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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)

200、 皆の誕生日 5(ジーンと愚)

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 足を一歩踏み出し、アルベラはふと脳裏に浮かんだ絵面に足を止めた。

(うん……? もしやこれは……これはあれか。この世界……いや、国? の、作りに元ネタがあるわけで、それが乙女ゲーなわけで……そういうのの鉄板的に私が迂闊に手を伸ばせば気配に敏感な騎士様が目を覚まして『ぱしっ』って手を掴むやつか……? あと、近づいた段階で目を覚ましていて泳がされて『人が寝てる間に何やってんだよ』の奴とか、刺客と間違えて急所とか抑えられて急接近な一枚絵ゲットな奴とか……)

 等と乙女ゲームや少女漫画にありそうな流れを考え、アルベラは「ふむ」と腕を組む。

(いや。いやいや。ああはならんか。そもそもジーンはそういうキャラじゃないし。目が覚めてるのに寝たふりして異性の隙誘って手を掴むとか……。ははははは。ナイナイ。幾ら私が見目麗しかろうと美しかろうと彼の性格的にない。ルーやウォーフならやりそーだけども。……あ、けど急所抑えるのは無きにしもあらず……?)

「……ふむ」

 アルベラは腕を組み、少し離れた場所にある席を眺める。

 何か考えるような顔で首を傾げ小さく微笑むと、気配も音も隠す気もなく堂々とジーンの席へと向かった。





 ふんわりとした心地の良い感覚の中。ジーンはふと自分が眠っていた事に気づき瞼を持ち上げる。

 舟をこぎ始めた頃に、すでに眠りの縁にあった意識で「いっその事もう寝てしまえ」と十五分用の砂時計をテーブルの真ん中に置いていた事を思い出した。

 知らせを感じなかったという事は砂時計が落ちるより早く目が覚めたのだろうか。と、のそりと顔を上げる。

 ぼんやりとした頭で、何となく人の気配を感じ横へ目をやった。

 緑の瞳と目が合う。

「……」

「……」

 席から数歩離れた場所。

 アルベラが腰をかがめている。それは自分を覗き込もうとしかけて、途中で動きを止めたかのような体制だった。

 彼女の目は淡く緑に輝き、毛先も僅かに水色の光が灯っていた。

 その片手には、護身用の物なのかナイフが。もう片手にはよくわからないが、黄色の液体の入った香水瓶が握られていた。

 物凄く……反応に困る光景だ。

(黄色。痺れの効果だったな)

