徒花の先に

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第三十一話 雨

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 雨が降っている。
 雨が降っている。


 傘に雫が止めどなく落ち、バタバタと弾け飛ぶ。
 黒い傘に黒い服。空気は重苦しく、悲しみに満ちている。泣き叫ぶ女の声。
 本を手にした教皇が何か言っているようだったが、言葉は全て耳から耳へと通り抜け俺には理解出来なかった。
 喪服の中心に彼はいた。
 深々と穴が掘られ、そこへ迎え入れるように雪のように真っ白な棺が置かれていた。
 棺に埋められた沢山の白い花に囲まれ、彼は眠り続ける。美しい青の瞳は閉じたまま。
 どうして兄はこんなところで寝ているのだろう。雨の中外で寝るなんて風邪を引いてしまうじゃないか。
 心配を他所に体はもう一人の自分が操っているかのようにどこか冷静で動かすことが出来ない。
 じっと兄を見続けているのに何故か兄の顔だけがぼやっとして認識することが出来なかった。
 いつの間にか教皇の長い話は終わり、兄の顔が棺に遮られる。完全に棺が閉められようとしても兄は未だ眠り続けたままだった。
 疲れているのだろうか。だから兄はこんなことをされても眠ったままなのだろうか。
 ぞろぞろと人々が列を成して兄が眠る棺に土を投げ入れていく。黒に近い土はどんどんと重なっていき、真っ白の棺を埋めていく。
 駄目だ。それじゃあ兄が目を覚ました時に自力で開けれなくなる。
 そう土を投げ入れる人々を止めようとするが、力の抜けた体では指先一つさえ動かせず、そのまま佇むことしか出来なかった。
 遂には棺は完全に埋まり、兄の眠る場所を知らせるようにポツンと白い墓石が立っているだけになってしまった。
 雨音と女の泣き叫ぶ声だけが響く中、喪服の集団が墓石の元を去っていく。
 どうして皆そんな悲しげな顔をしているのだろう。そんなことより棺を掘り返してくれ。このままじゃあ兄が起きれなくなるじゃないか。
 けれど誰もそうしようとはしない。
 父やノエルさえも悲しみに暮れた表情を浮かべ、俺に感情を共有するかのような視線を向けて去っていく。
 父なんかは去り際俺の肩に手を置いてきた。
 どうして皆そんな、まるで……兄が死んだかのような振る舞いをするのだろう。
 兄はただ眠っているだけだと言うのに。
 女が墓石の前で崩れ落ち、慟哭する。
 訳が分からなかった。
 困惑にただ突っ立って墓石を眺めていると女と目が合う。
 先程から泣き叫び続ける女。彼女は兄の婚約者シェリア公爵令嬢だった。
「……タ……い……で………」
 憎しみのこもった瞳が俺を捉え、何かを呟く。
 途端、シェリア嬢が俺に掴みかかってくる。
「アンタのせいでっっ……!!!!」
 普段穏やかな彼女からは想像のつかないような荒々しい憎しみの叫び。彼女は涙で頬を濡らしながらもギッと俺を睨みつけてきた。
 シェリア嬢の言葉にああと納得する。
 兄は眠っているんじゃない。兄は死んだのだ。
 ……そう、俺のせいで兄は死んだ。
 「アンタのせいだ」と何度も怒鳴る彼女に教皇が同情の視線を向けながら肩に手を置き、無言で俺から彼女を優しく引き離す。
 シェリア嬢はそんな教皇に身を預け悲しみの涙を流していた。そのまま教皇は寄り添うようにして彼女を連れて行った。
 彼女が掴みかかった衝撃で傘は地面に放り投げらていた。雨が直に降り注ぐ。しかし取る気にはならなかった。
 ただ兄が死んだという証である墓石をただ眺める。
 兄弟間の愛は禁じられたもの。しかし俺は兄を愛してしまった。禁じられた愛は不幸をもたらす。
 ……結局その通りになってしまった。
 俺が兄を愛したせいで兄は死んだ。
 もう兄の笑顔を見ることは二度と出来ない。そうはっきりと現実を突きつけられる。
 けれど涙は出なかった。
 まるで自分も死んでしまったかのように何の感情も湧いて来なかった。
「イライアス、行こう……」
 イェルクがさしていた傘を俺へと向け、心配するように顔を窺い、びしょ濡れになった体に自身が着ていた上着を掛ける。
 連れられるまま俺は墓石に背を向けた。
 瞳に映るもの、全てが霞んで見えた。



♢♢♢



 あの日、雨に打ち付けられたことで俺は風邪を引き起こした。
「ッゲホ、ッゴホ、ゴホッ!」
 ベッドで横になりながら体を丸めて止まらない咳に耐える。熱もあるのだろう、怠くて汗が滲み髪が張り付いてとても邪魔だ。
 俺の場合風邪はただの風邪ではなくなる。暴れ回る魔力で弱ったこの体は大抵こうして酷くなる。
 定期的に俺の様子を見にくるイェルクが遣わした医者が時間になり部屋に入ってくる。
「イライアス殿下、お体の調子はいかがでしょうか──殿下……!」
 咳き込む俺を見るや否や焦った様子で駆け寄ってくる。様子を診ようと触れる手を俺はバシッと勢いよく払い退けた。
「ゲホッゴホッ来るなっ……!」
「ですがっ……」
「ゲホッゲホッ俺のことは放って部屋から出て行け!」
 そう追い払おうと既に消耗しきった体力を振り絞り大声を上げる。けれど一向に医者は部屋を出て行こうとしない。
「俺の言うことがきけないのか!? 死にたくなければさっさと出て行け!!」
 近くに置いていた剣を持って脅せば、こんな状態の俺に殺されるわけがないと分かっているからか恐怖を抱く様子はなく、ただ困惑しどうするか迷いながらやっとのこと部屋を出て行った。
「ッゲホ、ッッゴホ、ゴホッゴホッッ──!」
 体を無理に動かしたことで更に追い討ちを掛けてしまったのか、咳が一層酷くなり呼吸をする間もない。
 けれど俺は医者を呼ぶ気はなかった。医者を呼べば、俺の体の治療と魔力への対処が始まる。魔力を吸い上げ、段々と具合の悪くなる医者の顔を見るのはどうしても耐えられない、絶対に嫌だった。
「……ヒュー、ヒュー」
 丸まって咳を止めようと四苦八苦していると呼吸自体が苦しくなってくる。掠れたような呼吸音。息苦しくて悶えそうなのに酸素が回ってないのか指先一つすら動かすことが出来ない。
 とうとう意識が混濁し始める。
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