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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

241、行きの旅 8(ユドラとボイ)

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「なんであいつらがやりあってるかな……」

 敵が去り、エリーとガルカは互いに互いを標的へと入れ替え拳を交えていた。

 二人を見上げアルベラは呆れを零す。

 上空ではガルカが鋭い爪で相手を切り裂かんと本気で腕を凪いでいた。

「貴様が邪魔だったせいで逃げられたんだぞ?」

 エリーは自身が生み出した風を蹴り爪を避ける。

「全然邪魔してなかったでしょ?! 逃げられたのはあんたがとっとと捕まえないからよこの薄ノロ!」

 空に留まる二人に、タイガーが「どうします?」とアルベラへ尋ねた。

「放っておきましょ」

 お嬢様の返答に彼は「な、なるほど……」と口元に苦笑を浮かべ、ガイアンは無言で頷いた。

 タイガーが、道の片隅に置き魔術で隠していた荷物を回収すると、三人はアルベラを先頭にさっさと通りを抜ける。

 翼を広げたガルカはやはり人々の目を引いていたようで、表の通りでは魔族と金髪の女性との戦闘で騒がしくなっていた。空を見つめる人々の顔は、不安気かスポーツ観戦でもしてるかのように楽し気かが殆どだ。

 「何だありゃ」「頑張れよねーちゃん! もう少しで兵がくるってよ!」「いけぇ! よっしゃそこだ! そのまま魔族の翼を引っこ抜いちまえ!!」等の人々の賑やかな声を聞きながら、三人は素知らぬ顔で人垣を抜ける。





***





(うちの国よりも他人種が多いし他人種の店も多いな)

 アルベラがガウルトの城下街の散策に勤しんでいる時のこと―――。

『ナンカキテル』とコントンがアルベラへ囁いた。

『え?』とアルベラは尋ねる。

『ナンカ コダマニニタ ニオイノヤツ』

(あの時の木霊に……? ていうかコントンが気づいてるってことはもしかして……)

『ガルカ』

『なんだ?』

 コントンとアルベラの短いやり取りを拾い上げていた魔族は半笑いを浮かべていた。

 これは知ってて知らぬフリをしてた顔。又は気づかない阿呆な人間どもを嘲笑っていた顔だ。アルベラは微笑みながら眉を寄せた。

(こいつ) 

『お嬢様、どうかなさいましたか?』とガイアンが尋ねる。

『あの、ガイアンさ……』

 呼び捨ては結構です、と二人に言われたのはまだ五回にも満たない。自分は爵位で言えばこの二人よりも高貴な生まれなのだから、相手が訓練をつける立場であれ呼び捨てで良いのだ。それをこの二人も望んでいる。多分祖父から命じられてきたのだろう。訓練だけでなく、公爵家の令嬢らしい振る舞いも叩き込んで来い、と。

 母の躾の甲斐もあり、アルベラも身の振り方については重々承知だった。だが、頭でわかっていても、歳上で更に自分よりも何かしらの技術に秀でてる相手と言うのには「さん」なり「様」なりをつけたくなってしまうものだ。

(この二人……お爺様の所の騎士団長だし、ザリアス長を呼び捨てにするようなもんなんだけど……)

 特にガイアンは根が生真面目な上、心情を顔に出しやすい性質で、言葉に出さずとも圧が怖い時がある。

『お嬢様?』

 物言いたげな圧を感じるガイアンの微笑みにアルベラはつい言いかけた「さん」を飲み込み言いなおす。

『ええと……ガイアン、タイガー、エリー。ちょっとカフェで話を』





 カフェに入ると、アルベラは通りの見渡しが良い席を店員に頼んだ。五人は空いていたテラスに通され、アルベラとガルカ以外の三人は、お嬢様の魔族への詰問を聞きながら現状を理解していく。

「何者かなど知るか。俺に分かるのはそいつが貴様を殺す機を伺っているという事だけだ。――――――これだけの人数だ。相手を泳がせても充分に対抗できるだろう。だから、こちらもあちらも放っておいたまでだ―――」

