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花火使い
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川下から涼しげな風が流れる。こげ茶の革を被った人と人の群れに、安堵の息がこぼれた。あちこちから賑やかな声が行き交い、街は石畳の水溜まりと方々から吹き出る汗で、どんよりと蒸していた。
『職商街』
物を製造する『職』人と、物を売買する『商』人が、交じり合う界隈。
シューズは土色に染まり、ズボンは皺だらけで、コートは申し訳程度に引っ掛けられている。
そうした格好の男はゆらゆらと群衆を縫うように歩いていた。緩やかに、しかし、探るように。
包丁の研ぎ店と風車のネジ店、その間の一本の裏道。これでそこを通るのは三度目だ。ねっとりとした視線を背中に受けるのもまた三度目だ。男は歩みのリズムを変えないまま、歩幅を広げた。自然に、だからこそ尾行者の不意を突いて、男は加速する。そのまま右の角を曲がった。「しまった」と言う足の乱れと、次いで駆け足が聞こえる。
「くそっ!」
走りながら、尾行者はそう吐き捨てた。
「穏やかじゃないな、糞なんて。俺ってさ、もっとさ、フローラルな花の薫りがするんだよね。まだまだ若いし、風呂には毎日入ってるし、香水も付けてるし」
男は曲がり角の直ぐ先で、にやりと笑いながら応じた。
「なっ! 貴様ッ!」
尾行者は深く動揺している。思わぬ反撃を受け、それでも面子を保とうとする、そんな人間特有の虚勢だ。男は尾行者の姿を一瞥しその苦い表情を読み取ると、笑いを弾ませた。
それにより尾行者の心は更に強く振り子を打った。
「尾行に気づいてたのか!」
「ああ、あんたの正体もな……」
「何だとっ! こっ、このコネ頼りのぽっと出がっ! あれこれ嗅ぎまわっているようだが、アラン様の元へは行かせないぞ!」
尾行者は頬を紅潮させ、怒鳴りつけた。
男は口を震わせ、肩を上下させ、くっくっと笑う。
「なるほどね、アラン老んとこの、同業者さんか。そちらこそ、コソコソ付けまわさないで、正面からぶつかってくりゃいいのに。半端者さん。それにしても俺って、案外と有名人なんだね、何だい何だい」
それから両手を広げため息を吐き、
「何だかなあ……」
尾行者は怒りのままに
「貴様っ! ブラフを吐きやがったな!」
何時の間にか男は笑いを止め、次いで真っ黒な瞳でじいっと見つめている。
尾行者はそれに気圧される。つい先刻までは、彼は獲物を狩る山猫のように優越感に浸っていたのだ。それを男の突然の行動、言動によって、根元から崩された。追っていた筈の兎が、狼だったかのように。
深い闇色を宿した瞳の男は気さくに答える。
「いや、見当は付いてたんだよ。無名の花火使いさん。でも、それでも修行を八年から十年は積んでいるな。それもインドア派だ。工房にこもって球にごそごそと手を加え続けてる、な。うん、うんうん、この横柄な態度からして、そろそろ花火使いとしての自信と傲慢さが出てきた頃合いかな。ねちっこいねー」
尾行者はいよいよ取り乱して
「なっ! 何だとっ! 探偵でも雇ったのかっ!」
「おっ!」
男は左手をぴしと空に向け
「ビンゴかい?」
「くっ!」
男は指をちっちっと振り、
「そろそろ不憫になってきたなー。中堅花火使いさん。指だよ、指。指が言っているよ」
男はその人差し指を相手に向け
「人差し指と中指の間のタコ。球に触れ続け、弄り続けると出来る。花火使いとしてのサイン、言うなれば職業病としての業だ」
尾行者は自身のそれを間近で見つめる。確かにぷっくらと三ミリトゥール程のタコが浮き出ている。しかし彼の驚愕は、気付けなかった己の一部の発見にあるのではなかった。それすらも軽いものにしてしまう程の異様。男の、来訪者の指。
「しかし、まだ赤みを帯びている。精進が足らんよ、足らん」
うむうむと男はしたり顔で説教をしているような、戯れているかのような声を出す。
「そのタコ、もっと、インドア派として死ぬ程の鍛錬を積めば、このように白い塊となる。なるのだぞ、わこうっ、こっこっ、くくくっ」
若人(わこうど)と言おうとして、笑いを吹き出したのを尾行者は悟った。
「くっ、くくっ、く、わっ、わこっ、くくくくっ、おっ、おっ、おっさんだろーっ、くくっ」
しかし、もはや何も言えない。彼には言う資格が無いことをその男の指は雄弁に物語っていた。
三倍もの大きさ、九ミリトゥールはある固く風化した指のタコ。それが男の花火使いとしての修練を何よりも主張していた。
「ちなみに、こんなとこまでしゃしゃり出るんだから、俺ってけっこう、アウトドア派なんだけどね」
『職商街』
物を製造する『職』人と、物を売買する『商』人が、交じり合う界隈。
シューズは土色に染まり、ズボンは皺だらけで、コートは申し訳程度に引っ掛けられている。
そうした格好の男はゆらゆらと群衆を縫うように歩いていた。緩やかに、しかし、探るように。
包丁の研ぎ店と風車のネジ店、その間の一本の裏道。これでそこを通るのは三度目だ。ねっとりとした視線を背中に受けるのもまた三度目だ。男は歩みのリズムを変えないまま、歩幅を広げた。自然に、だからこそ尾行者の不意を突いて、男は加速する。そのまま右の角を曲がった。「しまった」と言う足の乱れと、次いで駆け足が聞こえる。
「くそっ!」
走りながら、尾行者はそう吐き捨てた。
「穏やかじゃないな、糞なんて。俺ってさ、もっとさ、フローラルな花の薫りがするんだよね。まだまだ若いし、風呂には毎日入ってるし、香水も付けてるし」
男は曲がり角の直ぐ先で、にやりと笑いながら応じた。
「なっ! 貴様ッ!」
尾行者は深く動揺している。思わぬ反撃を受け、それでも面子を保とうとする、そんな人間特有の虚勢だ。男は尾行者の姿を一瞥しその苦い表情を読み取ると、笑いを弾ませた。
それにより尾行者の心は更に強く振り子を打った。
「尾行に気づいてたのか!」
「ああ、あんたの正体もな……」
「何だとっ! こっ、このコネ頼りのぽっと出がっ! あれこれ嗅ぎまわっているようだが、アラン様の元へは行かせないぞ!」
尾行者は頬を紅潮させ、怒鳴りつけた。
男は口を震わせ、肩を上下させ、くっくっと笑う。
「なるほどね、アラン老んとこの、同業者さんか。そちらこそ、コソコソ付けまわさないで、正面からぶつかってくりゃいいのに。半端者さん。それにしても俺って、案外と有名人なんだね、何だい何だい」
それから両手を広げため息を吐き、
「何だかなあ……」
尾行者は怒りのままに
「貴様っ! ブラフを吐きやがったな!」
何時の間にか男は笑いを止め、次いで真っ黒な瞳でじいっと見つめている。
尾行者はそれに気圧される。つい先刻までは、彼は獲物を狩る山猫のように優越感に浸っていたのだ。それを男の突然の行動、言動によって、根元から崩された。追っていた筈の兎が、狼だったかのように。
深い闇色を宿した瞳の男は気さくに答える。
「いや、見当は付いてたんだよ。無名の花火使いさん。でも、それでも修行を八年から十年は積んでいるな。それもインドア派だ。工房にこもって球にごそごそと手を加え続けてる、な。うん、うんうん、この横柄な態度からして、そろそろ花火使いとしての自信と傲慢さが出てきた頃合いかな。ねちっこいねー」
尾行者はいよいよ取り乱して
「なっ! 何だとっ! 探偵でも雇ったのかっ!」
「おっ!」
男は左手をぴしと空に向け
「ビンゴかい?」
「くっ!」
男は指をちっちっと振り、
「そろそろ不憫になってきたなー。中堅花火使いさん。指だよ、指。指が言っているよ」
男はその人差し指を相手に向け
「人差し指と中指の間のタコ。球に触れ続け、弄り続けると出来る。花火使いとしてのサイン、言うなれば職業病としての業だ」
尾行者は自身のそれを間近で見つめる。確かにぷっくらと三ミリトゥール程のタコが浮き出ている。しかし彼の驚愕は、気付けなかった己の一部の発見にあるのではなかった。それすらも軽いものにしてしまう程の異様。男の、来訪者の指。
「しかし、まだ赤みを帯びている。精進が足らんよ、足らん」
うむうむと男はしたり顔で説教をしているような、戯れているかのような声を出す。
「そのタコ、もっと、インドア派として死ぬ程の鍛錬を積めば、このように白い塊となる。なるのだぞ、わこうっ、こっこっ、くくくっ」
若人(わこうど)と言おうとして、笑いを吹き出したのを尾行者は悟った。
「くっ、くくっ、く、わっ、わこっ、くくくくっ、おっ、おっ、おっさんだろーっ、くくっ」
しかし、もはや何も言えない。彼には言う資格が無いことをその男の指は雄弁に物語っていた。
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