42 / 57
第3章:忘れられた味と向き合う心
第42話:届かなかった手紙と父の真実
しおりを挟む
健太が帰った後も、私の嗚咽はしばらく止まらなかった。
父の不器用な愛情、そして私がどれほど彼の心を誤解していたか。
その事実が、波のように押し寄せ、私の心を揺さぶる。
みたらしは、私の膝の上で、変わらず静かに喉を鳴らしていた。
その規則正しい振動が、少しずつ、私の荒れた呼吸を落ち着かせてくれる。
涙が止まり、顔を上げると、濡れた視界の先に、祖母のレシピノートが目に入った。
そうだ。
祖母は、きっと、この日を予感していたのだろう。
私が、父の真の心に気づく日を。
私は、立ち上がり、祖母の遺品が収められている戸棚へと向かった。
手荒に扱っていたわけではないけれど、これまで、どこか表面的な部分しか見ていなかった気がする。
父へのわだかまりが、私自身の視界を曇らせていたのだ。
戸棚の奥。
埃を被った古い木箱に、私の指がそっと触れる。
祖母が、大切にしていた思い出の品々が収められている箱だ。
過去の私は、この箱を開けることに、どこか抵抗があった。
開けてしまえば、もっと深い感情と向き合わなければならないような、そんな漠然とした恐怖を感じていたのかもしれない。
けれど、今の私は違う。
もう、逃げない。
箱の蓋をそっと開けると、中には、祖母が使っていた小さな裁縫道具や、押し花のしおり、そして、一枚の色褪せた写真が入っていた。
それは、私と両親、そして祖父母が五人で写っている、古い家族写真だった。
笑顔の祖父母。
幼い私は、無邪気に笑っている。
そして、その横に立つ父と母。
父の顔は、やはり、どこか無理に作ったような笑顔に見えた。
その瞳の奥には、うっすらと悲しみの影が宿っている。
母は、父の腕に寄り添い、優しく微笑んでいたけれど、その横顔には、健太が言っていた病の影が、たしかに微かに見て取れるような気がした。
写真を指でそっと撫でる。
すると、写真の裏に、何か挟まっているような微かな感触があった。
「――これは……」
恐る恐る、写真をめくると、そこに、くしゃくしゃになった一通の手紙が挟まっていたのだ。
封筒はなく、便箋がそのまま、まるで急いで書かれたかのように乱雑に折りたたまれている。
それは、父が使う、あの不器用な文字だった。
まさか――。
私の手が、小刻みに震える。
恐る恐る、手紙を開く。
そこには、鉛筆で書かれた、父の拙い文字が並んでいた。
句読点も、改行も、どこか不規則で、まるで父の胸の内で渦巻く感情をそのまま書き出したかのようだった。
『花へ』
その書き出しに、私の視界が滲んだ。
読み進めるうちに、私の喉の奥から、嗚咽が漏れていく。
『花がパティシエになりたいと言った時、俺はひどいことを言ってしまったな。
本当にすまない。
お前に才能がないわけじゃない。
むしろ、花が作る菓子は、俺が誰よりも美味しいと思っている。』
父の本心が、鉛筆の跡からじんわりと伝わってくる。
私は、あの時、父の言葉を真に受けて、自分が無能なのだと、夢を諦めるための言い訳を探していた。
けれど、父は、私の才能を、誰よりも信じてくれていたのだ。
『ただ……お母さんの病気が、あの時、再発の可能性があると医者に言われたんだ。
お前に、これ以上、心配をかけたくなかった。
不安定な世界で、お前が一人で苦しむ姿を見るのが、怖かったんだ。』
胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
父は、私を守るために、あの辛い言葉を口にしたのだ。
私を、傷つける覚悟で。
その深い愛情が、今、手紙の文字を通して、痛いほど伝わってきた。
『俺は不器用だから、ああいう言い方しかできなかった。
お前が、俺を憎んで、家を飛び出していったのも、当然のことだと思う。
だが、花……
どうか、自分の夢を諦めないでくれ。
お前の作る菓子には、人を笑顔にする力がある。
