沼ハマの入り口

夏目碧央

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父親か

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 いよいよその時が来た。会社で柴田を捕まえると、話があると言って昼休みに約束を取り付けた。会社の中では話せないので、外へ出てイタリアンの店に入った。注文を済ませてから、いざ話を始めた。
「柴田さん、潮さんの事、覚えてますよね?」
柴田はいきなりそう言われて、面食らったようだった。
「え、潮さん?……あ、ああ。覚えているよ。女子社員だよな?うん、もう2年、3年くらい前に辞めたっけか。」
「ちょうど2年だと思いますよ。彼女が辞めてから。」
「そうか。よく覚えているな。知り合いだったのか?」
「いえ。知り合いではないです。でも今、彼女の弟と娘に関わっていまして。」
ここまで言って言葉を切った。柴田の様子を伺うが、特に反応はなし。と、思ったが、次の瞬間、
「え?娘?娘ってどういう事?潮さんに、美香に娘がいるのか?」
突然食いついてきた。やはり知らなかったのか。亡くなっている事も知らないようだ。
「います。今1歳と2か月だとか。潮さんが会社を辞めたのは、ちょうどその娘を身ごもった頃だと思われます。」
そう言うと、柴田は動きを止めた。じっとこちらを見ている。そこへパスタランチが運ばれてきて、とりあえず俺は食事を摂り始めた。だが、柴田は手を付けようとしない。じっとパスタを見ている。
「柴田さん、もしかして、あなたがその娘の父親ですか?」
食べるのを辞めて、そう聞いてみた。すると、柴田はおもむろにフォークを手に取り、パスタを食べ始めた。口に入れたものを咀嚼して、飲み込んでからこう言った。
「いや、違うね。」
嘘だ!と言いたかったが、思いとどまった。
「潮さんと付き合ってたんでしょ?もちろん、奥さんにも誰にも言いませんよ。俺だってかつては同じでしたから。」
「同じ?」
「不倫相手、でしたから。」
「ああ。」
柴田は俺を見て、ふっと笑った。少々カチンと来た。パスタをクルクルして、ちょっと量が多かったけれども口に入れた。もぐもぐやっていると、柴田はペースを取り戻したのか、薄ら笑いを浮かべたまま、肘をついて顔を近づけてきた。
「それで?お前は潮さんと付き合っているのか?それとも、弟の方か?」
それには答えずにどんどんパスタをかっ込んでいると、柴田は続けた。
「弟は、姉に顔が似ているのかい?似ているとしたら、相当可愛い子なんだろうね。会ってみたいもんだな。」
あまりに能天気な事を言っている柴田に、黙っているわけにはいかなかった。
「潮さんは……美香さんは、亡くなりました。」
「……!」
柴田は絶句した。
「3カ月ほど前だそうです。ご両親は鳥取にいて、お母さんが病気だそうで、赤ん坊は弟が育てています。それはもう、若い身空で大変な苦労を……。」
「ほほう、それで弟と君は付き合っていて、君も赤ん坊の面倒を見ているというわけだね?」
柴田はまたペースを取り戻したようだ。パスタを食べながら、そう聞いてきた。こちらが否定しないのを見て、うんうん、と勝手に納得している。
「その弟はあれだな。ヤングケアラーってやつだな。可哀そうに。いくつなの?まだ二十歳そこそこだろ?区に何か申請したら、援助が受けられるんじゃないのか?」
「な、なにをのんきな事を言ってるんだ!あんたが、あんたが責任を取るべきだろう。あんたの子だったら、せめて養育費を払うなり、する気はないのか!」
つい、激高してしまった。
「俺の子かどうか、分からないだろ?」
「DND鑑定しますか?」
「嫌だね。」
「嫌って……。」
埒が明かない。
「いいんですか?出るとこに出ますよ?そうしたら、ご家族に知られてしまいますよね。」
「脅すのか?やれやれ。お前だって同じ立場だって、さっき自分で言ったじゃないか。」
「俺の事は今更知られたっていい。」
「そうか?お前は、その弟と付き合っていると思っているのだろうが、本当にそうなのか?子供の世話とか、お金の工面とか、いいように使われているだけなんじゃないのか?それなのに、自分を犠牲にしてまで俺と争うのか?」
憎らしいほどの余裕の笑みで、切り返してきた。
「ちゃんと付き合ってますよ!」
「見返りに、体を許してくれるんだろ?やっぱり利用されてるんじゃないか。本来なら子供の世話なんて大変な労働なのに、あれもこれも頼まれて、ご褒美にエッチしましょうって?それで終わりか?潮姉弟(きょうだい)のやりそうな事だよ。見た目が可愛いからって、男を思い通りにしようとするんだから。」
バン、とテーブルを叩いた。周りの客がこちらを見た。いかん、落ち着かなくては。
「分かりました。とにかくそちらの意向は潮家族に伝えます。では、お先に。」
伝票をひったくって、足早に店を出た。
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