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二章 水底に沈む玉
67、ドラゴンの巣の大滝 1-2(祠の番犬)
しおりを挟む目的の滝にはすぐについた。
滝壺の岩場へと行き、老婆に教わった場所を探る。どう見ても滝の裏に等入り込めそうな場所はなかったが、言われた通りひときわ大きな岩の、岸から見て一番手前の辺りの面を探っていたら小さな丸が五つ、花のように連なって彫られている場所があった。
ガルカがその中心を「タン、タタン、タン、タン、タン、タン………」と爪で叩く。叩くたびに小さな波紋のような光が広がって奇麗だな、とアルベラが見ていると岩場の上に音もなく足場が現れた。
はじめ、ガルカに「出たぞ」と言われたが、アルベラは目で詮索しても足場の存在に気づくことが出来なかった。それほどうまく他の岩の中に溶け込んでいたからだ。言われた通りの場所を目で追えば、人工物的な、長細い横長の石が等間隔で宙に浮き、滝の裏へと続いていた。
「へぇ。すごい仕掛け。こういうのって専門の職の人でもいるの?」
みた感じ、魔術具と同じような細工物な気がした。個人の魔法を流し込んで起動させているのだろう。
「いる。魔族でも人でも、こういった細工に特化した技術者はいるものだ。お前の街は知らんが、この国の南側にそういう輩が多かったぞ」
(この魔族、人の自分より人の世に詳しい?)
ホイホイと人に紛れて観光でもする質だったのだろうか? もしかして、だからまんまと捕まって父の奴隷になったのでは? とアルベラは考える。
大迫力の滝の裏。石の架け橋を渡りきると、下からの視線では見つからないような場所に横穴が出来ていた。穴の中に反響する滝の音を聞いて、アルベラは音だけで圧死してしまうのではないかと思った。
「あれだな」
声は聞こえないが、ガルカがそういったのは分かる。指さす方を見ると、穴の一番奥に木造りの小さな祠があった。体の長いドラゴンの彫刻が、透かし彫りのように装飾された小さな扉。シンメトリーに飾り付けられたそれは両開きになっており、彫刻の隙間から、両掌サイズの緑の玉が祀られているのが見えた。
アルベラはそのもとへ駆け寄る。
ガルカは入ってすぐの場所に置かれた灯篭に火をともした。穴の中が明かりで照らされたとたん、外の滝の音が小さく遠のいた。
祠の前、アルベラは壁や天井を見渡す。
「あー、あーーー。………すごい。ちゃんと声が聞こえる」
聞こえる自身の声には、穴の中独特の反響音もなくなっていた。
アルベラの記憶に、ふと街にあった酒場の地下のクラブが蘇る。あそこもただの木の扉を隔てただけで、見事な防音効果を発揮していた。もしかしたら同じような仕掛けだろうか。
「む?」
アルベラが防音技術に気を取られている後ろで、ガルカは祠の方に何かを感じ取る。
祠の裏から、黒い霧のような、液体のようなものがじわじわと滲み出ていた。
「おい、離れろ。コントンだ」
「は? コントン………」
ガルカを振り返ったアルベラは、生暖かく大きな風を全身に感じた。
視界が黒くなり、体の平衡感覚がなくなる。
「撫で付けられた」程度の体感の風は、アルベラの体を容易く持ち上げ、大量の落ちる水の壁へと一直線に吹き飛ばす。
どさっと、体が倒れたと感じた。
頭を上げたアルベラ自身、吹き飛ばされた事にも気づいていない。ただのその場に倒れて起き上がったつもりだった。
「ぐが、貴様!」
「きゃあ! 気持ち悪い!」
地面だと思って手をついた先が人の顔面だったものだから、アルベラはとっさについた手を離して上半身を飛び退かせる。
「おい! 気持ち悪いとは失礼―――んがっ!」
ガルカは苦しげな声を上げた。
上半身を起こしたアルベラの全体重が尻へと集まり、その下敷きになっていたガルカの腹部を圧迫したのだ。
「き、きさまなぁ………」
下敷きにされイラついてるガルカをスルーし、アルベラは辺りを見回していた。
(下敷きになったガルカ………目の前の滝の壁………うーん)
まさか、この魔族奴隷は、自分が滝つぼへと落ちるのを柵となって止めてくれたのだろうか?
