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気がつくといつもその男がいた
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いったいいつからだろう。
私がその男の存在に気がついたのは偶然だった。
私はいつものように行きつけのカフェでブレンドコーヒーを飲みながら小説を読んでいた。
休日の昼下がりのこの時間は私にとって数少ない癒しの時間だった。
精神をすり減らす客商売をしている身としては、こういった1人の時間は至福なのだ。
ブレンドの豊かな香りが体を満たしていく。
お気に入りの窓際の席に降り注ぐ日の光が心地よい。
客の少ない静かな店内に、落ち着いたジャズが流れている。
(いつまでもこの時間が続けばいいのに)
そんなことを考えていたときだった。
疲れた首をほぐすために首を捻ると、少し離れた席に座っていた男と目があった気がしたのだ。
眼鏡をかけていること以外はこれといって特徴のない、30代くらいの男だった。
ただその時は、そういうこともあるだろうと、とくに気にすることもなく読書に戻った。
しかし、これこそがことの始まりだった。
いつものようにカフェに行くと、少し遅れてその眼鏡の男が入店してきたのだ。
同じような生活リズムで過ごしていれば、そういうこともあるだろう。
だが、それで終わりではなかった。
次もその次も、私がカフェに行く度にその男を見かけた。
余程の常連なのだろうか。
そうも思ったが、曜日や時間をずらして来店しても必ずその男が後から入店してくることに気がついてしまった。
(まさか、ストーカー?)
そんなことが本当にあるのだろうか。
私は目を惹くほどの美人というわけではない。
ストーカーなんてものと縁があるとは思えない。
自意識過剰、気のせいだ。
そう自分に言い聞かせるが、一度気になってしまうとどうも落ち着かない。
いつもは癒しの空間であるこのカフェが、途端に居心地の悪いものに感じる。
私はまだ熱いブレンドを急いで飲み干すと店を後にした。
◇
それからというもの私の生活は一変した。
いや、実はこれまで気がついていなかっただけで、本当はなにも変わっていないのかもしれない。
電車に乗れば、同じ車両にあの男がいた。
映画を観に行けば、斜め後ろの席にあの男が座っていた。
新しい本を買いに行けば、天井に設置されている万引き防止のミラーに立ち読みするあの男の姿が映っていた。
怖くなった私はあまり家を出なくなった。
幸い私の仕事は客商売とはいえ、基本的なやり取りはメールで行っている。
パソコンさえあれば、家を出なくても仕事をすることはできた。
ただ、それでもどうしても外出して直接相手と会わなければならないこともある。
あの男のことを考えると正直外出なんてしたくなかったが、客商売は信用第一だ。
行かないわけにもいかない。
恐る恐る玄関のドアを開け、周囲をうかがいあの男の姿がないことを確認すると、私は仕事に向かった。
◇
(最近、あのカフェに行ってないな……)
仕事を終え、夕暮れの路地を歩きながらそんなことを考えていた。
ふと顔をあげカーブミラーを見ると、そこにはあの男が映っていた。
背筋が凍った。
いったいいつからつけられていたのだろう。
まさか気がついていなかっただけで、家を出たときには既につけられていたのだろうか。
震えそうになる脚に力をこめ、私は家まで走って帰った。
着替えもせずにベッドへ飛び込むと、毛布にくるまってガクガクと震える。
(怖い怖い怖い……!)
