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01: とある魔王の話
しおりを挟む穏やかな太陽の光が射し込み、木々は朝露に濡れ眩しいぐらいに美しく輝いている。
奥に見える泉の傍では、羽を休める鳥たちや、泉の水で喉を潤す動物達が見えた。
大勢の人間で踏み荒らされていない、そのままに残る自然。
聖域――そう呼んでも不思議ではないぐらい俗世から隔離されたような場所だった。
人間界にもまだこんな場所があったのか。
そう思いたくなるほどの美しい森。
そこに全身を黒衣で身を包んだ一人の魔族が音もなく降り立つ。
光にあふれたその場所に不似合いな闇色の存在。
その場にいた動物達が一瞬顔をあげ、その男の方を見る。
けれどすぐに顔をそむけ、何事もなかったかのように、先ほどと変わらぬ穏やかな空気が再びその場に流れた。
泉の近くにある巨木のむき出しになっている根に男は腰を下ろす。
心地よく響く水音と小鳥の囀り、そして風に吹かれる木の葉の音に男は黙ってしばし耳を傾けていた。
しばらくそうしていると、ガサリと小さく木の葉が揺れる音が響く。
そしてふわりと何かが男の目の前に落ちてきた。
ひらひらと揺れるように落ちてくるそれをそっと手にとる。
「羽根……?」
真白な、汚れも混じり気もない純白の羽根。
小鳥の羽根のような小さなそれ。
樹の上にいた小鳥が羽ばたいた時に落ちてきたのだろうか。
自分と正反対の色に、男が口元に微かな笑みを浮かべた――とその時、空から勢いよく何かが落ちてきた。
「いったたたたた……」
盛大な音を立てて男のすぐ目の前落ちてきたのは人間だった。
男の闇を纏った色とは対照的な、光を凝縮したような金色の髪に透けるような白い肌の少年。
「あー、もう。また失敗かー」
声変わりはまだしていないような少し高い声は、落胆のため息と共に口から紡ぎだされる。
落ちた時に打ったのか、腰をさすりながら少年は立ち上がった。
頭に集る木の葉を払いのけて、少年は男がいる巨木の方を振り返った。
まさかそこに人がいるとは思っていなかったのだろう。
少年の瑠璃色の瞳が大きく見開かれた。
大きな目を二、三度瞬きした後、少年は拗ねたように口を尖らせた。
「ちょっと、何か言うことないわけ? 普通、大丈夫とか声かけるんじゃない?」
落ちてきた少年に驚くでもなく、ただ黙って巨木の根元に座っている男に向かって少年は話しかけた。
「何をやってたのか気にならないの?」
「興味はないな」
言葉通り男にはさして興味はない。
少年が何をして、何故落ちてきたのか、などといったことは。
その答えが面白くなかったのか、少年が頬を膨らます。
感情表現がまるで子どもだ。
そのまま男の傍まで近寄って、すぐ近くに男と同じように腰をおろした。
「ボクね、空を飛んでみたいんだ。この大空を」
そう言って少年は空を見上げた。
聞いてもいないのに勝手に話しだす少年に、男は呆れたように溜息を吐く。
そんな男の様子を視界の端にとらえて、少年は少しだけ笑みを漏らした。
「本物の魔族さんに会ったのって初めてなんだけど、魔族さんも空を飛べるんでしょ? いいなぁー、どんな気分?」
にこにこと笑顔を浮かべて話しかけてくる少年に、男は意外そうな表情を浮かべた。
身体的にも能力的にも劣る人間を快く思っていない魔族は多い。
その逆に、人間も魔族を良くは思っていない。
見境なく人を襲ったりするのは低俗な知能もあまり高くない格下の魔族だけだとはいえ、それでも力ではかなわない魔族に近寄る酔狂な人間は滅多にいない。
だが少年は警戒など全くしていないのか、笑顔を浮かべたまま男を見ていた。
「厳密にいえば、我々は空は飛べない。お前の言う『飛ぶ』とは、鳥のように羽ばたいて飛ぶという事だろう? そう言う意味で飛べるのは、翼をもつ神族だけだ」
「そうなの?」
「魔族は、空間移動は出来るが空は飛べない。神族は、空間移動は出来ないが空は飛べる」
