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1章
10話:異世界人の実力
しおりを挟むハルトはじわりと血が滲み出る首筋を押さえる。
首をナイフで斬られたことは理解できる、でも、いつの間に?
頭の中は雑音だらけだ、パニックになりながらも、とにかく、今は止血して血を止めることが最優先だと身体は警報を鳴らす。
咄嗟に自分が羽織っているマントを脱ぐと自分の首筋にきつく巻き血を止めようと苦心する。
四苦八苦するハルトの姿を見て、
「――ハルトって名前だっけ? そーんなに慌てなくてもいいんだよハルト君。
お姉さん、ちょっとハルト君を試しただけだからさ死ぬことはないです、ニャ」
独特のイントネーションを付けながら、
砂色のネコミミの女性、サーニャは吹き出してカラカラと笑う。
「どんな反応を見れるか、ちょっと首の皮を撫でつけただけです、ニャ
いやはや、防御行動も何も見せないからこっちも驚きながら首筋を一回り撫でつけてしまったです、ニャよ」
笑いをこらえるように白い外套の袖で口を押えながら、ハルトをおもしろそうな玩具のように茶色の瞳で見る。
ハルトは背筋に気持ち悪い悪寒を感じながら、震える唇からぽつりと言葉を発する。
「――なんで、ここに殺人者が………まだ、夜にはなってないはずじゃ?」
空を見ると、あと少しで闇の帳が落ちるところだった。
所々に配置された魔石が慌てた様にチカチカと光を灯す頃合いだ。
ハルトが考えていたタイムリミットまで、あと四十分はあるはずだった。
「なんでだ、なんで………」
疑問を呟き、答えを出そうとするが頭の歯車は何かがズレたように噛み合わない。
何かがおかしい、だが、その何かが分からない。
「――マルシェ教団の者か、大体見当はついているが聞かせてもらおう。
どうして私達を狙う?」
必死に考えを巡らせるハルトに変わって、前方に立つリーゼロッテは目の前に立つネコミミの女性を用心深く眺めながら質問した。
サーニャは口を覆っていた手をリーゼロッテに向けてひらひらと振ると、いたずらっぽい笑みを貼り付かせながら言った。
「見当がついているんだったら、私が言わなくても分かっているんじゃにゃーい?」
「………狙いは魔女か?」
「さぁねぇ? 私は雇われただけの、か弱い下っ端だからわかんにゃーい」
「………どこまでも愚弄するか、質問するだけ無駄なようだな」
「そうだねー。ほいほいと質問に答える馬鹿は居ないよねー」
もはや言葉を交わすことが無駄だと理解するとリーゼロッテは金色の目を細め、冷たく相手を見据える。
リーゼロッテが纏う空気の変化を敏感に感じ取ったサーニャは両手に持つダガーナイフを空中で回転させるとそれをキャッチし逆手持ちに切り替える。
そして、サーニャは目の前に立つ獲物を見つめると不思議な物を見るように首をかしげた。
「このまま、殺しちゃっていいの?
私さー、得物を持たない奴を殺してもつまらないのだけど?」
サーニャの言うとおり、リーゼロッテの手は武器も何も持っていなかった。
それどころかリーゼロッテの身体には武器と思われるものが一つもない。
騎士が腰に身に付けているような剣も帯剣していないのだ。
斜めに傾けた首をネコミミと一緒に、さらに傾けて不思議そうな表情をするサーニャに唇を歪めると、
「御託は良い、掛かって来い。
それとも負ける言い訳を考えないと決闘は出来ない性分か?」
無防備な状況にもかかわらずリーゼロッテは涼しい顔でサーニャを挑発し手招きした。
サーニャは赤い舌を出し唇を舐め、嗜虐的な微笑みを浮かべる。
「そこまで言うなら、死んでも恨まないでよね!
