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男装の由来

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「つまり、だよ、アイシャ。僕の名代として戦争に参加して欲しいんだ」

 兄上に呼び出されたのは実に二週間ぶりだった。不穏な情勢が伝わってくる中だったので、なんとなく予想はしていたけれど。
 うららかな昼下がり。お茶会をするにはぴったりの中庭で語る内容では決していないのに、この人は平然とやってのける。まったくデリカシーがない。そして異母妹である私に拒否権はない。

「ほら、僕は確かに伯爵家の人間だけれど、病弱だろう? 細身で身体も弱い。戦場なんてとてもたてないよ」

 少し困ったように頼み込んでくるのが、兄上の常とう手段だ。確かに小さい頃は病弱気味だったようだが、今ではすっかり健康体だ。でも、運動嫌いで偏食家だから細身なだけ。
 知ってる。
 でも、口出しはできない。私は、愚妹だから。

「そういうことなの~。ワタシの大事な大事なダーリンに傷がついちゃったらダメでしょう? だからお願いね、アイシャちゃん」

 兄上の隣で艶美な姿勢で言ってくるのは、兄上の嫁だ。
 化粧だけで見てくれを整えているのは女の私から見れば一目瞭然なのだけれど、兄上はすっかり騙されているらしい。とはいえ、私に何か言う権利はない。
 私はそっと、自分の頬を撫でる。一本線の傷を、撫でる。

 そう。私はアイシャ。婚約破棄されて戻ってきた、愚かな妹。

 原因は相手の浮気だった。浮気相手の女の方が気に入ったらしく、あっさりと婚約破棄されてしまった。何より私の頬の傷が気に入らないらしい。馬車で移動中、野盗に襲われた時に彼を庇った時にできた傷なのだけれど。
 彼にとっては関係なかったようだ。
 元からあまり感情が表に出ることはない私だけれど、さすがに失意を覚えて家に戻ってきた。少しずつ、少しずつ時間をかけて傷を癒すように過ごしていたのだけれど、兄はよく思っていなかったようだ。
 さらに、武芸事において私は兄よりも優れていて、それも兄は気に食わないのだろう。

 そして、今に至る。

 両親は遠く離れた別の邸宅にいて、兄の状況は詳しく知らない。
 だから、私が名代として出陣していることも知らない。
 まして、私が男装して出陣しているなんて。

「……分かりました。召集令状をください。準備に入ります」

 私に拒否権はない。
 そう言うと、二人は色めきたったように喜んで、開いたばかりだろう召集令状を私に投げ寄こしてきた。
 文章を見ると、武王と名高い第二王位継承者――王子からの召集令状だった。

 なるほど。

 魔物が大規模集落を形成したので討伐にいく、というものだ。人対人の国境線を争うような戦争ではないが、集落の規模が大きい上に一部の土地を占領している様子だ。戦争と呼んでも差し支えないだろう。
 魔物の集落は、わが領地からも近いので、伯爵家に騎士招集がかかるのも不思議はない。
 一応、うちが武門の家というのもあるけれど。

 とはいえ、召集まで期間が短い。

 兵糧、武装、人員まで考えると、本格的な人数はそろえるのは難しい。
 進軍ルート上にあたる領地に召集をかけて集めるのが精一杯だ。信頼のおける傭兵なんかを雇い入れたとしても、数にして三〇〇程度だと思う。
 もっと期間があれば五〇〇〇程度は動員できるけれど……。
 たぶん王子もそこまで望んでいないはずだ。王家直属の騎士団からも六五〇名程度と記載があるし。他の近郊にいる貴族にも声がけしているはずだから、想定兵数は一五〇〇から二〇〇〇程度か。
 ならば、三〇〇は妥当な数字だ。

 私はすぐにルートを決め、集合場所を定めた令状を発行する。

 移動期間も含めて、出兵はおよそ三週間。商会にかけあって食糧を手配しなければ。装備の準備もある。
 戦争において、兵站は大事な要素だ。
 特に今回は完全に自軍領地内だ。略奪といった行為は後々の遺恨になるから許されない。キッチリと手配しておかないと。

 その旨も書き記してから、後は文官へ。私は武官に非常招集をかけ、自室へと戻る。

 令嬢の部屋、と呼ぶにはシンプルで殺風景な部屋だ。
 控えているのは、侍女一人。
 私の幼馴染で、ずっと私の隣にいる親友だ。

「ベス。出陣が決まりました。すぐに出ます」
「かしこまりました。例の如く、でございますね?」
「ええ。男装の準備を。兄上の名代ですので」

 私が告げると、ベスは少しだけ悲しそうな顔をしてから一礼して部屋を後にする。すぐに装備を持ってきてくれるだろう。
 分かってる。
 ベスは、私に幸せになってほしいと願っていることを。
 そんな彼女に、戦地へ赴くから準備をしてくれと命令する悲しみも。

 でも、仕方がないのだ。私は、愚かな妹。

 息を吸って、息を吐いて。
 私は意識を切り替える。

 これが最後だというつもりで、ゆっくり、丁寧に湯浴みする。

 身体のすみずみまで綺麗にして、整えて。
 プラチナブロンドの髪も丁寧に乾かしてからしっかり結わえ、ドレスから騎士鎧用の下着へと着替える。胸をある程度押さえつけて、見た目からして女だとバレないようにしていく。
 メイクはしない。
 どうせ汗と泥でぐちゃぐちゃになるのだから、意味がないのだ。

「ご報告です。商会の者と都合が取れました。今より四時間後に面会希望との返事です。物品の引渡しも可能とのこと」
「分かりました。現地で検品も行います。武官に発令を」
「かしこまりました」

 私はまた大きく息を吸う。
 ――さぁ、戦争だ。

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