか、元気がない。
いや、今日だけじゃない。このところよく、タイシはこんな顔をする。
目を伏せて、顔からは色がなくなって。眉間にシワを寄せて、何かを堪えるみたいな顔だ。
あの日から髪を結んでもらうのは、二人の日課になっていた。タイシは勤勉で、毎日フェリシアの綺麗な金髪を違う形に結ってくれていた。
だから髪を結んでと頼めば笑ってくれるのは分かっているが、後ろを向いてしまったらタイシが今どんな顔をしているのかフェリシアには分からなくなってしまう。いつからか言えなくなってしまった。
顔が見えるように、持ってきてくれるお菓子を差し出しても、顔を赤くすることはなくなって、取り繕ったような笑顔が向けられるようになったのはいつからか。
それが今日は、よりいっそう酷くなったように思う。
「タイシ、元気ない?」
膝に置かれた手を取って尋ねる。その手を見つめていたタイシは顔を上げて、作り笑顔で首を振った。
「『そんなことないよ。ほら。君の話を、聞かせて?』」
これにはフェリシアも不満気に言い募った。
「タイシがそんな顔をしてたら、話せるものも話せなくなるわ。理由があるなら教えてくれない? わたしじゃ頼りないって思われても仕方ないけど……」
「『そんなことっ──……』」
タイシの声は尻すぼみになって消えてしまう。ほらね、とフェリシアは頰を膨らませた。
「やっぱり頼りないって思ってる」
「『思ってないよ!』」
「じゃあ教えてくれても良いでしょう? タイシが笑ってくれないと、寂しい。教えてくれるまで、わたし、今から一言も喋らないから」
フェリシアは唇を結んで、じっと淡い青色の瞳に目を合わせた。
途端にひどく狼狽するタイシはいつものタイシだ。しかしこの人は往生際が悪い。
この後に及んでも『何でもないんだよ』と言い訳をしてきたが、フェリシアは頑固だった。
決して負けないという強い意志で、タイシと目を合わせ続けた。
初めからタイシに勝ち目などあるはずもない。
数分ののち、フェリシアから目を逸らして、タイシは諦めを滲ませた息を深く吐いた。
そして躊躇ったのちに、ようやく口を開いた。
「──、『か……帰る、んだ』」
その答えにフェリシアはきょとんとした。
首まで捻った。
だって当然だろう。
タイシはこの池に住んでいる魔族じゃない。この庭に住む魔族でもない。
毎日帰ってるじゃないか。──魔王城に。
それがどうかしたの? と、問いかけようとしたが、その寸前、タイシは繋いだままの手を縋るようにして握って、言ったのだ。
「『君の歌を、聴かせてくれないかな』」
人魚の歌は見事なものだって聞いたんだけどと、タイシは小さな声で囁くように言い添えた。
これには本当に困ってしまったフェリシアだ。
わたしじゃ頼りないって思ってるんでしょうと、たった今タイシを責めたばかりだというのに。
しかしこちらに目を合わせようともせず、むしろ叱られる子犬のようなタイシをそのままにもしておけず、意を決して──口元に手を添えてタイシにも負けないほど小さくなって言った。
「ごめんなさい、タイシ。わたしね、ちょっと……本当にちょっとだけなんだけど──音痴、なの」
なんとも居た堪れない思いだった。
友達ならタイシの言う通り、綺麗な声で歌ってあげられるのに。あまりの恥ずかしさに身を縮こませる。
そんなフェリシアの告白を聞いたタイシは目を溢れそうなほど大きく見開き、「『音痴?』」と息とともに吐き出した。
「そうなの。本当に、ちょっとだけ、なんだけど」
「『音痴って、歌うのが下手って意味で合ってる?』」
「はっきり言わないでほしいわ」
タイシのデリカシーのなさにフェリシアはちょっと抗議したが、タイシは口をポカンと開けて、固まって──大きく吹き出したのだ。
お腹まで抱えて笑う姿に、フェリシアは顔を真っ赤にして怒った。
「ひどい!」
「『ごめん! だけど……歌が下手って……音痴な人魚がいるなんて思わなくって……ははっ』」
目尻には涙まで滲むほど笑っている。
フェリシアの怒りは頂点に達し、怒りのまま池に飛び込んだ。
タイシの驚きの声が水の中でも聞こえる。
それを無視して睨みつけ、食らえ! とばかりにフェリシアは尾びれを振って、水上のタイシ目掛けて水をぶっかけた。
「うわっ! 『ごっ ごめん! ごめんって!……ふふっ』」
「まだ笑ってる!!」
フェリシアの抗議にタイシは何度も謝るが、顔は完全ににやけている。
ひどい!
突然始まった二人の争いに、後ろで控えていた剣の人と優しい人が駆け寄ってきたが、タイシが言った言葉を聞いて、二人もまた大笑いした。
「みんなしてひどい! 笑うな!」
水を掛ける対象は三つに増え、池の水がなくなるのではと思えるほどフェリシアは憤慨したが、その後献上されたお菓子によって、ようやくその怒りは幾分か鎮められたのだ。
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