愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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第二章 とんでもない相手を好きになり

皇帝からの書簡

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 陽の光が斜めに差し込み、空の一端が赤みを帯びる。
 大聖堂の方角から、夕暮れを知らせる五つ鐘が鳴った。一日の仕事の終わりを告げ、家路につくよう促す鐘の音だ。
 厳かな鐘の音の五つ目が鳴り終わるや否や、近衛騎士団長カッツェは執務の椅子から勢いよく立ち上がった。
「ロア副団長、只今を以って本日の業務を終了とする。速やかに帰宅せよ」
「はッ!」
 上官の命に、グレウスは即座に立ち上がって敬礼した。
「グレウス・ロア、本日の業務を終了し、直ちに帰宅します!」
 一礼して机の前を離れると、先日まで上官だった中隊長が上着を差し出して待っていた。その向かいには、大隊長が乗馬用の手袋を用意して待ってくれている。
 礼を言って上着を着こみ、大隊長からも手袋を受け取って、グレウスはもう一度頭を下げた。
「お疲れ様でございました! お先に失礼いたします!」
 大声で退出の挨拶をすると、部屋のあちこちから『気張れよ!』『死ぬんじゃないぞ』『眠る前の祈りを忘れるな!』など、さまざまな激励の言葉が投げかけられる。
 グレウスが結婚して妻帯者になってから、毎日のように交わされるやり取りだ。


 近衛騎士団副団長グレウス・ロアは、一か月ほど前に結婚した。
 相手は先帝の第八皇子にして、現皇帝ディルタスの異母弟オルガ・ユーリシス。
 幼い頃には魔法の天才と謳われたが、病で魔力を失ってしまい、皇室から除籍処分となった『無能者』の皇族だ。
 エルフの血を引くと言われるアスファロス皇室は、明るい髪に整った優しげな容貌を持つ者が多いが、その中でただ一人、オルガの外見は異質なものだった。
 髪の色は闇夜よりも深い漆黒。美貌は玲瓏として鋭く、肌は白すぎるほど白い。
 不吉とされる黒いローブに身を包み、城の一室に籠って滅多と姿を現わしもしない。
 果ては、婚姻に名乗りを上げた家が次々と不幸に見舞われたこともあり、いつしかこの高貴な麗人を娶ろうという貴族は居なくなっていた。
 ――伝説によれば、かつてこの地には竜を操り災厄をもたらした魔王がいたという。
 貴族たちはその伝説になぞらえて、黒衣を纏うこの皇弟を『黒の魔王』と呼ぶようになった。


 初めてそれを聞いた時には、何という不敬かと憤りを感じたものだが……。
 火のないところに煙は立たないという言葉の重みを、グレウスは結婚してからしみじみと感じている。
 おかげで、勤務を終えたグレウスを引き留める人間は誰もいない。





 執務室を後にして回廊に出ると、この頃見慣れた人物が待ち構えていた。
「やぁ、グレウス。こんなところで出会うとは奇遇だな。ちょうどいいから、厩舎まで世間話でもしながら歩こうではないか」
「これは、皇帝陛下。恐れ入ります」
 退勤するグレウスを待っていたのは、現皇帝のディルタスだった。奇遇だと言いながら回廊で鉢合わせするのも、月が替わってからすでに三度目である。まったく悪びれる様子もないのがいっそすがすがしい。
 ディルタスもまた、グレウスの帰宅を決して引き留めようとはしない。足を止めさせずに並んで歩きながら、世間話を持ちかける。
「ときに、細君は息災にしているかね。不満を訴えたり、何か機嫌を損ねたりはしていないか」
 と言っても、話題はグレウスの新妻のこと以外にない。
 息災か、機嫌はどうか。これを訊かれるのは毎度のことだ。
 オルガの異母兄である皇帝は、たびたびこうやって屋敷でのオルガの様子を聞き出そうとする。
「お気遣い痛み入ります。陛下の御威光に与かりまして、我が妻は身体健やかかつ、心穏やかに過ごしております」
 今朝の寝台での様子を思い出しながら、グレウスは無難な答えを返した。


 グレウスの知る限り、異母兄弟であるディルタス皇帝とオルガは仲が良くないようだ。
 兄弟間で皇位を争わせる伝統が、兄弟の絆を傷つけてしまったのだろう。皇帝は血の繋がった実の弟を、平民上がりの騎士などという釣り合わない相手に嫁がせて、城から追い出してしまった。
 そのくせ追い出したら追い出したで、隠れて何か企んでいるのではと気になって仕方がないようだ。
 そもそも、皇帝や貴族たちがオルガを怖れるには理由がある。
 オルガは魔力を失ってはいるが、魔法に関する知識まで失ったわけではない。何をどうすれば魔法が発動し、威力を高めるためにはどう扱えばいいのかを、経験としてオルガは身に着けている。
 その上オルガは、現代では失われた技術である魔導具の生成にも見識が深い。
 魔法全般に関して、天才的な知識と感性を備えているのだ。
 皇室というしがらみをなくした今――オルガの存在は、聖教会にとっても貴族にとっても、ある種の脅威となっていた。もしもオルガに反逆の意思が芽生えれば、それを止めることは容易ではないからだ。
 噂では、貴族院の議長を始めとする数名は、皇帝よりもオルガに忠誠を誓っているらしい。魔法の専門研究機関でもある聖教会の中にも、盲目的な信奉者が何人もいるとか。
 オルガが何らかの野心を持てば、国政は大いに乱れるだろう。


