徒花の先に

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第七話 弟

アラン視点


 第一皇子として俺は人に求められてきた。いずれ国を背負う皇帝として。国に繁栄をもたらす偉大な皇帝として。
 誰もが俺に目を向ける。だけど俺自身を見てくれる者はいなかった。
 あの子が現れるまでは。
 五歳になる頃、俺に新しい弟ができた。名はイライアス。
 あの子と初めて会った時のことは忘れもしない。俺の小指を握る小さな手。炎のような美しい真っ赤な瞳。それになによりふにゃりと綻ばせる柔らかな顔。
 その微笑みを見ているとまるで春の優しい陽光に包まれているかのように心が癒された。いつまでも見ていたい。俺はあの子から目を離せなかった。
 母には感謝したい。愛情など子に一切向けない、理想の母親からは大きく逸れた人だったが、最期にかけがえのない贈り物を俺にしてくれた。
 俺のかわいい弟。俺が弟を守るんだ。

 いつまでも弟には笑っていて欲しい。
 だけど弟は笑うことが少なかった。
 泣き止まない弟。
 赤く染まった熱い頬。
 弟は身体が弱く毎日のように体調を崩した。
 俺はますます弟を守らなければと思った。
 
 弟は歩けるようになると親を追うヒヨコのように俺の後ろにいつもくっついてくるようになった。言葉も話すようになって舌足らずに俺を「おにいちゃん」と呼ぶようにまでなった。それで何度悶えたことか。
 身体の弱い弟はあまり外に出れなかったが外で遊べなくとも弟が一緒ならなんでも楽しかった。弟も同じらしく、本を読んでやれば「次はどうなるの?」と心躍らせていたし騎士の人形でままごとをすれば夕暮れになるまで飽きることなく一緒に遊んだ。
 弟は俺を心の底から慕ってくれた。そこに第一皇子も国もなかった。弟だけが俺自身を見てくれていた。
 愛おしい弟。俺と弟はいつも一緒だった。
「にいちゃ」
 久しぶりに外に出れた弟が野に咲く花を小さな手に持って笑う。
 いつまでもこんな日々が続いて欲しい。だけどその想いは叶わない願いだったのを俺は近く知ることになった。

 深い闇が部屋を包み込み、ポツポツとある数個の明かりだけが心許なく二人を照らす。
 不安で不安で仕方がない。チクタクと正確に動く秒針が俺の心を更に乱す。いつも落ち着いた様子の父は深刻そうに眉間に皺を寄せていた。その父の表情にまた不安に駆られてどうにかなりそうで俺は見ないように顔を伏せる。
 ギィと重い扉が開かれる。
 出てきたのは独特な白い装いをした初老の男。男は疲れたように額から汗を伝わせ残念そうに眉尻を落とす。嫌な予感がした。
 やめろ、そんな顔するな。お願いだからそんな顔をしないでくれ。
「出来うる限りのことは尽くしましたが……」
「どうしてだ!? 貴様は国一の魔法の使い手なのだろう?? どうして助けられない!?」
 抑えきれず思わず声を荒げる。
 男は教皇。帝国で数少ない魔法の使い手の一人でありその中でも秀でた才を持つ。そんな男でもってしても無理だなんて信じられなかった。
「申し訳ございません、殿下」
「アラン!! 口を慎め」
 父が怒鳴りつける。あくまで彼は教皇。だからこそ俺を諌めるのは分かるがなぜこうも冷静でいられる!? 弟が危篤なんだぞ!!
「それでイライアスの様子はどうなのですか?」
「今は容体も落ち着いておりますが、いつ急変するか分からない状態です。見るところ今夜が峠でしょう」
「……そうか」
「イライアス殿下のお身体は皇族特有の特殊な魔力が多いために拒絶反応を起こしております。通常は特殊な魔力であっても魔力量は少ないためそんなことは起こりません。更に今の殿下は身体が弱っていることで風邪も併発しております。私にできることといえば魔力を吸収し、拒絶反応を抑えることくらいです。私も悔しい限りなのですがあとはイライアス殿下のお身体次第なのでございます」
 そんな……。弟にしてやれるのはそれしかないというのか。肝心なところは弟自身でなんとかするしかないだと?
「っくそ」
 悔しさに拳を強く握る。
 俺はなんて無力なんだ。弟を守ると決めたのに俺は苦しむ弟を目の前に何もできない。代われることなら代わってやりたい。だけどそれも叶わない。俺は何もせずここで突っ立ってることしかできないのか。
「ッゲホゴホッッ」
 咳き込む教皇の口元に血が伝う。イライアスの魔力を吸収したことで弟同様拒絶反応が出たのだろう。父が心配そうにソファに座るよう促す。
 教皇も命がけだった。教皇は命を懸けているのに魔法を使えない俺はそれもできない。再び無力さを痛感する。
「ッッゲホッ……申し上げにくいことなのですが、たとえ体調が回復したとしてもこういうことが何度も続きましょう。弱った身体に風邪どころではない大病に冒される可能性もあります。……二十歳までとお考えください」
 目の前が真っ暗になるようだった。
 ……二十歳まで?? だってイライアスはまだ四歳になったばかりなんだぞ。それなのにもう末期のように余命を告げられるなんて。生きていられるのもよくてあと十六年??
「陛下、イライアス殿下のためにも治療より苦痛を和らげることに移ることをお勧めいたします」
 険しく顔を顰める父に教皇が意を決したように言い放つ。瞬間、込み上げてきたのは煮えたぎるような怒りだった。
「ふざけるな」
 二人が驚いたように目を向ける。
「治療をしない?? それってイライアスのことを諦めるってことじゃないか。そんなの絶対に赦さない」
 俺にはイライアスしかいないんだ。俺のかけがえのない大切な弟。なのにもう手立てがないから諦めろと? 失う瞬間をただ待つしかないだと? そんなの認めない。
「なんとしてでも治せ。でなければ俺がお前を殺す」
 その言葉に絶句する教皇。
 弟を救うためなら俺は悪魔にだって何にだってなってやる。
 だからお願いだ。どうかイライアスを失わせないでくれ。

 俺が風邪をうつされないようにと止める使用人を振り払い寝込む弟のもとへ一直線に向かう。
 弟はハァハァと荒い息でなんとか呼吸し、熱っぽい瞳は宙を見ていた。きっと目に映るものが夢か現かも分かっていないだろう。瞳が俺を捉えて痩せ細った腕を伸ばす。
「にいちゃ、おにいちゃ……」
「大丈夫だイライアス。俺はここにいる」
 その小さな手をしっかり握り、優しく弟の汗ばんだ髪を手で梳かす。冷たいタオルで額を拭ってやれば気持ちよさそうに目を細めた。
 何もせずただ突っ立ってることなんてしたくない。弟のためにこれくらいのことしかできないけど俺は俺にできることをしたい。
「大丈夫。おにいちゃんがお前を守るからな」
 虚しさと自分への怒りがふつふつと沸いてくる。
 だけどその言葉に弟は安心したように瞳を閉じた。その後二日間弟は目を覚ますことはなかった。
 俺が弟を守る。それは正真正銘本気だった。だけど幾たびも自身が無力だと突きつけられ、向き合わなければならない暗い現実から目を逸らすようになってしまった。

 いつしか弟に会うことに俺は辛さしか感じなくなっていった。


 そして俺は取り返しのつかないくらいひどいことを弟にしてしまった。だが俺はそのことに気づくことすらなかった。



 積み重なった書類になんだこれはと頭を抱えたくなる。碌に考えてないだろう案に、山のように積もる数々の問題。なぜこうも無駄で非効率的なのかと苛立ってくる。それに一番会いたくない人物が今日に限って現れ、更に苛立ちが募る。

「我が国だけでなく同盟国も招き合同軍事演習をするというのはどうでしょうか?」

 なんだと思えばイライアスが珍しく俺に意見してきた。思い出してみると今まで俺に口出しをしたことなんてなかったように思う。
 だがどこかイライアスの様子がおかしい。頬は赤く、瞳は熱を帯びていた。胸がざわつく。それはまるであの時のようだった。
「……お前、顔が赤いぞ」
「っえ」
 イライアスが慌てたように顔をさする。
「イライアス、お前熱があるのか??」
「いえ、そのっこれはその……」
 明らかに狼狽えているイライアスに俺の推測が当たっていると確信する。
 暗い何かに覆われそうだった。
 そんなはずはない。イライアスの身体が弱かったのは昔の話。今は先陣を切って剣を振り回しているような奴だ。きっと何か別の原因があるはずだ。今日がやけに暑いからか? だが宮廷内は外と違って涼しく保たれている。こんなに頬を赤く染めるほど中は暑くはない。
 そうして振り払うように次から次へと思考を巡らせていくと一つ頭に思い浮かんだ。
「いや違うな。まさかお前酒を呑んでるのではあるまいな」
 イライアスが「え?」と間の抜けた声を出す。
その反応を気にしたら終わりだった。言い訳をする子どものように俺は必死に言葉を紡ぐ。

