徒花の先に

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第四話 暗殺

 組手を習っていて良かったと思う。でないと俺は今頃虫の息だ。
 一旦賊を全て制圧し終わると騒ぎを聞きつけたエルモアが駆けつけてきた。
「殿下っ!!」
 いかん、あの淫紋のような紋様を見られてはまずい。何を勘違いされるか分からない。それに邪神のことが知れて大騒ぎにはしたくない。
 とっさに俺はエルモアに背を向け腰に巻いていたタオルを少し上げて結び直し紋様を隠すも彼が俺を見て動揺したように頬を赤く染め、急いで視線を逸らす。見られてしまっただろうか。
「いや、その、これは……」
 エルモアが大きく目を見開く。
「殿下っ!! これは──」
 視線の先を追えばエルモアは驚いたように湯船で伸びてる黒い集団を見ていた。良かった。バレてはなさそうだ。俺は何事もなかったようにいつもの調子で命令する。
「賊が入った。騎士らは直ちに陛下と第一皇子、第三皇子の警護にあたり、宮廷内の警戒を強めろ」
「は、はい!! あの、殿下お怪我は!?」
「ない。俺は平気だ。お前も宮廷の警備にあたれ」
「いえ私は殿下の護衛騎士です!! 絶対に貴方様からは離れません!! 神を害そうなどととんだ愚か者が!! 一人たりとも赦しはせん!!」
 何かエルモアが激怒しているようだったが宗教は専門外なのでよく分からない。
 浴室に万が一にと掛けてあった剣を手に取った瞬間、天井のガラスがパリンと勢いよく破れ上から人が降ってくる。
 先程よりも数は少ないが周りを囲まれ確実に仕留めようと鋭い刃が俺に向けられる。
「また来たか。エルモア後ろは任せたぞ」
「はいっ!!」
 キィンという金属音が幾度となく響く。しんと静まり返った頃には湯は赤く染まっていった。
 全身が返り血に染まりベタベタと気持ちが悪い。久しぶりの湯にせっかく身体が綺麗になると思ったのに。これじゃあ湯に入る前の方がまだマシだった。湯で清めようとも赤血で染まり入る気が失せる。仕方なくタオルで簡単に血を拭い服を着て浴室を出ると伝達を終えたエルモアが誇らしげに鼻を高くしていた。
「やはり殿下は剣がなくても平気でしたね。あの数の賊を一人で片付けるなんて」
「そんなことより残った賊を全て一掃するぞ」
 外に出れば騎士たちが忙しなく走り回っている。その光景にドクドクと心臓が波打つ。
 兄は大丈夫だろうか。兄は無事か。
 この騒ぎは俺の過去にはなかった。だから余計に心配だった。
 だけど兄のことは忘れなくては。もう兄を愛さないと決めたのだ。だから最優先にすべきなのは陛下である父だ。
 思い上がってはいないが騎士の中で俺は一番強い。だからいち早く一番守るべき父の元に行かなければ。
 そう道を駆け抜けていると青々しい芝生にノエルが腰を抜かしていた。その周りには騎士たちとあの漆黒のマントを羽織った輩が対峙していた。
「ノエルっ……!!」
 俺に気付いた黒い奴らの一人がこっちに向かって駆けてくる。剣を抜きそいつを片付け、苦戦している騎士たちの助けに入る。
「ノエル大丈夫か?」
 かわいそうに。こんなに震えて。どんなに怖かったろうか。
 全てを終わらせてノエルの元に駆け寄り手を差し伸べるもその手は取られない。ああそうか、ノエルは俺のこと怖いよな。俺は沢山ノエルに嫌がらせをしてきたのだ。それに今の俺は血だらけ。怖がって当然だ。
 少しでも怖がられないように顔についた血を拭って彼の手を優しく取って立たせる。その様子に怯えてたノエルが不思議そうに俺を見つめる。
「イライアス兄様……?」
「怪我はないか? どこか痛いところはないか?」
「……僕は大丈夫です」
 そう言うものの、念のためぐるっと身体を見回す。見る限り怪我は無さそうだ。
 はぁ、と息を吐けばノエルが心配そうに俺を覗く。
「あの兄様はっ? お怪我はありませんか??」
「俺は平気。傷一つないよ」
 そう言えばノエルは心底安心したように強張った顔を緩ませた。
「……良かったぁ」
 なんていい子なのだろう。俺が散々嫌がらせしたのにこの心配ぶり。ノエルは天使か何かなのだろうか。本当に俺は愚か者だな。こんな子に嫌がらせするなんて。
「ノエル、ここにはまた賊が来るかもしれない。ここは危険なんだ。だから俺と一緒に行こう?」
 ノエルの身長に合わせて屈み、そう優しく手を伸ばす。
 ここでノエルを一人残すより一緒に行動して父の元に向かった方が安全だろう。
 今度は取ってもらえるだろうかと不安になるがノエルは俺の手を握りしめてくれた。
 ノエルが躓かない程度の小走りで進んでいると騎士たちから伝達が入ってくる。どうやら賊は全て捕らえたらしい。とりあえず一安心だ。ノエルはきっと走り続けて疲れているだろうから部屋まで送り届けよう。屈んで背をノエルに向ける。
「あの、これは……?」
「乗っていいよ。大丈夫、ノエルは軽いから」
「だったら私がおぶいます!! 殿下は休まれてください」
 エルモアが我先にとノエルの前に屈む。
「エルモアだって疲れてるだろう? 俺は大丈夫だから気にするな」
「し、しかし──」
 瞬間、俺の背がふんわりと温かくなる。
「すみません兄様。ではお願いしてもいいですか?」
 ノエルの腕がぎゅっと俺の前で結ばれる。
「気にするな。ちゃんと掴まってろよ」
 ひょいとおぶって道を闊歩するとエルモアが「で、殿下……」と眉を落とす。ああそっか、ノエルはかわいいもんな。お前もおぶりたかったよな。いや申し訳ないことをした。今度機会があったらエルモアにおぶらせよう。
 俺が背負って嫌じゃないだろうかとノエルの様子を窺えば嬉しそうに緩ませた頬を肩に擦り寄せていた。とりあえず嫌というわけじゃなさそうで良かった。
 部屋に着くとその扉の前には既に先客が来ていたようだった。
「ノエルっ!!」
「アラン兄様!!」
 背からノエルを下ろすと一直線に兄へと駆けていく。
「ノエル!! 大丈夫か!? 怪我はっ??」
「僕は大丈夫だよ」
 そう言うものの、俺と同じように兄は心配そうにノエルの身体をぐるりと見回し怪我がないか確認する。
「ああ、無事で良かった……」
 安堵する兄。見る限り兄には怪我はなさそうだ。襲われたような形跡も見られない。良かった。
 ダメだダメだ、こんな顔しちゃ。俺は愛さないって決めたんだ。だからただの弟として接しなければ。だけど家族として想うことは許して欲しい。
「で? これはどういうことだ? イライアス」
 兄が振り返り俺を冷たく見遣る。
「陛下の警護に向かう最中、ノエルを見つけたので宮廷内が安全になるまで保護しました」
「そういうことではない。なぜ賊が入ってきた? 宮廷の守りは万全だろう? それこそ内通者が居ないと侵入すら不可能なほどに」
「……何が言いたいのですか?」
「お前が賊を入れたのではないか?」
 信用のカケラもない疑いの眼差しが俺に向けられる。
 やっぱり。正直言われるだろうなとは思っていた。なんたって兄にとってノエルは大切な弟。その弟が危険な目に遭えばいつも嫌がらせをしていた俺を疑うのは当たり前だろう。
 エルモアが怒るように声を荒げる。
「殿下、なんてことを!! イライアス様は実際何人もの賊に襲われたのですよ!!」
「それは自作自演だろう? 皇族で襲われたのはイライアスとノエルのみと聞いた。なら賊の狙いはノエルだ。お前がノエルを襲わせたんだ」
 その突飛な考えに兄らしくないなと思いながらもそこまで俺を信用していないのだと実感する。
「殿下っ!!」
「やめて兄様!! イライアス兄様は僕を助けてくれたんだよ!?」
 ノエルまでもが俺を庇い出す。本当にいい子だな。
 そろそろ二人が騒ぎ出して大事にならないように冷静に対処しなければ。
「俺はこの件に関しては何も関わっていません。騎士の矜持にかけて誓ってそれは本当です」
「貴様の言うことなど信じられるか」
「兄上がそう思うのなら兄上が賊の調査を行なってください。おそらく陛下がそう命じるとは思いますが」
「そうだろうな。お前はこれまで幾度となくノエルを傷つけてきた。今回はノエルが助かったから良いものの。これまではただの兄弟喧嘩だと何もお咎めはなかったがいい機会だ。お前には今回の件も含めてノエルを傷つけた罰を負ってもらおう」
 そうして兄はノエルを半ば強制的に連れて行ってしまった。
 俺とノエルを標的とした暗殺。そもそも暗殺なんてこの時期にはなかった。俺が過去に戻ったことで何かが変わってしまったのだろうか。どちらにせよ暗殺の件は兄に任せておいて問題はないだろう。兄ならすぐに首謀者を見つけるはずだ。
「出しゃばってしまったでしょうか?」
 エルモアが申し訳なさそうに小さく訊ねる。ただの従者である騎士が皇族同士の言い争いに割って入るなど言語道断。それを気にしているのだろう。
「そんなに気にするな。だって俺のために言ってくれたんだろ? ありがとな、エルモア」
「……っいえ。殿下の役に立てたのなら良かったです」
 エルモアが感極まったように顔を伏せる。そんなに嬉しいのだろうか。あまり礼など言ったことはないからな。言葉にしなきゃ伝わらないことも多い。今度からは礼を心がけよう。
 また父に事を報告しに行かなければな。その前に服装を正さないと。だとするともう一回軽く湯に入った方がいいか。流石に全身血塗れはまずいもんな。
 そうして歩こうと踏み出せば足がふらついて転びそうになる。危ない。いつの間にか身体が疲れていたようだ。
「殿下、あの、肩をお貸ししましょうか?」
 エルモアが心配そうにこちらを覗く。
「大丈夫です。ここには誰もおりません」
 確かに辺りは静寂に包まれている。部下であるエルモアに弱き自分を見せてもいいだろうかと迷いもしたがこれ以上身体を酷使してしまえばぶっ倒れる自信があった。そんなことで俺の貧弱さがバレて剣を取られちゃ敵わない。
「ではお言葉に甘えようかな……」
「はい!! どうか存分に甘えてください!! なんなら私が部屋までおぶりますよ!!」
「それは、、やめとくよ……」
 幼子でもあるまいし。そんな姿見られてもしたら俺の体裁に関わる。
「陛下への報告は私が代理として行っておきます。大丈夫です。殿下のことは先の戦争と此度の件でお疲れであると伝えておきます。誰だって度重なる戦いは疲れます。だから安心して身体を休ませてください」
「……そうか? すまない、では頼む」



 その夜、やはり俺の身体は限界だったようで悲鳴を上げていた。
 熱とひどい頭痛にいくら目を瞑っても寝付けない。寝具に身を包もうとも寒気はするし頭は鈍器で殴られるように痛い。シーツは汗でびっしょりと濡れているし、服も汗を吸い取り肌に張り付いて気持ちが悪い。
 きっと今頃、邪神は俺を見て興奮でもしているのだろう。だけど今は大したことないように振る舞う余裕もない。それにどうせ邪神と俺は一心同体なのだから邪神は俺が苦しんでいることなど筒抜けだろう。
 あの真っ暗な世界での苦しみも相当だったが、この苦しみも同じくらい辛い。ひどくなる頭痛にシーツをぎゅっと握り耐える。誰もいない暗い部屋。まるであの世界みたいだ。
 小さい頃はこんな風に寝込む俺の手を兄が一晩中握っていてくれた。感染るからとどんなに周りから反対されようが絶対に離れず額に何度も冷たいタオルを代わる代わる置いて看病してくれた。
 ふと暗闇に手を伸ばす。だけどその手を取るものはいない。
 それを理解した瞬間なんてことをしてしまったのだと思った。
 もう兄を愛さないと決めたのに、求めてはいけないのに手を伸ばしてしまった。俺はまた同じ過ちを犯すわけにはいかないのに。
 ぎゅっと俺は伸ばした手を握りしめて寝具の中へ入れる。

 ダメだ。ダメだ。ダメだ。
 愛してはダメなんだ。
 愛したら不幸になる。
 それだけはダメだ。
 兄の幸せだけは壊しちゃいけない。

 いっそのこと心なんか無ければいいのに。そしたら俺は兄に想いを寄せることもそのことで苦しむこともない。兄の幸せを壊すこともないんだ。




 その後俺は一晩中トイレに這いつくばっていた。胃が空っぽになっても吐き気が込み上げる。天井も床も分からなくなるくらいぐるぐる視界が回る。意識も遠のいていったがこのまま意識が無くなれば数日は目を覚さないだろう。目を瞑らないよう手の甲を噛む。

 もう一方の手に感じるのはただ白い陶器の冷たさだけだった。
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