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しおりを挟む暗闇の向こうに、一筋の光が見える。
意識が、光に吸い寄せられていく。
光がどんどん迫ってくる――
ふわり、と意識が浮上した。
重いまぶたを開けると、視界いっぱいに広がるのは、王立ケンドール学園の女子寮、見慣れた天蓋付きベッドのレースだった。
(戻ってきたのね……)
立ち上がり、鏡を見る。
つい先程まで着ていたはずの、質素な町娘の服ではなく、由緒正しいケンドール学園の制服に身を包んだ自分が映っている。
「不思議ね。あの森にはそんなに長居したわけではないのに……この制服が、懐かしく思えてしまうわ。」
あの魔女の森での出来事は、鮮明に頭の中に残っている。……出来れば忘れてしまいたい、モードレットの特製ブレンドティーの怪しげな香りでさえも。
制服の胸元を軽く整えながら、深く息を吸い込む。朝の寮は静かで、窓から差し込む光が白いカーテンをやわらかく照らしていた。
――だが、その静けさの底に、波紋の気配が隠れている。
(今日よね……星彩の乙女の授与式は)
胸の奥で、小さな痛みがうずいた。前の人生では、もっと違う形で訪れたはずの未来。けれど今は、すでに流れが変わり始めている。
制服の襟を整え、寮の外へ出て、学園本館へ向かう。講堂には既に、生徒たちがざわざわと集まり始めていた。
「今年の星彩の乙女は誰になるのかしら」
「筆頭候補と言われてるのは……」
噂が飛び交い、空気が落ち着かない。
リサはそのざわめきをすり抜けて、指定された席まで歩みを進めた。
――やがて、静寂が落ちる。学園長が壇上へ上がり、厳かな声を響かせた。
「今年の星彩の乙女は……」
胸がどくりと鳴る。
わかっているはずなのに、それでも身体が硬直する。
「――ルビー=フォン=エステール」
その名前が告げられた瞬間、学園中の視線が一斉に一点へ吸い寄せられた。
人の波が割れるようにして現れた少女。ふわふわの淡いピンクブロンドの髪、宝石を閉じ込めたかのようにキラキラと輝く真紅の瞳。誰もが「愛らしい」と形容するであろう整った顔立ち。
リサは、周囲がざわめく中でも冷静に彼女を見つめた。前回の記憶とも、前世の記憶とも違わないルビーの姿。
(やっぱり、選ばれたのはルビーだわ。)
ルビーはゆっくりと壇上へ向かう。その一挙一動が、周囲の生徒たちの視線を釘付けにした。
ルビーが壇上に上がり、学園長の隣に立ったとき、ふと、最前列にいる銀髪の青年の姿が目に入った。――婚約者のディアンサスだ。
彼もまた、壇上にいるルビーをじっと見つめている。表情はない。その真っ直ぐな視線は、星彩の乙女に対する興味からか、あるいは――
(ディアンサス様……)
胸の奥がチクリと痛む。この時点で既に、ディアンサスとの関係は悪化している。本来であれば、彼のエスコートを受けながらこの講堂へ赴くはずだったのに。
センチメンタルに浸りそうになる気持ちを断ち切らんとばかりに、首を強く横に振る。隣に座っていた見知らぬ生徒が目を丸くしてこちらを見ていたが、この際気にしない。
(めげては駄目よ、クラリッサ! 今回は絶対に失敗なんか出来ないんですから……!)
改めて壇上に視線を向ける。学園長からの言葉を賜っているルビーは、どこか落ち着かない様子で、何度も指先を小さく握り直していた。
リサは目を細めた。ルビーの視線が、定まらない。壇上から、ルビーはまるで何かを探すかのように、講堂全体をざっと見回していたのだ。それは、この栄誉ある瞬間を楽しむというよりは、誰かの存在を確かめようとするような仕草だった。
やがてルビーの視線は、最前列の一角、王族の席を通過した。彼女は婚約者であるディアンサス王太子の姿を一瞥しただけで、すぐに視線を別の場所へ移した。
そして、リサの心臓が強く脈打った。
ルビーの視線が向けられたのは、人垣でごった返す講堂の後方、最も目立たない隅だった。その隅には、学園の教師たちが立っているだけで、注目すべき攻略対象や、重要な人物の姿は一切ない。
(ルビーは、こんな様子じゃなかったはず)
リサの胸に、静かな波紋が広がった。
原作では「私が星彩の乙女に選ばれるなんて!」というモノローグの後、最前列に座する攻略対象達のスチルが入り、ディアンサスと目が合ってドキッとするシーンだ。
それなのに、ルビーの視線は攻略対象達を通り抜けていった。この事実が意味するところは――
(もしかして、ルビーも……いいえ、強くなった《歪み》の影響かしら……?)
壇上のルビーが、挨拶を終えて壇を降りた。
拍手が落ち着き、学園長が式を締めくくると、講堂は一気にざわめきに包まれる。
好奇心と羨望に満ちた視線が、堰を切ったようにルビーへ向けられた。
「エステール嬢、おめでとうございます!」
「羨ましいですわ……!」
次々と浴びせられる賞賛の言葉に、ルビーは懸命に応じている。
(やっぱり、誰も違和感を口にしないのね)
16歳の新入生が星彩の乙女に選ばれるなんて前代未聞のはずなのに、誰一人として不服を唱えるものはいなかった。
(まるで、最初から決まっていたみたいに……)
疑問よりも先に、納得が広がっていく空気。それが何より不気味だった。
前の周で自分がとった行動を思い出す。様々な思惑を含んだ言葉を投げかけられるルビーへ、自分は背を向けた。関わらないことが、破滅回避への唯一の道だと信じ込んでいたのだ。
(今度は……無関心を決め込むわけにはいかないわ。
ルビーの真意を確かめるって、宣言したんですもの。)
ならば、自分が取るべき行動は、これしかない。
ルビーは、祝福を浴びながらも、どこか居心地が悪そうに視線を伏せている。選ばれたことへの戸惑い。期待に応えなければならないという重圧。
リサは静かに立ち上がった。その動きに、近くの生徒たちがはっと目を向ける。
けれど今は、そんな視線などどうでもいい。人の輪を抜け、まっすぐにルビーの前へ進む。突然現れたリサに、ルビーは驚いたように目を丸くした。
「え、えっと……あなたは……?」
その声には、今日一番の戸惑いが含まれていた。そして、その戸惑いこそが、リサにとって最大の「確証」だった。それを確かめて、リサは胸の内で小さく息を吐く。
(……大丈夫。間違っていない。)
柔らかく、けれどはっきりと微笑む。周囲にも届くよう、少しだけ声を張って告げた。
「初めまして、ルビー=フォン=エステール嬢。この度は、星彩の乙女への選出、おめでとうございます。
わたくしは、クラリッサ=フォン=ベルズランド。ベルズランド公爵家の次女ですわ。」
カーテシーの後、一拍置き、まっすぐにルビーを見つめる。
「突然で失礼いたします。……ルビーさん、貴女をわたくしのサロンにご招待させていただきたいのです。」
その瞬間、講堂のざわめきが完全に止んだ。周囲の生徒達の間に生まれた衝撃が、目に見える波紋となって広がっていく。
(わたくしは悪役令嬢。世界がわたくしをその役割から離してくれないのならば――
公共の場では、悪役令嬢クラリッサとして振る舞いましょう!)
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