アルベラはその場に座り込んだまま考える。
「おい、いつまで乗っている! 滝つぼに突き落とすぞ!」
ガルカは自分の存在を忘れたように真顔で考え込むお嬢様を睨みつけた。
アルベラは「あら、ごめんあそばせ」と言って横へとずれ、ガルカを開放する。
隣で身を起こしぶつくさと文句を言っている少年を見ながら、昨晩の記憶をよみがえらせる。
空から落とされ、血が滲む程に噛みつかれ、首を斧で切り落とされ。この男には散々痛い思いをさせられた。
それを思うと素直に感謝の言葉が出てこない。痛い思いをした代わりにそれなりの情報が手に入った事を思えば、プラマイゼロではある気もする。ここで宝玉が手に入り、屋敷にも無事帰れたなら若干プラスに偏りもするのだが………。
(もっと全面的に優しさを見せてくれれば、こっちも心を開きやすいのに………)と、ため息が漏れる。だがまあ、感謝をして損になることもないだろう。
本当は嫌だが仕方ない。
不満たらたらな本心が滲み出るような渋い表情を浮かべ、アルベラは腕を伸ばした。
「………うむ!」
「よくやった」と大将が部下にでもするように、ガルカの両肩を、両手でぽんぽんと叩いてやる。今の自分にできる精一杯の感謝の表しだ。ありがたく受け取ってほしい。
「おい、腹が立つ。普通に礼を言えんのか」
「………よくやった。褒めて遣わす」
アルベラは再度礼の言葉を述べるが、その顔には拒否反応が滲み出て皺が寄る。
その態度にガルカから「貴様な」という呆れと苛立ちの声がもれた。
アルベラは立ち上がり、服を払い振り返った。その顔にむわっと生暖かい風がかかる。
「………っひ」
目の前に迫った大きく黒い塊。それはよく見れば巨大な犬の鼻だった。
アルベラは息をのむ。
「コントンだ」
頭が大きく、毛が羊のようにゴワゴワとしていて長く垂れ下がった黒い犬。目の前のそれの名前だろう。
コントンは開けた口から「はっはっは」と犬っぽい呼吸音を漏らしていた。
長い毛でおおわれた目元。垂れ下がった耳。胴や四肢から引きずられた毛。まるでモップだ。
真っ黒な巨体の中、開かれた口から覗く鮮やかな赤だけが毒々しく目立っていて、その様は見る人に僅かながらの恐怖心を抱かせる。
「炎雷の魔徒め。番犬がいるとは聞いてないぞ」
ガルカのその声は妙に落ち着いていた。
正面を向いたまま動けないでいるアルベラへ、「気にすることはない」と彼は教えてやる。
「そいつは魔族には手を出さない」
「つまり、あんたには無害ってこと」
「いや、たぶん貴様にも―――」
「———?!」
―――ずりっ
アルベラの頬に犬の湿った鼻が摺り寄せられる。
目を離した瞬間に噛みつかれるのではと、気がきでないアルベラに、犬は「はっはっは」と舌を出し目の前でゆっくりと伏せた。
『主アルジノ ニオイ』
低く腹の底に響くような音が、どこからともなく聞こえてきた。この犬が喋ったのだろうか、とアルベラはまじまじと真っ黒な塊を見つめた。
「ほら、問題ないだろう。コントンはアスタッテに使える犬だからな。神に仕える者や、神の匂いの濃い者には牙をむき、神に反する者や、魔族や悪人には尾を振る魔獣だ」
「魔族に悪人………」
あの少年が神と喧嘩したと言っていたが、ならこの犬はその喧嘩の置き土産ということだろうか。
「にしてもなんで、こんな所に」
ここは神様の祠か何かではないのだろうか。神様の匂いを嫌う犬なら、なんでそんな場所にわざわざ居ついたのか。可笑しな話だ。
「こいつらは日差しが嫌いだからな。暗く涼しく、祠が抑えているのか、神の気も薄い。好みの環境だったのだろう」
「確か、炎雷のお婆ちゃん、ここって人も管理してるって言ってたよね。教会の人ならコントンは牙をむくんじゃない?」
「そんなもの、魔法や魔術で対処できる。それなりの使い手がいるなら容易いだろう。こいつが追い払われてないってことは、その人間どももこいつを番犬として利用してるってことだ。こいつがいれば、他の獣や魔獣がここを占拠することはないだろうからな。訪れたものはコントンの抑え方だけを把握していればいい」
「そう。そんなもんなのね」
アルベラは、自分を見つめているような犬へ、警戒しつつ手を伸ばした。
コントンは向けられた手に反応を示さず、ただ触れられることを受け入れる。
その毛並みはみためほど固くもごわついてもなく、手を通せば軽く透け、冷たい霧を撫でてるようだった。霧のようだが、ちゃんと血肉も感じる実態もある。不思議な生き物だなと思いながらその毛並みを数回堪能した。安全性を十分に確認できたアルベラは、奥の祠へ目を向ける。
炎雷の魔徒からは、宝玉を貰っていってもいいと承諾を得ていた。なら、あの網目状の扉の向こうに見える緑の玉を持ち出せば、今回の目的は達成だ。
あの球が何なのかは後で調べればいいし、分からなくても王子の手に渡る事を回避さえできれば何でもいいだろう。
アルベラがコントンをなでる手を止め足を踏み出す。
その時。
大きく黒いその犬は、のそりと首を持ち上げて滝の方へ顔を向けた。長い毛におおわれた額がわずかに動き、真ん中から割れたかと思うと縦向きに開いた大きな目がぎょろりと現れた。白目の部分が赤く、金色の瞳の巨眼。
アルベラは黒い犬の気味の悪い変化に呆気にとられる。
なぜその犬がそうなったかより、突然額に現れた犬の目がどうなっているのかばかりに気をとられていると、急に首もとが締まる。後ろから何かに引っ張られたのだ。
後ろに傾ぐ感覚に「またか」と、自分の甘さに呆れた。とっさにガルカを見るが、ガルカもあっけの事に軽く目を見開いて驚いた表情を浮かべていた。
「え………?」
あんたじゃないの? と、奴隷の悪ふざけとばかり思っていたアルベラも、驚いて目を見開く。
「ちょ、ガルカ―――」
ばしゃっと水の壁を割って、アルベラの姿はその向こうに消えた。
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