王宮に咲くは神の花

ごいち

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第五章 王宮の花

奴隷の印

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 近づいてくるサラトリアから距離を取ろうと、シェイドは座席の上で虚しくもがいた。

 なぜ、この男がここにいるのだろう。国王の腹心であり、押しも押されぬ公爵家の当主となった男だ。無論、国王誕生祭には祭祀を司る家系の長として、重要な席を用意されている。
 その男がどうして――。

「なぜ貴方がここにいらっしゃるのですか」

 シェイドの詰問に、馬車の揺れをものともせずに歩み寄ってきたサラトリアは皮肉そうな笑みを浮かべた。

「貴方様が乗っておられるのはヴァルダンの馬車です。マンデマール侯の馬車は私が追い返しておきましたよ。あんな遊蕩者の馬車に乗ったら最後、ファルディアになど永遠に辿り着けませんからね」

 常にもなく荒々しい仕草で、サラトリアはシェイドの隣に腰かけてきた。
 シェイドは息が止まりそうになるのを感じながら、追い詰められたように座席の隅へと逃げる。サラトリアはそれを追い距離を詰めてきた。
 肩と肩が触れ合い、互いの息までかかりそうだ。

「旅の見返りに何を要求されるのか、聡明な貴方様にはもちろん分かっておいでですね」

「ッ!」

 閉じた足の間にサラトリアの手が滑り込んできて、シェイドは驚愕のあまり目を見開いた。

「相手がマンデマール侯から私に変わっただけです」

 馬車の暗がりでもその不思議な瞳の色が分かるほど近くに、サラトリアが迫っていた。
 口づけせんばかりに寄せられた顔から、シェイドは顔を背けた。

「……ッ、公爵ッ!」

「国王陛下の御許を離れるとはこういうことです。貴方は庇護者を失った。誰に乱暴されても受け入れる以外ないのです」

 内腿を撫でる手が深く沈み込んできた。
 シェイドは両足を固く閉じて拒みながら、サラトリアの肩を押し返した。
 突っ張った両手に逞しい身体を感じる。優しく整った貌と柔和な雰囲気のせいで着痩せして見えるが、ジハードと遜色ないほど見事に鍛えられた肉体だった。

「暴れても無駄ですよ。それとも荒っぽくされる方がお好みですか」

「あッ……!」

 肩を押し返す両手がサラトリアの片手に掴まれた。
 長身の公爵はそのまま馬車の天井に手を伸ばし、垂れ布に紛れて隠されていた長い帯を取り出した。片手に掴んだシェイドの両手首に、その帯を手早く巻き付ける。
 手を拘束されたシェイドは鋭い悲鳴を放ったが、その声は馬車の車輪の音にかき消された。

 天井から下がった帯をサラトリアが引くと、一纏めに縛られた両手は高々と吊り上げられた。

「こうやって縛られて、地下牢に吊るされたのでしたね。……それから、どんな目に遭われたのでしたか?」

 サラトリアの声が耳鳴りのように歪んで響いた。





 ただでさえ暗い馬車の中で、シェイドの視界は墨を零したように黒く塗り潰されていく。優しげな声が頭の中を掻き回し、馬車に揺られる体は平衡感覚を失う。

 胸の苦しさに引き攣った声を上げて息を吸ったが、どんなに喘いでも息苦しさは薄れなかった。
 むしろどんどん苦しくなるばかりだ。

「やめて……ッ!」

 大きな体が上から圧し掛かり、シャツの胸元を開いた。
 悲鳴を上げて拒絶し体を捩じっても、サラトリアの手は止まらない。
 耳鳴りがますます大きくなり、何か言うサラトリアの声さえも反響するばかりで掴めなくなる。ただ服を脱がされていく感触だけが鮮明に感じられた。

「やめて――ッ、やめて、嫌ですッ……!」

 両腕は馬車の天井から下がる帯に縛められ、指先はもう痺れて感覚がなかった。
 視界は真っ暗でグルグルと回り、上か下かも分からない。
 はだけた胸元に息が吹きかかる感触が生々しく伝わり、肌の上を滑る指先に皮膚が粟立っていく。

