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1日目
第1節 ざわめく朝
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東京のベッドタウンとして昭和の後期に急速に開発された住宅地。真新しい家々が整然と並ぶその一角に、我らが母校、私立嵯峨ノ原高校はある。周囲の近代的な街並みとはどこか不釣り合いな、良く言えば歴史を感じさせる、悪く言えば少々古びた空気を纏った学び舎だ。
創立から半世紀以上。地元では「一応、進学校」として認識されているが、その実態は「自称」の域を出ないというのが、我々生徒間での共通認識だ。とはいえ、文武両道を声高に掲げており、剣道部などいくつかの運動部は、そこそこの実績を残しているらしい。校舎は、効率的と言えば聞こえはいいが、やや無機質なコンクリート造りの六階建てが「ロの字型」に配置され、その中央には手入れが行き届いている中庭が広がっている。そのロの字の校舎に、体育館、武道館、そして我々文化部が追いやられている文化館が接続されている。敷地全体の広さこそ平均的だが、グラウンドだけは妙に広く、そこが唯一の自慢かもしれない。良くも悪くも「普通」の私立高校。生徒たちは、それなりに自由を謳歌し、どこかのんびりとした雰囲気が漂う───それが、普段の嵯峨ノ原高校の姿だ。
しかし、今日、校門をくぐった瞬間に感じた空気は、いつものどこか気の抜けたような長閑さとは明らかに異なっていた。
学校に着くと教職員用駐車場内を埋め尽くすほどの警察の姿が見えた。よく見ると、警察だけでなく、救急車もいるようだ。事故か事件か。このおびただしい量の警察を見て察するに、恐らく「事件」のほうだろう。警察は本校舎の左隣にある「武道館」に集まっていた。武道館とは、九段下のかの有名な施設のことではなく、1階に柔道場、2階に剣道場がある私立嵯峨ノ原高校の建物のことを指している。とすると、柔道部か剣道部で何かがあったのだろうか……。
「生徒の皆さんは、そのまま各自の教室に行ってくださーい!」
異様な光景に足を止め、遠巻きに様子を窺う生徒たちに向けて、漆原校長が教室に行くよう促している。この声に反応して、野次馬化していた本校生徒(私も含む)は、各自の教室へと足を進めた。
いつもの3ー2の教室に入ると、そこは大盛り上がり。今しがた目撃した警察の話題で持ちきりだ。興奮と不安が混ざりあったような、奇妙な熱気が教室を満たしている。
「高崎、おはよう。見たか? 外の、あのすごい数の警察」
教室で唯一話す友達の新田が早速、私に話しかけてきた。
「おはよう。あんなにいっぱいいたら、見えないほうがおかしい」
「どう思う?」新田は身を乗り出してくる。
「どうって?」
「だから、なんで警察が来たかってことだよ。ただ事じゃないだろ?」
「まあ、柔道部か剣道部が何かやらかしたんじゃないか」
「ちぇっ、つまんない回答だなあ、高崎は。もっとこう、ドラマチックな展開はないのかよ」
こんな大雑把な質問につまんないもクソもあるかっ。だが、まあ、彼の期待に応えてやるのも一興か。
「じゃあ、こういうのはどうだろう。───殺人事件が起きた、とか」
現実的とは思えないが、あの物々しい雰囲気、警察と救急車、それらを総合すると、あながち非現実的な線とも言い切れない。もし本当にそうだとしたら……新聞部としては、これ以上ないスクープになる。いや、こんな状況でそんなことを考えるのはあまりに不謹慎か。
「おおー! いいねぇ、それ! 俺さ昨日───」
新田が何か言いかけたが、その時、放送のチャイムが鳴った。
「えーー。校長の漆原です。えーー。本日は一日、休校といたします」
一瞬、教室は静まり返った。
「現段階では、詳細はお伝えできませんが、また今後の日程については、本校のメールにてお知らせする予定です。えーー。登校してきたばかりで申し訳ないですが、速やかに下校するようにお願いします。えーー。また、本日の部活動等につきましても『活動はなし』でお願いします。えーー。本日の件で今朝連絡のあった者は、体育館に集まってください。えーー。最後にですね。本日の件で何かトラブルがあったり、皆さんに危害が加わるようなことがあったら、すぐに学校へと電話をしてください。えーー。では、安全に下校をしてください」
