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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

235、行きの旅 2(イカと灰色の獣)

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 翌日。

 朝食を食べ近くの川で顔を洗い荷物をまとめ―――

「ん?」

 アルベラは体の底からざわつく感覚に顔を上げた。

『クル』

「何が?」

 木陰から聞こえたコントンの声に、アルベラはこそりと尋ねる。

 そこに皆を手伝いもせず空をぶらついて居たガルカが降りてきてアルベラの腕を掴んだ。その表情がどこか嬉しそうとも、ワクワクしているようにも見え、アルベラは疑問符を浮かべた。

「おい。お嬢様が『ミズダメ』が何なのか見てみたいって事だ。少し行ってくる」

「え? 今からか?」

 近くでテントの布地を丸めていたスナクスが答えた。

「うーん。まあ、あと一時間くらいはかかるか。……あんま遠くまで行かないでくれるならいいぞ」

「ああ。適当にそこらで見つけてすぐ戻る。魔族の勘を舐めるな」

「ハハハ。悪かったよ。あんたの勘は舐めてないさ。嬢ちゃんも俺らに声が聞こえる範囲で頼むな」

「は、はい……」

 アルベラはこの魔族のたくらみとコントンの言葉が気になり、ガルカに合わせた返事をしておく。

「てか騎士様連れてかないのか?」

「ああ、大した用でもないしな」

「そうか。けどそうだなぁ……。ミミロウ!」

 皆の邪魔にならないよう石に腰かけていたミミロウが、名を呼ばれて「たったった」と駆けてくる。

 ガルカは小さく舌を打った。

「一応こっちはこっちで、あんたやエリーさん以外に嬢ちゃんには騎士か冒険者は一人はつくようにって決めてるんだ。ミミロウ、アルベラちゃんの事ちゃんと守ってくれ。頼んだぞ」

「うん」

「そうか。じゃあ行くぞ。足手まといになるなよ」

(……? ……??)

 アルベラは腕を引かれとりあえず歩く。彼女は木々の中に入り、スナクスの注意がそれた頃に「何が来るの?」と尋ねた。

 ガルカは口端を持ち上げ「来ればわかる」とだけ言い翼を広げた。

「え、飛ぶの? ちょっとまって、ミミロウさんは」

「そいつなら適当についてくる」

「は? 適当にって」

 アルベラは服を掴まれたのを感じ視線を落とす。視線の先で、彼女の服を掴んだミミロウがふるふると首を振っていた。

「だめ。危ない」

「ほら危ないって」

「知るか」

 ばさり、と翼が音を立てる。ガルカはアルベラをわきに抱え地面を蹴った。

 アルベラはミミロウも抱えていっしょに行けないのかと、彼の腕を掴もうとした。

 だが、彼からアルベラの手を払い首を振る。

「ミミロウさん?」

「放っておけ。勝手についてくる」

 ガルカは遠慮なく空へと飛びあがった。

 足元からぽつりと「あぶない」とミミロウの声が聞こえた。





「ちゃんと野営地には戻してくれるんでしょうね」

 アルベラは運ばれるがままガルカに尋ねた。

「ああ」と彼は頷く。

 野営地が遥か後方だ。足元には多分これから馬で駆ける予定の丘が見えた。

「時間は? 遅くならない?」

「問題ない。あんな老いぼれ、俺かコントンかで十分だろうしな」

「老いぼれ……? って、さっきから何の話を……」

「知るか。老いぼれは老いぼれだ。見ればわかる」

 ぐんぐんと風を切って進み、ガルカは旅人たちが使用する道からそれた見晴らしのいい丘の上に降りたった。

「コントンいる?」

『ウン!』

 影の中から聞こえる元気な声にアルベラはほっと息をつく。

(ミミロウさんは今頃どうしてることか……)

 と、アルベラがなだらかな斜面の先に見える林を見た。その中から、たったった、と駆けてくる小さな点が現れる。

「あれまさか、ミミロウさん……」

「だからついてくるといっただろ。それより見ろ。ミズダメもいたぞ」

「え? うそ」

 アルベラはガルカを振り向き、彼が見下ろす水たまりに目を止めた。

 それは冒険者たちに教えてもらっていた通りの、何の変哲もない水たまりだ。

「指を入れて見ろ。釣れるぞ」

「嫌よ。このサイズでも十分指は噛み切れるって聞いてるんだから」

「ふん。意気地のない奴だ」

 ガルカはちゃぽりと水たまりの中心に人差し指を入れた。するとすぐにその水面に波が立ち、それを合図にガルカは指を引き抜く。

「ほら。ミズダメだ」

 彼はポイっと、自分の指先にかぶりついた手のひらサイズのイカを地面に放った。

「わぁ。これが……本当にただのイカね」

 アルベラはしゃがみ込み、慌てたように地面を駆け回るイカを目で追う。直立して短い脚でわたわたと走り回る姿はコミカルで面白い。

 この「ミズダメイカ」は、アルベラ達の今日の朝食だったのだ。

 林だというのに串焼のイカが出され、アルベラは不思議に思い「昨日町で買ってきたのか」と冒険者たちに尋ねたのだ。すると彼らは、それが採れたてのイカである事と、陸に生息するミズダメイカという生き物だという事を教えてくれた。

 確かにその時見てみたいとは思ったが……、今回のガルカとコントンの目的はこれでないのは確かだ。

 それに、アルベラは自分が「見たい」と頼んだとしても、この魔族が素直に自分の要望を叶えてくれる程親切でもない事を知っていた。

 アルベラの視線の先で駆けまわっていたイカは、先ほどの水たまりは捨てて新たな場所に、器用に耳を使い穴を掘って潜り込んだ。イカが潜った穴から水があふれだし、そこに新たな水たまりが出来上がる。

 ミズダメが水たまりを作る過程を見届け、アルベラは「おぉ」と感嘆の声を零す。

「満足か?」とガルカが尋ねる。

「イカについてはね……」

「そうか」

 一番の疑問が解消されず不服そうに見上げてくる緑の視線を受け、ガルカは満足したように僅かに目を細めて笑む。そして、すぐに水たまりからは興味を逸らし、関所の奥に続くの山々の方へと顔を上げた。

(なんだかな……)

 アルベラはじとりとガルカを睨むと、関所の方を見て、足元の水たまりへとまた視線を落とす。

「……?」

 気付けば視界に影が落ちていた。

「ミズダメ?」

 高い少年の声にアルベラが顔を上げると、ミミロウが息切れもなくそこにたたずんでいる。

「ミ、ミミロウさん……」

「うん」

「……ごめんなさい……大変だったでしょ……」

 彼はきょとんとし、思い出したようにふるふると首を振った。

「え」

「だから言っただろう。そいつは気にするな。それより―――」

 ―――ワオォォォォォォォン!!!!

 びりびりと空気が、鼓膜が震えた。

 遠吠えの正体はコントンだ。

 アルベラは彼が突然声をあげる事に予想ができておらず、耳をふさぐのが遅れた。

 ガルカは分かっていたとばかりに早めに耳をふさいでおり、涼しい顔で丘の先をじっと見ている。

 アルベラの横、コントンが陰から躍り出る。その大きな黒い尾は千切れんばかりに振られ、珍しい事に、普段は閉じられている彼の額の眼が今は大きく見開かれていた。

『クル クル クル!』

 楽しいのか警戒しているのかよくわからない唸り声をあげ、彼もまたガルカと同じ方を見ていた。

 アルベラはじっと目を凝らす。

 ずっと地上を見ていたが、ガルカに「空だ」と言われ、ようやく何かが猛スピードでこちらに飛んできている事に気付いた。

 ミミロウがアルベラの服をきゅっと握る。

「危ない」





 ***





「何アイツ何アイツ何アイツ!!」

 アルベラは自身の背を風で押しながら必死に走る。「ざざざー……」と半ば滑りながらも丘を下った。その頭上すれすれを大きな灰色の影が通り過ぎる。

 灰色のそれは空高くから地上の様子を見て、自分が狩り損ねた獲物を見て忌々し気に鼻息を荒くする。

「キメラ? ライオン? 魔獣?」

 アルベラは通り過ぎ上昇した獣を見て呟く。

 一見すればグレーの翼の生えた雄ライオンだ。頭部から背にかけてごつごつと鉱石を生やし、鉱石の合間には植物が自生しているようだった。顔や手足には僅かにトラのような黒い縞模様が入っている。そして銀色の鬣。

