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第17話
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数日後、染谷は一週間の出張として本社に戻っていた。
昼過ぎから新幹線に乗り、一旦自宅マンションへと向かう。
久々に帰った自室は、それまで長く住んでいたはずなのに、なんだか知らない誰かの部屋のように思えた。
「……たった数ヶ月空けただけのつもりが……」
異動を機にマンションを解約しなかったのもまた、染谷がバレーを辞めることを考えていないという意思の現れだったのかもしれない。今まで気付いていなかったそんなことを今更理解して、染谷は一人苦笑を漏らした。
あまり物を置きたくなかったから、染谷の部屋はシンプルである。だからこそ置かれてある小物は思い出の品だったりとか、よほど好みにマッチしたとか、そんな物だけだった。そんなお気に入りで溢れているはずの部屋が、今はなんだか落ち着かない。
染谷は寝室に荷物を置くと、すぐにジャージに着替え、落ち着かない気持ちから逃げるように部屋を出た。
日はすでに傾いていた。初日は特に合流時間を知らされていなかったから、染谷はそのまま慌てることなく体育館へと向かう。
――そういえば真木の連絡先を知らないなと。そんなことに気付いたのは、体育館の扉を開けて、チームメイトたちの笑顔を見たときだった。
(今、この光景を伝えられたらいいのに……)
みんなに笑顔で迎えられた。みんなが嬉しそうな顔で「おかえり」と笑ってくれた。うまくやっていけそうだと、そんな報告をしたいと思った。
「監督に挨拶行って来い。心配してたから」
飯塚はそう言うと、チームメイトを引き連れて練習に戻る。
染谷は真っ直ぐに監督の元に向かった。
「西野監督、自分のせいで輪を乱してすみませんでした。都合が良いとは分かっていますが、今日からまたよろしくお願いします」
西野は今年五十になる、何度もチームをリーグ優勝に導いてきた名監督である。普段は優しい顔をしているが、バレーのこととなると鬼のような形相に変わる。染谷に「今のおまえはチームに要らない。頭を冷やして来い」と言ったときも、普段からは考えられないような恐ろしい顔をしていた。
だからこそ、深く頭を下げた染谷は、顔を上げることができない。今もあの顔で染谷を見ているのではないかと思えたからだ。
しかし、
「……おかえり、拓海。思ったよりも早くて驚いたよ」
その声があまりにも優しかったから、染谷は反射的に顔を上げた。
「なにを驚いてる。私は別に、おまえが嫌いで外したわけじゃない」
「は、はい。はい。ありがとうございます」
「まあ座れ」
西野が座る折り畳み式の椅子の隣には、選手が休憩できるベンチが置かれている。染谷はひとまず、躊躇いながらもそこに腰掛けた。
「実はな、異動先でのおまえの様子とか、何があったとか、事細かなことも知ってる。この半年近く、なかなか楽しくやってたみたいじゃないか」
ニヤリと笑いながら西野が渡したのは、A4サイズの分厚い紙の束だった。ファイルにも入れられていないそれは、左上をクリップで止められているだけのものである。
それにしても分厚い。これが何かと染谷が目で西野に問いかけると、西野は「まあ見てみろ」と笑う。
「それは毎日求めてもないのに送られてきてたおまえの報告書だよ。栄田さんから毎日一方的に送られてきてな、これは何かと聞いてみたら、どうやら異動先の課長が頼んでもいないのに毎日毎日飽きもせず栄田さん宛に送っていたらしい」
「…………真木さんが」
ペラリと一番上の「日報」と書かれた紙をめくれば、染谷の異動初日の日付と、その日の染谷の様子が綴られていた。
『異動初日。染谷くんはオフィスに入ってきたときから不機嫌でしたが、うちの社員の不用意な言葉を聞いてさらに不機嫌になりました。その後は気分転換にと思ってオフィス案内をしましたが、ため息が多く、疲弊しているようでした。初日から「偽善者は嫌いだ」と言われ、誰に対してもつっけんどんな態度をとっているところを見ると、彼の心を修復するにはかなりの時間を要するかと思います。ただ、体育館が使える話をしたときには、冷たく突き放されることはありませんでした。彼はまだバレーをやりたいのだと思います。初日なので焦らず、彼を見守ろうと思います』
