【完結】『月の影、刃の舞 ～女武芸者の隠された使命～』

第四章：絶望の淵、再起の誓い

第十話：覚醒の兆し

　綾小路家に伝わる心身操法の秘伝を授けられたさつきは、村の片隅にあるひっそりとした竹林で、新たな修行に没頭していた。

　小夜はさつきの身の回りの世話をしながら、その姿を心配そうに見守る。
藤次郎は、右京から借り受けた書物で兵法や戦術について学びつつ、時折さつきの修行に立ち会い、その変化を見届けた。

　心身操法の修行は、これまでさつきが行ってきた剣の修行とは、全く異なるものだった。

　ひたすらに体を動かし、剣技を磨くのではなく、まず呼吸に意識を集中させる。深く、長く、そして静かに。体の内側に意識を向け、そこに流れる「気」を感じ取る。

　最初は戸惑った。剣を握らず、ただ座して呼吸を整えるだけの時間が、もどかしく感じられた。

　しかし、玄心の「真の強さは内にある」という言葉を思い出し、さつきはひたすらに、己の内面と向き合い続けた。

　数日、いや、十日と時が流れるにつれ、さつきの呼吸はより深く、より穏やかになっていった。

　意識を集中すると、体の奥底から、温かい、そして力強い何かが湧き上がってくるのを感じる。それは、これまで感じたことのない、清らかな「気」だった。

　ある夜、満月の光が竹林を照らす中、さつきは刀を抜いた。呼吸を整え、ゆっくりと構える。以前は力任せに振るっていた剣が、まるで体の一部のように、自然と動く。

　一歩、踏み出す。その足運びは、竹林の風に舞う落ち葉のように、静かで滑らかだった。剣を振るう。
それは力で押し切るような斬撃ではなく、月光が水面に映るように、柔らかく、しかし確実に、空間を切り裂く軌跡を描いた。

　月光の呼吸。
以前、紫苑との戦いで無意識に発動したあの感覚が、今、さつきの意思によって引き出されている。
ただの偶然ではなく、自らの手で操れる力として。

　剣を構え、相手の動きを読む。
その力は、相手の攻撃を受け止め、打ち砕くものではなかった。むしろ、相手の力を利用し、その流れに逆らわず、自らの剣へと転じる。

「なるほど…月の剣の極意とは、これか…」

　さつきは、独りごちた。
これまで、剣は敵を打ち破るための「刃」だった。しかし今、さつきの剣は、まるで月のように、光を放ち、闇を切り裂き、そして全てを受け流すような、穏やかな強さを持ち始めていた。

　それは、力ではなく、調和。 それは、破壊ではなく、浄化。

　剣の軌跡が、月の光と一体となり、竹林の中に幻想的な舞を繰り広げる。
さつきの表情は、どこか吹っ切れたような、清々しいものだった。

　その様子を、物陰から藤次郎と小夜、そして玄心が見つめていた。

「すごい…さつき姉ちゃん…」

　小夜は、感動に震える声で呟いた。

　藤次郎は、その瞳を大きく見開いていた。
さつきの剣は、以前とは全く別物になっていた。
まるで、水が流れ、風が吹くように、ごく自然に、そして淀みなく動いている。

「あいつは…本当に、迷いを断ち切ったんだな…」

　藤次郎の言葉に、玄心は静かに頷いた。

「うむ。復讐という檻から解き放たれ、守るべきもののために剣を振るう。
その純粋な心が、彼女の内に眠る真の力を呼び覚ましたのだ」

　玄心の言葉は、確信に満ちていた。さつきの覚醒は、まだ始まったばかり。
しかし、その輝きは、黒曜会の闇を打ち破るための、確かな希望の光となるだろう。