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一章 10歳になって

32、バイヤーとの接触 4(階段通路とチンピラ)

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 商談の話に夢中になる「雇い主様」を置いて、俺は手洗いへと席を立っていた。

 すっきりした気分で扉を押せば、またずんずんと鳴り響く音楽。楽しそうに踊るあいつらが正直羨ましい。

 俺も仕事を投げ出して酒を飲み身を揺らし女との会話に花を咲かせたい。

 自分たちの個室の前に着き、中へ戻ろうカーテンに手をかけた。ふと視線を上げた先に奥まった空間を見つける。

(へぇー、この上にも席あったんだなぁ)

 カップルだらけに見えるその席を見渡し、反対側の天井付近へも視線を走らせる。すると、根元を乱暴に振り回さてれいるように目標点を移動しまくってるライトがある光景を通り過ぎた。

(………っかぁはっ?!!!)

 俺は衝撃的な光景に、ボディーブローを食らったかのように腹を抑えて身をよじる。

「おや、カザリット。戻ってたんですね」

 どうやらワズナーも手洗いへ出るところだったらしい。

 苦し気に身をよじる俺へ、やや慌てたように「どうしました?!」と固い声を上げる。

「っく、は、」

 俺は向かいの天井付近の席を指さす。ライトは通り過ぎ、奥まった席は暗くなっていた。

 ワズナーは俺の指さしに射撃でもあったと思ったのか身をこわばらせたが、その後の俺の言葉に「すっ」と平常に戻った。

「あ、あそこで、美女が、ドエロイキスしてた………」

 ―――パァン!

「すみません、つい」

 いつも通りの真面目顔でワズナーは俺の頭をひっぱたいた手を振る。

 こいつ、結構容赦ない力加減で………。

「っつぅーーーー」

 俺は頭を抱える。

「叩くこたぁねーだろ!」

「すみません。私も叩くつもりはなかったんですが、気づけば」

 「まあまあ、早く中へ戻ってはどうです?」と押され、俺はワズナーとは入れ違いでカーテンの中へと戻る。

 防音処理の魔術が施されたそこは、布切れ一枚を隔てただけで外の音は一切通らず、中では白熱した商人様の「売り」と「買い」の話がなされていた。

(外とは違う意味でうっせー………)





「ありがとう、ティム」

 青年の隣に座り、エリーは彼の腕に体を絡めていた。彼女はうっとりとするような声音を青年の耳元に塗りつける。

「おれい、今度改めてさせて頂くわ」

 エリーの目を見て、アルベラは「ぞぞぞぞぞ………」っと下から上へ身震いした。

(男じゃなくて………良かった)





『お嬢様。お願い、聞いてくださるかしら? 色々と聞きたい事があっても、まずは店を出る事。それである程度歩いたら適当な物陰に入って変装を変え移動をします。その時ちょっとだけ寄りたい所があるので、その道中にでも今夜の件についての反省会でもしましょう。人気が無くて見渡しの良い、話しやすい場所なので』

 これは王都を出る前のエリーの言葉だ。

 あの時から彼女はアルベラがいろいろと質問したくなるという事を見越していたという事だ。

(くそ………身内にやられた)

 買う予定ではない薬を買った件について早く聞きたい衝動を抑え、アルベラはエリーの跡を追い一階へ向かう階段を上る。

 その途中アルベラの足元を、階段を駆け上がって一匹の大きなネズミが通り過ぎた。アルベラは驚き、ふらつき、ローブの裾を踏んでバランスを崩す。大したふらつきではなかったので一歩後ろの段へ足を下ろせば済むはずだったが、運悪く後ろに人がいたらしい。

 ボスっとその人物の腹部に背中を預けてしまい、慌てて離れお辞儀をする。まだ声を出すわけにはいかないので不便だ。

 先ほどのような面倒な酔っ払いだったらどうしようと思ったが、その人物は小さく舌打ちをしただけだった。

 ピシリとしたスーツ姿にオールバックの前髪。黒い髪に赤い毛先。首や頬に幾つかの傷。エリーより大きな背に鋭い目つき。まるで極道の面構え。

 アルベラのペースを待つのが面倒だったのか、その人物は狭い階段通路で追い越していく。

 通り過ぎ際「餓鬼が遊びで来る場所じゃねぇぞ」と、低く、小さく、どすの効いた声が頭の上から発せられた。

(………は?)

