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二章 水底に沈む玉
97、玉の行方 4 1/2(気だるい誕生日)
しおりを挟む整えられた芝生に生け垣。設けられた柵の先に広がる都。
ジーンはベンチに座り、城の三階に設けられた庭園から、王都を眺めていた。城の各階の天井は、通常の家屋よりも高い。とりわけ、一階部分は一般家屋の3倍以上の高さはあるので、この庭からの眺めは、ちょっとした塔の上から見るような代物だっだ。
オノディ、一の月の5の日。時間は学校の授業が終わった後。空はオレンジに紫色がにじみ始めていた。
(今年も来たか………)
気だるげな表情で肩を落とす。
―――ラツィラスの十三の誕生日。
自分は三か月前に十三を迎えていた。ここに来た始めの頃は、ザリアスとカザリット、ラツィラスが家でささやかな誕生日を開いてくれてたのだが、十歳の誕生日からは訓練所の仲間や兵士達も加わり、酒屋で祝ってくれるのが常となっていた。もちろん、自分も他の仲間たちの誕生日を祝う。それは決まって兵達の行き付けの「酒の実」という酒屋で行われた。
机をいくつか陣取り、誰が注文したとも知れない飲み物や食事が次々と置かれていく。関係のない客も、酒とめでたい空気に酔って、その日の主役に祝いの言葉を投げかける。
ジーンは、あのざっくばらんな誕生日会が結構好きだった。
(あいつの誕生日も、酒の実でやってくれればいいのに)
今日のために仕立てた晴れ着。その首元に、もう少し緩めの空間を作れないかと指をひっかける。毎年毎年、サイズが変わってしまい新たに作らなければいけないのがもったいなかった。
今年はクラスメイト達の目もあるので余計に気を張る。去年迄はまったくの赤の他人だと思っていたご令嬢やご令息が、今年は翌日になれば、また顔を合わす間柄なのだ。
(これも騎士になるため、か)
自分はただの雑用であり護衛だ。王子が暇しないよう、寂しくないようにと、王が拵えたに過ぎない―――と、思うこともできるが、それは都合のいい逃避だ。
自分は自分の意志でここにいる。そうである以上、ちゃんとその役目を果たそう。
「よし」
気合いを入れるように拳を握る。
そう。ただ挨拶をし、適度に愛想よくし、そしてほどほどに踊ればいいのだ。
―――『断る!!!』
ジーンはベンチの上で眩暈を起こす。
(………嫌な事思い出した)
片手をベンチに立てて体を支え、片手を額に当てる。表情は祝い事の前だというのに暗い。
「お待たせー」
渡り廊下からラツィラスが現れた。もう身支度は出来ているようで、赤と青と金のラインの入った晴れ着を着ていた。
「ん? どうしたの。気分が悪そうだね」
ラツィラスは顔色の悪いジーンへ、あまり心配していなさそうに笑いかける。
ジーンは重い上半身を起こす。
「お后様、どうだった?」
ラツィラスは苦笑した。
「今日はいつもより、少し調子いいみたい」
「そうか」
ジーンは城の壁を見上げる。
もちろんここから目的の部屋は見える事はないが、病に伏せるこの国の后の部屋を思い出す。
最後に見た彼女の部屋は、外から入り込む光で、バルコニーへ続く大きな窓ばかりが白く明るかった。それ以外はすべが薄暗い。影が落ちた室内。まるで喪に伏しているようだった。
ジーン自身は、彼女とは年に数回、顔を合わすかどうかだ。
ずっと虚ろな表情で手元を眺め、ラツィラスの声や姿に気づくとわずかにほほ笑む。そして嬉しそうに、消え入りそうな声で息子の名を呼ぶのだ。
自分等、その視界にはまったく入っていないようだ。もしかしたら彼女は、いまだに自分の名前どころか存在も知らないのではないだろうか、とジーンは思っている。
「大事な挨拶も済んだし、さっさと行っちゃおうか」
「………ああ。そうだな」
ジーンは立ち上がり、会場へと向かう今日の主役の後を追う。いつもより固い靴底が、タイル張りの床に音を立てる。すぐに絨毯の敷かれた場所に出て、今度は踵が普段より強く絨毯にめり込むような感覚に代わる。
「ふふふ。気乗りしないって感じだね」
ラツィラスが悪戯な表情を浮かべ振り返る。
「けどダメだよ。ちゃんと僕の護衛してもらわないと。それに、ダンスの約束だってしてるんでしょ? ちゃんと約束は守らなきゃ。今夜の君の仕事は、立派な騎士見習い様を演じる事だ。よろしくね」