 という話をガルカから聞き、アルベラは「ふーーー……」と怒りを収めるように長い息を吐いた。

 『クソ魔族……』とエリーから怒気を孕んだ呟きが溢れた。

 アルベラは頭の中で数秒数え感情を整える。 

『―――では皆さん』

 彼女は少し大袈裟なくらいに華々しく微笑んだ。

『その私を狙った陰湿で気に食わない誰かさんを引きずり出して袋叩きにしてやりたいと思うのですが、良い案はございますでしょうか?』





 その後、カフェでの打ち合わせをなぞり、タイガーと別れたアルベラは路地を走っていた。

(他国の人を巻き込むと国の関係に響くよな……霧は無し。……まあ自国だろうと赤の他人を毒霧に巻き込むのは問題だけど―――タイガーとガイアンがいるからコントンに助言以上を頼るのも避けたい―――ナイフがあるのに、私からは反撃せずに逃げに徹しろって言われてるし……私からは一発も食らわせてやれないなんて屈辱ね)

 ナイフは相手に奪われたとして、それの攻撃を自分が防げる自信があるのならどうぞ使ってくれて構わないと騎士二人に言われたのだ。彼らの言葉に、アルベラは敵をエリーにして想像し、ナイフを彼女に奪われ武器として使われたらと考え首を横に振っていた。

(とりあえず私はここを走って、そいつをできるだけ近くにおびき寄せて……皆もうこの通りに居るんだよね?! 最後に別れたタイガーさんとかあの荷物で間に合―――)

『キタ』

 コントンの声に「え、もう?」とアルベラは問う。

『モウ モウイル』

(いる!?)

 アルベラはコントンの言葉に振り返る。その時アルベラの体内では反射的に魔力がすぐ使えるようにと魔法の展開に備えられていた。

『―――!』

 振り返ったアルベラの目の前に、爪の長い褐色の手が現れる。

 その奥には腕を伸ばした、フードを被った長身の人物。フードの影から除いた口元は、褐色の肌に紫がかった白い口紅が引かれていた。

 アルベラは咄嗟に壁を作りダークエルフの手を阻む。同時に目の前にエリーの背が現れた。

 自分と壁との間に現れた彼女に、アルベラは「ガイアン、ツブテ、エリーを防御」と、言われていた事を断片的に思い出し、壁の大きさと向きを変更させる。壁がエリーの左手に張られると、それを合図にしたように左手から先を鋭くした氷の礫が飛んできた。





 騎士とエリーたちの押しにより襲撃者は上へと逃げていった。

 正面からタイガーが「お嬢様大丈夫ですか?」と駆けつけ、氷の礫を空へむけ放ちながら、ガイアンが「他に仲間がいるかもしれません。気を抜かぬよう」とアルベラに注意を促す。

 三人は辺りを警戒しながら、空でのやり取りを見守った。







 ***





 エリーとガルカを置い路地と人垣を抜けた三人は、城を目指し来た時とは異なる道を進んでいた。

 ダークエルフの仲間がいないとも限らない。泥棒のダークエルフの双子の話はガイアンとタイガーも風の噂で知っていたので、先程の女がその片割れの可能性もあると、双子のもう一人の存在を警戒し今日は大人しく城に帰る事にしたのだ。

 彼らが盗んだのは「タイラントの血」という不死の巨人の生き血らしい。

 タイラントとは、この大陸の古い物語に出てくる地上を守るために神が作った巨人の兵士だ。本当に実在したのかどうか判らないが、その血には「死した者の心臓を脈打たせ全身を巡り、その者を体を生き返らせる」力があるのだとか。

 本物かどうかもしれないそれを盗んだ。そんな話を聞けば、アルベラも当然他の者たちと同じ事を思い浮かべた。

(誰かを生き返らせたいのか?)

 アルベラが「ダークエルフの盗人」について考えていると、タイガーの呟きが耳に入った。

「―――丁度いいか」

「なにが?」

 アルベラが彼へ視線を向けると、悪戯っぽい笑みが返される。

「今日のお嬢様の訓練について。ガイアンと話していたことがありまして」

「そ、そう……ガイアンと……。お手柔らかに……」

「安心してください。ガイアンとタイマンのものより十分にお手柔らかですよ」

「どういう意味だ」

 ガイアンは不満の声を上げる。

(恐いんだってば)

(お前にしてはちゃんと抑えてるとは思うよ)

 アルベラとタイガーは目を座らせた。





 渡り廊下を歩いていたレオチェド王はふと外を見る。

 そちらには訓練用のちょっとした雑木林があり、所々地面が割れたり大岩が置かれていたりとしている。そこを今、入隊から間もない新人の騎士たちが指導員を追いかけて駆けていた。

(精が出るな)

 レオチェドはそれを見つけ視線を逸らしかけるが、視界の端にラベンダー色の頭を見つけて二度見した。

「おい、ディエゴゴ。あれはアルベラ嬢か」

 ついていた補佐が頷く。

「はい。ディオール様の騎士より新人騎士達の訓練に混ぜて欲しいとの申し出がありまして。新人の訓練なら国の機密に触れる事もないので承諾いたしました。あれは今年入った騎士達ですね」





 アルベラは一番前の指導員と他数人の新米騎士たちの障害物を避ける動きを見ながら、真似できる動きは真似、出来ないところは自分なりの方法をとり安定したペースを保っていた。

 タイガーとガイアンは離れた所からアルベラの動きを確認し、足らないと思った点を各々の訓練時に強化できるよう考えておいてくれるそうだ。

(障害物競走、結構良いな)

 生真面目な騎士に脅かされる事も、姉さま方に意地悪される事もない真っ当な訓練。その上参考になる見本が数パターン。

 普段の訓練よりも心に余裕があるアルベラは、この騎士団訓練を程よく楽しんでいた。





 かのご令嬢は三〇人弱いる騎士達の、先頭から五~七番目を跳ねながら駆けていた。それは脚に風を纏うことのできない者が取る動きである。他にも彼女と同じ方法でスピードを上げ先を追う者たちはいるが、その中ではアルベラが一番早かった。

 彼女より前を走っている者達は魔力や術の使い方に長けており、其々魔法を体に纏ったり、魔術で補強して居たりとしている。―――魔術は別として、魔法を使った移動の方法だと以下の三つが主だ。

 「魔法で体を押す」という身体能力が肝になる方法。「魔法で飛ぶ」という魔力や魔法の技術頼りになる方法。「魔法を纏い身体能力を補助する」という身体能力と魔法が足し算となる方法だ。

 そして、この三つでは三つ目が一番体力面でも魔力面でも燃費もスピードアップの効果も高く、初心の時期ほど有利になりがちなのである。

 つまり、風で体を押しながら駆けるという形で、他の同じ手法の者達だけでなく魔法を纏っている者達も抜いて前から五~七番目とはそれなりに優秀といえる順位だった。

 伸び伸びと跳ねる他国のご令嬢の姿に、ディエゴゴという補佐官は「思ったより俊敏でらっしゃる」という感想を漏らした。

 王は「そうだな」と彼に同調し目元を険しくし歩き出す。

(クソ……余計に惜しい。ラーゼンめ、あやつがもっと早く娘を紹介しに来ていれば……)

 彼は補佐官にも届く程の溜息を零した。





 ***





 その一室は岩の中を繰り抜いて作ったように壁一面が岩だった。所々にヒカリゴケやハッコウダケが生えており、室内にはランプが一つだけしか灯されていないが、自然物の放つ淡い光で部屋のどこに何があるのか程度は十分視認することができた。

 その部屋に突如金色の光が現れる。一点に灯ったそれは縦長に伸び、人サイズに膨らみ解けて消えた。

 光から現れたのは一人のダークエルフだ。彼女の両手の指輪には光の余韻が残り、あたりに漂っていた光の煙を吸い込んんだ。やがて指輪は光を失い、黒い炭となって消滅した。

 女は指輪を失った手を見て舌を打つ。

「ユドラ? どうしてここに」

 隣の部屋にいた人物―――男のダークエルフが驚いた声をあげ、彼女のいるリビングに足を踏み入れた。

 彼は片手に白い光の玉を出現させ、それをへ家の中に幾つか放ち漂わさせる。

 明るくなった室内、向き合った二人は殆ど同じ顔をしていた。違うのは髪型と性別による体型と……そして男には女にはない刺青があった。それは罪人に施されるものだが途中で途切れて終わってる。

「ボイ。アンタこそあっちを見てるって言ってなかった? 何でここに居るの?」

 ユドラと呼ばれた女が尋ねる。

「それがあいつ等、あの後すぐ来たんだ。けど腕は全くだったな。なんの役にも立たずで死にやがった。竜人族の奴ら、厄介な呪い作りやがって」

「ああ。それで『あ』って」

 ユドラ――― ユドラディエは双子の弟の最後の通信を思い出し納得した。

 彼女の弟、ボイディゴは姉の体のあちこちに切り傷があるのを見つけて棚を漁った。

 彼は薬を投げ、「で、そっちはどうした? なんだよその怪我」と尋ねる。

 ユドラは薬を受け取り近くの椅子に腰かける。水っぽい塗り薬を患部に塗り、手を翳して魔力を加える。傷にはすぐに新しい組織が生まれ、皮膚が表面を覆い綺麗に治癒された。彼女は他の目立つ傷にそれを繰り返す。