「……」

 ジーンは目を据わらせアルベラを見つめ返す。

 その瞳と髪が不機嫌度を表すようにふつふつと赤く輝き始めたのを見て、アルベラは「すっ」と背筋を伸ばした。

 ごそごそとナイフと香水瓶を仕舞い、全てなかった事にするかのようにぱっぱと手をはたき、何もなかったかのようにお嬢様スマイルを浮かべる。

「おはようございます、ジーン様」

 ジーンは防音の魔術具であるランプの電気をきり「今のは?」と尋ねた。

 にこり、と微笑み返すだけの彼女。

「今のは?」

 ジーンは再度尋ねる。

 アルベラは圧の込められた視線に小さく肩をすくめ口を割った。

「お話とかみたいに、騎士様が殺気とかそういうので目を覚ますものか試してみたの。凄いわね。本当に起きたわ」

「偶然だ」

 「……そんな事かよ」と彼は呆れた声を漏らし、背筋をぐっと伸ばした。

「大体、殺気も何もなかったぞ。殺す気もなく素人がそんなもん出せるかよ」

「なるほど。次は本気で殺意を持ってやれというアドバイスね」

「どうしたらそう聞こえるんだ……。ていうかお前、寝てる人間見つける度そんなことしてるのか?」

 ジーンは頬杖をつき、むすっとした目をアルベラへ向ける。

「まさか。気分次第よ」

「気分ではやるのか……」

「ええ、今がそうでしょ?」

 アルベラは悪びれも全くなくにこりと微笑んだ。

「素通りしようか普通に声をかけようか悩んだんだけど折角だったから。……ていうか、それってつまり、殺気を感じたら本当に起きれるって事?」

「折角って何だよ……。絶対ではないけど起きる時は起きるな」

「へ、へえー……」

「起きなかったらどうしてたんだ?」

「あら、そしたら素通りしたわよ。寝てるの起こすのも悪いと思ったもの」

「なら始めから素通りしてくれって……」

 テーブルの上では丁度砂時計の砂が落ち切ったようで、砂時計の台となっている部分が光り、砂時計を心にパチパチと微細な電気の波紋が広がっていた。電気は触れてもくすぐったい程度で危険はない。目で見ていても、目を離していても、利用者に時間の経過を伝える仕掛けだ。

 ジーンは砂時計を横向きに寝かして置き、使用を終了させる。そのまま腕や肩を伸ばし、盛大に出そうになった欠伸をかみ殺した。そして髪を軽くはたきながら、寝癖がないか確認する。

「勉強か?」

「いいえ。気分転換にね。散歩ついでに本を返しに来たの。貴方は勉強してたのね。誕生日行って……訓練にも行って?」

「まあな。訓練の方は本当に軽くだけど」

「そう。お疲れ様」

 手元からずらして退けていた勉強道具類を整え直し、ジーンは「はっ」とすると警戒するような目をアルベラに向けた。

「まさか、髪取ってないだろな……?」

 アルベラは小さく噴き出す。

「さあ、どうかしら?」

 そうだ。彼にはそんなトラウマもあったなと、思い出す。

「やめろよ。次俺の素材であれやったら、お前の魔法について城に報告する事も本気で考える」

「はいはい。やりませんわよ。安心してくださいませ」

「本当に、絶対やるなよ」

「大丈夫ですって」

 ジーンは息をつき、開いていたまま邪魔にならない位置に退けていた本を見下ろした。赤の視線と緑の視線が同時に一点に集まった。

「それ、愚ね」

 アルベラの呟きに、ジーンは「ああ」と頷く。

「知ってるんだな」

「ええ、まあ……。知ったのは最近だけど。人に教えてもらってね」

「そうか」

 ジーンは目を伏せ、閉じかけた本を開いたままにする。

「考査の予習でしょ? 貴方の先行した授業の試験にそれが出て?」

「いや。試験とは……」

 そこまで言って、彼は「座れよ」と正面の椅子を見た。防音のランプは席に着いている者達にしか関与しないのだ。

 アルベラは「失礼」と言いながら椅子へ座る。

 ジーンはランプをつけ話し始めた。

「試験とは関係ないんだ。前期休暇、もしかしたらこれを討伐しに行くかもしれない。まだ分からないけどな」

「愚の討伐……。団のお仕事?」

「いや。どっちかっていうとラツの務めみたいなもんだ。王様に言われたんだとよ。見ておけって」

「へぇ。王様が」

 アルベラは冒険者たちから聞いた愚の話を思い出す。

 人から作られる哀れな魔獣。

 きっと被災地を見に行くような物なのだろう。どんな被害があるのか。そこにどんな不幸があるのか。王様が我が子に見せたいのはきっとそれだ。

「この愚って奴、凄い厄介なんでしょ? 人によっては悲しさのあまり手が出せない、みたいな話聞いたけど」

 足がすくむのではない。恐怖よりも先に悲しさや憐みが襲い掛かってくるのだという。

 ジーンの目が細められ、ランプの明かりに照らされて細い光が瞳に走った。

「ああ……。可哀そうで仕方ないんだ。なんで救ってやれなかったのかって……なんでこいつらはこうなんだって……」

(見た事あるのか……?)