お前の笑顔を、俺たちは何よりも願っている。』
手紙の最後には、インクが滲んだ跡があった。
きっと、父も、この手紙を書く時に、涙を流していたのだろう。
自分の不器用さ、そして、私を傷つけてしまった後悔に。
そして、病に苦しむ母への深い愛情。
全てが、この一枚の便箋に凝縮されていた。
私は、手紙を胸に抱きしめ、しゃがみ込んだ。
目から、熱い涙が止めどなく溢れ続ける。
「お父さん……
ごめんなさい……
ごめんなさい……!」
これまで、ずっと父を誤解し、憎んできた。
けれど、その背後には、想像を絶するほどの重い真実と、そして深い愛情があったのだ。
みたらしが、私の肩にそっと前足を乗せる。
その温かい重みが、私を現実へと引き戻した。
手紙を握りしめた私の手は、まだ小刻みに震えていたけれど、心の奥底には、これまで感じたことのない温かい光が灯り始めていた。
それは、父への理解と、謝罪、そして、和解への希望だった。
この手紙は、父が出すことのできなかった言葉であり、私にとっての真実の扉だった。
私は、この扉を開き、父と、そして母と、もう一度向き合わなければならない。
そう、強く心に誓った。
父の不器用な愛情、そして私がどれほど彼の心を誤解していたか。
その事実が、波のように押し寄せ、私の心を揺さぶる。
みたらしは、私の膝の上で、変わらず静かに喉を鳴らしていた。
その規則正しい振動が、少しずつ、私の荒れた呼吸を落ち着かせてくれる。
涙が止まり、顔を上げると、濡れた視界の先に、祖母のレシピノートが目に入った。
そうだ。
祖母は、きっと、この日を予感していたのだろう。
私が、父の真の心に気づく日を。
私は、立ち上がり、祖母の遺品が収められている戸棚へと向かった。
手荒に扱っていたわけではないけれど、これまで、どこか表面的な部分しか見ていなかった気がする。
父へのわだかまりが、私自身の視界を曇らせていたのだ。
戸棚の奥。
埃を被った古い木箱に、私の指がそっと触れる。
祖母が、大切にしていた思い出の品々が収められている箱だ。
過去の私は、この箱を開けることに、どこか抵抗があった。
開けてしまえば、もっと深い感情と向き合わなければならないような、そんな漠然とした恐怖を感じていたのかもしれない。
けれど、今の私は違う。
もう、逃げない。
箱の蓋をそっと開けると、中には、祖母が使っていた小さな裁縫道具や、押し花のしおり、そして、一枚の色褪せた写真が入っていた。
それは、私と両親、そして祖父母が五人で写っている、古い家族写真だった。
笑顔の祖父母。
幼い私は、無邪気に笑っている。
そして、その横に立つ父と母。
父の顔は、やはり、どこか無理に作ったような笑顔に見えた。
その瞳の奥には、うっすらと悲しみの影が宿っている。
母は、父の腕に寄り添い、優しく微笑んでいたけれど、その横顔には、健太が言っていた病の影が、たしかに微かに見て取れるような気がした。
写真を指でそっと撫でる。
すると、写真の裏に、何か挟まっているような微かな感触があった。
「――これは……」
恐る恐る、写真をめくると、そこに、くしゃくしゃになった一通の手紙が挟まっていたのだ。
封筒はなく、便箋がそのまま、まるで急いで書かれたかのように乱雑に折りたたまれている。
それは、父が使う、あの不器用な文字だった。
まさか――。
私の手が、小刻みに震える。
恐る恐る、手紙を開く。
そこには、鉛筆で書かれた、父の拙い文字が並んでいた。
句読点も、改行も、どこか不規則で、まるで父の胸の内で渦巻く感情をそのまま書き出したかのようだった。
『花へ』
その書き出しに、私の視界が滲んだ。
読み進めるうちに、私の喉の奥から、嗚咽が漏れていく。
『花がパティシエになりたいと言った時、俺はひどいことを言ってしまったな。
本当にすまない。
お前に才能がないわけじゃない。
むしろ、花が作る菓子は、俺が誰よりも美味しいと思っている。』
父の本心が、鉛筆の跡からじんわりと伝わってくる。