 地下牢に捕らえられ、大勢の傭兵たちから辱めを受けた時と同じだ。体を開かれ、性の奴隷に堕とされる。
 見も知らぬ相手ではなく、ジハードの片腕と目される青年に。

「……やッ、嫌! い、やッ……嫌だッ…………ッ!」

 呼吸を求めて胸がふいごのように激しく上下した。なのに息が苦しくて堪らない。
 まるで見えない相手に首を絞められ、息の根を止められているかのようだ。

 サラトリアの指が何かを探すように胸の上を這っていく。もうすぐ、奴隷の証が下がる左胸に指が辿り着いてしまう。
 恐慌に陥ったようにシェイドは叫んだ。

「駄目だ、触らないで! 触らないで、お願い、そこに触らないで! 触らな――……ッ」

 叫んで叫んで叫んで……。

 小さな金属の札がついにサラトリアの指に触れられようとした時、糸が切れたようにシェイドは意識を途切れさせた。









 怖ろしいほどの速さで上下していた胸が鎮まり、力が抜けて行くのを、サラトリアは冷静に観察していた。
 過去の恐怖に追い詰められ、神経が焼き切れたように静かになった姿を認め、榛色の瞳が痛ましげな光を帯びる。

 首筋に手を当てて心臓が確かに脈打っているのを確かめると、サラトリアは拳で扉を叩いて馬車を路肩に止めさせた。

「――灯りを」

 外の兵士に命じて、サラトリアは外套の隠しから皮袋に包まれた布を取り出した。鎮静のための薬を滲みこませた布だ。
 処置の途中で目覚めることがないよう、意識を失っているシェイドの口と鼻を覆って吸わせる。
 次いで座席の下に収納されていた台を引き出してくると、足置きの台と繋げて馬車の中を一つの大きな寝台のように変えた。

「灯りをどうぞ」

 外から扉を叩いて角灯を差し出したのはノイアートだった。
 軽甲冑に剣と弓で武装した物々しい姿は、街道を行く旅人たちに好奇の視線さえ向けさせない。
 今度の旅はミスル離宮へのそれと違って、人目を忍ぶ必要はなかった。十分な人数の私兵を連れてきている。サラトリア個人に忠誠を捧げる精鋭たちだ。

 扉を閉めて鍵をかけたサラトリアは、角灯の一つを天井の金具に掛け、もう一つを手に持ってシェイドを見下ろした。

 白桂宮に戻って以来フラウにも肌を見せなかったというシェイドは、その体に秘密を隠し持っているはずだ。
 ラナダーンの手下を捕らえて拷問したサラトリアは、砦で何が行われたかのあらましを知っている。それを暴き、取り除かねばならない。

 サラトリアはシェイドの身体から身に着けているすべての物を剥ぎ取っていった。





 年端もいかぬ少年のように痩せた体が、角灯の明かりの中に現れた。
 その白い胸元の中央についた痣は、かつてサラトリアがシェイドの命を呼び戻したときについたファラスの紋章だ。
 ――そして、その左側。
 心臓に近い方の胸の柔肉に、人間を獣に貶める忌むべき印が穿たれていた。

「……」

 怒りを堪えるような表情で、サラトリアは飾り気のない金属の札に指で触れた。

 救出されて何か月も経つというのに、シェイドの肉体はこの下劣な札を厭うかのように、いまだに熱を持って腫れ上がっている。シャツの内側には血が点々とついていた。先程の揉み合いの時に出血したらしい。

 この札があるがゆえに、シェイドはジハードの元を離れなければならなかったのだ。

「シェイド様……」

 サラトリアは意識を失った白い胸の上に口づけを落とした。体は温かく、胸は確かな鼓動を刻んでいる。
 白桂宮で衰弱死させることを選ばず、外の世界へ逃がしてくれたジハードにサラトリアは感謝した。





 息を一つ吐いて、サラトリアは気持ちを切り替える。

 シェイドの眠りが深いことを確認すると、動きやすいように上着を脱ぎ、シャツの袖を捲り上げた。
 傍らには公爵家の医師から預かってきた道具の箱が置いてある。それを開け、サラトリアは先が細く尖った刃物を取り出した。

 処置の仕方は王都にいる間に十分に習ってきたが、実践するのはこれが初めてだ。角灯を手元に置いて、慎重に輪の繋ぎ目を検分する。

 血で固まった継ぎ目を見つけると、刃物の先をそこへ差し込み、サラトリアは無言の気合とともにそれを抉じ開けた。
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