これまでの人生でこれ程の恐怖に襲われたことがあっただろうか。
頭の中があの男のことで一杯になる。
引っ越すべきか。
いや、でもあの男に気がつかれずに引っ越すことなど本当にできるのか。
このまま引きこもっていれば、そのうち諦めてくれるのではないか。
今の貯えがあればしばらく仕事をしなくてもどうにかなるだろう。
そんな現実逃避をしているうちに、心が磨耗していた私はいつのまにか眠ってしまっていた。
◇
ピンポーン
チャイムの音がする。
ピンポーン
(しつこいな……)
まだ重い目蓋を擦りながらベッドを抜け出すと、よろよろとした足取りで玄関へと向かう。
そしてドアスコープを覗き込んだ私はいっきに目が覚めた。
あの男だ。
ドアの前にあの男が立っていた。
脚が震え、腰が抜けてしまった私はぺたんとその場に座り込んでしまう。
私はガタガタと震える体を抱き締めることしかできなかった。
ドンドンドン
「三明さん、中にいますよね」
「ひっ!」
情けない悲鳴が出る。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
この状況を抜け出す手段はないのか。
まとまらない頭の中で懸命に考える。
「三明さん、開けてください」
(やばい、やばい、やばい……)
私はただただ震えていた。
「警察です。
三明さん、あなたに大麻取締法違反の容疑がかけられています。
署までご同行願います」
私がその男の存在に気がついたのは偶然だった。
私はいつものように行きつけのカフェでブレンドコーヒーを飲みながら小説を読んでいた。
休日の昼下がりのこの時間は私にとって数少ない癒しの時間だった。
精神をすり減らす客商売をしている身としては、こういった1人の時間は至福なのだ。
ブレンドの豊かな香りが体を満たしていく。
お気に入りの窓際の席に降り注ぐ日の光が心地よい。
客の少ない静かな店内に、落ち着いたジャズが流れている。
(いつまでもこの時間が続けばいいのに)
そんなことを考えていたときだった。
疲れた首をほぐすために首を捻ると、少し離れた席に座っていた男と目があった気がしたのだ。
眼鏡をかけていること以外はこれといって特徴のない、30代くらいの男だった。
ただその時は、そういうこともあるだろうと、とくに気にすることもなく読書に戻った。
しかし、これこそがことの始まりだった。
いつものようにカフェに行くと、少し遅れてその眼鏡の男が入店してきたのだ。
同じような生活リズムで過ごしていれば、そういうこともあるだろう。
だが、それで終わりではなかった。
次もその次も、私がカフェに行く度にその男を見かけた。
余程の常連なのだろうか。
そうも思ったが、曜日や時間をずらして来店しても必ずその男が後から入店してくることに気がついてしまった。
(まさか、ストーカー?)
そんなことが本当にあるのだろうか。
私は目を惹くほどの美人というわけではない。
ストーカーなんてものと縁があるとは思えない。
自意識過剰、気のせいだ。
そう自分に言い聞かせるが、一度気になってしまうとどうも落ち着かない。
いつもは癒しの空間であるこのカフェが、途端に居心地の悪いものに感じる。
私はまだ熱いブレンドを急いで飲み干すと店を後にした。
◇
それからというもの私の生活は一変した。
いや、実はこれまで気がついていなかっただけで、本当はなにも変わっていないのかもしれない。
電車に乗れば、同じ車両にあの男がいた。
映画を観に行けば、斜め後ろの席にあの男が座っていた。
新しい本を買いに行けば、天井に設置されている万引き防止のミラーに立ち読みするあの男の姿が映っていた。
怖くなった私はあまり家を出なくなった。
幸い私の仕事は客商売とはいえ、基本的なやり取りはメールで行っている。
パソコンさえあれば、家を出なくても仕事をすることはできた。
ただ、それでもどうしても外出して直接相手と会わなければならないこともある。
あの男のことを考えると正直外出なんてしたくなかったが、客商売は信用第一だ。
行かないわけにもいかない。
恐る恐る玄関のドアを開け、周囲をうかがいあの男の姿がないことを確認すると、私は仕事に向かった。
◇
(最近、あのカフェに行ってないな……)
仕事を終え、夕暮れの路地を歩きながらそんなことを考えていた。
ふと顔をあげカーブミラーを見ると、そこにはあの男が映っていた。
背筋が凍った。
いったいいつからつけられていたのだろう。
まさか気がついていなかっただけで、家を出たときには既につけられていたのだろうか。
震えそうになる脚に力をこめ、私は家まで走って帰った。
着替えもせずにベッドへ飛び込むと、毛布にくるまってガクガクと震える。
(怖い怖い怖い……!)
これまでの人生でこれ程の恐怖に襲われたことがあっただろうか。
頭の中があの男のことで一杯になる。
引っ越すべきか。
いや、でもあの男に気がつかれずに引っ越すことなど本当にできるのか。
このまま引きこもっていれば、そのうち諦めてくれるのではないか。
今の貯えがあればしばらく仕事をしなくてもどうにかなるだろう。
そんな現実逃避をしているうちに、心が磨耗していた私はいつのまにか眠ってしまっていた。
◇
ピンポーン
チャイムの音がする。
ピンポーン
(しつこいな……)
まだ重い目蓋を擦りながらベッドを抜け出すと、よろよろとした足取りで玄関へと向かう。
そしてドアスコープを覗き込んだ私はいっきに目が覚めた。
あの男だ。
ドアの前にあの男が立っていた。
脚が震え、腰が抜けてしまった私はぺたんとその場に座り込んでしまう。
私はガタガタと震える体を抱き締めることしかできなかった。
ドンドンドン
「三明さん、中にいますよね」
「ひっ!」
情けない悲鳴が出る。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
この状況を抜け出す手段はないのか。
まとまらない頭の中で懸命に考える。
「三明さん、開けてください」
(やばい、やばい、やばい……)
私はただただ震えていた。
「警察です。
三明さん、あなたに大麻取締法違反の容疑がかけられています。
署までご同行願います」
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