【完結】『残照の蛍火―名もなき愛の墓標―』

月影 朔

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第九章:維新の光、名もなき墓標

第九十六話:明治の息吹

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 土方歳三の死、そして箱館・五稜郭の陥落。
その報せは、長きにわたる戊辰戦争の終結を意味していた。

 血で血を洗う戦いは、ついに終わりを告げたのだ。
雪の心には、これまで感じたことのない、深く静かな安堵が広がっていた。

 そして、その年の九月。
新たな時代の幕開けを告げる号外が、下関の町にも届いた。

「元号が『明治』と改められたと……」

 療養所の廊下で、志士たちが興奮した面持ちで、その報せを伝え合っていた。

 雪は、その言葉を耳にした途端、思わず空を見上げた。
長く、長く続いた徳川の世が、本当に終わったのだ。

 そして、新しい時代が、名実ともに始まる。

「明治……」

 雪は、その新しい響きを、心の中でゆっくりと繰り返した。

 それは、俊太郎が夢に見た「新しい日本」の、確かな息吹のように感じられた。
幾多の命が散り、多くの悲しみが積み重なった末に、ようやく訪れた夜明け。
その光は、まだか弱くとも、確かにこの国を照らし始めていた。

 戦乱が終わり、療養所の役目も、まもなく終えようとしていた。

 運び込まれてくる負傷者の数は、日に日に減り、重傷を負った者たちも、ほとんどが故郷へと帰っていった。
活気に満ちていた療養所は、徐々に静けさを取り戻していく。

 ある日、桂小五郎の世話役を務めていた男が、雪に告げた。

「雪殿、あなた様のお働きには、心より感謝いたします。
この療養所も、これで解散となります」

 その言葉に、雪は自らの役目が終わったことを感じた。

 これまで、彼女を支え続けてきたのは、俊太郎から託された使命であり、目の前の負傷者たちを救うという日々の戦いだった。
それが、今、終わりを告げたのだ。

 心には、確かに安堵があった。
もう、血と硝煙の匂いに怯えることもない。夜中に響く呻き声に、心を乱されることもない。

 しかし、その安堵の裏側には、一抹の寂しさも広がっていた。

 俊太郎の遺志を桂に届け、負傷した志士たちの看護に身を捧げる。
その日々は、過酷ではあったが、雪に確かな生きる意味を与えてくれた。

 彼女は、誰かのために尽くすことの中に、自らの存在意義を見出していた。
それが、唐突に終わりを告げたのだ。

 これから、自分は何をすればよいのだろうか。どこへ行けばよいのだろうか。

 雪は、長州藩に身を寄せた当初の、行き場のない不安をふと思い出した。
しかし、あの頃とは違う。
彼女の心には、俊太郎から受け継いだ「日本の未来」への想いと、幾多の苦難を乗り越えてきた確かな強さが宿っている。

 療養所の窓から見える下関の港には、新しい時代を象徴するかのように、西洋の帆船が停泊していた。
遠く水平線の彼方には、新しい夜明けの光が、さらに力強く輝いている。

 雪は、自身の指先を見つめた。
そこには、数えきれないほどの負傷者の血と汗、そして涙が染み付いているかのようだった。

 しかし、それ以上に、彼女の手は、多くの命を救い、新しい時代を支えてきた証でもあった。

 彼女の戦いは終わった。
しかし、俊太郎の夢見た「新しい日本」は、今、まさに始まったばかりだ。

 雪は、その明治の息吹を感じながら、自らの次の道を、静かに模索し始めていた。
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