 と思う物の、アルベラは続く言葉に耳を傾ける。

「こいつらを倒そうとする時の感覚は、自分の家族だか、友人だか、恋人だか……そういう大事な誰かを手に掛ける感じと似てるって言われてる。哀れで仕方ない。けどやらなきゃいけないって。殺したら殺したで、自害したくなるほどの絶望感が突発的に沸き上がってくるんだと」

「なるほどね……」

(言葉で聞いても全くわからないなぁ……。どんな感覚なんだか)

 普通の魔獣より退治しずらいという事は、話に聞いて良くわかったのだ。

 攻撃自体がしずらい上にかなりしぶとく、体を半分にしてもジタバタと動く部位を振り回し暴れまわる。

 アルベラにはそれらの話から大まかに危険だと認識できても、その「可哀そう」で手が出せないと言う感覚が想像しきれないでいた。

(初めて会う魔獣に、ペットや家族を手にかけるような感覚……。こんな、明らかに化け物みたいな形の物に……? 急に情でも湧くような魔法でもあるのかな。いや……精神異常をきたす物質を振りまいてるとか……)

 本を見つめて考える彼女の姿に、興味があるのかと思ったジーンが尋ねる。

「見たいとか思ってるのか?」

「機会があればね。ガルカが居れば対策もとれなくないと思うの」

「……なるほど。そうか。魔族が仲間に居れば怖く無いかもな。……アイツ借りれたら退治も楽かもな。その場合、団の人間の言う事をきいてくれるかが重要だよな……ていうか、あいつらって愚を退治できるのか?」

 人間と同じく悲しくなったりはしないのかと言っているのだ。

「人と同じかは分からないけど、悲しくはなるそうよ。哀れとも惜しいとも、壊したくないっていう抵抗感があるんですって。……けど」

 アルベラは呆れたような、薄い笑みを唇に乗せる。

「その感覚を振り切って殺すのが楽しいって言ってたわ。それを味わうために簡単な、安っぽい愚を作るような魔族もいるほどだって」

「そうか。あいつら魔族らしいな」

 ジーンは怒りも呆れもない顔でそう返す。

「前期休暇ね……。大変ね、お休みはお休みでお仕事とは。それとも訓練と団のお仕事で楽しみで仕方ない?」

「楽しみに決まってるだろ」

 彼はくつりと笑う。

「勉強は勉強で楽しいと思う時もあるけど、休みが楽しみじゃないはずない。団の訓練も、騎士としての仕事も、普通の休みも、全部楽しみだ」

 頬杖を突き、どこともなく本の背表紙が並ぶ棚を眺めるジーンの瞳に、くるりと少年らしい光が灯った。

「―――……」

 「全部楽しみ」と当然言い切った彼の希望に満ちた言葉にアルベラは眩しさを覚え、「ああ、そっか」と思った。

 彼等には目標や信念があり、そのために毎日、毎時間、毎分、毎秒を精一杯、大切に味わいながら生きているのだ。

 前からそうだったではないか。

 はいつでも強くて真っすぐな存在だ。

 ふとした時に、過去の自分がいつからか失った素直さや直向きさ、晩年惜しくて欲しくして仕方なかった軸や芯と言った物を思い出させてくる。これ見よがしに見せつけてくる―――。

 そんな彼等と居ると、何となく、アルベラには自身がランプに群がる蛾の一匹のように思える時があるのだ。



『お前も大分気を許したように見えるけど……あいつが自分の素性を素直に話してくれるようになって絆されたか?』

『……色々……積み重なって絆されたの』



(絆された……よなぁ……)

 今日のルーとの会話を思い出し、アルベラは深く息をついた。

(こんな些細なことで……。……今の私だってぴちぴちの十五歳だっての……もう少しで十六になるけど……)