しばらくの間、教室に沈黙が訪れた。漆原校長の、いつもとは全く違う、硬く、微かに震えを帯びた声色。普段の温かみは消え、いまにも押しつぶされそうな響きが、事態の重大さをなにより物語っていた。
この後、担任の先生が教室に来て同じことを説明し、下校となった。
「じゃあ、高崎、帰りながらさっきの話の続きでも……」
「悪い、新田。ちょっと用事ができた。また今度!」
私は、駆け足で体育館へと向かった。用事という用事は無いのだが、新聞部員としての血が体育館へと引きつけていた。走りながら、私はスマートフォンを取り出し、松戸に電話をかける。
「はい、松戸です」
「もしもし、高崎だ。今すぐ体育館に来てくれ」
「承知しました。すぐに向かいます」
松戸孝太郎。新聞部の副部長であり、いつも冷静沈着な私の右腕だ。彼がいれば、どんな状況でも心強い。
体育館は、武道館の真反対。本校舎の右隣の立地である。体育館に関係者が集うということは、恐らく、事情聴取。この中に入れたら一番だが、部外者が入ることはできないだろう。だが、試してみない手はない。
体育館の入り口にたどり着くと、そこには既に先客がいた。
「あっ、部長!」
「ん。やっぱり早いな、君は」
体育館の前には、2年の三鷹凶神がいた。三鷹は、生粋の記者で、何かスクープがあると飛ぶように駆けつけてくる、まさに生まれつきのジャーナリストのような男だ。以前、彼自身がとある(くだらない)事件の被害者になったこともあったが、それはまた別の話だ。
「部長、一回、中に入ってみますか?」
「そうしよう ちょうどいいところに 松戸かな」
「何を詠んでいるんですか。上手くもないし。さあ、早く入りましょう」
松戸が私の即興の句を一刀両断する。んー我ながらいい出来だと思ったのだが……。
松戸と合流し、体育館に足を踏み入れた。広々とした体育館の中央には、パイプ椅子がいくつか並べられ、そこに険しい表情をした刑事らしき男が二人と、俯き加減の剣道部員たち、そしてその傍らに仁王立ちする顧問の多部先生の姿があった。張り詰めた空気が、体育館全体を支配している。
「ん、君たちも関係者かね?」
いかにも歴戦の猛者という風格を漂わせている中年の刑事が鋭い目線をこちらに向けて尋ねてきた。
「ある意味、関係者です」
「というと?」
「私は新聞部部長の高崎と申します。この学校で起きた出来事を調査し、記録し、そして報道するのが我々の使命です。ですから───」
「そうか、新聞部か。ご苦労だが、今は部外者は立入禁止だ。おい、そこの君。この子たちを外へ」
話が終わりきる前に、刑事は控えていた警官に指示を出した。我々は為す術もなく、警官によって体育館の外へと丁重に、しかし断固として追い出された。
「まあ、仕方がありませんね。予想通りの展開です」松戸が冷静に呟く。
「松戸。今の短い接触で、いくつか確信に近い情報を得られた。なんだと思う?」 私は体育館の扉を背に、問いかけた。
「はい。少なくとも二つの点が明確になったかと思います」
松戸は、すっと人差し指と中指を立てて、淀みなく話し始めた。
「一点目。これは、単なる事故や騒ぎではなく、殺人事件、もしくはそれに準ずる極めて重大な事態が発生したということです。根拠として、あの場にいた二人の男が私服警官、すなわち刑事であったこと、そして剣道部員及び顧問の多部先生の暗く沈んだ表情から推察されます」
「二点目。その重大な事態に、剣道部が深く関与している、ということです。体育館に関係者として集められていたのが、剣道部員と顧問のみであったことから、これは明白かと」
「ああ、その通りだ。素晴らしい観察眼だな。剣道部で、極めて深刻な事件、おそらくは殺人事件が起きた。これが現時点での最も確度の高い仮説だろう」
「部長、これからどうします?」三鷹が聞いてきた。
「うーん。まずは、情報の中枢にアクセスしてみるのが定石だろう。生徒会だ。彼らなら、我々よりも多くの情報を掴んでいる可能性がある」
「生徒会、ですか。いいですね!……あっ、でも今日は全員下校したんじゃ」
「いや、生徒会に限ってそれはあり得ん。うちの生徒会は、こうした非常事態にも対応しなくてはならない使命がある。恐らく、今頃学校側と情報の共有と今後の動き方について協議しているところだろう」
「確かに……」
「まあ、最低でも生徒会長と副会長はいるはずだ。さあ、行こうか。生徒会室へ」
創立から半世紀以上。地元では「一応、進学校」として認識されているが、その実態は「自称」の域を出ないというのが、我々生徒間での共通認識だ。とはいえ、文武両道を声高に掲げており、剣道部などいくつかの運動部は、そこそこの実績を残しているらしい。校舎は、効率的と言えば聞こえはいいが、やや無機質なコンクリート造りの六階建てが「ロの字型」に配置され、その中央には手入れが行き届いている中庭が広がっている。そのロの字の校舎に、体育館、武道館、そして我々文化部が追いやられている文化館が接続されている。敷地全体の広さこそ平均的だが、グラウンドだけは妙に広く、そこが唯一の自慢かもしれない。良くも悪くも「普通」の私立高校。生徒たちは、それなりに自由を謳歌し、どこかのんびりとした雰囲気が漂う───それが、普段の嵯峨ノ原高校の姿だ。
しかし、今日、校門をくぐった瞬間に感じた空気は、いつものどこか気の抜けたような長閑さとは明らかに異なっていた。
学校に着くと教職員用駐車場内を埋め尽くすほどの警察の姿が見えた。よく見ると、警察だけでなく、救急車もいるようだ。事故か事件か。このおびただしい量の警察を見て察するに、恐らく「事件」のほうだろう。警察は本校舎の左隣にある「武道館」に集まっていた。武道館とは、九段下のかの有名な施設のことではなく、1階に柔道場、2階に剣道場がある私立嵯峨ノ原高校の建物のことを指している。とすると、柔道部か剣道部で何かがあったのだろうか……。
「生徒の皆さんは、そのまま各自の教室に行ってくださーい!」
異様な光景に足を止め、遠巻きに様子を窺う生徒たちに向けて、漆原校長が教室に行くよう促している。この声に反応して、野次馬化していた本校生徒(私も含む)は、各自の教室へと足を進めた。
いつもの3ー2の教室に入ると、そこは大盛り上がり。今しがた目撃した警察の話題で持ちきりだ。興奮と不安が混ざりあったような、奇妙な熱気が教室を満たしている。
「高崎、おはよう。見たか? 外の、あのすごい数の警察」
教室で唯一話す友達の新田が早速、私に話しかけてきた。
「おはよう。あんなにいっぱいいたら、見えないほうがおかしい」
「どう思う?」新田は身を乗り出してくる。
「どうって?」
「だから、なんで警察が来たかってことだよ。ただ事じゃないだろ?」
「まあ、柔道部か剣道部が何かやらかしたんじゃないか」
「ちぇっ、つまんない回答だなあ、高崎は。もっとこう、ドラマチックな展開はないのかよ」
こんな大雑把な質問につまんないもクソもあるかっ。だが、まあ、彼の期待に応えてやるのも一興か。
「じゃあ、こういうのはどうだろう。───殺人事件が起きた、とか」
現実的とは思えないが、あの物々しい雰囲気、警察と救急車、それらを総合すると、あながち非現実的な線とも言い切れない。もし本当にそうだとしたら……新聞部としては、これ以上ないスクープになる。いや、こんな状況でそんなことを考えるのはあまりに不謹慎か。
「おおー! いいねぇ、それ! 俺さ昨日───」
新田が何か言いかけたが、その時、放送のチャイムが鳴った。
「えーー。校長の漆原です。えーー。本日は一日、休校といたします」
一瞬、教室は静まり返った。
「現段階では、詳細はお伝えできませんが、また今後の日程については、本校のメールにてお知らせする予定です。えーー。登校してきたばかりで申し訳ないですが、速やかに下校するようにお願いします。えーー。また、本日の部活動等につきましても『活動はなし』でお願いします。えーー。本日の件で今朝連絡のあった者は、体育館に集まってください。えーー。最後にですね。本日の件で何かトラブルがあったり、皆さんに危害が加わるようなことがあったら、すぐに学校へと電話をしてください。えーー。では、安全に下校をしてください」
しばらくの間、教室に沈黙が訪れた。漆原校長の、いつもとは全く違う、硬く、微かに震えを帯びた声色。普段の温かみは消え、いまにも押しつぶされそうな響きが、事態の重大さをなにより物語っていた。
この後、担任の先生が教室に来て同じことを説明し、下校となった。
「じゃあ、高崎、帰りながらさっきの話の続きでも……」
「悪い、新田。ちょっと用事ができた。また今度!」
私は、駆け足で体育館へと向かった。用事という用事は無いのだが、新聞部員としての血が体育館へと引きつけていた。走りながら、私はスマートフォンを取り出し、松戸に電話をかける。
「はい、松戸です」
「もしもし、高崎だ。今すぐ体育館に来てくれ」
「承知しました。すぐに向かいます」
松戸孝太郎。新聞部の副部長であり、いつも冷静沈着な私の右腕だ。彼がいれば、どんな状況でも心強い。
体育館は、武道館の真反対。本校舎の右隣の立地である。体育館に関係者が集うということは、恐らく、事情聴取。この中に入れたら一番だが、部外者が入ることはできないだろう。だが、試してみない手はない。
体育館の入り口にたどり着くと、そこには既に先客がいた。
「あっ、部長!」
「ん。やっぱり早いな、君は」
体育館の前には、2年の三鷹凶神がいた。三鷹は、生粋の記者で、何かスクープがあると飛ぶように駆けつけてくる、まさに生まれつきのジャーナリストのような男だ。以前、彼自身がとある(くだらない)事件の被害者になったこともあったが、それはまた別の話だ。
「部長、一回、中に入ってみますか?」
「そうしよう ちょうどいいところに 松戸かな」
「何を詠んでいるんですか。上手くもないし。さあ、早く入りましょう」
松戸が私の即興の句を一刀両断する。んー我ながらいい出来だと思ったのだが……。
松戸と合流し、体育館に足を踏み入れた。広々とした体育館の中央には、パイプ椅子がいくつか並べられ、そこに険しい表情をした刑事らしき男が二人と、俯き加減の剣道部員たち、そしてその傍らに仁王立ちする顧問の多部先生の姿があった。張り詰めた空気が、体育館全体を支配している。
「ん、君たちも関係者かね?」
いかにも歴戦の猛者という風格を漂わせている中年の刑事が鋭い目線をこちらに向けて尋ねてきた。
「ある意味、関係者です」
「というと?」
「私は新聞部部長の高崎と申します。この学校で起きた出来事を調査し、記録し、そして報道するのが我々の使命です。ですから───」
「そうか、新聞部か。ご苦労だが、今は部外者は立入禁止だ。おい、そこの君。この子たちを外へ」
話が終わりきる前に、刑事は控えていた警官に指示を出した。我々は為す術もなく、警官によって体育館の外へと丁重に、しかし断固として追い出された。
「まあ、仕方がありませんね。予想通りの展開です」松戸が冷静に呟く。
「松戸。今の短い接触で、いくつか確信に近い情報を得られた。なんだと思う?」 私は体育館の扉を背に、問いかけた。
「はい。少なくとも二つの点が明確になったかと思います」
松戸は、すっと人差し指と中指を立てて、淀みなく話し始めた。
「一点目。これは、単なる事故や騒ぎではなく、殺人事件、もしくはそれに準ずる極めて重大な事態が発生したということです。根拠として、あの場にいた二人の男が私服警官、すなわち刑事であったこと、そして剣道部員及び顧問の多部先生の暗く沈んだ表情から推察されます」
「二点目。その重大な事態に、剣道部が深く関与している、ということです。体育館に関係者として集められていたのが、剣道部員と顧問のみであったことから、これは明白かと」
「ああ、その通りだ。素晴らしい観察眼だな。剣道部で、極めて深刻な事件、おそらくは殺人事件が起きた。これが現時点での最も確度の高い仮説だろう」
「部長、これからどうします?」三鷹が聞いてきた。
「うーん。まずは、情報の中枢にアクセスしてみるのが定石だろう。生徒会だ。彼らなら、我々よりも多くの情報を掴んでいる可能性がある」
「生徒会、ですか。いいですね!……あっ、でも今日は全員下校したんじゃ」
「いや、生徒会に限ってそれはあり得ん。うちの生徒会は、こうした非常事態にも対応しなくてはならない使命がある。恐らく、今頃学校側と情報の共有と今後の動き方について協議しているところだろう」
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