『刃紋の証言 ~江戸刀剣鑑定控・一葉~』

月影 朔

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第六話:柄に秘められた文 ~形見の短刀~

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 初冬の風が吹き始め、江戸の街路樹の葉が舞う頃。桐谷一葉の鑑定所には、しんとした静けさが漂っていた。その静寂を破るように、一人の若い女性が訪れた。
目元にまだ悲しみの影を残している。名を志保(しほ)といった。

「桐谷先生…突然に恐れ入ります。父が、先日亡くなりまして…その形見の短刀を、見ていただきたく参りました。」

 志保は、丁寧に布に包まれた短刀を一葉に差し出した。その手は、亡き父親への思いを物語るかのように、優しく、そして僅かに震えている。

「形見の短刀…。」

 一葉は包みを受け取った。ずっしりとした、しかしどこか温かみを感じさせる重み。布を開くと、現れたのは、簡素ながらも手入れの行き届いた短刀だった。黒い鞘は艶があり、柄には鮫皮が巻かれ、飾り気のない落ち着いた拵(こしらえ)だ。

「お父上は、どのような方でいらっしゃいましたか?」

 一葉は問いかけた。
刀は、持つ者の人生を映し出す鏡でもある。特に形見となれば、その刀に込められた思いや、隠された物語があるかもしれない。

「父は…小さな寺子屋を開いておりました。剣術の心得もあり、時折、近所の子供たちに木刀を握らせることも…穏やかで、読書を好み、多くを語らぬ人でした。」

 志保は、父親との思い出を語った。学者肌で、争い事を好まぬ人だったという。そんな父親が、なぜこの短刀を肌身離さず持っていたのか、志保には分からなかった。

「父は…この短刀を、とても大切にしておりました。ですが、私に見せることはなく…亡くなる間際に、『もしものことがあれば、この刀を信頼できる者に見せよ』とだけ…。」

 志保は、父親の言葉の真意が分からず、困惑していた。信頼できる者。父は、この短刀に何を託したのだろうか。

 一葉は、短刀を鑑定台に置き、ゆっくりと鞘から抜き放った。ひやりとした鋼の感触。
刀身は、地鉄(じがね)に僅かに肌(はだ)が立ち、刃文(はもん)は直刃(すぐは)に近い落ち着いたものだ。名工の作というほどではないが、丁寧に作られた、実用的な短刀である。

「疵(きず)や錆もなく、よく手入れされていますね。」

 一葉は、刀身を様々な角度から観察した。これといった特徴は見られない。単なる護身用、あるいは先祖代々のものだろうか。だが、志保の父親が肌身離さず持ち、最期に託したという言葉が気にかかる。

 一葉は、刀身から目を離し、柄(つか)を調べ始めた。鮫皮の巻きはしっかりしており、目貫(めぬき)も簡素なものだ。
しかし、一葉の指先が、柄の、鮫皮と柄糸の間に、僅かな「違和感」を感じ取った。それは、肉眼ではほとんど分からないほどの、微細な膨らみ、あるいは隙間。

 一葉は、細い竹串を取り出し、慎重にその部分を調べた。すると、鮫皮の下に、何かが隠されているらしいことが分かった。さらに詳しく調べると、柄の内部に、小さな空間が設けられていることが判明した。そして、その空間には…

「これは…」

 一葉は、竹串の先に引っかかった、小さな紙片を取り出した。それは、非常に薄く、小さな紙切れだった。破れないように注意深く広げると、そこには、墨で微細な文字が書き込まれている。文字というよりも、記号、あるいは符号のようなものだった。

 予期せぬ発見に、一葉の顔に微かな驚きの色が浮かんだ。これは、単なる形見ではない。父親は、この短刀に何かを隠していた。

「これは…何でしょう?」
 志保は、不安げに尋ねた。

 一葉は、紙片に書き込まれた符号に目を凝らした。それは、一般的な文字ではない。しかし、何らかの規則性を持って並べられているように見える。それは、特定の者にしか理解できない暗号なのか?

 一葉は、過去に目にした刀剣に関する記録や、裏社会で使われる隠語や記号の情報を脳裏で辿る。そして、ある可能性に思い至った。

「これは…文字というより、符号のようですね。特定の意味を持つ…あるいは、何かを伝えるための暗号かもしれません。」

 父親は、この短刀の柄に、人知れずメッセージを隠していたのだ。しかし、なぜ? そして、この暗号は、何を伝えようとしているのか?

 一葉の探求心がくすぐられる。この符号には、父親の知られざる一面、そして隠された「物語」が秘められている。

 一葉は、志保に父親の生前の様子についてさらに詳しく尋ねた。何か変わったことはなかったか、誰かと密かに会っていたことはないかなど。

 志保は、父親が亡くなる少し前、夜中にこっそり外出することが増えたこと、そして、見慣れない男と話している姿を見かけたことがあると語った。男は着流し姿で、どこか威圧感のある雰囲気だったという。

 夜中の外出。見慣れない男。そして、短刀に隠された暗号。点と点が繋がり始める。

 一葉は、暗号の解読を試みた。様々な角度から符号を眺め、並び順や形に規則性がないかを探る。それは、刀に残された傷跡から真実を読み解くのとは異なる種類の集中力を要する作業だ。

 容易には解けない暗号に、一葉の眉間に微かな皺が刻まれる。時間がかかるかもしれない。しかし、この暗号の先に、父親が命懸けで隠した真実がある。

 数刻後、一葉は、ある仮説を立てた。この符号は、単語や文章ではなく、特定の場所や時間、あるいは人物を指し示すためのものではないか。そして、その並び順には、意味があるのではないか。

 一葉は、志保に、父親が見慣れない男と話していた場所や時間について詳しく尋ねた。そして、暗号とそれらの情報を照らし合わせた。

 すると…暗号が示す場所、時間、そしてその雰囲気が、志保が語った父親の行動と符合する。父親は、あの男と、この暗号が示す場所で密会していたのではないか?

