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フェリシアはご機嫌で溶けたアイスを食べて、いや飲んでいる。
人魚の姿であったなら今頃尾びれはびたびた振られて水が飛び散っていることだろう。あの可愛らしい姿を思い出すと、騒ぐ心臓も落ち着き、心が和む。
「……一口じゃなかったの?」
「いけない!」
つい揶揄ってみると、フェリシアは大慌てで器を覗き見た。無惨なことに器にはほとんどアイスは残されていない。スプーン一杯分といったところだった。
「ごめんなさい。つい食べすぎちゃったわ……」
「いいよ。冗談だから。美味しかった?」
「うん。けど、溶ける前の方が美味しいわ。タイシも食べる?」
残った一杯分が口元へと差し出される。
食べたことがないわけじゃないし全部あげてしまってもいいものだが、キースは自然と差し出されたそれを、条件反射で口に含んだ
「ね? 冷たい方が美味しいでしょう? 次は溶ける前に食べないとダメよ」
「うん。次からはそうす、る……ぶっ!」
「どうしたの!?」
周りの状況を思い出して、激しく咽せたキースだった。
驚きのまま背中をさすってくれるフェリシアに、大丈夫だからと言いつつ体を離す。
あまりの羞恥にすっかり顔を上げられなくなった末の弟に、兄二人はにやけ顔を浮かべ、唯一の姉は珍しくも細い頰をわずかに赤らめ、誤魔化すようにお茶のカップを傾けていた。
二人のやりとりに頰を赤らめカップを傾けていたヴィオラ姫が、真顔になって弟の手を見た。
「……キース。貴方、その手はどうしたのです? 怪我をしているのですか?」
「怪我……!?」
慌てて器を置いたフェリシアがキースの手を取ると、確かに擦過傷のようなものから血が滲んでいる。
「全然気付かなかったわ……これ、どうしたの? 誰かにいじめられた?」
「ち、違うよ」
手の怪我なんてすっかり忘れていたキースは慌てて首を振る。
「ちょっと、その……転んじゃって」
傷を見て心配そうに眉を下げていたフェリシアは、キースの言い訳を聞いて首を傾けた。
「そうなの。意外と、鈍臭いのね?」
その感想には少し笑ってしまったキースだった。
「難しい言葉を知ってるね?」
「サラのお母様がよく言うの。フェルは鈍臭いからシャキッとしなさいって。二本足は慣れないから私もよく転んじゃうんだけど、このお城の廊下は好きだわ。絨毯が柔らかくて痛くないのよ」
「そんなに転んでるの? 気を付けないと危ないよ」
「そんなにじゃないのよ。一日一回くらいまで成長してるの」
「0回にしよう。フェリシア嬢。気を付けて歩いて。君が怪我したらって心配だよ」
「それならわたしも心配だわ。だってこれ、痛そう……早く手当てしましょう?」
「うん。お願いしてもいい?」
「もちろん。よく転ぶから、手当ては得意よ」
得意げに胸を叩くフェリシアが可笑しくてまた笑ってしまう。心配そうな表情よりも、溌剌としているほうが彼女らしくていい。
「こほん」
小さな咳払いに飛び上がったキースだった。
またしても無視される形になった三人のうち、少し厳しい姉のヴィオラ姫の咳払いだ。
「たしかに、化膿してはいけませんから。早く手当てしていらっしゃい、キース」
「部屋の扉は開けておくようにな。二人きりになるのはまだ早かろう」
「兄上も姉上もお硬いのだから。キース、今度私が良い場所を教えてあげましょう。良い感じに人目から隠れられる場所がこの城には多くありますよ」
「馬鹿は放っておきなさい。聞くんじゃない」
「そうですよ。キースが貴方のようになったらなんとしますか。良いですか、キース。婚前は外聞がよろしくありません。物事は順序立てて──」
「皆様がご心配なさるようなことは一切ありませんから!!」
真っ赤になって反論したキースだった。
大慌てでフェリシアを促して逃げ帰ろうとする。その背に、オーグストが思い出したように言ったのだ。
「そうだ、夕食はいつも通りの時間だからな。二人とも、服装は気にしなくていいから、楽な格好でおいで。フェリシア嬢の好きなものをたくさん用意しておこう」
「夕食……?」
そういえば、そのようなことを言っていたなと思い出す。
それどころではなくて聞き流してしまっていた。
しかし夕食とは問題だった。
