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2.浮気相手との接触

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「あら、ニース様じゃありませんか!」

 ロットの浮気現場を目撃した翌日、学園の廊下を歩いていると、縦巻きの金髪をゆらゆらさせながら、テレーズが近づいてきた。

「ごきげんよう、テレーズさん」

 ニースは柔らかく微笑み返す。

 これまではこんな風に、テレーズから挨拶をしてくるようなことはなかった。
 ということはつまり、タイミング的に考えて、用件は昨日のサロンでのことだろう。

「ニース様は本日もお美しいですわね。
 美姫という名声に偽りはないようですわ」

「ありがとうございます。
 テレーズさんも、とってもお美しいですよ」

「まあ、ありがとうございます!
 ニース様にお褒めいただけるなんて、光栄ですわ。
 実は、ロット殿下もよく褒めてくださいますのよ。
 テレーズは美しい、と」

 テレーズがニヤリと笑う。

(なるほど、そういう……)

 ロットに愛されているのは自分だと、ニースに見せびらかすことで、マウントをとろうというつもりなのだろう。

 そんなことで優越感に浸ろうなんて、本当に可愛い子だ。

「あら、そういえば、ニース様はロット殿下の婚約者でしたわね。
 ニース様も殿下からお褒めいただいたりするのかしら?」

 あからさまな挑発だ。
 そんなことを聞くということは、テレーズは知っているのだろう。
 ロットがニースに対して、そんな甘い言葉を囁かないということを。

 徹頭徹尾、政略結婚によって築かれただけの関係。
 婚約後に愛を育むこともできるのだろうが、ロットから愛を語られることはなかった。
 王妃となるために教育されてきたニースにとって、ロットと結ばれることは国のためであり、たとえそこに愛がなくても、それはそれで仕方ないと思っていた。
 そして、それはロットも理解していると思っていたのだが。
 
「殿下も私も、国の発展に身を捧げる立場です。
 そのための婚約であり、そこに私情を挟むことはありません」

「まあまあ、なんて素晴らしい姿勢なのでしょう!
 流石はニース様ですわ。
 ですが、己の婚約者とすら愛し合えない者が、果たして民を愛することができるのかしら?」

「それは殿下のことですか?
 今回は目をつむりますが、他の方の前では、そういったことは言わないほうがいいですよ」

「あなたに言っているのよ!!」

 どうやら、ロットのことは棚に上げるつもりらしい。
 それに、ニースはロットを愛している。
 それを表に出すようなまねをしないだけで。

「私のことでしたか。
 ちなみに、参考までに伺いたいのですが、テレーズさんはどなたなら王妃に相応しいと思いますか?」

「そうですわねぇ……。
 例えば、殿下から愛を囁いていただける私ならば、ニース様よりは王妃に向いていると思いますわ」

 嫌らしい笑みを隠そうともしないテレーズ。
 まったく、どうしてそんな表情をするのだろうか。
 本人はニースのことを嘲笑っているつもりなのかもしれないが、そんな魅力的な表情をされたら、我慢できなくなってしまうではないか。

 ニースはテレーズに近づくと、右手を上げた。

「あ、あら。
 ニース様ともあろうお方が、暴力を振るうのですか。
 いいですよ、好きになさってください。
 で、ですがこのことは、殿下にお伝えしますからね!」

 頬を叩かれると思ったのだろう。
 震えながらも、その状況を利用しようと懸命に虚勢を張るテレーズ。
 本当は小心者なのに、張りぼての心だけで公爵令嬢に噛みついてくるのだ。
 その姿はまるで、甘噛みをしてくる子犬のようで。
 こんなにも愛らしい存在が、果たして他にいるのだろうか。

 ニースは、くるはずもない衝撃に備えてぎゅっと目を閉じたテレーズの頬に、そっと手を添えた。
 そして、親指で瑞々しい口唇を優しく撫でた。

「えっ……」

 ニースの思わぬ行動に、目を丸くするテレーズ。
 そんなにいろいろな表情を見せてくれるなんて。
 もっと他の顔も見てみたくなってしまう。

「よくしゃべるのは、このお口かしら?
 あまりうるさいと、私が塞いじゃいますよ」

 ニースはチロリと自身の唇を舐めた。
 その艶やかな表情を見て、テレーズはニースの言葉の意味を察したのだろう。
 顔を真っ赤に染めると、ニースから距離をとり、そのまま背を向けて駆け出していった。

「あらまあ、恥ずかしがっちゃって。
 お可愛いこと」

 小さくなっていくテレーズの背中を、ニースは微笑みながら見守った。
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