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壱・はるかと秋良

肆・運び屋 後

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 はるかは慌てて老人を返し見た。眼が悪いのか頭巾を深く被ったせいか、幸い老人は秋良の様子を気にすることなく座っている。

「あ、あきらちゃん?」

 小声で呼びかけると、秋良は憮然とした表情で老人の対角の席に椅子を引き、どかっと腰を下ろした。
 手にしていた本を置き、代わりに卓の上に置かれていた籠に手を伸ばす。
 中から竹の皮に包まれた蒸飯を取り出し包みが空けられると、鶏で出汁を取った汁でふっくらと炊き上げた米の香りがふわりとのぼる。

 かぐわしい香りに、はるかもおなかが空いていることを思い出した。
 椅子が二つしかないため、壁際にある空の樽を秋良の近くに引っぱってきて座る。

 自分の分に手を伸ばそうとした瞬間、籠がすっと指先から離れた。
 さらに手を伸ばすと、またもや籠が逃げていく。秋良が籠を自分の方へ引き寄せたのだ。

 秋良は蒸飯を頬張ったまま、ぼそりとつぶやいた。

「仕事」

 ごはんくらい食べさせてくれたっていいじゃない、と抗議しようとしたはるかだったが、すぐに思いとどまった。
 なにやら機嫌を損ねた秋良に食ってかかるのは利口ではない。こういうときは放って置くのが一番なのだ。

 はるかは覚書の綴帳を再び取り出し、新しい頁を開いた。表紙の内側に挟んでおいた炭筆すみふでを持つと老人へ向き直った。

「待たせてごめんね、おじいちゃん」
「朝食は良いのかね?」
「……うん、後で食べるから」

 はるかの言葉に重ねるように、腹の虫が大きな音を立てる。
 包みを空にした秋良は、立ち上がり再び本を手にすると、もう一方の手で籠から竹の包みを取るとはるかの前へ放った。
 素早い動きで卓に落ちる前にそれを受け止めたはるかは、これまたどうやっているか結ばれているはずの包みを瞬時に解き開くと、両手で持ったそれをものすごい勢いで食べ始めた。

 秋良は砂梨をひとつ掴み、本棚の前まで移動させた椅子に座ると先ほど本棚に収めた者とは別の本を手に取る。
 椅子に座って読み始める頃には、はるかは蒸飯の包みを綴帳へ持ち換え、改めて老人に対面する。

「おまたせしました」
「なんの、見事な食べっぷりじゃった」

 言って微笑む老人に、はるかはさすがに恥ずかしくなり綴帳に視線を落とす。

「えと、どこまで、何を、いつまでに運んでほしいのか教えて?」
「琥珀の、ここまで届けてくださらんかのぉ」

 老人は手書きの地図を差し出した。道や広場などの位置から、琥珀内の地図のようだった。

「運んでほしいのは、これなんじゃ」

 とん、と卓上に置かれたのは片手にのるくらいの小さな箱だった。それを見たはるかは困惑の表情を浮かべる。

 荷を運ぶのは重さ一石から。つまり報酬が保守料込みで五銀以上からとなっている。しかし眼の前の箱は、大きさにしろ重さにしろ半石もなさそうだ。

「あの……」
「届けてもらうのは早い方が良いのじゃが、送り先の家が出かけておると困るでな。ぜひとも、夕方頃におねがいしたいのじゃ」
「でもねぇ、おじいちゃん」
「報酬は、これだけ先払いで差し上げるでな」

 老人は懐から革袋を取り出し、そこから卓の上に中身を出す。ゆっくりとした動作のうちに、はるかが言う。

「引き受けるには荷物が小さ……」
「その依頼、引き受けた!」

 秋良の大きな声がはるかのそれを遮った。秋良の目はしっかりと卓上を見つめている。
 はるかは視線を落として眼を見開いた。革袋からは金が四枚、燦然と輝いていた。
 満足そうな笑みを浮かべ、老人はよっこいしょ、と卓を支えに立ち上がる。

「それでは、夕方に。その地図の場所へ……頼みましたぞ」

 入口へ向かう老人の後をはるかが追い、先に表戸を開けた。その横を通り過ぎながら、老人は軽く会釈し路地に出る。はるかも続いて外に出た。
 太陽は高くなりつつあり、風はまだ涼しいものの陽射しは熱を強めてきている。

「おじいちゃん、気をつけてね」

 はるかの声に老人は一度だけ振り返り、来た道を路地の奥へと消えていった。

 それにしても金が四枚なんて、とんでもなく大金だ。銅が十枚で銀一枚。銀が十枚で金が一枚。金四枚で砂梨を買うとすると……。

「えっと……??」

 指折り数えてみたが、すぐにあきらめた。食べきれないほど買えることは間違いない。秋良もきっと大喜びしているところだろう。
 戸を閉めて家の中に戻るとはるかの予想通り、四枚の金を喜々としてしまいこむ秋良の姿があった。

「ぼさっとすんな、はるか。すぐに出ないと夕方に間にあわないぞ」

 言いながらも手際よく身支度を始める秋良に対し、慌てて身支度を整えるはるかは秋良のようには捗らない。
 旅用の服に着替えて刀を腰に差したとき、頭の上にばさりと布が覆いかぶさり前が見えなくなった。

「わぁっ」

 上半身をすっぽり覆っていたそれを剥がすと、はるかの外套だった。秋良が放ってよこしたのだろう。

「さっさとしろって。置いてくぞ」
「えっ、待ってよぅ」

  見ると、すっかり準備を整えた秋良が家を出ようとしているところだった。

 急いで外套を羽織り、ぱたぱたと出入口の扉へ向かう。
 開かれた扉からまぶしい光が室内を照らす。外へと踏み出しながら秋良が振り返った。

「荷物、忘れんなよ」

 すっかり角卓の上に忘れられていた小箱を、はるかはそっと持ち上げ、革の袋に入れた。
 袋の口を紐できゅっと結び、懐に入れながら秋良の後を追って外に飛び出す。
 扉は勢いよく閉められ、再び薄暗く静かになった室内に錠が掛けられる音だけが響いた。


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【炭筆(すみふで)】細長い炭に布や紙を巻き付けたもの。鉛筆のように使える。
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