ただでさえ王族の御三方が囲んで歓待した人魚の令嬢を夕食会にも招待した、となると、もはや社交会はフェリシアを無視できなくなる。
どれだけの穢れた連中が彼女に群がるか。想像しただけで心臓が冷える。
キースはなんとかしてこの誘いを断らねばと悩んだが、貴族でないことは承知していると言われた今、丁度いい言い訳が思いつかない。
「たまには兄弟姉妹水入らずでの夕食も楽しいだろう。それでなくてもお前は木蓮の宮に篭ってばかりいるのだから」
「で、ですけど……その……私やフェリシア嬢は皆様と夕食を共にできる身分では……」
この言い訳では駄目だ。何かもっと、納得していただけるような理由を見つけなければ……。
「…………」
汗をかき黙るキースを、兄、姉殿下の三人が静かに見つめていた。
いつもならこのような時に仲裁に入るアデルダートも黙っている。
異様な沈黙に包まれた紫陽花の間に、素っ頓狂な声が響いたのはそれからわずか数秒後のことだ。
「あ、あの、えっと、そのっ、そうだ! 今日の夕食は魔王様と食べるんだった! 忘れてた、タイシも一緒にって約束してたでしょう? そうよね!?」
咄嗟に返事が遅れた。
フェリシアはあわあわと慌てつつ言い訳をしてキースの腕を掴み、しどろもどろにオーグストに言い募った。
「オーグ兄様、ごめんなさい! お食事はまた今度でもいい!?」
「……ああ、構わないよ。もちろん。次回を楽しみにしていよう」
「ありがとう! さぁ、タイシ、行きましょう!」
引っ張られて退出の挨拶も出来ずにキースはあっけに取られた表情のまま、部屋から出されていった。
わずかな沈黙の後、オーグストは目を手で覆った。
「妹というのが、かようにも可愛らしいものだとは不覚にも知らなかった……」
「妹がというよりもフェリシア嬢の人柄だとは思いますが……」
「フェリシアさんのお人柄もですけれど、わたくし、貴方様の女性の好みに些か不安が生まれてまいりましたわ」
「幼い子が好きなわけではないわ」
しっかりと訂正して、オーグストは笑みを浮かべながらカップを持ち上げ傾ける。
カップを口から離して、生まれたのはため息だった。
「反抗期とはこれほど長く続くものなのかな」
「……そろそろ王子としての自覚を持っていただきたいところですけれど、そのためにもやはり婚約者を持たせるというのはわたくしも賛成です。彼女であれば申し分ありませんわ。可愛らしく、魔王様とも懇意にされていて、その上──」
「人を見る目がある」
「ええ。じっと見つめられていた時のあの瞳。まるで品定めされているようでした。不快な視線ではありませんわよ。彼女であれば、キースや生まれてくる子に無害な相手を賢く選ぶことができるでしょう。身分も高すぎませんからキースには丁度良い相手です」
「仲も良いことだしなぁ」
姉と兄は同じ動作で満足げに頷く。
残された弟は二人の話に割り込むことはせず、静かに側で控えていた。
「となると、リディア様とのお話は白紙にしなければなりませんね」
「そうだなぁ……。アデル、リディア殿はキースをどう思っているかな? 慕っていたりはしないか?」
「それはありません。あり得ないと言ってもいいでしょう。白紙になって一番喜ぶのは彼女のはずですよ」
「それなら良い。公爵へは陛下から話を通しておいていただこう。……陛下へは……」
王太子からの問いかけの視線を受け取り、姉と弟はにっこりと笑顔を返す。
「そこは兄上のお仕事でございましょう」
「そうです。王子の縁談に、娘のわたくしが口を挟めるはずもありませんから、ここは王太子殿下に骨折りいただきたく存じますわ」
「まったく。いつもこんな時ばかり……」
嘆かわしくため息を吐く。王太子というものをこの姉弟は面倒ごとの解決係と思っているらしい。
だがそれはこの王太子も同じだった。
「公爵からの嫌味を引き受けていただくことにはなるが、まぁ怒られはせんだろう。明日にでも時間をいただくことにする」
筆頭公爵であるリディアの父を陛下は非常に苦手としているから、この話をしたらどれだけ渋い顔をされるか目に浮かぶ。が、この王太子も陛下を面倒ごとの解決担当にしているのだから仕方ない。
「あの可愛らしい人魚が妻となれば、キースの態度もいずれ軟化するだろう。二人が早く婚姻をあげられるよう、私の結婚の時期も早めねばな」
自分の結婚を目的のための手段とする王太子は、世界中どこを探してもこの男だけだろう。