「来る。こっち」

 ミミロウがアルベラの手を引く。

 アルベラは彼に従い駆ける。どうやら丘の影に回り込もうとしているようだ。

 動き出した獲物に、灰色の獣は翼を伸ばして抵抗を減らし、猛スピードで空から滑り降りる。

 獣が地上に近づいた辺りで地面からコントンが正面から衝突するように飛び出した。

 二匹の獣が唸り声をあげて取っ組み合う。

 コントンの方が一回りは大きく見えるのだが、取っ組み合いは互角のようだ。アルベラは加勢した方が良いだろうかと考える。

「霧使ったらコントンにも効いちゃうかな?」

「さあ。貴様の魔法があの獣にもコントンにも聞くとは思えんが。気になるならやってみたらどうだ」

 いつの間にか降り立っていたガルカがすました顔でそう答える。

「じゃあ魔法は良いわよ。魔力勿体ないし。―――それであれ何なの? 魔獣?」

「いいや。獣だな。名前は知らん。―――俺と貴様、あとコントンの匂いにつられたんだ。昨日から気に入らない匂いを探して、やたらと気が荒れているようだったぞ」

「昨日から? 気づいてたの?」

「まあな。だがあちらはまだこちらを見つけられてなかったから放っておいてたんだ。時間の問題だったからな。こちらから見つけやすい場所に出てやったってわけだ」

「皆の事を考えて?」

「まさか。この方がコントンものびのびと楽しめるだろう。俺が出てやっても良かったがコントンがあれだからな」

 ―――ワオォォォォォォォン!!!!!

 ガルル、グルル、と唸り声をあげていた二体だったが、コントンが相手を組み敷いて高らかに遠吠えする。

 踏みつけられた獣が翼をバサバサと地面に打ち付け、渾身の力でコントンを押し退けた。コントンの胴体へ頭突きをくらわすと、灰色の獣は血走った目をアルベラへと向けた。

「あ、あんたのことが随分気に入らないみたいね」

「どう見ても貴様だろ」

 アルベラ目掛け、地面が抉れる勢いで獣は地を蹴った。

「うしろいて」とミミロウがアルベラの前に出る。

 その目前、コントンが灰色の獣に覆いかぶさり、また二匹は地面に転がりながらの取っ組み合いを始める。

 コントンの瞳は爛々と輝き、口からは唾液が溢れて散っていた。そして唾液と共に散る赤。彼の黒に映える真っ赤な口内は、いつもより更に鮮やかで生々しい色に染まっていた。興奮しているのが一目瞭然だ。

 灰色の獣は翼が折れもう空は飛べない様子だった。バチバチと電気の音が聞こえ、アルベラはようやくあの獣が電撃系の魔法を使えるのだという事に気が付いた。

(水使わないでいてよかった)

 灰色の獣の鉱物が淡く光り始めていた。

 ぱちぱちと放電し、獣の周囲で青い光がはじけ始める。

「あれ、まずいんじゃ……」とアルベラがどちらへともなく尋ね、ミミロウが「後ろ、いて」と返す。

 太陽の前を大きな雲が通過し地面に影がかった。その僅かな暗さが獣のまとった光を強調させる。

 ―――パシッ、パシッ……パシリ!

 獣の毛が全て逆立つ。鉱物の光は眩いものとなり、銀色の鬣はまるで電気の塊のようにバチバチと膨張した。辺りからはゴロゴロと、雷が雲の中で転げている時のような音が聞こえている。

 アルベラは嫌な予感に両手で耳を覆った。同時にガルカはアルベラを掴み上げる。

 ―――バリバリバリバリバリ!!!!!!!

 けたたましい雷音。それに紛れ、

 ―――オオォォォォォォォォォォン

 というコントンの鳴き声。





 アルベラは自分がガルカに抱えられ、先ほどの丘から随分と離れた場所にいる事に気付いた。

「コントンは? ミミロウさんは?」

 アルベラはぽつりと尋ねる。

「生きてるだろうな」

「どっちも?」

「たぶんな」

 ガルカはばさりと翼を打ち、先ほどの場所へと戻った。

 遠目からも、一直線に地面が抉れているのが見て取れた。

 そして自分達がいた筈の場所には、大きく突き出た岩や土の塊が見えた。

『後ろ、いて』

 アルベラはミミロウに言われた事を思い出す。

 あの岩や土はミミロウの張った防壁だろうか? 彼は無事だろうか?

 地上に降り立つまでの間、アルベラは視線を走らせ、あの小さな人影を探した。





 ―――アオォォォォォォォン!!!!!

 はっはっはっは、とコントンが嬉しそうに尾を振っている。

 左右にぴょんぴょんと跳ねる彼の前には、真っ黒な何かにがんじがらめにされ、地面に縫い付けられたあの獣がいた。その上半身と下半身は、よく見ると向いてる向きが真反対だ。手足もおかしな方向に曲がっており、だらりと開いた口や目玉の向きから絶命しているのが分かった。体のあちこちには血が滲んでいる。

『ヤッタ! ヤッタ ヤッタ ヤッタ!』

 ―――ガルルルルルルル……

 コントンは犬がおもちゃを加えた時と同じ動作で獣を咥え、自身の首を荒々しく左右に振った。

 ―――グルルルル……! グルルルル……! 