 そして、一葉は、暗号の中のある符号に、既視感を覚えた。それは、以前、「影追」という言葉を聞いた際に、その背後に感じた不穏な気配と重なるような、どこか歪んだ、不吉な符号だった。

 一葉の脳裏に、「影追」という存在がよぎる。
曰くつきの刀を集め、江戸の闇に潜む者たち。そして、彼らが追っていると言われる「五龍の剣」伝説。

 その可能性に思い至り、一葉の表情が引き締まる。父親は、単なる寺子屋の先生ではなかった。彼は、「影追」という、この江戸の闇を覆う巨大な影と関わりを持っていたのかもしれない。

 もしかすると、志保の父親は、「影追」と関わりを持っていたのではないか? あるいは、「影追」の活動について、何かを知ってしまったのではないか? そして、その情報を、誰かに託すために、この短刀に隠したのではないか?

 一葉は、解読した暗号が示す場所と時間、そして「影追」との関連の可能性について、奉行所の田島同心に伝えた。田島同心たちは、情報に基づいて密かに調査を開始した。

 数日後、田島同心から報告が入る。暗号が示す場所は、裏社会の人間が出入りする隠れ家の一つであり、そこで数日前まで、「影追」と繋がりのある人物が潜伏していた形跡があったという。しかし、その人物はすでに姿を消した後だった。

 そして、志保の父親が、亡くなる数ヶ月前から、何らかの危険な事柄に関わっていた可能性が高いことが示唆された。おそらく、彼は「影追」の活動について、あるいは「影追」が追っている「五龍の剣」に関わる何かを知り、その情報を誰かに伝えようとしていたのだろう。しかし、その前に…

 一葉は、志保に真実を伝えるかどうか迷った。父親が、危険な存在と関わり、秘密を抱えていたという事実。それは、志保にとって、父親の穏やかなイメージを壊してしまうかもしれない。

 志保の父親を思う気持ち、そして知られざる真実の重さの間で、一葉の心が揺れ動く。真実を伝えることが、必ずしも依頼人にとって幸せとは限らない。しかし、刀が語った真実を、闇に葬るわけにはいかない。

 しかし、一葉は知っている。真実を知ることが、時にどれほど辛くても、それが故人を理解し、前に進むための道となることもある、と。

 一葉は、志保に、短刀に隠されていた暗号のこと、そしてその暗号が示す場所、そして父親が「影追」という危険な存在と関わりを持っていた可能性について、慎重に話した。

 志保は、衝撃を受け、言葉を失った。穏やかで、読書家だった父親が、なぜ、そのような危険な存在と関わっていたのか。なぜ、自分に何も語らず、このような形でメッセージを残したのか。

「父は…何を、私に伝えたかったのでしょうか…」

 志保の声は、悲しみと困惑に満ちていた。

 志保の痛ましい声に、一葉は胸を締め付けられる。彼女の父親が抱えていた苦悩と、娘への思い。刀は、単なる物ではなく、持ち主の感情や人生そのものを記憶している。

「お父上は…おそらく、何か大切な情報を、誰かに託そうとされたのでしょう。」

 一葉は静かに言った。
「この暗号は…それを伝えるための、最後の手段だったのかもしれません。ご自身の身に危険が迫っていることを悟り、それでも、真実を闇に葬らせたくないと…。」

 志保は、短刀を手に取り、柄を見つめた。この中に、父親の最後のメッセージが隠されていたのか。危険を顧みず、何かを守ろうとした父親の思いが。

「父は…武士ではありませんでしたが…最後まで、何かと戦っていたのですね…」

 志保の目から、涙が溢れ落ちた。それは、父親の知られざる一面を知ったことによる驚きと、そして、命をかけて何かを伝えようとした父親への、深い悲しみと感謝の涙だった。

 一葉は、志保に寄り添い、静かに見守った。短刀は、父親の秘密と、その裏に隠された危険な真実を語った。それは、穏やかな寺子屋の先生という顔の裏に隠された、もう一つの顔。
そして、「影追」という存在の恐ろしさを改めて示すものだった。

 志保は、短刀を胸に抱き、深々と頭を下げた。
「先生…父の…父の本当の気持ちを、教えてくださって、ありがとうございました。」

 志保が去った後、一葉は一人、鑑定所に残った。手元には、志保が置いていった小さな紙片。そこには、未だ完全に解読できていない、いくつかの符号が残されている。

 この暗号は、「影追」が用いる暗号の一部なのか? それとも、「五龍の剣」伝説に関わる、何か別の情報なのか?

 志保の父親は、何を「影追」から知ってしまったのか? そして、その情報が、「五龍の剣」伝説とどのように繋がるのか?

 謎は解けるどころか、深まるばかりだ。穏やかな寺子屋の先生が、命をかけて隠そうとした秘密。それは、単なる個人の秘密ではなかった。
それは、江戸の闇に潜む、巨大な影の存在と、「五龍の剣」伝説という、未だ見ぬ核心へと繋がる、新たな糸口となったのだ。

 一葉は、紙片に刻まれた符号を静かに見つめた。短刀が語った物語は、まだ、序章に過ぎないのかもしれない。
そして、「影追」という影は、すぐ近くに潜んでいる。

 この暗号を完全に解読しなければならない。
その先にある真実が、影追の目的、そして「五龍の剣」伝説の核心に迫る鍵となるかもしれない。焦燥感と、未知なるものへの緊張感が、一葉の心を占めた。

 一葉の、刃に刻まれた真実を追う探求の日々は、柄に隠された暗号が示した、新たな謎と共に続いていく。
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