人魚の姿であったなら今頃尾びれはびたびた振られて水が飛び散っていることだろう。あの可愛らしい姿を思い出すと、騒ぐ心臓も落ち着き、心が和む。
「……一口じゃなかったの?」
「いけない!」
つい揶揄ってみると、フェリシアは大慌てで器を覗き見た。無惨なことに器にはほとんどアイスは残されていない。スプーン一杯分といったところだった。
「ごめんなさい。つい食べすぎちゃったわ……」
「いいよ。冗談だから。美味しかった?」
「うん。けど、溶ける前の方が美味しいわ。タイシも食べる?」
残った一杯分が口元へと差し出される。
食べたことがないわけじゃないし全部あげてしまってもいいものだが、キースは自然と差し出されたそれを、条件反射で口に含んだ
「ね? 冷たい方が美味しいでしょう? 次は溶ける前に食べないとダメよ」
「うん。次からはそうす、る……ぶっ!」
「どうしたの!?」
周りの状況を思い出して、激しく咽せたキースだった。
驚きのまま背中をさすってくれるフェリシアに、大丈夫だからと言いつつ体を離す。
あまりの羞恥にすっかり顔を上げられなくなった末の弟に、兄二人はにやけ顔を浮かべ、唯一の姉は珍しくも細い頰をわずかに赤らめ、誤魔化すようにお茶のカップを傾けていた。
二人のやりとりに頰を赤らめカップを傾けていたヴィオラ姫が、真顔になって弟の手を見た。
「……キース。貴方、その手はどうしたのです? 怪我をしているのですか?」
「怪我……!?」
慌てて器を置いたフェリシアがキースの手を取ると、確かに擦過傷のようなものから血が滲んでいる。
「全然気付かなかったわ……これ、どうしたの? 誰かにいじめられた?」
「ち、違うよ」
手の怪我なんてすっかり忘れていたキースは慌てて首を振る。
「ちょっと、その……転んじゃって」
傷を見て心配そうに眉を下げていたフェリシアは、キースの言い訳を聞いて首を傾けた。
「そうなの。意外と、鈍臭いのね?」
その感想には少し笑ってしまったキースだった。
「難しい言葉を知ってるね?」
「サラのお母様がよく言うの。フェルは鈍臭いからシャキッとしなさいって。二本足は慣れないから私もよく転んじゃうんだけど、このお城の廊下は好きだわ。絨毯が柔らかくて痛くないのよ」
「そんなに転んでるの? 気を付けないと危ないよ」
「そんなにじゃないのよ。一日一回くらいまで成長してるの」
「0回にしよう。フェリシア嬢。気を付けて歩いて。君が怪我したらって心配だよ」
「それならわたしも心配だわ。だってこれ、痛そう……早く手当てしましょう?」
「うん。お願いしてもいい?」
「もちろん。よく転ぶから、手当ては得意よ」
得意げに胸を叩くフェリシアが可笑しくてまた笑ってしまう。心配そうな表情よりも、溌剌としているほうが彼女らしくていい。
「こほん」
小さな咳払いに飛び上がったキースだった。
またしても無視される形になった三人のうち、少し厳しい姉のヴィオラ姫の咳払いだ。
「たしかに、化膿してはいけませんから。早く手当てしていらっしゃい、キース」
「部屋の扉は開けておくようにな。二人きりになるのはまだ早かろう」
「兄上も姉上もお硬いのだから。キース、今度私が良い場所を教えてあげましょう。良い感じに人目から隠れられる場所がこの城には多くありますよ」
「馬鹿は放っておきなさい。聞くんじゃない」
「そうですよ。キースが貴方のようになったらなんとしますか。良いですか、キース。婚前は外聞がよろしくありません。物事は順序立てて──」
「皆様がご心配なさるようなことは一切ありませんから!!」
真っ赤になって反論したキースだった。
大慌てでフェリシアを促して逃げ帰ろうとする。その背に、オーグストが思い出したように言ったのだ。
「そうだ、夕食はいつも通りの時間だからな。二人とも、服装は気にしなくていいから、楽な格好でおいで。フェリシア嬢の好きなものをたくさん用意しておこう」
「夕食……?」
そういえば、そのようなことを言っていたなと思い出す。
それどころではなくて聞き流してしまっていた。
しかし夕食とは問題だった。
ただでさえ王族の御三方が囲んで歓待した人魚の令嬢を夕食会にも招待した、となると、もはや社交会はフェリシアを無視できなくなる。
どれだけの穢れた連中が彼女に群がるか。想像しただけで心臓が冷える。
