3 / 8
3.
しおりを挟む
勉強は嫌いじゃない。
なにせ余計なことを考えなくていいんだから。
ただこの日はどうも心の奥底で引っかかることがあって、肝心の勉強に集中でいなかった。
何が気になるのか。
やはりピアノの失敗だろうか。
私は伸びをすると、机から離れた。時計を見ると、真夜中の12時。
私は自分の部屋を出ると、光の漏れる居間へと向かった。そこではお母さんがソファに座り、テーブルの上でなにか書き物をしていた。
「あら、休憩?」
「うん。お母さんは?」
「お金の計算」
そう言って、お母さんは手元の通帳と電卓は示した。横にはスマホが開かれている。
「いまだに慣れないのよね。こういうの。もっと本格的に簿記でも勉強したらいいのかしら?」
7年前、お母さんはイタリアンレストランも家も売らなかった。
代わりに、受け取った保険金でレストランをお好み焼き屋に改造したのだ。
今も週に5日、私のための夕食の準備やら何やらはちゃんと出かける前にすましたうえで、午後3時から夜の10時までたった一人で経営している。なので平日は、帰ってきてからの時間がお母さんと話せる貴重な時間だ。
「お客さん、あいかわらず少ない?」
私はお母さんの隣に腰掛けると、そう聞いた。
父のイタリアンレストランのあった場所は立地条件が悪かった。駅から遠い上に、駐車場がないので客が来づらいと聞いたことがある。
「そうね……まあ、お客さんの数は前より少し減ったかな……」
お母さんは手元のスマホを覗き込みながらそう言った。そこにはグラフが載っている。どうやら客数を表しているらしい。
「そうなんだ……」
商売のことはいまいち分からないが、楽ではないはずだ。お母さんは父と結婚するまで、短大を卒業後、実家の会社で簡単な事務仕事しかしてこなかったと聞いたことがある。いきなり、お店を経営するなんて無理があるだろう。
こういう言い方はしたくないけど、お母さんはお金持ちの家で専業主婦をやっているのが一番似合うんじゃないだろうかと思う。
実際、外見も中身も可愛らしいお母さんには、今でも言い寄る男性がけっこういるそうだ。それでも独身のまま、一人商売にいそしまなければいけないのは、やはり私のせいなのだろう。
おそらく養子である私の存在に気をつかって……
再婚もせず自分のためのものも買えず、養子にした娘のために働き続けるお母さん。
ため息をついた私だったが、ふと覗き込んだ貯金通帳のなかに記された金額に思わず声が出た。
「え?」
「うん? どうしたの?」
「お母さん、その通帳……その貯金額……」
書かれている額は、どう見ても1000万円以上。
「ああ、これ。操ちゃんの留学費用にと思って」
「留学って」
前にそんな話をお母さんとしたのは事実だ。でも、ピアノでも語学でも、大学に進学するにしても海外に行くのはお金がかかる。かかりすぎるほどに。当然、我が家では無理だと思っていたのだ。
「そんな大金、どうしたの?」
「え? どうしたって、そりゃお好み焼き屋さんで」
「やめて!」
私はお母さんの声をさえぎった。1000万円。それが大金なのは間違いないが、シングルマザーが一人で経営する、客数の少ないお好み焼き屋の稼ぎから捻出されたとなれば、それはどれほど貴重なものなのだろう。
「もうやめて。私のために無理するのは。自分の服も買えないのに、私のために貯金なんて。そんなことしないで。それだけのお金貯めるのに、いったいどれだけの無理をしてきたの!? もうこれ以上、お母さんが頑張る姿なんて見たくない」
「……操ちゃん?」
「……お母さんの家って、本当はすごいお金持ちなんでしょ?」
私の言葉に、お母さんは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「私を引き取ったせいで実家からは絶縁状態で、お金の援助もしてもらえないけど、昔はお嬢様だったんでしょ?」
「……そうね。そうだったかもしれないわ」
お母さんは肩をすくめるとそう言った。その仕草はとても軽やかで自然なものだったが、ますます私をイライラさせた。
「いっぱい習い事をして、好きな時に好きな場所に遊びに行って……何ひとつ不自由のない生活だったのに、私を引き取ったばかりに……」
言葉にならなかった。
私はいつの間にか嗚咽していた。
なにせ余計なことを考えなくていいんだから。