「だからか。俺に意見するなど珍しいなとは思ったのだ」

「はぁ。お前はとんでもない愚弟だな」

 そう、これは全て酒のせい。陽が沈んでもないのに酒に溺れた弟のせいだ。だから弟が体調を崩したなんて可能性は一ミリもない。

 だがどうしようもない不安の波が押し寄せる。もし倒れたりしたらと考えるととても恐ろしかった。
 いやしかしイライアスの身体はもう治ったのだ。
 だから心配することなど何もない。
 だけど……。
「今日は部屋にいろ。決して外に出るな」
 これは戦闘狂の弟が酔っ払って夜会で問題を起こさないようにする予防措置に過ぎない。そう何度も反芻する。

 全ては弟が酒を呑んだから。

 だが弟はそれを悉く否定してきた。理由を訊けば訓練から戻ってきたばかりでその熱が引き切っていないからだとのこと。

 それに心底安心する。正直、理由なんてどうでも良かった。体調を崩していないという証明があればなんでも良かった。

 しかしその安堵もすぐさま消えた。

 芯が抜けたように崩れる身体。震える手。それは日々苦しむ過去の幼い弟そのままだった。
「……すみません、足がもつれてしまって」
 そうして立ち上がるイライアス。だがその言葉はもはや苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。俺は現実を直視するしかなかった。
 弟の身体は治ってはいない。弟はあの頃のまま苦しみ続けている。
「いや、そんなはずはない……」
 違う。弟はもう治ったのだ。だからあり得ない。
 朝になっても二度と目を覚さない未来なんてもうないんだ。
 これ以上イライアスの顔を見ていれば狂いそうだった。
「もういい。今日はもう部屋に戻れ」
 俺は目を逸らし平静を装う。そう、これはなんてことないんだ。ただイライアスが転んだだけ、それだけなんだ。





 少年の姿をした俺が、寝ているイライアスのぷっくりとした頬をちょんちょんとつつく。
「……かわいい」
 自然と頬が緩み、雲の中にいるようなふわふわとした幸福感に包まれる。俺はこれがどうしようもなく好きだった。
 寝ている度につつくものだから毎度イライアスから嫌がられるのだけどやめられない。
 だけど今晩はどれだけつついても反応がない。
「イライアス……?」
 優しく肩をゆすっても起きる素振りは見せない。不安に駆られて強くゆすってみても瞳は閉じたままだった。
「イライアス、イライアス。ねぇ起きてよ。イライアス目を覚まして」
 どんなに声をかけても弟は眠ったままだった。
「イライアス、お願い目を覚まして!!」
 そう泣きながら懇願しても瞳は開かない。どれだけゆすっても弟は全く動くことなく眠り続ける。
 それはまるで死んでいるかのようだった。


「……っっ」
 暗い天井が目に映る。ベッドから飛び起きた俺の身体は汗だらけでドクドクと心臓が嫌な音をたてて鳴っていた。
「ハァハァハァ……」
 毎晩のように見る悪夢。あれは俺が最も恐れている未来だ。
 イライアスを失うのが怖い。
 夢から覚める度、本当にイライアスが死んでしまっているのではないかと不安で仕方がなかった。
 温かな体温。光の宿った瞳。今すぐにでもイライアスが生きていることを確認したかった。
 寝室を飛び出し俺はイライアスのもとへと駆けていく。
 扉を開けば驚いたようにイライアスが起き上がる。キラキラとした大きな碧眼が俺を捉える。
 求めるように俺は弟を抱きしめた。
 温かい。呼吸もしている。
 良かった。イライアスはちゃんと生きてる。見るところ熱もないし顔色もいい。
 やっぱり身体は治っていたんだ。今日のあれは俺の見間違いだったんだ。
「兄様!? ど、どうしたの?」
 尋常ではない俺の様子に弟は戸惑うように覗き込む。
「……もしかしてまた夢を見たの?」
 そう心配げに呟く弟を安心させるように俺は金に輝く髪を優しく撫でる。
「イライアス、大丈夫だよ。俺がお前を守るから」
 イライアスの身体さえ治ればあとは怖いものはない。俺は無力ではなくなる。
 イライアスを傷つけようとする者には容赦しない。イライアスが笑っていられるなら俺はなんだってする。
 全ては弟のために。
「……兄様??」
 訝しげに弟が見つめる。ああそんな顔も愛おしい。やっぱりイライアスはどんな時もかわいいな。
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