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第20話:白亜の砦と、偽りの貌
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翌日、私と師匠は、学者然とした落ち着いた色合いのローブをその身に纏っていた。腰には薬草を入れる革袋と、羊皮紙を丸めた筒。誰が見ても、師弟関係にある、真面目な研究者にしか見えないだろう。狂った天才魔導医ギルベルトとその弟子ユヅカの姿は、そこにはなかった。
私たちの目の前には、天を衝く白亜の尖塔を持つ、王立聖光教会の総本山がそびえ立っていた。壮麗で、神々しく、そして、全てを拒絶するかのように冷たい、巨大な砦。ここが、私たちの最初の戦場だ。
「……行きます」
私が覚悟を決めて頷くと、師匠はただ静かに、私の後ろを半歩下がって歩き出した。今回の交渉役は、私。師匠はただの「付き添いの学者」に徹する手はずだ。
巨大な門をくぐり、受付の神官に面会を申し込むと、私たちは重厚な応接室に通された。長い、長い沈黙の後、部屋に入ってきたのは、刺繍が施された豪奢な法衣を纏った、剃刀のように鋭い目つきの壮年の男だった。その全身から放たれる、厳格で、一切の妥協を許さないという空気に、私は息を呑む。
「――私が、この聖堂騎士病院の管理を司る、審問官ヴァレリウスだ。して、そちらの御用件は?」
彼の声は、まるで罪人を裁くかのように、冷たく響いた。私は緊張で張り付きそうになる喉を潤し、立ち上がって丁寧に一礼する。
「お初にお目にかかります、審問官様。わたくし、ユヅカと申します。こちらは師のギルベルト。我々は、ギルドに所属する、魔導環境毒物学の研究者でございます」
「研究者、だと?」
ヴァレリウスは、胡乱げに眉をひそめた。彼の視線が、値踏みするように私と、その後ろで存在感を消している師匠とを行き来する。
「単刀直入に申し上げます。我々は、現在こちらで療養されているという、サー・ケイラン騎士団長補佐の『消耗病』について、調査協力の許可をいただきたく、参上いたしました」
「……ほう」彼の目の光が、さらに鋭くなる。「騎士団長の病について、なぜ君たちのような者が知っている?」
「ギルドを通じ、騎士団長が倒れた時期と、彼が『囁きの湿地帯』から帰還した時期が符合するという情報を得ました。あの湿地帯は、未知の魔力汚染による風土病の宝庫。我々は、騎士団長の病が、そこに由来する特殊な症例である可能性を危惧しております」
私は、用意してきた筋書きを、淀みなく、そして冷静に語る。だが、ヴァレリウスの表情は、氷のように固いままだった。
「戯言を。サー・ケイランの御身を蝕むのは、病魔などではない。神の試練、あるいは、不浄なる悪意だ。それらを浄化できるのは、神の御許しを得た、我らが聖魔法のみ。君たちのような、俗世の学問が入り込む余地など、微塵もない」
やはり、駄目か。彼の頑なな態度に、私の心が折れそうになる。
だが、私はここで引き下がるわけにはいかない。私は一歩も引かず、その鋭い視線をまっすぐに見返した。
「審問官様のおっしゃる通り、聖魔法は偉大なる奇跡でございましょう。ですが――」
私は、あえて、静かな、しかし凛とした声で続けた。
「ですが、その偉大なる奇跡をもってしても、騎士団長のご容態は、今も悪化の一途を辿っていると伺っております」
その一言に、ヴァレリウスの眉がぴくりと動いた。痛いところを突かれた、という表情。
「もし、騎士団長を蝕むものが、神聖なる力で浄化すべき『悪意』ではなく、その逆。神も悪魔も介在しない、純粋な『自然の毒』なのだとしたら? 毒を制するには、まず、その毒の正体を解明せねばなりません。我々は、教会の皆様の信仰を疑うものでは決してございません。ただ、忠勇なる王国騎士の命を救うため、我々の持つ、違う角度からの知識をお役立ていただけないかと、そう願っているだけでございます」