言っとくけど、私が同情して手加減するなんて思うだけ、無駄だよッ!」
サーニャは前傾姿勢になり、殺気を纏わせ、言葉と同時に飛びかかる。
――だが、同時に動いたのはリーゼロッテも同じだった。
「あぁ、恨みっこはなしだ、よっ!」
"何も持っていない"右手を振り上げ、手首を綺麗に返し鞭を振るうが如く叩き付ける。
その行動にサーニャが疑問を抱いたのはまさに刹那の一瞬だった。
「――ぁっぐ!」
銀色の光がサーニャが持つダガーナイフに当たり、爆音とともにサーニャの身軽な体が宙に舞った。
いや、咄嗟にサーニャが衝撃を逃がすために後方に飛んだのだ。
予想外の衝撃を受け、空中で身体を捻りながら、サーニャは自身を吹き飛ばした正体不明の物体に目を凝らし、茶色の目を見開く。
「騎士が剣以外を使うなんて、卑怯じゃないですか、ニャ!」
「騎士が剣以外を使ってはいけないなど、法律には描かれていないぞ」
そう言って、銀色の鎖を手繰り寄せるリーゼロッテの右腕には銀色の柄が握られていた。
柄の先には鎖が付けられ、その先端には棘が付いた銀色の鉄球が付いている。
俗にいうモーニングスターだ。
ただし、一般的なものと違って鎖の部分が二メートルはあるかというくらいに非常に長い。
「――ふっ!」
リーゼロッテは鎖を手繰り寄せると、短い掛け声とともにその凶悪な武器を空中で舞うサーニャに力いっぱい叩き付ける。
鉄球が唸りを上げて、寸分違わずサーニャの頭に打ちこまれる。
「――っッ!」
当たれば一撃で脳の中身をぶちまけ即死する一撃を、サーニャは両手のダガーナイフで受け止めた。
否、受け止めても衝撃は伝わってしまう、ナイフで巨大な鉄球を触り、絶妙な力加減とタイミングで受け止めるのではなく力を受け流す。
神がかり的な技術を駆使して、鉄球を自身の後方に弾き飛ばし、
さらにそのまま受けた衝撃を利用してリーゼロッテの前方へ回転しながらダガーナイフで斬り付ける。
鉄球を弾かれたリーゼロッテに身を守る手段はない、銀色の一閃はそのまま頭蓋を割り命を地面にぶちまける………はずだったが。
「――ッ!」
サーニャの耳に聞こえたのは、金属同士が交差し火花を鳴らす音だけだった。
見れば、どこからともなく取り出したレイピアの様な細身の長剣を握ったリーゼロッテがサーニャの一撃を受け止めている。
刹那の隙、そのまま地上に着地したサーニャの腹にリーゼロッテの強烈な蹴りがお見舞いされる。
息を詰まらせ、後方に吹き飛ばされるサーニャに止めの一撃とばかりにリーゼロッテは銀色の鉄球に持ち替え、二度三度と追撃を行う。
鉄球は地面を抉り、石の壁を破壊し、土と埃を舞い上げる。
情け容赦のない攻撃を加え、もはやネコミミの殺人者は酷い状態になっただろう。
その、あまりに激しすぎる壮絶な光景に目を奪われ、口を開けたままだったハルトが思い出したかのように言葉を発した。
「………ミンチよりひでぇや」
これが戦闘能力が高い異世界人同士の戦いだと言うことだろうか。
ハルトもいつでも尽力できるようにスタンバイしていたものの、こんな戦いに割って入ればそれこそ自殺行為だ。
少し前の自分も力にならなきゃ! とか思ってた過去の自分を叱りつけてやりたい。
こんなもの自分ごとき一般人が入るべき世界じゃない。
ハルトは戦いが終わったリーゼロッテに駆け寄り、
「ハルト! 動くな! まだ終わっていないぞっ!」
警戒の言葉を発する、リーゼロッテの言葉にピタリと動きを止めた。
リーゼロッテは銀色の鉄球をレイピアに持ち替え、金色の目を険しく細め、油断なく周囲を警戒している。
益々闘気を漲らせ、周りの空気をピリピリと張り付かせる金色の騎士の姿を見て、ゴクリとハルトは唾を飲み込んだ。
「――いやぁ、やられた、やられた、ニャ」
そして当たり前の様に聞こえてきた、致命傷を与えたはずのネコミミの女性の声にハルトは周囲をうかがう、路地に反響される音の出所は意外と掴みにくい。
キョロキョロと辺りを見渡すが、当の本人は姿を隠すことなく堂々と現れた。
鉄球が何度も叩き付けられ、酷い有様となった場所から、何事もなかったかのようにサーニャはパタパタと自分の服から埃を落としながら歩いてきた。
「あーあ、お気に入りの服が台無しです、ニャ
ほらほら、中に着込んでるこのレースの部分とかオシャレポイントなんだけど、どうしてくれるの!………にゃ!」
何事もなかったように、サーニャは唇を尖らせながら、そんな冗談みたいなことを言う。
「それは悪かったな、だが、今日は服を買い直すくらいは考えておいた方が良いぞ」
「ふーんだ! アンタのご自慢の鎧も私が真っ二つに割ってやる………にゃ!」
「君の武器では難しいと思うが………何か秘策があるのかな?」
「売り言葉に買い言葉を重ねただけです、ニャ!