「おまえ今日はそれ読んでていいぞ」
染谷を見ることもなくそう言うと、西野は練習を続ける選手たちを見守る姿勢に戻った。
『染谷くんはまだ誰とも打ち解けません。それどころか、うちの子たちも染谷くんをよく思っていないようで、よくぶつかります。相性は悪くないと思うので一旦見守ります。この状況を乗り越えられたらきっと、選手たちとぶつかっていた壁も乗り越えられるのではないかと思います』
なんだよ、やっぱり最初から事情を知っていたんじゃないかと、そんなことを考えながら、染谷はそっとページをめくる。
『今日、社員から「染谷に営業をやらせろ」と申し立てがありました。どうやら染谷くんのファンである営業先が、染谷くんが異動したことを聞いて担当社員に会いたいとお願いをしたそうです。そこからさらに社員たちと染谷くんの距離が広がった気がします。見守るとは言いましたが、少しずつ動いていこうと思います』
『染谷くんが体育館を使っていました。しかしバレーをしているわけではなく、ネットを張ってボールを持っているだけです。彼にとって大切な時間であるような気がして、声はかけられませんでした。このまま辞めると言わないか、慎重に接していこうと思います』
『今日、久しぶりにボールを打ってくれました。この調子だと思ったんですが、辞めどきを探しているそうで、会社もバレーも辞めるつもりだそうです。だけど彼はまだ体育館を使っています。踏ん切りをつけられる前に、何かできることをしたい』
『今日は飲み会に初めて参加してくれました。ようやくです。社員も染谷くんのことを理解してくれたらしく、楽しそうに一緒にお酒を飲んでいました。染谷くんは飲んでいませんでしたが、呆れながらも肩を組まれて絡まれている姿を見て、チームメイトの方々と分かり合える日も近いのではないかと思いました。そうしたらまた、バレーを楽しんでくれるかもしれません。バレーが楽しいと笑ってくれるまで、引き続き見守ります』
『今日は社員たちと大勢でバレーをしたそうです。染谷くんは嫌そうな顔をしていたそうですが、社員の報告いわく、心底嫌そうな様子はなく、なんだかんだ簡易的な試合やバレーを教えてくれたと言っていました。僕も体育館を覗きましたが、時折笑ってもいたので、きっともう少しで本社に戻れるかと思います。僕は彼の邪魔をしないよう、これからも適切に見守りたいと思います』
『今日は朝から仕事で大きな失敗をしてしまい、落ち込んでいました。発注ミスです。僕のせいかもしれません。邪魔をしてしまってすみません。結果的に難は逃れましたが、まさかこんな形で彼の邪魔をしてしまうことになるとは思ってもいなくて、自分でも混乱しています。バレー以外のことを考えてほしくないので、少しやり方を検討します』
「…………はあ? 勝手なことばっか」
真木は全部知っていた。知っていたくせに知らないふりをして、染谷を静かに見守っていた。
バレーを楽しんでほしい。早く本社に戻ってチームでバレーをしてほしい。試合に出てほしい。笑ってほしい。そんなことばかりが綴られた日報は、日数分あるために分厚くなっている。
染谷が真木に好きだと伝えてからは、「僕が邪魔をしている」「すみません、適切に見守ります」など、直接的な表現はないが、真木自身を否定するような言葉が増えていた。
『先日は協力していただきありがとうございました。無事チームメイトの方々と分かり合えて、ようやく本格的にバレーが再開できそうです。みんな嬉しそうに笑っていました。染谷くんも、こっちに来てからは笑顔を忘れていたのですが、チームメイトの方々とはぎこちなさはあるものの笑い合えていました。早く本来の彼に戻ってほしいと思います。またご連絡させていただきますが、すぐに異動の手配をお願いします』
本来の染谷に戻るとはなんだ。それではまるで、真木に接していた染谷が、本来の染谷ではないと言っているようである。
(俺が、あの人のせいで頭イカれちまったとでも思ってるのか……)
ありえない話ではない。真木は以前、距離感を誤って部下を一人狂わせている。染谷も同じようになるのではないかと怯えるのも当然か。
「なんだそれ」
染谷は頭がいかれたのか? 真木のせいでおかしくなったのか?
こんな日報を読むだけで、胸が締め付けられるほど焦がれているというのに?
「いかれてるわけあるかよ」
その独白は、体育館の音にかき消された。すぐに「休憩」と西野が告げると、選手たちがベンチに戻ってくる。
ドリンクを飲んでいた選手たちは染谷に話しかけていたが、染谷の目は引き続き日報の文字を追っていた。
「そうだ、思い出した」
そんな中、飯塚がはたと声を上げる。
「なんすか飯塚さん、いきなり」
「覚えてないか、森。何年か前に、試合中に泣いていた男の人が居ただろ。ほら、スクリーンに抜かれてた人」
「何年か前……? あー、帽子かぶってマスクして、不審者っぽいなって話題になったけど、試合見て泣いてたから悪い人じゃないだろって話になった……」
「そう。染谷、あの人真木さんだろ?」
染谷はそれを知っているだろうと疑わない声音だったのだが、染谷が驚いたような顔で飯塚を見上げたのを見て、飯塚は目を丸くする。
「……え、あれ、違ったか? どこかで見たことある気がして引っかかってたんだが……」
「ああ、それでかも。実はおれも真木さん見たとき、なんか既視感あったんすよね」
別の選手もぼんやりとつぶやくが、覚えていない選手は「そうだっけ」と様々な反応を見せている。
とある試合中、泣いていた男がスクリーンに映されていた。それを見ていた選手たちは、試合後に「すげーファンが居たな」と嬉しげに笑っていた。
見た目は不審者のようだったが、泣くくらいだから悪い人なわけがない。きっととんでもないファンなのだと、それは染谷も例外ではなく、チーム全体で嬉しいと思っていた。
そんな彼とは、その後に再会したはずだ。
そのとき、彼とはどんな会話をしたんだったか。
「染谷?」
飯塚の言葉と同時、染谷は勢いよく立ち上がる。
「監督、すみません。復帰は明後日からにしてください」
「いいぞ。そうなると踏んで、おまえのメニューはしばらく組んでない」
「ありがとうございます!」
西野に深く頭を下げると、染谷は脇目も触れず全力で駆け出した。
突然走り出した染谷を見送りながら、チームメイトたちも動きを止める。
「……良かったんですか?」
「やり残したことがあるらしい。あいつは明後日から合流する。ほら、練習再開だ」
体育館が再び練習の音で満たされる頃、染谷は日報を握り締めて駅に向かっていた。
昼過ぎから新幹線に乗り、一旦自宅マンションへと向かう。
久々に帰った自室は、それまで長く住んでいたはずなのに、なんだか知らない誰かの部屋のように思えた。
「……たった数ヶ月空けただけのつもりが……」
異動を機にマンションを解約しなかったのもまた、染谷がバレーを辞めることを考えていないという意思の現れだったのかもしれない。今まで気付いていなかったそんなことを今更理解して、染谷は一人苦笑を漏らした。
あまり物を置きたくなかったから、染谷の部屋はシンプルである。だからこそ置かれてある小物は思い出の品だったりとか、よほど好みにマッチしたとか、そんな物だけだった。そんなお気に入りで溢れているはずの部屋が、今はなんだか落ち着かない。
染谷は寝室に荷物を置くと、すぐにジャージに着替え、落ち着かない気持ちから逃げるように部屋を出た。
日はすでに傾いていた。初日は特に合流時間を知らされていなかったから、染谷はそのまま慌てることなく体育館へと向かう。
――そういえば真木の連絡先を知らないなと。そんなことに気付いたのは、体育館の扉を開けて、チームメイトたちの笑顔を見たときだった。
(今、この光景を伝えられたらいいのに……)
みんなに笑顔で迎えられた。みんなが嬉しそうな顔で「おかえり」と笑ってくれた。うまくやっていけそうだと、そんな報告をしたいと思った。
「監督に挨拶行って来い。心配してたから」
飯塚はそう言うと、チームメイトを引き連れて練習に戻る。
染谷は真っ直ぐに監督の元に向かった。
「西野監督、自分のせいで輪を乱してすみませんでした。都合が良いとは分かっていますが、今日からまたよろしくお願いします」
西野は今年五十になる、何度もチームをリーグ優勝に導いてきた名監督である。普段は優しい顔をしているが、バレーのこととなると鬼のような形相に変わる。染谷に「今のおまえはチームに要らない。頭を冷やして来い」と言ったときも、普段からは考えられないような恐ろしい顔をしていた。
だからこそ、深く頭を下げた染谷は、顔を上げることができない。今もあの顔で染谷を見ているのではないかと思えたからだ。
しかし、
「……おかえり、拓海。思ったよりも早くて驚いたよ」
その声があまりにも優しかったから、染谷は反射的に顔を上げた。
「なにを驚いてる。私は別に、おまえが嫌いで外したわけじゃない」
「は、はい。はい。ありがとうございます」
「まあ座れ」
西野が座る折り畳み式の椅子の隣には、選手が休憩できるベンチが置かれている。染谷はひとまず、躊躇いながらもそこに腰掛けた。
「実はな、異動先でのおまえの様子とか、何があったとか、事細かなことも知ってる。この半年近く、なかなか楽しくやってたみたいじゃないか」
ニヤリと笑いながら西野が渡したのは、A4サイズの分厚い紙の束だった。ファイルにも入れられていないそれは、左上をクリップで止められているだけのものである。
それにしても分厚い。これが何かと染谷が目で西野に問いかけると、西野は「まあ見てみろ」と笑う。
「それは毎日求めてもないのに送られてきてたおまえの報告書だよ。栄田さんから毎日一方的に送られてきてな、これは何かと聞いてみたら、どうやら異動先の課長が頼んでもいないのに毎日毎日飽きもせず栄田さん宛に送っていたらしい」
「…………真木さんが」
ペラリと一番上の「日報」と書かれた紙をめくれば、染谷の異動初日の日付と、その日の染谷の様子が綴られていた。
『異動初日。染谷くんはオフィスに入ってきたときから不機嫌でしたが、うちの社員の不用意な言葉を聞いてさらに不機嫌になりました。その後は気分転換にと思ってオフィス案内をしましたが、ため息が多く、疲弊しているようでした。初日から「偽善者は嫌いだ」と言われ、誰に対してもつっけんどんな態度をとっているところを見ると、彼の心を修復するにはかなりの時間を要するかと思います。ただ、体育館が使える話をしたときには、冷たく突き放されることはありませんでした。彼はまだバレーをやりたいのだと思います。初日なので焦らず、彼を見守ろうと思います』
「おまえ今日はそれ読んでていいぞ」
染谷を見ることもなくそう言うと、西野は練習を続ける選手たちを見守る姿勢に戻った。
『染谷くんはまだ誰とも打ち解けません。それどころか、うちの子たちも染谷くんをよく思っていないようで、よくぶつかります。相性は悪くないと思うので一旦見守ります。この状況を乗り越えられたらきっと、選手たちとぶつかっていた壁も乗り越えられるのではないかと思います』
なんだよ、やっぱり最初から事情を知っていたんじゃないかと、そんなことを考えながら、染谷はそっとページをめくる。
『今日、社員から「染谷に営業をやらせろ」と申し立てがありました。どうやら染谷くんのファンである営業先が、染谷くんが異動したことを聞いて担当社員に会いたいとお願いをしたそうです。そこからさらに社員たちと染谷くんの距離が広がった気がします。見守るとは言いましたが、少しずつ動いていこうと思います』
『染谷くんが体育館を使っていました。しかしバレーをしているわけではなく、ネットを張ってボールを持っているだけです。彼にとって大切な時間であるような気がして、声はかけられませんでした。このまま辞めると言わないか、慎重に接していこうと思います』
『今日、久しぶりにボールを打ってくれました。この調子だと思ったんですが、辞めどきを探しているそうで、会社もバレーも辞めるつもりだそうです。だけど彼はまだ体育館を使っています。踏ん切りをつけられる前に、何かできることをしたい』
『今日は飲み会に初めて参加してくれました。ようやくです。社員も染谷くんのことを理解してくれたらしく、楽しそうに一緒にお酒を飲んでいました。染谷くんは飲んでいませんでしたが、呆れながらも肩を組まれて絡まれている姿を見て、チームメイトの方々と分かり合える日も近いのではないかと思いました。そうしたらまた、バレーを楽しんでくれるかもしれません。バレーが楽しいと笑ってくれるまで、引き続き見守ります』
『今日は社員たちと大勢でバレーをしたそうです。染谷くんは嫌そうな顔をしていたそうですが、社員の報告いわく、心底嫌そうな様子はなく、なんだかんだ簡易的な試合やバレーを教えてくれたと言っていました。僕も体育館を覗きましたが、時折笑ってもいたので、きっともう少しで本社に戻れるかと思います。僕は彼の邪魔をしないよう、これからも適切に見守りたいと思います』
『今日は朝から仕事で大きな失敗をしてしまい、落ち込んでいました。発注ミスです。僕のせいかもしれません。邪魔をしてしまってすみません。結果的に難は逃れましたが、まさかこんな形で彼の邪魔をしてしまうことになるとは思ってもいなくて、自分でも混乱しています。バレー以外のことを考えてほしくないので、少しやり方を検討します』
「…………はあ? 勝手なことばっか」
真木は全部知っていた。知っていたくせに知らないふりをして、染谷を静かに見守っていた。
バレーを楽しんでほしい。早く本社に戻ってチームでバレーをしてほしい。試合に出てほしい。笑ってほしい。そんなことばかりが綴られた日報は、日数分あるために分厚くなっている。
染谷が真木に好きだと伝えてからは、「僕が邪魔をしている」「すみません、適切に見守ります」など、直接的な表現はないが、真木自身を否定するような言葉が増えていた。
『先日は協力していただきありがとうございました。無事チームメイトの方々と分かり合えて、ようやく本格的にバレーが再開できそうです。みんな嬉しそうに笑っていました。染谷くんも、こっちに来てからは笑顔を忘れていたのですが、チームメイトの方々とはぎこちなさはあるものの笑い合えていました。早く本来の彼に戻ってほしいと思います。またご連絡させていただきますが、すぐに異動の手配をお願いします』
本来の染谷に戻るとはなんだ。それではまるで、真木に接していた染谷が、本来の染谷ではないと言っているようである。
(俺が、あの人のせいで頭イカれちまったとでも思ってるのか……)
ありえない話ではない。真木は以前、距離感を誤って部下を一人狂わせている。染谷も同じようになるのではないかと怯えるのも当然か。
「なんだそれ」
染谷は頭がいかれたのか? 真木のせいでおかしくなったのか?
こんな日報を読むだけで、胸が締め付けられるほど焦がれているというのに?
「いかれてるわけあるかよ」
その独白は、体育館の音にかき消された。すぐに「休憩」と西野が告げると、選手たちがベンチに戻ってくる。
ドリンクを飲んでいた選手たちは染谷に話しかけていたが、染谷の目は引き続き日報の文字を追っていた。
「そうだ、思い出した」
そんな中、飯塚がはたと声を上げる。
「なんすか飯塚さん、いきなり」
「覚えてないか、森。何年か前に、試合中に泣いていた男の人が居ただろ。ほら、スクリーンに抜かれてた人」
「何年か前……? あー、帽子かぶってマスクして、不審者っぽいなって話題になったけど、試合見て泣いてたから悪い人じゃないだろって話になった……」
「そう。染谷、あの人真木さんだろ?」
染谷はそれを知っているだろうと疑わない声音だったのだが、染谷が驚いたような顔で飯塚を見上げたのを見て、飯塚は目を丸くする。
「……え、あれ、違ったか? どこかで見たことある気がして引っかかってたんだが……」
「ああ、それでかも。実はおれも真木さん見たとき、なんか既視感あったんすよね」
別の選手もぼんやりとつぶやくが、覚えていない選手は「そうだっけ」と様々な反応を見せている。
とある試合中、泣いていた男がスクリーンに映されていた。それを見ていた選手たちは、試合後に「すげーファンが居たな」と嬉しげに笑っていた。
見た目は不審者のようだったが、泣くくらいだから悪い人なわけがない。きっととんでもないファンなのだと、それは染谷も例外ではなく、チーム全体で嬉しいと思っていた。
そんな彼とは、その後に再会したはずだ。
そのとき、彼とはどんな会話をしたんだったか。
「染谷?」
飯塚の言葉と同時、染谷は勢いよく立ち上がる。
「監督、すみません。復帰は明後日からにしてください」
「いいぞ。そうなると踏んで、おまえのメニューはしばらく組んでない」
「ありがとうございます!」
西野に深く頭を下げると、染谷は脇目も触れず全力で駆け出した。
突然走り出した染谷を見送りながら、チームメイトたちも動きを止める。
「……良かったんですか?」
「やり残したことがあるらしい。あいつは明後日から合流する。ほら、練習再開だ」
体育館が再び練習の音で満たされる頃、染谷は日報を握り締めて駅に向かっていた。
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