人間がすむこの世界とは別の空間に存在する魔族が住む世界、魔界。
そことはまた別の場所、人が到達できない遥か彼方の天空の向こうに、背中に翼を生やした神族と呼ばれる者達が住む神界があった。
魔族とは違い、清浄を第一とする彼らは欲にまみれた俗世間はお気に召さないようで、滅多に人の世界に降りて来ない。
けれど時折降りてきては何かしら仕出かすので、光を纏ったようなその姿を見て、人はそれを神の使いだと崇めていた。
実際は、彼らは神や神の使いなどではなく、ただの有翼種だ。
魔力とは少し違うが似たような、神力と呼ばれる力を持ち、浄化、回復、再生など癒しに特化した能力しか使えない。
そして、やはり神族と魔族は相容れない。
「へーそうなんだ」
初めて聞く魔族と神族の能力の違いに、少年は素直に驚きの声を出す。
空間移動と空を飛ぶこと。
どちらがいいのかなど、空間移動も飛ぶことも出来ない人間には想像もつかない。
巨木の根元から立ち上がり、少年は傍の泉へと歩いて行く。
その少年の後ろ姿をみて、男は少しだけ驚いた顔をした。
「お前、その背中……」
泉の水に手を触れたところで声をかけられ、少年は男を振り返る。
「ああ、これ?」
男が何を言いたいのか分かった少年が肩越しに自分の背中を見る。
「何か、天空に住まう神族の血が混じってるんだって。だから羽が生えてるんだけど……」
そう言った少年の背には、鳥のような小さな純白の翼が生えていた。
ただの人間だと思っていた少年はどうやらそうではなかったらしい。
言われてみれば、天空に住まう神族と同じような金色の髪に、透けるような白い肌をしている。
その瞳はよく晴れた日の大空のように青い色。
けれど、神族と決定的な違いは、その背にある純白の羽。
神族の翼は、両翼を広げればその長さは両腕を広げたよりも長くなる。
しかし少年の羽はそうではなかった。
「どうやらお前は人の血の方が濃いようだな。その小さな翼では、おそらく空は飛べまい」
「そうみたい。何度練習しても、さっきみたいに落ちてしまうだけ」
少年の母親は人間だった。
父親の姿を少年は一度も見たことがない。
けれど母親が「あなたの父様は天の御使い様よ」と言ってたのをよく覚えている。
その証拠のように、少年の背中には鳥のような翼が生えていた。
パタパタと動くその小さな羽は、けれど少年の身体を持ち上げるほどの力はない。
先ほどのように何度も飛ぼうと試みて、空しく落下するだけ。
少年の意思で動かす事が出来る。
でもそれだけだった。
「……ッ!」
突然、少年が胸の辺りの服を握りしめて、その顔に苦悶の表情を浮かべた。
「どうした?」
「な……んでもない。大丈夫……さっき落ちた時にちょっと打ったみたい」
身体を前かがみに丸めて痛みが治まるのをジッと耐える。
治まれ、治まれと何度も心の中で唱えて、痛みが遠のくのを少年は待った。
あからさまに嘘をついていると思える少年に、だが男は何も言わずただ見ていた。
少年の隠している事情を聞き出そうと思うほど、少年とは付き合いが長いわけでも情があるわけでもない。
今しがた出会ったばかりの、神族の血を引く人間の少年でしかない。
痛みが治まったのか、少年がゆっくりと顔をあげる。
「ねえ、魔族さん。アナタの名前、なんて言うの?」
「……フェアラートだ」
名を尋ねられ、普段なら言う気にもなれないが、なぜかその少年にだけは違った。
逆に、魔族、魔族と連呼される方が気に障り、男は素直に名前を教えていた。
「フェアラート? 裏切りをその名に持つなんて、魔族さんらしいね」
「……そういうお前は?」
「ボク? ボクはシェーン。よろしくね」
フェアラート――男の名を呼んで笑いかける少年の顔はとても美しいものだった。
それが金色の瞳の魔族と小さな翼をもつ少年の初めての出会いだった。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと瞼を開けると見慣れた天井が目に入った。