「ドグマラよ。消そうとしたけど失敗したわ」

 ボイディゴ―――ボイは「ドグマラだと」と身を乗り出した。

「まさか『あいつ等』じゃねーだろうな」

 その声は固く低い。

「違う。見ない顔だった。しかも大した事は無いわ。これもそのドグマラにやられたっていうより周りの人間にやられた傷だしね」

「へぇ。新人か。どんな奴だった」

「私達にとっては、ね。―――ヌーダよ。女の子。茶色の髪に緑の目。私達でいう三十歳くらいの見た目」

「三十? ガキだな」

「ガキよ。魔力も体力も、匂い以外は全くのね」

 彼女は、あの少女が自分の手が触れる前に振り返った事、瞬時に魔法を展開し距離をとった事を思い出して付け足す。

「……勘は少し良かったかしら。あと、肝も据わってたわね」

「ふーん。なら今のうちに消すのが楽か。ヌーダねぇ。あいつ等信じられない位鼻鈍いもんな。他の人間連れてたなら、自分の体質に気付いてない可能性が高いか」

 ボイは「……ヌーダ……ヌーダねぇ……」と繰り返し、気に食わないねずみ色の頭やウサギやミノムシを思い浮かべ、鼻の頭に皺を寄せる。

「万が一、あいつ等の仲間じゃないだろうな……」

「どうかしらね。私が見た限りでは連中は居ないようだったけど、顔見知りで別行動って可能性も……」

「なくはないだろ」

「そうね。……けど、完全に仲間ではない気がする。私の事知らなそうだったし。―――あ、そうそう。魔族が一緒にいたわ」

「魔族がヌーダと? 別に珍しくもなんともないだろ」

「いいえ。『ヌーダが魔族』といたのよ。魔族が魔族でいる事を隠してなかった。ヌーダも魔族を魔族と知って連れてたみたいね」

「ああ……。確かにそれは珍しいな。……ドグマラ以外のヌーダは正常だったか?」

「ええ。どこかのお嬢様だったみたい。剣を下げた男が二人いて『お嬢様』って読んでいたし。あと女がいたわね。……ヌーダとエルフの混血のおん な――—」

 そこまで言ってユドラは自身がなさそうに言葉をきって考えた。

「……多分……女。女よね?」

「俺に訊くな」

 ボイは呆れて目を据わらせる。

「顔が見えなかったり体格や声がおかしかったのか?」

「い、いえ……、何となく……」

 何かが引っかかりスッキリしない様子のユドラを流し、ボイが口を開く。

「ふーん。ま……そいつら泳がすのも良いんじゃないか? ドグマラだったとして、連中と関りがあったとして、どうせ宝を見つけりゃ死ぬだろ。他の小物のドグマラにも試したけど、あの呪いに俺らの血は関係なかった。そのお嬢サマが死んでも、生きて石を取り出しても俺らには損は無い。むしろ石を取り出してくれりゃあ万々歳だがな。奪う事を考えればそいつが弱い事も更好都合だ」

「いいえ」

「……いいえ?」

「弱いのはあのガキだけよ。女と騎士は程々、私やあんた一人でも殺れる程度。けど」

「魔族か」

「ええ。あとあの子、かすかだけど魔獣の匂いがしたの。姿は一切見なかったけどね」

 ボイは膝に頬杖をつき考える。

「ふーん。じゃあもしもの時はばらけさせないとな」

「ええ。転送の魔術具、念のためまた探しといてくれる?」

「ああ。当分他の奴らはあそこにはいかなそうなんだよな?」

「大丈夫よ。次行くとしたらきっとあいつ等だから。私はあいつらを見張っておく」

「わかった」

 ボイは頷き、ガラス張りの棚に納められている絵へ目をやった。それは百年以上も前に描いた彼らの妹の肖像だ。

 ユドラもそれを眺る。

 口の中に苦味を感じ、彼女はテーブルに置きっぱなしの瓶とコップを手に取った。魔法でコップの中を水で漱ぎ蜜色のアルコールを注ぎ、それを一気に口に流し込む。

 アルコールが喉の奥に流れ去っても、その苦味はしつこく口の中に残っていた。



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