「立派な騎士見習いって何だよ………」
普段ならもう少し、ラツィラスの言葉に乗って返したかもしれない。
だが今日はいつもより気分が乗らないのだ。投げだせるなら投げ出したかった。頑張ろうと思うが、色んな雑念が、不安がぬぐい切れない。
「………ダンスの約束か」
ジーンは昨日や今日のことを思い出す。学校の休憩中や、放課後、寮の夕食の時など。同級生や他学年のご令嬢から、ダンスのお誘いを受けたのだ。もちろんラツィラスと共に。そのほとんどはラツィラスのみに声を掛けて去っていったのだが、たまに、遠慮気味にジーンへも声を掛けてくる者達がいた。おずおずと、又は落ち着きない彼女らの様子に、ジーンは、ラツィラスに声を掛けた手前で自分に気を使ったのだろう、と思っていた。
「はぁ。………俺、気を使って席を外すべきだったな」
「ジーン。それ、結構ひどいよ」
ラツィラスはくすくすと笑う。
「ひどいも何も、」
「いいかい」
強めに言葉をかぶされて、ジーンは口を閉じる。
「女性から声を掛けてくれたんだ。彼女らの勇気を無下にしたらだめだ。しかも人の好意を無下に扱うなんてもっての外。目を背けて逃げるなんて、僕のお付き失格。騎士の名折れだよ」
「そりゃご厚意を冷たくあしらうつもりはないけど」
「ちーがーう!」
ラツィラスが言葉と共に、立てた人差し指を揺らす。
「君が言っているのは情けや温情の『厚意』。僕が言っているのは好き嫌いの『好意』」
「は?」
斜め後ろから聞こえていた、歩みと共に鳴っていた剣の音が止まる。ラツィラスは後ろを振り向き、ジーンが立ち止まっているのを認め足を止めた。
「ん?」
ジーンは目を見張っていた。困惑し、今しがたのラツィラスの言葉の意味を飲み込めないでいるようだった。否定したいという気持ちの表れなのか、眉間にじわじわと皺が出来上がっていく。
「俺が王族じゃないの、みんな知ってるよな?」
「うん。クラスメイトは知ってるよ。自己紹介でジーン自ら教えてあげてたじゃない。多分、他クラスや他学年にも伝わってるんじゃないかな」
「………じゃあ、それって」
「そう。勘違いじゃないよ」
ジーンはむすりと黙り込む。
「あーあ。楽しみだな~。君が皆にどう翻弄されるのか。顔を真っ赤にして恥ずかしがる姿とか見せれば、逆に好感度アップなんじゃない?」
「お前………そうだったな。悪趣味王子」
「こらこら。いじけないでよ? こうなったの僕のせいじゃないんだから。君をダンスに誘ったのは、彼女たちの意思だよ。———ジーン。王族、しかも僕のお付きなんだ。人の目を引くのは当然。人の目が多く集まれば、敵意だけじゃない。異性から好意だって向けられることはある」
周囲に「年頃」が集まった日には、それはもうなおさら。
「………ん? なら同性からもあり得るか」
「おい。気持ち悪いこと言うなよ。てか、その理由なら結局お前のせいじゃないか。お前が人目を引いたから、俺に被害が出たって事になる」
「え~。それはどうかなぁ~」
くすくすと笑い、また歩き出す主に習い、ジーンも小さく悪態をつき歩き出す。
後ろからお付きが付いてくるのを音で確認し、ラツィラスは困った笑みを浮かべた。
自分は好意を向けられることに慣れている。が、お付きの彼はそうではない。自身を「差別の対象」として、強く認識しているのも、受け入れているのも知っていた。「ニセモノ」であるからこそ、「敵意」に対する耐性は、彼が生きてくうえで自然と身についていったようなものだった。
その反面、「好意」への免疫はあまりない。ザリアスやカザリットのような、兄貴分や同僚からの「好意」はともかく、貴族の異性からの「好意」は、今まで向けられることなどなかったのだ。あったとすれば、それはまず勘違いで、彼女たちはジーンが王族でないと知ると、大小なり白けた空気を出した。
今まで他の貴族の挨拶に行った際など、ご令嬢やご子息の相手は殆どラツィラスに丸投げだった。相手が殆どの興味をラツィラスに向けていたので、その空気を読んだ結果でもあったのだが。これからはもう、そうはいかないのだ。もう脇役面で逃げる事は通用しない。ジーンは「個」として、クラスメイト達と、其々の関係を築いていかなければいけない。
「頼むよ、騎士見習い様」
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