 聞き違いではない。小さい背がピタリと凍りつく。

 その後を、目つきの悪い男の連れなのか、3人の年齢層バラバラな男たちが通り過ぎていく。

「ったく、なんだあいつ………ただじゃおかねぇ………………………」

「ぁぁ………にくわねぇ……………………まさか『ツー』とはな」

「………けどきっと………いたら大笑いだろうな…………。 ん? おい婆さん、こんなとこで止まってたらあぶねぇぞ。息切れか?」

 最後の一人は通り過ぎることなく、アルベラに向けて後ろから声をかけてきた。

 アルベラは呼びかけに警戒し、フードの端を引き、深くあたまを潜らてからせふり向く。

 何ともガラの悪そうな小柄な中年男性がいた。

(小鬼みたいな人だな)

 もちろん彼のその額には角などは生えてない。歴とした人間だ。

 明らかに邪魔になる位置で脚を止めていたアルベラに向ける彼の目は、それを邪険にしていなかった。

 「ったく。仕方ねぇなぁ」と彼はこぼすと、アルベラの腰に腕を回し「ひょい」っと担ぎ上げる。

 米俵になった気分だ。

 階段の上にエリーが驚いた顔をしてるのが見える。

 まさか知らない男に担がれてるとは思わなかったのだろう。

 そのまま階段の上へと運んでもらうと、階段の横に退いたエリーが迎える。その奥、入り口の手前にはあの目つきの悪い男と他の仲間2人が待っていた。

「まあまあ、ありがとうございます!」

 エリーは急いで我が主人を階段の横におろす男へ声をかけた。

「え、あ?! まさかあんたこの人の連れか?!」

 アルベラを下ろした男はエリーを見て、自分が運んだ老婆を見て、慌てて老婆に尋ねる。

 頷く老婆に、男は「なんだ、連れがいたなら余計なことしたか? 悪かったな」と頭を掻いた。

「いえいえ。主人をありがとうございます。お心遣い痛み入ります」

 エリーの言葉にアルベラはこくこく頷く。

 男は「そうかい? じゃあ俺はもう行くから、婆さん、無理すんなよー」とへらへらしながら去っていった。

(ありがとう、善よき小鬼!)

 アルベラは無言で手を振る。

 エリーは4人組が扉から出ていくのを見送ると、アルベラへ視線を移し「さ、私たちも行きましょうか」と微笑んだ。





 外は思っていたよりも明るいく涼しい。そして薄く靄がかっていた。

(霧かぁ………。癖っ毛にはきつい…………)

 先程とは別の理由からフードを引っ張る。

 お嬢様自慢の緩いウェーブの艷髪は湿気に敏感だった。特にこんな感じの微細な水気は大好物だ。鬘の下、あのウェーブが爆発しているのではないかと不安になる。

 二人は店を出ると適当な路地裏へ入りフライに乗った時の格好に戻った。

 アルベラはピンクベージュの長いおさげの鬘に町娘の服とローブ。エリーは青いかつらを外し、派手なツケマと青い口紅、マニキュアを落としてナチュラルな仕上がりになっていた。

 今までの衣装はエリーの持っていたショルダーバッグに詰め込む。ちなみにこのバッグ、さっきの酒屋では一階に荷物を預けられる場所が有りそこに預けていた。

 その荷物に合わせ、新たに「薬」という荷物。見た目では分からないようそちらも衣装とは別のショルダーバッグにしまっていた。エリーは衣装の入った大き目なバッグと、薬の入った中くらいのバッグ二つを肩にかける。

「エリー、片方持つよ」

「あら、ありがとうございます。けど大丈夫です。片方はこれからすぐに置きに行きますから」

 そういうと、彼女は悪戯気に笑って口元に人差し指をたてる。

「例の『ちょっとだけ寄りたい場所』です」

「………?」

 アルベラはその言葉に疑問符を浮かべるが、その後、予想外の薬の預け場所に一瞬だが肝を冷すのであった。
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