 ディルタスは、若くして皇位に就きながら、慎重かつ視野の広い治世を行っている。
 その点においては敬愛の念を抱いているし、平和な世が長く続けばいいと願っている。
 だからこそ、オルガにも野心を抱いてほしくはなかった。
 権力を握ることだけが人の幸せではないはずだ。皇帝の座に比べればささやかすぎるが、皇室を離れたからこそ手にできる幸せを味わってほしいと常々思っている。
 残念ながら平民出身のグレウスは魔力も持たず、機知にとんだ会話や社交術も身に着けていない。だが、側に寄り添って愛情を示すことはできる。グレウスにとっては世界中で一番大切な人なのだと伝えて、オルガに少しでも心穏やかに過ごしてもらうことが目下の目標だ。
 二人で過ごす時間を大切にしたい。幸い、騎士団の同僚たちも皇帝もこれ以上なく協力的だ。
 屋敷でのオルガの様子は、ディルタスに伝えた通り比較的穏やかで、表面上は満足してくれているように見える。――が、腹の底が読めないのが、オルガという人間だ。
 一緒に暮らし始めて、グレウスはオルガという人物がなかなかに扱いづらい性格の持ち主であることを痛感している。
 無闇とオルガの動向を気にするディルタスの気持ちも、わからなくはない。


「ところで今日はこれを頼みたくてな」
 パチン、と皇帝は何もない空中で指を弾いた。
 指の周りに雲母のような微かな煌めきが生じ、筒状に丸めた書簡が姿を現わし始める。皇室が得意とする時空魔法の一種だ。
「おお、凄い……!」
 御前であることも忘れて、思わずグレウスは感嘆の声を上げてしまった。


 魔法大国のアスファロスにいながら、実際のところ、グレウスは魔法が発現する瞬間をほとんど目にしたことがなかった。
 鍛冶屋を営む両親も簡単な火の魔法は使えるのだが、グレウスが側に居るとどうも調子が悪くなると言って、あまり工房に入らせてはくれなかった。幼年の頃に通った街の教会でも魔法を教わる機会はあったが、肝心の魔法を見た覚えがない。
 こんなに間近で魔法を見るのは、まったく初めての経験だった。
「う……む、む……」
 皇帝は顔をしかめながら、何もない空間から書簡の残りを引き寄せる。
 煌めきはますます増えたが、一つ一つの輝きはそれに反比例して鈍くなっていくようだ。
 途中で消えてしまうのではないかと気を揉ませながら、書簡はじりじりと姿を現し、何とか皇帝の手の中に落ちてきた。
「これは……想像以上だな」
 魔法というのは存外疲れるものらしい。皇帝が額の汗を拭いながら呟いたが、グレウスの関心は書簡の方に移っていた。
 現れた書簡は、細い筒状に丸められている。
 掌から少し両端が出る程度の小さなものだが、銀色の蝋で封をされており、押された印章はディルタス皇帝のものだ。重要なものであることが見て取れる。
「これを細君に渡してくれ。なるべく早く渡してほしいが、できれば機嫌のいい時に頼む」
「承りました」
 機嫌のいい時か……と胸のうちで呟きながら、グレウスはそれを受け取った。
 馬に騎乗した時に落とさないように、受け取った書簡は懐の隠しに入れておいた。


 歩きながら話すうちに、気が付けばちょうど厩舎の前に来ていた。
 いつも残務なしで帰宅するグレウスのために、厩番の男はこの時間になるとグレウスの馬に鞍をつけてくれている。
 話し込んで遅くなるわけにはいかないので、グレウスは向き直って退出の挨拶をした。
「では、これにて失礼いたします。書状は必ずお渡しいたしますので」
「頼んだ。何か相談事があるときには、遠慮せずいつでも私のところに来るといい。そなたが訪れた時にはすぐに通すよう、侍従たちには言い聞かせてある。くれぐれも、家庭円満にな」
 兄としての気遣いらしきものを垣間見せて、皇帝が言った。グレウスは返事の代わりに一礼する。
 ディルタスは即位してまだ三年ほどの若い皇帝だが、その国政には民への愛情と温かさが感じられる。
 兄弟で皇位を争うような伝統さえなければ、オルガにとってもきっと愛情深い兄だったに違いない。オルガもまた、有り余る才能を兄たる皇帝のために存分に発揮しただろう。
 すれ違いの現実を悲しく思いながら、グレウスは馬に跨った。
「陛下が御心を砕いてくださっていることを、お伝えしておきます」
 ディルタスは一つ頷くと、グレウスを見送ることなく回廊の向こうへと踵を返した。

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