結局は死んだら着てるものなんて関係ないのにゃ!」
破壊をもたらした、当の本人たちはまるで気の合う友人と楽しくお喋りをするかのように気の抜けた会話をする。
その光景はこれから殺し合う二人だとはとても思えないが、どことなく歪でハルトにはやはり理解できない世界なのだ。
ネコミミの殺人者は面白い遊び相手を見つけたように唇を歪め言葉を発する。
「大体、分かりましたです、ニャ
リーゼロッテちゃんは『透明化』か『具現化』の加護を持ってますね?」
「………さぁ、どうかな?」
「そうだよねー、ほいほいと質問に答える馬鹿はいないよねー!
でもでも、私、このお仕事してからこの瞬間がたまらなく好きなんです、ニャ
相手の戦力を分析して、なんとかして殺してあげようと必死に画策するこの瞬間が!
とっても、生きてるって実感できる瞬間なのです、ニャ! 分かる? 分からない? 分かるよね?」
ネコミミの殺人者はそれはそれは楽しそうに顔を輝かせると殺し合いをしていた人物に向けて自分の喜びを伝えようとする。
大げさな身振りで、自分が発見した嬉しさ、楽しさを必死に伝える。
リーゼロッテは子供の様に顔を輝かせる『異常者』に向けてゆっくりと首を振ると、
「………すまないが、私には分からない、君の考えを理解することは出来ない」
「なんで!? なんで、です、ニャ!
違うよ、リーゼロッテちゃんなら分かるはずだよ!
そんなに強いのに! そんなに強いなら私の気持ちが分かるはずですよ!………ニャ!」
「いいや、私に君は理解できない。
――なぜなら、私は戦っている最中に君のように笑うことは出来ない」
リーゼロッテは真っ向からサーニャの言葉を否定する。
サーニャはリーゼロッテの言葉に驚いたように自分の顔をペタペタと触る。
ハルトもネコミミの殺人者の顔を見る――その顔は狂気の笑みで歪んでいた。白い頭巾に隠されていた美貌はその狂気を受けて禍々しく歪んでいる。
サーニャはゆっくりと顔を覆っていた腕を下ろすと、
笑みを浮かべていたサーニャの顔から表情がふいに消える。
濁った眼で目の前の獲物を見つめる彼女には純粋な殺意だけが宿っていた。
「――あぁ、また失敗しちゃったか。
リーゼロッテちゃんとは良いお友達になれそうだと思ったのになぁ」
「殺し合いをしない仲なら、君とは友人になれたと思うが――」
「………何言ってんの」
ゆらりとサーニャの身体が動き、今までとは違う稲妻の様な銀色の一閃が空中に描かれる。
リーゼロッテは稲妻の様な一撃をレイピアで受けるが、衝撃に身体の態勢が崩れる。
そのまま勢いに任せ、斜めからの袈裟懸けから、上空から力いっぱいにダガーナイフを振り下ろすと、鍔迫り合いの様な形となったサーニャは叫んだ。
「『お腹の中身を見ないと』お友達にはなれないじゃない! 分かってよっ!!!」
「――つくづく、私には理解できない感情だと言うことが分かったよ」
狂気に走るサーニャの顔を苦々しげに見つめながら、リーゼロッテは溜め息を付く。
溜め息を付いている間も、サーニャの斬撃は苛烈を極めていく、二刀同時の振り下ろしの強烈さに膝を折ると、地面を蹴り宙を舞い首を刈り取ろうとする。
変幻自在の即死攻撃を地面を転がり、なんとか躱したリーゼロッテはハルトに近づくと急いで言葉を告げる。
「――ハルト、物陰に隠れていてくれ、次の技は君にも危険だ」
「――勝てるのだよな?」
「私を誰だと思っている? 魔女モニカの騎士だぞ」
ハルトの言葉に力強く頷くと、リーゼロッテは闇夜に光る金色の髪をなびかせ目の前の敵に向かって行った。
「――信じてるからな」
力強いその背中を見送り、
静かに信頼の言葉を述べて、足手まといにはならない様に物陰に隠れる。
身を縮めながらハルトの胸に芽生える不安の感情が益々大きくなるのを感じながら、ハルトは金色の騎士の勝利を祈り続けた。
得体のしれない感情を塗りつぶす様に、強く、強く祈り続けた………。
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