私の必死の訴えに、応接室は再び沈黙に包まれた。ヴァレリウスは、腕を組み、目を閉じて、何かを深く考えているようだった。彼のプライドと、騎士を救いたいという思いが、天秤の上で揺れ動いている。
やがて、彼はゆっくりと目を開いた。
「……よかろう」
その許可の言葉に、私は思わず安堵の息を漏らした。
「ただし、あくまで『調査』だ。君たちに許されるのは、サー・ケイランの『診察』のみ。我らが教会の許可なく、いかなる治療行為……特に、君たちのような異端者が使う、得体の知れない魔術を用いることは、断じて許さん」
「はい! もちろんです!」
厳しい条件だったが、第一関門は突破した。私たちは、ヴァレリウスに案内され、聖堂の奥にある、神聖な空気に満ちた治療棟へと足を踏み入れた。ひんやりとした大理石の廊下に、厳かな祈りの歌が響いている。
そして、一番奥にある個室。そのベッドに、私たちの探す人物は横たわっていた。
サー・ケイラン。白銀の鎧が似合うだろう、精悍な顔立ち。だが、その肌は生気を失い、頬はこけ、そこかしこに、あの不吉な黒い痣が浮かび上がっている。
私が患者に歩み寄ろうとした、その時だった。
「――審問官様。このような、どこの馬の骨とも知れぬ子供と、その付き人を、騎士団長のお側に近づけて、よろしいのですか?」
部屋の隅の影から、一人の男がすっと進み出て、私たちの前に立ちはだかった。白い上質なローブは、高位のヒーラーであることを示している。だが、その目に宿るのは、私たちに対する、剥き出しの敵意と侮蔑だった。
「紹介しよう。こちらが、王命により、サー・ケイランの治療を監督している、王室筆頭医官のセレス・エルメス殿だ。……セレス殿、彼らは、湿地帯の毒を調査する研究者だ。君も、彼らの『調査』に、しっかりと立ち会ってもらいたい」
ヴァレリウスは、忌々しげに、しかし事務的に彼を紹介した。
セレスと呼ばれた男は、私を一瞥すると、鼻でふんと笑う。
「研究者、ですか。まあ、良いでしょう。私の治療の邪魔にならぬよう、せいぜい隅っこでおままごとでもしているのですね」
教会の頑なな教義。王室医官の歪んだプライド。
私たちの最初の戦場は、呪いそのものではなく、それを守るかのように立ちはだかる二つの巨大な壁だった。
私たちの目の前には、天を衝く白亜の尖塔を持つ、王立聖光教会の総本山がそびえ立っていた。壮麗で、神々しく、そして、全てを拒絶するかのように冷たい、巨大な砦。ここが、私たちの最初の戦場だ。
「……行きます」
私が覚悟を決めて頷くと、師匠はただ静かに、私の後ろを半歩下がって歩き出した。今回の交渉役は、私。師匠はただの「付き添いの学者」に徹する手はずだ。
巨大な門をくぐり、受付の神官に面会を申し込むと、私たちは重厚な応接室に通された。長い、長い沈黙の後、部屋に入ってきたのは、刺繍が施された豪奢な法衣を纏った、剃刀のように鋭い目つきの壮年の男だった。その全身から放たれる、厳格で、一切の妥協を許さないという空気に、私は息を呑む。
「――私が、この聖堂騎士病院の管理を司る、審問官ヴァレリウスだ。して、そちらの御用件は?」
彼の声は、まるで罪人を裁くかのように、冷たく響いた。私は緊張で張り付きそうになる喉を潤し、立ち上がって丁寧に一礼する。
「お初にお目にかかります、審問官様。わたくし、ユヅカと申します。こちらは師のギルベルト。我々は、ギルドに所属する、魔導環境毒物学の研究者でございます」
「研究者、だと?」
ヴァレリウスは、胡乱げに眉をひそめた。彼の視線が、値踏みするように私と、その後ろで存在感を消している師匠とを行き来する。
「単刀直入に申し上げます。我々は、現在こちらで療養されているという、サー・ケイラン騎士団長補佐の『消耗病』について、調査協力の許可をいただきたく、参上いたしました」
「……ほう」彼の目の光が、さらに鋭くなる。「騎士団長の病について、なぜ君たちのような者が知っている?」