 ぐだりと垂れ下がる獣の姿に同情が込み上げるも、今はもっと気になる事がある。

 アルベラは辺りを見回し「ミミロウさん?!」と声を上げた。

「ここ」

 声の方に目をやると、先ほどまで自分がいた場所―――地面から突き出た岩や土の合間からのそのそとミミロウが出てくるのが見えた。

 彼はアルベラの元へと駆け寄ると、その足元に抱き着いた。

「良かった。アルベラ、消えた。びっくりした」

「ごめんなさい」

 こくり、と彼は頷く。

 そしてコントンを指さす。

「あれ、やめさせて。可哀そう」

 彼は見たくない、と言う様子でアルベラのズボンを掴み、フードの中に顔を沈ませる。

 アルベラは興奮冷めやらぬコントンが、獣の遺体で遊んでいるのを見て目を据わらせる。

(あれを……止める……)

 自分にできるのだろうか。とおもいつつ、物は試しでコントンの元へ行く。

「コ……コントン?」

 ―――グルルルルルルル………………?

 ぶんぶんと獣を振り回していた彼は、鼻と耳をピクリと動かし、額の瞳をぎょろりとアルベラへ向けた。

 彼の口からボトリと獣が落ち、真っ赤な口が嬉しそうにニタリと笑う。

「あ……」

 言わずとも獣を解放してくれたわけだが、どうにも雲行きが怪しい……。

 アルベラはそっと後ずさる。

『アルベラァァァァァ!!!!!』

 ―――アオォォォォォォン!!!!

 名前と遠吠えとが同時にアルベラの鼓膜を振動させた。

 アルベラの視界が真っ黒に染まり、先ほどの息絶えた獣の姿が彼女の脳裏をよぎる。





『ヤッタヨ ヤッタヨ ヤッタヨ!』

 ―――ワオォォォォォォン!!!!

 血なまぐささと獣の唾液の匂いとに、アルベラは数秒飛んだ意識を取り戻した。

「コ、コン、トン……苦し……」

 ―――バウ! と吠えて、コントンはアルベラから飛び退く。

 アルベラが我が身を見下せば、コントンの体や口周りについていたであろう返り血で見事に染まっていた。

 何となく湿り気のある頬を手で拭えば、手の甲にはべたりと血だか唾液だか判断に苦しむ物が付着する。

「コントン……」

 アルベラは深いため息をついた。

 ―――バウ! バウ!

 彼はアルベラの前、尾をぶんぶんと振り身を低くしたり高くしたりを繰り返していた。

「わかった。分かったから。ありがとう。あのよく分からない獣から守ってくれて。あと凄い。コントン強い!」

 アルベラが腕を伸ばしてコントンの湿った鼻を撫でると、彼は「バフ!」と嬉し気な声を漏らしてアルベラの体に頬ずりをした。

 そしてべたりと塗り付けられる返り血。

「……」

 アルベラは無言で彼の頭を撫でた。





 ***





 少しして。林の反対側から、獣の遠吠えや雷鳴が気になりいてもたってもいられなくなったアンナが馬を飛ばして様子を見に来た。

 濃い血の匂いに怯えるハイパーホースを、同じくあまりそこにいたくなさそうなミミロウに預け、少し離れた場所で待たせる。

「随分と色っぽい恰好だね」

「姐さん……本当悪趣味ね」

 アルベラはアンナの第一声に不満たらたらな面持ちで返した。それに対し、アンナは「お互い様じゃないか」とヘラヘラと肩をすくめて見せる。

 彼女は腰に手を当て、灰色の獣を見下した。

「そ・れ・で……へぇ、なるほどね。騒ぎの正体はこれか……」

「ええ。野営地からも見えた?」

「ああ。稲光と、世にも恐ろしい魔獣の遠吠えが聞こえたね」 

 アンナは冗談めかして自身の肩を抱いた。アルベラは通常運転の彼女の軽いノリを流し、「それで」と尋ねた。

「これ何なの? すっごい凶悪な顔で人に飛びかかってきて……。人食いライオン? 肉食なのは見て分かるけど、そこまで飢えてる体格でも無いわよね」

「神獣だよ」

「……」

「神獣だ」

「……」

 現実を受け入れようとしないお嬢様に、アンナは丁寧にお辞儀して手を差し出す。

「咎人の世界へようこそ、お嬢様。あんたもこれで私達と同じ『禁忌組』だ」

 アンナは嬉しそうに地である金色の目を細めた。

 アルベラは反応に困り眉を顰め、アンナと息の根のない神獣様を交互に見て一言―――

「嫌!!」

 と、はっきりと言い放った。



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