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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
207、 皆の誕生日 11(交換こ)
しおりを挟む飲み物の交換を持ち掛けられたユリは、不思議そうにグラスを持ち上げた。
「う……ん。いいけど……」
(けど、私が一度受け取った奴で良いのかな。マナー的には新しいグラスを私が貰いに行く……べき……?)
ユリの視線が自分の手にしたグラスと、アルベラのグラスを行き来する。
中の実はアルベラのグラスの物は浮き、自分の物は全て沈んでいた。
(さっきのボーイさん、アイスベーリーの中でも希少な種類だって言ってたっけ。だから数量限定で配ってるって。……アルベラ、これ飲みたかったけど配ってる人見つけられなかったのかな?)
このグラスを配っていた人物をこの会場から探し出せるだろうか。
そしてその頃には数量限定のグラスは残ってるだろうか。
ユリは「確かに、これあげた方が確実かも」と思った。
「ごめんなさいね。とても不躾だとは思うのだけど。……ああ。私とした事が、平民の方から物を取ってしまうような事をして心苦しいわ……。けどほら、どうしてもそれが欲しくて、こっちじゃ駄目なの。今の気分がそちらなの。人の気持ちって移り気ですものね。本当、すぐにコロコロ変わっちゃって困るわ。けど仕方ないわよね。こういう時ってどうしてもあるもの。生理現象ってやつかしら? あなたもきっとあるから分かるわよね? ねえ、ユリ」
アルベラは頬に手を当て、「はんなり」とした口調で適当な言葉を並べ立てた。言い終えた後にニコリと、華々しい笑みを浮かべ圧をかける。
その台詞の演技臭さや有無を言わせぬ笑みに、ユリの後ろで他の特待生たちが引いていた。
スタッフィングの件もあった後だ。先程の坊ちゃん同様お嬢様の放つ、「貴族ですが何か?」な
空気に、特待生達は胃もたれする気分だった。
そんな彼らの表情を見て、アルベラは満足感を得ていた。
(いい感じに『お嬢様』できたみたい。さて、後は貴女の返答だけど……何でもいいか。断られたら奪い取るまで)
お嬢様の微笑みに、ユリもニコリと笑い返した。どこか嬉しそうな子犬のような笑顔だ。
(『少数限定』って言葉、やっぱ最強なんだなぁ。ふふっ……)
アルベラが並べた言葉を単なる照れ隠しと受け取り、ユリは気前よくグラスを差し出す。
「良いよ。じゃあはい。交換―――」
アルベラは手早くユリのグラスと自分のグラスとを入れ替える。
「ありがとう嬉しいわ。では私はこれで。皆さん楽しい時間を」
お嬢様の手際の良さに、周囲の反応はワンテンポ遅れた。
ユリがグラスが取り換えられている事に気付いた頃には、既にアルベラは目の前から消えていた。
(……?! 早!!)
今はもう人の合間にかろうじて捕らえられる状態のアルベラの背に、ユリは目を瞬く。
「うげぇ。何だったのあれ……。お嬢様が人の物欲しがる? いじきたなーい。新しいの貰いに行けばいいのにぃー」
ヒフマスがアルベラの去っていった方を見て「ベー」と舌を出した。
そんな彼女の頬をテンウィルが摘まみ上げる。
「ほら、はしたないよ」
「ご、ごめんなひゃい……」
「本当、何だったんだろうね」と苦笑交じりにテンウィルが呟いた。ユリは「だね」と、それに苦笑で返した。
ユリは、緑の瞳が終始グラスを見張るように見ていたのを思い出す。
相変わらず、貴族の立ち居振る舞いと言う奴のせいか表情は読み取り辛らかった。が、平民の特待生組を馬鹿にしたり嫌ったりする貴族たちが向けてくるような、敵意や悪意のようなものは感じなかった。どうしてもその感覚の後には「多分」や「ような気がした」という曖昧な言葉がついてしまうが。
(本当にどうしても、あれが飲みたかった……て、だけだったのかな……?)
―――『ねーねー。そっちがいいー。ユリのおやつの方が美味しそー! 交換しよー!』
ユリはクスリと笑みをこぼした。
(そういえば、ついこの間まではよく姪っ子に食べ物とか飲み物の交換ねだられてたな)
もしかして、今の出来事はあれと同じ物だったのだろうか。
(だといいな。……うん。それでいいか)
何となくその方向で納得し、ユリは交換したグラスに口をつける。
炭酸が口の中ではじけ、口の中にベリーの香りが広がる。
「……美味しい」
友人の不可解な行動はともかく、その飲み物の味に表情は綻ぶ。
(もう少しちゃんと話したかったけど……それは今すぐじゃなくても良いよね……)
ベリーが溶けていく様子と、それに伴って薄い青紫に変わっていくグラスの変化を楽しみながら、ユリは友人達との楽しいパーティーに気持ちを向けた。
(ふん……。どうするかと思えば。なんの解決にもなってないではないか。…………いや。多少はマシになったか)
ご令嬢達を誑かしながら、ガルカはアルベラとあのオレンジ髪の少女とのやり取りに口端を上げた。
「あら、どうかなされて?」
ガルカの体にもたれかかる様にして話していたご令嬢が、金の瞳の向けられる先を辿った。
「あのドレス……去年私達の同級生のレドンが着ていた物よね」
「あら。通りで見覚えが」
「あの子特待生ね。可哀そうね、ドレスを買う余裕もないんだわ」
「そうねぇ。このドレス、もう着るかもわからないし譲って差し上げようかしら。……あら、けどサイズが少し合わなそうね……」
自分の豊かな胸に手を当て、「私ではお力になれなそうですわ」と彼女はわざとらしく息をつく。
「ガルカ様はああいった幼さの残る子がおこのみなのかしら?」
他のご令嬢が尋ねる。
ガルカはさわやかな笑みを浮かべ、そのご令嬢の髪を掬い上げた。
「いいえ。あのような子供臭い……おっと」
口が滑ったと言わんばかりに彼は口を紡ぐ。
お嬢様方は自分達の求めていた言葉に嬉しそに笑った。
「失礼……私には彼女の匂いは合いませんもので。……それに比べ、皆さんは何と香しく美しい……」
ガルカは手にしたご令嬢の髪に口づける。
彼女は「まあ、」と頬を染め、うっとりとその使用人の青年を見つめた。
(ちょろいものだ)
ガルカは内心でほくそ笑む。
(さて。……あれはあの後どうなるか)
彼はユリを視界の端に捉え、目を細めた。
(ふう。ミーヴァの奴が席を外してたのは幸運だった。お陰であっさり解決じゃない?)
ユリから離れたアルベラの足元にコントンが戻ってきていた。
『イタヨ』
聞こえた低い声。
(はや……)
コントンに小声で礼を言い、続けてアルベラは普通の声音で、彼女が今どこにいるのかも知れない状態で「エリー」と呼びかけた。
すると何処から聞きつけたのか、人の間を抜けて当然とエリーが姿を現す。
(この聴力よ……)
「コントンと……」
「ディオール様」
エリーに指示を出しかけた時、聞きおぼのある少女の声がかぶさった。
アルベラは正面にいた人物に気付き「あら、ごきげんよう」と社交の笑みを浮かべた。
アルベラの前に居たのはイチル・ニコーラだった。
彼女は多分、アルベラとユリとのやり取りを目撃していたのだろう。苦笑交じりのあやふやな表情を浮かべていた。
「ごきげんよう、ディオール様」
ニコーラは恭しく頭を下げた。
顔を上げた彼女が口を開く前に、アルベラは「失礼」とエリーを振り返り、「コレを配ってた人を捕まえて。済んだら私に連絡を」と小声でつげた。
目的の人物の元にいつでの行ける状態でスタンバイしていたコントンが、アルベラの影からエリー影へと移動する。
エリーは何も訊き返さずに頷くと、コントンが誘導するままエントランスへ続く正面扉へと歩き出した。上品に、しかし足早に。
(配ってた人、まだ校舎にいるのか? ……まあ、どこにいようとあの一人と一頭からは逃げられないか)
アルベラはニコーラへ視線を戻した。
「失礼。使用人に少し頼みごとをね。あら……」
ニコーラが自分の手元を不思議そうに見つめている事に気付き、アルベラはグラスを軽く揺らす。
「……もしかしてあなたもこれが欲しくて?」
ニコーラは「いいえ」と困ったように首を振った。
「そちらはディオール様の物です……。私が頂くわけにはいきません」
「そう? 良かったわ。どんなに頼まれてもあげる気はなかったから」
ニコーラは字面だけ見ると意地悪なはずの言葉に、全く不快感を感じなかった。
「そうですか」と笑みを溢す。
(ええと。早く本題を……)
彼女は躊躇いながら胸の前で両手を組んだ。そのまま暫し沈黙したかと思うと、意を決した様にアルベラを見上げる。
「あの……不躾で申し訳ありません。ほんの少し、お時間を頂けないでしょうか?」
随分とあざとい上目遣い。彼女ニコーラが物語のヒロインだと言われても納得してしまうような姿だ。
(多分無意識なんでしょうけど……破壊力えげつないな……)
「ええ、いいけど……」
「これはこれは、ディオール様ではありませんか? そちらは特待生の……。こんな美人がお二人、会場の隅でどうされました?」
アルベラとニコーラに、二人の上級生が声をかけた。
(次から次へ。真面目に対応してたらエリーの所行くの遅れるな……おっと……)
持っていたグラスを口に運びそうになり、アルベラはさっとグラスを下げた。
(この危険物もさっさとどこかにしまわないと)
グラスに気を取られているアルベラの手前、先輩方は自分達の自己紹介を済ませていた。
彼らはニコーラの記憶にある顔で、中等部から高等部へと上がってきた二年生だ。
特待生仲間達と居た時も、離れたところからチラチラとこちらの様子を伺うように見ていたのを思い出し、ニコーラの体は自然と緊張する。
彼等は「良ければ自分達と少し話を、踊りを」と、ニコーラと面識がある事を言葉の端々に表しながら誘いの言葉を口にする。
彼らの言葉をまともに耳に入れていなかったアルベラは、ただ艶やかにほほ笑む。
まるで花の香でも漂ってきそうなその笑みに、二人の先輩は言葉を忘れ息を飲んだ。
「声をかけていただきありがとございます。ですが、今は二人で大切な話をしていた所でして……」
公爵のご令嬢は心を痛めたような表情を浮かべた。悲し気に潤んだ瞳へ睫毛の影が落ちる。
アルベラは最後まで言葉を言わずに二人を見上げた。
彼女の視線に彼等は我に返り、慌てて口を開いた。
「い、いえ。そうとは知らず声をかけてしまい申し訳ありませんでした!」
「私共は退散致します。どうぞお話の続きをなさってください。お邪魔してしまい本当に申し訳ありません」
「あら、気を使って頂きありがとうございます。声をかけて下さったのがお二人で良かったですわ」
ひらひらと手を振るご令嬢に、先輩二人は頬を染め手を振り返し去っていく。
「ふふ……」
(ちょろいものね……)
彼らが立ち去ると、アルベラの浮かべていた笑みが社交のものから嘲笑の類に変わる。ついでに心の中では「ケケケ」という笑い声をあげていた。
「―――さて、邪魔者は去ったわ。で、貴女は何の用……」
気を取り直し、アルベラはニコーラへ目を向ける。
彼等のやり取りと、その後の切り替えにニコーラはごくりと唾を飲んだ。
胸の前に手を握ったまま見上げてくる彼女に、アルベラは「なに?」と後ずさる。
「とても……勉強になります……」
「そ、そう……。で? 貴女の用はなに? そろそろ人が呼びに来るかもしれないから手短にお願い」
「は、はい! すみません!」
ニコーラが急いでドレスから取り出したのは、ほんわかと可愛らしい色味をした封筒だった。
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