【完結】『夕映えの寺子屋 - 寅次郎先生、明治を照らす最後の授業 -』

月影 朔

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第五章:時代の軋み、小さき者の声

第五十六話:見舞いの人々

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 寅次郎の病状が悪化しているという知らせは、すぐに夕影村中に広まった。

 かつては、村の片隅でひっそりと暮らす謎の老人であった寅次郎だが、今や彼は、この村にとってかけがえのない存在となっていた。

 子供たちに読み書きを教え、算盤の道を拓き、時には役場からの難解な書類を読み解き、村の困り事に知恵を貸してきた。

 彼の存在が、村人の間に新しい光をもたらしたことを、皆が知っていた。

 塾舎の縁側には、日に日に多くの村人たちが集まるようになった。手に手に、採れたての野菜や、丹精込めて作った粥、あるいは僅かばかりの薬草を持って、寅次郎の見舞いに訪れた。
彼らは、塾舎の中から聞こえる寅次郎の苦しそうな咳に、心配そうに耳を傾けた。

 「先生のおかげで、うちの息子が、字が読めるようになりましただ」

 「先生がいてくださったから、あの時、わしらは役人に騙されずに済んだんだ…」

 村人たちは、口々に寅次郎への感謝の言葉を述べた。中には、かつて寅次郎を訝しんでいた者もいた。彼が「吉田松陰」であるという噂が流れた時には、幕末の混乱の再来を恐れ、子供を塾に通わせることを躊躇した親もいた。

 しかし、寅次郎は、そのような村人たちの疑念や警戒心を、日々の誠実な行いと、子供たちへの揺るぎない愛情で、静かに溶かしていったのだ。

 ある農夫は、自らの手で育てた最も良い米を持ってきた。その米は、重税に苦しみながらも、寅次郎への感謝の気持ちを込めて、何とか捻出したものだった。

 また、ある若い母親は、先生に教わった童歌を、小さな子供を抱きながら、そっと口ずさんでいた。その歌声は、寅次郎がこの村にもたらした温かい光の象徴だった。

 美和子は、訪れる村人たち一人ひとりに深々と頭を下げ、兄に代わって感謝の言葉を述べた。
彼女は、これほど多くの人々に兄が慕われていることに、深い感動を覚えていた。

 兄の人生は、決して無駄ではなかった。彼の教えは、確かにこの小さな村の人々の心に根付き、豊かに実を結んでいたのだ。

 病床の寅次郎は、訪れる人々のかすかな話し声と、感謝の言葉の響きを感じ取っていた。その温かい心遣いが、彼の苦痛を和らげ、魂に安らぎを与えていた。

 彼は、自らが残したものが、血と争いではなく、人々の心と心をつなぐ温かい絆であったことを、この見舞いの光景の中で、確かに感じ取っていた。

 窓から差し込む夕陽が、見舞いに訪れた人々の顔と、寅次郎の病床を優しく照らす。
その光は、彼の生涯が、確かに多くの人々に影響を与え、温かい光を灯してきたことの証のようだった。
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