ただこの日はどうも心の奥底で引っかかることがあって、肝心の勉強に集中でいなかった。
何が気になるのか。
やはりピアノの失敗だろうか。
私は伸びをすると、机から離れた。時計を見ると、真夜中の12時。
私は自分の部屋を出ると、光の漏れる居間へと向かった。そこではお母さんがソファに座り、テーブルの上でなにか書き物をしていた。
「あら、休憩?」
「うん。お母さんは?」
「お金の計算」
そう言って、お母さんは手元の通帳と電卓は示した。横にはスマホが開かれている。
「いまだに慣れないのよね。こういうの。もっと本格的に簿記でも勉強したらいいのかしら?」
7年前、お母さんはイタリアンレストランも家も売らなかった。
代わりに、受け取った保険金でレストランをお好み焼き屋に改造したのだ。
今も週に5日、私のための夕食の準備やら何やらはちゃんと出かける前にすましたうえで、午後3時から夜の10時までたった一人で経営している。なので平日は、帰ってきてからの時間がお母さんと話せる貴重な時間だ。
「お客さん、あいかわらず少ない?」
私はお母さんの隣に腰掛けると、そう聞いた。
父のイタリアンレストランのあった場所は立地条件が悪かった。駅から遠い上に、駐車場がないので客が来づらいと聞いたことがある。
「そうね……まあ、お客さんの数は前より少し減ったかな……」
お母さんは手元のスマホを覗き込みながらそう言った。そこにはグラフが載っている。どうやら客数を表しているらしい。
「そうなんだ……」
商売のことはいまいち分からないが、楽ではないはずだ。お母さんは父と結婚するまで、短大を卒業後、実家の会社で簡単な事務仕事しかしてこなかったと聞いたことがある。いきなり、お店を経営するなんて無理があるだろう。
こういう言い方はしたくないけど、お母さんはお金持ちの家で専業主婦をやっているのが一番似合うんじゃないだろうかと思う。
実際、外見も中身も可愛らしいお母さんには、今でも言い寄る男性がけっこういるそうだ。それでも独身のまま、一人商売にいそしまなければいけないのは、やはり私のせいなのだろう。
おそらく養子である私の存在に気をつかって……
再婚もせず自分のためのものも買えず、養子にした娘のために働き続けるお母さん。
ため息をついた私だったが、ふと覗き込んだ貯金通帳のなかに記された金額に思わず声が出た。
「え?」
「うん? どうしたの?」
「お母さん、その通帳……その貯金額……」
書かれている額は、どう見ても1000万円以上。
「ああ、これ。操ちゃんの留学費用にと思って」
「留学って」
前にそんな話をお母さんとしたのは事実だ。でも、ピアノでも語学でも、大学に進学するにしても海外に行くのはお金がかかる。かかりすぎるほどに。当然、我が家では無理だと思っていたのだ。
「そんな大金、どうしたの?」
「え? どうしたって、そりゃお好み焼き屋さんで」
「やめて!」
私はお母さんの声をさえぎった。1000万円。それが大金なのは間違いないが、シングルマザーが一人で経営する、客数の少ないお好み焼き屋の稼ぎから捻出されたとなれば、それはどれほど貴重なものなのだろう。
「もうやめて。私のために無理するのは。自分の服も買えないのに、私のために貯金なんて。そんなことしないで。それだけのお金貯めるのに、いったいどれだけの無理をしてきたの!? もうこれ以上、お母さんが頑張る姿なんて見たくない」
「……操ちゃん?」
「……お母さんの家って、本当はすごいお金持ちなんでしょ?」
私の言葉に、お母さんは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「私を引き取ったせいで実家からは絶縁状態で、お金の援助もしてもらえないけど、昔はお嬢様だったんでしょ?」
「……そうね。そうだったかもしれないわ」
お母さんは肩をすくめるとそう言った。その仕草はとても軽やかで自然なものだったが、ますます私をイライラさせた。
「いっぱい習い事をして、好きな時に好きな場所に遊びに行って……何ひとつ不自由のない生活だったのに、私を引き取ったばかりに……」
言葉にならなかった。
私はいつの間にか嗚咽していた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる