王宮に咲くは神の花

ごいち

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第二章 ジハード王の婚姻

香草の湯殿

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 落ち着くのを待って、シェイドは湯殿へと連れて行かれた。

 窮屈な婚礼衣装からやっと解放され、結い上げていた髪も全ての装飾を外して解かれる。湯殿の手前にある更衣のための部屋で、裸になったシェイドは姿見に映る自分の姿を見つめた。

 鏡には痩せて白い肌をした男が一人映っている。よく見れば、その胸の中央には神王ファラスの御印が淡い傷となって残っていた。首から掛けていた銀の護符の形が、あの嵐の日に烙印のように刻み込まれたのだ。
 腰まで伸びた髪は色のない金。泣いて化粧が落ちた顔の造作は、美しいか醜いかを判ずる以前に、白い肌の上に輪郭が滲んでしまう。ただ蒼い目がそこにあるのが分かるのみだ。

 ウェルディリアで良いとされるがっしりとした肩幅や筋肉質な体、浅黒い肌はどれも持ち合わせていない。あまりに異質すぎて、異国人めいた印象が全てに勝ってしまう。

 年齢は年が明ければ二十九だ。最下層の娼館でもこんな歳の北方人を買おうとはしないだろう。
 国王から奥侍従にと望まれる理由は、何一つ無いように思われた。





「お体が冷えてしまいますから、湯殿に参りましょう」

 上着を脱いで袖を捲ったフラウが促した。

「白桂宮は地震の後に湧いた出で湯を引き込んでありますから、いつでも温かいお湯が使えます。湯殿をお使いになりたいときは、どうぞいつでもお申し付けください」

 更衣の部屋と湯殿とを仕切る扉を開くと、噎せるほどの湯気が扉から噴き出してきた。床は石造りだったが、浴槽から溢れる湯を常時流しているらしく、濡れてじんわりと温かい。新鮮な香草の香りがいっぱいに広がっていた。

「こちらへどうぞ。まずは冷えたお体を温めましょう」

 フラウは巨岩を丸く刳り抜いたような形の浴槽に導いた。

 水瓶の形をした大理石の器から、湯気を立てる湯が途切れなく浴槽に注がれ、そこから溢れた湯が石の床に流れて温めている。シェイドは浴槽の側で足下から順に湯を流してもらい、湯の温度と体を馴染ませてから浅い湯船の中に入った。
 両手を伸ばしても端に届かぬほど広いが、深さはあまりなく、寝そべって入る形になっている。頭を凭れさせる窪みがあり、そこに凭れると、フラウが濡れた髪を掬い取って洗い始めた。

 ピリピリとした湯の刺激が、体温が馴染むにつれ消えていく。思った以上に冷え切っていたようだ。温みで凝った体が解れていくと、香草の爽やかさがいかにも心地よく感じられ始めた。
 この香草はシェイドが王宮出入りの商人から定期的に取り寄せているもので、気持ちを落ち着ける作用がある隣国の品だった。国内では乾燥したものしか出回らないはずだが、惜しげも無く湯の中に投入されたらしく、湯殿を満たす香りは濃厚だった。
 荒れていた気持ちが少しずつ凪いでいく。

「……今日は、お疲れになられたでしょう」

 髪を洗う手を止めずにフラウが話しかけてきた。

「ええ、少し……」

 国王に対する暴挙と子供のように泣いた無様を見られたせいで、虚勢を張るのも馬鹿馬鹿しくなり、シェイドは正直に今の気持ちを伝えた。疲れているし、夢であれば良かったのにと願わずにはいられない、と。

 フラウはそれを聞いて控えめな笑みを浮かべると、誰かに聞かれるのを怖れるように屈み込んで頭を洗う素振りで囁いた。

「もし……殿下が酷くお疲れのようでしたら、私から国王陛下に今宵は寝室を別に取って下さるよう進言いたします」

 緊張の滲む声とその内容に、シェイドは驚いて従者の顔を見上げた。フラウは笑みを浮かべていたが、その表情は幾分強張っていた。





 侍従の身分で寝室を指図するような出過ぎた進言は、おそらくジハードの怒りを買うだろう。フラウはそれを覚悟の上で、シェイドが同衾を望まぬのならそう進言すると言っているのだ。シェイドは複雑な気持ちになった。

 正直なところを言えば、ジハードと同じ空間に居続けるのは苦痛だ。
 部屋を別にしてくれるというのなら、行く先が地下牢でも構わないくらいだった。だが、今夜はそうやって逃れられたとして、明日の夜はどうだろうか。その次の夜は……。

 頑なさに愛想を尽かされて、二度と会わずに済むというのなら望むところだが、ジハードの様子からしてそうはなるまい。ならば先延ばしにすることに意味は無い。

 シェイドにとって唯一の救いは、ジハードが極めて移り気な性格であることだ。
 内侍の司に所属し、王太子宮殿の後宮の出入りをつぶさに見てきたシェイドは、ジハードが特定の人間を長く寵愛しないことを知っている。何しろ一ヶ月とまともに仕えることができた奥侍従が一人もいないのだ。

 何年か前には北方人の少年を入宮させるようにとの要請が続いたこともある。それこそ王都中を探し回って、北方系の若者を根こそぎ後宮に入れるような有様だったが、そのほとんどが一夜で王宮を出されている。
 好みがはっきりしていて拘りは強いようだが、一人の人間に長く固執しない性質でもあるようだ。
 ならば、少しでも早く飽きて貰えるほうがいい。

「……気遣いをありがたく思いますが、陛下が望まれるならば私はそれに従います」

 言ってから、半年前のあの嵐の夜のことがまざまざと思い出された。――今夜、あの苦痛を再び味わうことになる。

 それは確かに恐ろしかったが、刑罰のようなものだと思えばきっと耐えられる。生まれてきたことが罪なのだから、それに対する刑罰なのだと思えば――。





「承知いたしました」

 髪を洗い終えたフラウが、沈鬱な表情で首肯した。一度深々と頭を下げ、次に顔を上げたときにはその顔からは抜け落ちたように表情が消えていた。

「では、お寝間に侍るための準備を今から致します。お湯から上がられて、どうぞこちらへお越し下さい」


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