 「しっかりしろよ」と両手で力いっぱい頬を叩きたかったが、ジーンがいるのでそれは我慢だ。

 彼女がついた深いため息に「どうした?」とジーンが尋ね、アルベラは「いいえ。なにも」と答える。

「お前は休みどうするんだ?」

「旅行へね。多分二週間ほど」

「遠出か」

「ええ。護衛もばっちりだし、お爺様の方から騎士も派遣されることになったし……」

 自分も自信一杯に「休みが楽しみでしょうがない」と言ってやろうと思ったが、アルベラの気持ちは思い出した旅路での稽古とやらに引っ張られてしまった。

「…………ああ、ほんとうたのしみ……………………」

 どんよりと陰る彼女の瞳に、「嫌そうだな」とジーンが見たままの感想を告げる。





 開いたままの本。

 描かれたモノクロの細密画。

 ジーンは何の気なしにそれを見つめてしまっていた。

「ねえ」

 何だ、と言葉に出さず彼は顔を上げる。

「貴方は見た事あるの? 愚」

 ジーンは再度挿絵に視線を落とした。

 その顔が一瞬、懐かしそうとも悲しそうとも、はたまた怒っているようにも見える複雑なものとなる。

 「ああ」と彼は頷いた。

 頬杖を突いたまま、赤い瞳は適当な場所に向けられた。

「小さい頃に一度」

「ある、のね……」

(……)

 あるかないか。それだけを聞きたかったアルベラは、「ある」と聞いてその後の言葉に少々迷った。

(なぜ愚にあったのか……どういう状況だったのか。聞いても大丈夫だろうか……)

 もしも目の前の彼が、愚の被害者だったとしたら、身近な誰かが被害者だったとしたらどんな空気になる物か、と。あんな質問投げかけておいて、自分が何を聞きたかったのか分からなくなった。

(考えなしに訊くんじゃなかったな。ここは無神経貫いてづかづか踏み込むか……? 話ふっといて急に止める……? ………………いや。当たり障りない辺りを)

「愚は本当にこんな形を? 貴方も悲しくなった?」

 いつどこで会ったかには触れず、アルベラは視線で本を示す。

「ああ。大体同じだ。個体差はあるみたいだけどな。俺が見た奴も、多分……これと全く同じではなかった」

「そう」

「悲しかったのは確かだ……けど……」

 ジーンは思い出すように遠くを見た。





 悲しかったのは愚のせいなのか。そこにあった顔のせいなのか。今でもよく分からなかった。

 あの頃、幼い自分が見た愚は下から見上げた巨大な肉の塊だった。落ち着いて遠くから見たわけでもなく、そのちゃんとした全体像など正直覚えていない。

 窓の外から覗く沢山の顔。沢山の腕。

 その中に自分の両親の物があって、が自分の名を呼んでいて、手を伸ばしたいのに伸ばせず、今まで感じた事のない悲しみと絶望感に固まってしまったのだ。

 ―――『悲しい』『可哀そう』『助けたい』『悲しい』『酷い』『何で』『悲しい』

 沸き上がり押し寄せる感情の中、頭はやけにはっきりとしていた。

 「哀」で埋め尽くされた体の中に、唯一「哀」とは別の、確信の……絶望させる言葉があったから。

 ―――『お父さんとお母さんはもう駄目だ』『戻ってこないんだ』





 沈黙。

 アルベラがちらりとジーンを見れば、彼は不機嫌に見えるような表情で本の挿絵を見ていた。

 もう見慣れたので分かるが、彼のこの顔は不機嫌でも何でもない。ただの素の表情だ。さらに細かく示すならば、今は何か考えている時の顔である。

(もうさっぱりと話題変えちゃう方が楽かな……。それとも、もう席を離れた方がいいか……)

 愚について、ガルカも作れるそうだだとか、知り合いの魔徒も過去二体作って脱走されて、一体は村を半壊させて人間に討伐されたそうだとか、もう一体は崖から転げ落ちて死んでいたようだ、だとか。八郎相手なら気軽にそんな話もしていたかもしれない等と考えつつ、アルベラは顔を上げた。

 ジーンもすっと視線をあげる。

 何ともなさそうないつも通りの落ち着いた瞳で、落ち着いた声で、世間話をし始めるように彼は口を開いた。

「俺の故郷、そいつに襲われたんだ」

(は……)

 口を薄く開いたままアルベラは固まる。



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