「ギルドを通じ、騎士団長が倒れた時期と、彼が『囁きの湿地帯』から帰還した時期が符合するという情報を得ました。あの湿地帯は、未知の魔力汚染による風土病の宝庫。我々は、騎士団長の病が、そこに由来する特殊な症例である可能性を危惧しております」
私は、用意してきた筋書きを、淀みなく、そして冷静に語る。だが、ヴァレリウスの表情は、氷のように固いままだった。
「戯言を。サー・ケイランの御身を蝕むのは、病魔などではない。神の試練、あるいは、不浄なる悪意だ。それらを浄化できるのは、神の御許しを得た、我らが聖魔法のみ。君たちのような、俗世の学問が入り込む余地など、微塵もない」
やはり、駄目か。彼の頑なな態度に、私の心が折れそうになる。
だが、私はここで引き下がるわけにはいかない。私は一歩も引かず、その鋭い視線をまっすぐに見返した。
「審問官様のおっしゃる通り、聖魔法は偉大なる奇跡でございましょう。ですが――」
私は、あえて、静かな、しかし凛とした声で続けた。
「ですが、その偉大なる奇跡をもってしても、騎士団長のご容態は、今も悪化の一途を辿っていると伺っております」
その一言に、ヴァレリウスの眉がぴくりと動いた。痛いところを突かれた、という表情。
「もし、騎士団長を蝕むものが、神聖なる力で浄化すべき『悪意』ではなく、その逆。神も悪魔も介在しない、純粋な『自然の毒』なのだとしたら? 毒を制するには、まず、その毒の正体を解明せねばなりません。我々は、教会の皆様の信仰を疑うものでは決してございません。ただ、忠勇なる王国騎士の命を救うため、我々の持つ、違う角度からの知識をお役立ていただけないかと、そう願っているだけでございます」
私の必死の訴えに、応接室は再び沈黙に包まれた。ヴァレリウスは、腕を組み、目を閉じて、何かを深く考えているようだった。彼のプライドと、騎士を救いたいという思いが、天秤の上で揺れ動いている。
やがて、彼はゆっくりと目を開いた。
「……よかろう」
その許可の言葉に、私は思わず安堵の息を漏らした。
「ただし、あくまで『調査』だ。君たちに許されるのは、サー・ケイランの『診察』のみ。我らが教会の許可なく、いかなる治療行為……特に、君たちのような異端者が使う、得体の知れない魔術を用いることは、断じて許さん」
「はい! もちろんです!」
厳しい条件だったが、第一関門は突破した。私たちは、ヴァレリウスに案内され、聖堂の奥にある、神聖な空気に満ちた治療棟へと足を踏み入れた。ひんやりとした大理石の廊下に、厳かな祈りの歌が響いている。
そして、一番奥にある個室。そのベッドに、私たちの探す人物は横たわっていた。
サー・ケイラン。白銀の鎧が似合うだろう、精悍な顔立ち。だが、その肌は生気を失い、頬はこけ、そこかしこに、あの不吉な黒い痣が浮かび上がっている。
私が患者に歩み寄ろうとした、その時だった。
「――審問官様。このような、どこの馬の骨とも知れぬ子供と、その付き人を、騎士団長のお側に近づけて、よろしいのですか?」
部屋の隅の影から、一人の男がすっと進み出て、私たちの前に立ちはだかった。白い上質なローブは、高位のヒーラーであることを示している。だが、その目に宿るのは、私たちに対する、剥き出しの敵意と侮蔑だった。
「紹介しよう。こちらが、王命により、サー・ケイランの治療を監督している、王室筆頭医官のセレス・エルメス殿だ。……セレス殿、彼らは、湿地帯の毒を調査する研究者だ。君も、彼らの『調査』に、しっかりと立ち会ってもらいたい」
ヴァレリウスは、忌々しげに、しかし事務的に彼を紹介した。
セレスと呼ばれた男は、私を一瞥すると、鼻でふんと笑う。
「研究者、ですか。まあ、良いでしょう。私の治療の邪魔にならぬよう、せいぜい隅っこでおままごとでもしているのですね」
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