『古民家カフェ月見草と、記憶を繋ぐ猫のレシピ』

月影 朔

文字の大きさ
31 / 57
第2章:記憶のレシピと訪れる人々

第31話:色を失った画家と、雨上がりのカフェ

しおりを挟む
 レジ横の壁に飾られた拓海の描いたみたらしの絵を眺めていると、心がすっと軽くなる。

 私のカフェでの仕事は、誰かの心を温め、忘れかけていた情熱に再び火を灯すことができる。

 そう確信した翌日、私はいつものように開店準備に取り掛かっていた。

 木々が色づき始めた秋の午後のことだった。

 しとしとと降っていた雨が上がり、葉に残った雨粒がキラキラと光を反射させている。

 そんな日の昼下がり、カフェの扉がゆっくりと開いた。

 そこには、初めて見る男性が立っていた。

 彼は、傘から滴る水滴を払いながら、店内へと足を踏み入れる。

 身長が高く、細身の体躯に、黒いコートがよく似合っていた。

 その顔は、色素の薄い肌に、伏せられた長い睫毛が影を落とし、まるで彫刻のように整っている。

 しかし、その端正な横顔には、深い疲労と、全てを諦めたような虚ろな色が浮かんでいた。

 都会の喧騒から離れたこの場所には不釣り合いなほど、洗練されていながらも、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。

 男性は、店内を見回すこともなく、一番奥の窓辺の席に、まるで吸い寄せられるように座った。

 そこは、いつも藤堂さんが座る、陽当たりの良い特等席だ。

 彼はメニューにも目をくれず、ただぼんやりと、雨上がりの庭を眺めている。

 その様子は、まるで彼の目に映る世界が、全て灰色に染まっているかのように見えた。

 私は、そっと淹れたてのコーヒーを彼のテーブルに置いた。

「いらっしゃいませ。
温かいコーヒーで、少しでも体が温まりますように」

 そう声をかけると、男性はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、深い湖の底のように静かで、感情の揺らぎがほとんど感じられない。

 彼は、微かに唇を動かし、「……有栖川、冬真です」と、か細い声で名乗った。

 私は会釈を返し、そっと厨房へ戻った。

 カップを置いた時に、彼の指先がちらりと見えた。

 微かに、色とりどりの絵の具がこびりついている。

 その痕跡は、彼の職業を静かに物語っていた。

「画家、なのかな……」

 私の胸に、微かなざわめきが生まれた。

 彼の纏う諦めの色が、かつて都会で夢を諦めた頃の自分と重なったのだ。

 みたらしは、私の膝の上で丸まりながら、いつもより長い時間をかけて、その男性をじっと見つめていた。

 普段なら、新しい客が来ても、そこまで興味を示さない彼が、珍しく視線を固定している。

 やがて、彼はフンと鼻を鳴らし、私の思考を見透かすかのように心の声で呟いた。

「あの男からは、色のない匂いがするな……」

 私は、思わずみたらしに視線を向けた。

「色のない匂い……?」

 彼の言葉が、すとんと胸に落ちてくる。

 確かに、彼から感じるのは、あらゆる色が抜け落ちたような、くすんだ空気だった。

 まるで、世界が灰色に染まってしまい、彼自身もその中に溶け込んでしまっているかのようだ。

 みたらしは、さらに続ける。

「まるで、世界が灰色に見えているみたいだな。
可哀そうに……。
人間は、目に見えるものばかりを追いかけるから、時に本質を見失う」

 彼の言葉は、常に的確で、私の心を揺さぶる。

 あの男性も、何かを失って、苦しんでいるのだろうか。

 彼の疲弊しきった横顔を見ていると、胸の奥がちりりと痛んだ。

 このカフェのお菓子は、そんな彼の心に、再び色を取り戻せるだろうか?

 私は、深く息を吐き出し、静かに彼を見つめた。

 カフェには、秋の終わりを告げるような、冷たい風が吹き抜けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合

鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。 国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。 でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。 これってもしかして【動物スキル?】 笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

『辺境伯一家の領地繁栄記』スキル育成記~最強双子、成長中~

鈴白理人
ファンタジー
ラザナキア王国の国民は【スキルツリー】という女神の加護を持つ。 そんな国の北に住むアクアオッジ辺境伯一家も例外ではなく、父は【掴みスキル】母は【育成スキル】の持ち主。 母のスキルのせいか、一家の子供たちは生まれたころから、派生スキルがポコポコ枝分かれし、スキルレベルもぐんぐん上がっていった。 双子で生まれた末っ子、兄のウィルフレッドの【精霊スキル】、妹のメリルの【魔法スキル】も例外なくレベルアップし、十五歳となった今、学園入学の秒読み段階を迎えていた── 前作→『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...