私は、あの時、父の言葉を真に受けて、自分が無能なのだと、夢を諦めるための言い訳を探していた。
けれど、父は、私の才能を、誰よりも信じてくれていたのだ。
『ただ……お母さんの病気が、あの時、再発の可能性があると医者に言われたんだ。
お前に、これ以上、心配をかけたくなかった。
不安定な世界で、お前が一人で苦しむ姿を見るのが、怖かったんだ。』
胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
父は、私を守るために、あの辛い言葉を口にしたのだ。
私を、傷つける覚悟で。
その深い愛情が、今、手紙の文字を通して、痛いほど伝わってきた。
『俺は不器用だから、ああいう言い方しかできなかった。
お前が、俺を憎んで、家を飛び出していったのも、当然のことだと思う。
だが、花……
どうか、自分の夢を諦めないでくれ。
お前の作る菓子には、人を笑顔にする力がある。
お前の笑顔を、俺たちは何よりも願っている。』
手紙の最後には、インクが滲んだ跡があった。
きっと、父も、この手紙を書く時に、涙を流していたのだろう。
自分の不器用さ、そして、私を傷つけてしまった後悔に。
そして、病に苦しむ母への深い愛情。
全てが、この一枚の便箋に凝縮されていた。
私は、手紙を胸に抱きしめ、しゃがみ込んだ。
目から、熱い涙が止めどなく溢れ続ける。
「お父さん……
ごめんなさい……
ごめんなさい……!」
これまで、ずっと父を誤解し、憎んできた。
けれど、その背後には、想像を絶するほどの重い真実と、そして深い愛情があったのだ。
みたらしが、私の肩にそっと前足を乗せる。
その温かい重みが、私を現実へと引き戻した。
手紙を握りしめた私の手は、まだ小刻みに震えていたけれど、心の奥底には、これまで感じたことのない温かい光が灯り始めていた。
それは、父への理解と、謝罪、そして、和解への希望だった。
この手紙は、父が出すことのできなかった言葉であり、私にとっての真実の扉だった。
私は、この扉を開き、父と、そして母と、もう一度向き合わなければならない。
そう、強く心に誓った。
10
あなたにおすすめの小説
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
『辺境伯一家の領地繁栄記』スキル育成記~最強双子、成長中~
鈴白理人
ファンタジー
ラザナキア王国の国民は【スキルツリー】という女神の加護を持つ。
そんな国の北に住むアクアオッジ辺境伯一家も例外ではなく、父は【掴みスキル】母は【育成スキル】の持ち主。
母のスキルのせいか、一家の子供たちは生まれたころから、派生スキルがポコポコ枝分かれし、スキルレベルもぐんぐん上がっていった。
双子で生まれた末っ子、兄のウィルフレッドの【精霊スキル】、妹のメリルの【魔法スキル】も例外なくレベルアップし、十五歳となった今、学園入学の秒読み段階を迎えていた──
前作→『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。
神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ガチャから始まる錬金ライフ
あに
ファンタジー
河地夜人は日雇い労働者だったが、スキルボールを手に入れた翌日にクビになってしまう。
手に入れたスキルボールは『ガチャ』そこから『鑑定』『錬金術』と手に入れて、今までダンジョンの宝箱しか出なかったポーションなどを冒険者御用達の『プライド』に売り、億万長者になっていく。
他にもS級冒険者と出会い、自らもS級に上り詰める。
どんどん仲間も増え、自らはダンジョンには行かず錬金術で飯を食う。
自身の本当のジョブが召喚士だったので、召喚した相棒のテンとまったり、時には冒険し成長していく。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる