【完結】『夕映えの寺子屋 - 寅次郎先生、明治を照らす最後の授業 -』

月影 朔

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第三章:過去からの呼び声

第二十三話:師弟の再会

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 伊藤博文は、縁側に膝をつき、深々と頭を下げたまま、しばらくの間、顔を上げることができなかった。

 その姿は、かつて松下村塾で、師の教えに耳を傾けていた若き日の利助そのものだった。寅次郎は、その姿を静かに見つめ、ゆっくりと、しかし確かな声で言った。

「利助…よくぞ、生きておったな」

 その言葉に、伊藤は顔を上げた。彼の目には、師への深い敬愛と、長年の苦労が滲む涙が浮かんでいた。

「先生…まさか、このようにお元気でおられるとは…」

 伊藤は、そう言いながら、師の痩せた手をそっと握った。その手から伝わる温かさに、寅次郎は、長年忘れかけていた人間らしい感情が蘇るのを感じた。

 子供たちは、二人のただならぬ雰囲気に、息を潜めていた。目の前の威厳ある男が、自分たちの先生と、これほど深い絆で結ばれていることに、彼らは驚きと同時に、何か特別なものを感じ取っていた。

 伊藤は、師の前に座り直し、維新後の日本の歩み、そして国家建設の苦労について、訥々と語り始めた。

「先生の教えは、常に私の心の支えとなっておりました。廃藩置県、地租改正、徴兵令…これらの改革は、この国を近代国家へと導くために、避けては通れぬ道でございました」

 彼の言葉からは、激動の時代を生き抜き、日本の未来をその双肩に担う者の、重い責任と苦悩が感じられた。多くの志士が命を落とし、新しい時代を築くために、どれほどの犠牲が払われたか。そして、新政府が抱える課題、西洋列強との関係、国内の不穏な動きなど、詳細に語った。

「しかし、道のりは険しく、未だ解決せねばならぬ問題は山積しております。特に、この国の民の生活は、未だ豊かとは言えず、不平不満の声も少なくありません」

 伊藤の言葉は、率直で、偽りがなかった。彼は、師の前にあって、自らの正直な胸の内をさらけ出したのだ。それは、師への深い信頼と、尊敬の念ゆえだろう。

 寅次郎は、静かに伊藤の言葉に耳を傾けていた。彼の脳裏には、かつて松下村塾で、日本の未来を熱く語り合った日々が蘇る。

 あの頃の若き利助は、目の前の理想に燃え、ただひたすらに前を向いて突き進んでいた。しかし、今は、現実の厳しさを知り、その顔には、深い思慮と苦悩の影が宿っていた。

 寅次郎は、ただ頷き、時折、深く息を吐きながら、伊藤の言葉を受け止めた。彼の心には、複雑な感情が去来していた。弟子たちが、自らの理想を現実の世界で実現しようと奮闘していることへの誇らしさ。

 しかし同時に、その道が、かつて彼が夢見た「天下万民の幸せ」へと繋がっているのか、というかすかな疑問も湧き上がっていた。

 夕焼けが部屋の奥へと伸び、二人の間に長い影を落とす。師と弟子の再会は、単なる旧交を温める場ではなく、激動の時代を生き抜いた二つの魂が、互いの歩みを確かめ合う、厳粛な時間となっていた。
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