キースはなんとかしてこの誘いを断らねばと悩んだが、貴族でないことは承知していると言われた今、丁度いい言い訳が思いつかない。
「たまには兄弟姉妹水入らずでの夕食も楽しいだろう。それでなくてもお前は木蓮の宮に篭ってばかりいるのだから」
「で、ですけど……その……私やフェリシア嬢は皆様と夕食を共にできる身分では……」
この言い訳では駄目だ。何かもっと、納得していただけるような理由を見つけなければ……。
「…………」
汗をかき黙るキースを、兄、姉殿下の三人が静かに見つめていた。
いつもならこのような時に仲裁に入るアデルダートも黙っている。
異様な沈黙に包まれた紫陽花の間に、素っ頓狂な声が響いたのはそれからわずか数秒後のことだ。
「あ、あの、えっと、そのっ、そうだ! 今日の夕食は魔王様と食べるんだった! 忘れてた、タイシも一緒にって約束してたでしょう? そうよね!?」
咄嗟に返事が遅れた。
フェリシアはあわあわと慌てつつ言い訳をしてキースの腕を掴み、しどろもどろにオーグストに言い募った。
「オーグ兄様、ごめんなさい! お食事はまた今度でもいい!?」
「……ああ、構わないよ。もちろん。次回を楽しみにしていよう」
「ありがとう! さぁ、タイシ、行きましょう!」
引っ張られて退出の挨拶も出来ずにキースはあっけに取られた表情のまま、部屋から出されていった。
わずかな沈黙の後、オーグストは目を手で覆った。
「妹というのが、かようにも可愛らしいものだとは不覚にも知らなかった……」
「妹がというよりもフェリシア嬢の人柄だとは思いますが……」
「フェリシアさんのお人柄もですけれど、わたくし、貴方様の女性の好みに些か不安が生まれてまいりましたわ」
「幼い子が好きなわけではないわ」
しっかりと訂正して、オーグストは笑みを浮かべながらカップを持ち上げ傾ける。
カップを口から離して、生まれたのはため息だった。
「反抗期とはこれほど長く続くものなのかな」
「……そろそろ王子としての自覚を持っていただきたいところですけれど、そのためにもやはり婚約者を持たせるというのはわたくしも賛成です。彼女であれば申し分ありませんわ。可愛らしく、魔王様とも懇意にされていて、その上──」
「人を見る目がある」
「ええ。じっと見つめられていた時のあの瞳。まるで品定めされているようでした。不快な視線ではありませんわよ。彼女であれば、キースや生まれてくる子に無害な相手を賢く選ぶことができるでしょう。身分も高すぎませんからキースには丁度良い相手です」
「仲も良いことだしなぁ」
姉と兄は同じ動作で満足げに頷く。
残された弟は二人の話に割り込むことはせず、静かに側で控えていた。
「となると、リディア様とのお話は白紙にしなければなりませんね」
「そうだなぁ……。アデル、リディア殿はキースをどう思っているかな? 慕っていたりはしないか?」
「それはありません。あり得ないと言ってもいいでしょう。白紙になって一番喜ぶのは彼女のはずですよ」
「それなら良い。公爵へは陛下から話を通しておいていただこう。……陛下へは……」
王太子からの問いかけの視線を受け取り、姉と弟はにっこりと笑顔を返す。
「そこは兄上のお仕事でございましょう」
「そうです。王子の縁談に、娘のわたくしが口を挟めるはずもありませんから、ここは王太子殿下に骨折りいただきたく存じますわ」
「まったく。いつもこんな時ばかり……」
嘆かわしくため息を吐く。王太子というものをこの姉弟は面倒ごとの解決係と思っているらしい。
だがそれはこの王太子も同じだった。
「公爵からの嫌味を引き受けていただくことにはなるが、まぁ怒られはせんだろう。明日にでも時間をいただくことにする」
筆頭公爵であるリディアの父を陛下は非常に苦手としているから、この話をしたらどれだけ渋い顔をされるか目に浮かぶ。が、この王太子も陛下を面倒ごとの解決担当にしているのだから仕方ない。
「あの可愛らしい人魚が妻となれば、キースの態度もいずれ軟化するだろう。二人が早く婚姻をあげられるよう、私の結婚の時期も早めねばな」
自分の結婚を目的のための手段とする王太子は、世界中どこを探してもこの男だけだろう。
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