長椅子で転寝でもしていたのか、すぐ傍に読みかけの本が落ちていた。
「夢……か」
懐かしい夢を見たものだとフェアラートは自嘲気味に笑む。
何年などという短い期間でなく、気の遠くなるほど昔の、彼がまだ若かったころの、夢。
今はもう、どこを探してもいない、ずっと前にいなくなった者との淡い思い出。
忘れたと思っていたが、まだこんなにも鮮明に覚えていたのかと前髪をかきあげながら、目を閉じた。
「なに、もの想いに耽ってるんだよ。気色悪いな」
無遠慮な声が室内に響く。
目を開けて声がした方を見れば、夢の中に出ていた若かった頃の自分の姿をした男、中央の大地を治める魔王レステラーが立っていた。
「……何の用だ」
レステラーはフェアラートが創り出した、フェアラートのレプリカだ。
他者の侵入を拒絶する結界を張っても、自分自身さえも締め出すような結界では無い限り、互いに行き来は自由だ。
厳密に言えばわずかな違いがあるので弾くことも可能ではあるが、条件設定が非常に面倒で、互いにそこは気にしないことにしている。
「あの部屋あさってたら、こんなもん見つけたぜ。ほらよ」
そう言ってフェアラートに向かって何かを投げてよこす。
レステラーがいうあの部屋とは聞かなくてもわかる。
先日彼に鍵をやった、あの部屋の事だ。
「後生大事にまだ持ってたんだな。けど、さすがにそれは要らねえよ。アイツのだろ、それ」
受け取ったそれは、あの時の白い羽根。
大事なものであるかのように透明な瓶に入れ、劣化しないように術を施したそれは、夢で見た時と同じように変わらず純白の色を湛えていた。
「なに驚いた顔してやがる。あの時点でのお前の記憶全部受け継いでるんだから、知ってて当然だろ」
わずかに金色の瞳を見開いてこちらを見るフェアラートに、レステラーは面白そうに口元に笑みを浮かべた。
「フェアラート」
レステラーとフェアラートは、レステラーが創られた時点までの知識と記憶を共有している。
フェアラートがそう創った。
けれど、そこに気持ちは欠片もない。
ただ昔にあった出来事としてレステラーの中で記録のように残っているだけで、白い羽根を見て懐かしいなどという感情は湧いて来ない。
「あの時のお前の願い、今叶えてやろうか?」
悪戯でも仕掛けるかのようにレステラーは愉しそうだ。
本当にいい性格をしている、と感心するように、己を映す鏡のようなレステラーを見ながら、フェアラートは笑った。
「何を今さら。あれから幾千の時が流れたと思っている? 今お前に殺してもらわなくても、もうすぐ寿命で朽ち果てる。余計なお世話だ」
レステラーを創った時に、嫌がらせのように掛けられた、自身が望んだのとは正反対の魔術。
だがそれも、あと少しで終わる。
魔王と呼ばれるほどの魔族なら、その強大な魔力で不老であり若いままの肉体を保つが、寿命が近づくと少しずつ老けだす。
人の時間感覚ではまだまだ先の話だが、それでもその時はそう遠くない。
「私が死ねばこの城と領地、すべてお前にやろう」
「要らねえよ、こんな辛気臭いとこ。お前にご執心の配下どもにでもくれてやれば? そうすりゃ、しばらく退屈しないですむだろ。北もまだ騒いでるし」
じゃあな、と一言残してレステラーは用が済んだとばかりに姿を消した。
レステラーがいなくなり、フェアラートだけになったその部屋は先ほどの静けさを取り戻す。
手元にある透明な瓶に入った純白の羽根に視線を移す。
あの時、自分の目の前に降って来た、穢れに染まっていない羽根。
徐に瓶の蓋をあけ、中からその羽根を取り出す。
瞼を閉じれば夢で見た懐かしい笑顔が、今も鮮やかに思い浮かぶ。
「もうすぐだ……」
真っ白な羽根を掴んだ手に力を込めると、突然それが蒼い炎を帯びて燃え上がる。
そして初めから何もなかったかの様に塵も残さず綺麗に消えうせた。
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