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第5章 ダイナモン魔術魔法学校
12話
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かくして明王児優は、ダイナモンにとどまっている間だけという名目で、ダイナモン魔術魔法学校のドラゴン飼育員に任命された。
一方で高円寺朱雀は、頑として飼育員になることを拒絶した。
熊骸先生が、みんなの見ている前で炎のドラゴンのバッジを優に手渡した。それこそが、ダイナモンの名誉あるドラゴン飼育員の証だという。
大柄で眉の太いイカつい顔の熊骸先生が白い歯を見せてニカニカ笑い、皮の手袋を脱いで、嬉しそうに優に握手を求めて来た。
初対面で、ランチの途中にいきなり身体を持ち上げられ、危険なドラゴンの前に放り出された時には死神のような人だと思った優だったが、熊骸先生の分厚い日焼けした手は、父親のように温かく優の華奢な手を包みこんだ。
大人の男の人のガッシリとした温もりに、優はホッと我に返った。
思いがけないことだが、優は両親を亡くしてからしばらく、人から褒められたり喜ばれたりすることがなかったので、熊骸先生に握手を求められ、ドラゴンの飼育員の証にバッチを手渡されたとき、自分で思った以上にホロリときてしまった。
そして急に、自分がドラゴンの前であまりにも無茶な行動をしたのだと思い知り、震えだした。
ドラゴンの紋章が刻まれた小さな銀バッジを、優は震える手で握りしめた。
寮の部屋に戻る途中、流和が誇らしげに優を見つめた。
「ドラゴンの飼育員に任命されるなんて、とても名誉なことなのよ。ドラゴンは普通、魔法使いに名を名乗ったりしないんだもの。きっと、炎の魔法使いと炎のドラゴンで通じあったのね。今まで、図書委員としての優しか見たことがなかったから、優がフィアンマ・インテンサ・ドラゴンに触ったのを見た時は、なんだか私、自分のことみたいに感動しちゃった」
「へへ、ありがとう。でもあんまり持ち上げないで。自分でも、何が何だか分からなかったの。それに、ドラゴンの名前を聞いたのは私だけじゃない、朱雀もだよ」
「いいえ、すごい勇気だったと思うわ。あのフィアンマ・インテンサ・ドラゴンの前に跪くなんて、絶対に他の誰にもできないことだったと思う」
「それは、朱雀が……」
優がつい口走った。だが、すぐに言いかけてやめる。先ほどから、朱雀、朱雀と、自分が朱雀の名前ばかりを口にしていると気付いたのだ。
優は思い直してだんまりを決め込んだ。朱雀が優のことを守ってくれる気がしたからあんなことができた、なんて言いたくない。
「朱雀くんは、いつも優のことを助けてくれるね。もしかしたら、本当はイイ人なのかも」
まるで優の心を読んだかのように永久が口を開いた。
だが、その言葉にすぐに流和が異議を唱える。
「それはどうかしら、悪い奴じゃないからって、イイ奴だとは限らないでしょう。『イイ人』って言うのは、買いかぶりすぎよ」
「私もそう思う。やっぱり、朱雀って人は偏ってるよね」
と、優も流和に賛成する。
そうして息を切らしながら螺旋階段の最後の一段を上り切り、緑色の絨毯の敷かれた5つの廊下に出ると、その先から何を目印に自分たちの部屋に進んでいいか分からないので、優が立ち止って流和を待った。
「真ん中の廊下よ。イチジクの木が目印なの」
「イチジクの木?」
そんなものがどこにあるのか、と、優が辺りを見回した。緑の絨毯と、石壁しか見えない。放射線状に延びている5本の廊下には、植木の一本も置かれていないのだ。
すると、流和がその中の一つの廊下を指差して言った。
「ほら、それぞれの廊下の入り口がアーチになっていて、それに彫刻がほどこされてるでしょう? ほとんど消えかかってるけど、それぞれイチジク、ブドウ、ザクロ、ヤナギ、そして樫の木の彫刻が」
「あ、本当だ」
見ると、廊下の入り口に立っているアーチ状の柱に、本当にさり気なく彫刻が施されている。
その模様は廊下ごとに異なり、確かに流和の言う通り、それぞれイチジク、ブドウ、ザクロ、ヤナギ、樫の木が描かれているようだ。
優たちが進む廊下の柱には、丸みを帯びた五葉の葉と、愛想のない巾着型の実が描かれている。――イチジクの木だ。
ザクロやブドウに比べると地味で可愛げがないと、優が文句を言った。
「どうしてイチジクなの? ザクロかブドウが良かったよ」
「不思議よね。最初は、部屋割は先生が勝手に決めてるんだって思ってたんだけど、そうじゃないみたいなの」
「どういうこと?」
「この彫刻は、それぞれの寮に住む生徒たちの特徴をあらわしているというわ。ここじゃあ、何にでも意味があるのよ。」
「意味って、どんな?」
「自分が何者であるかは、誰も教えてくれないわ。だからみんな、自分で見つけるの」
「こじつけだね、そんなの」
優が口を尖らせる。
「でも、こんな噂がある。ダイナモンではね、イチジク寮に住む生徒は『変わり者』とか『掃き溜め』だと呼ばれてるのよ。例えばイチジク寮には、ダイナモンをドロップアウトした私とか、風変わりな留学生とかが住んでる。そのうち分かると思うけど、私たちの他にも変わった子がたくさんいるのよ」
と、流和がクスクス笑った。
「へえ」
「ふーん」
意外にも、優も永久も、自分たちのことを言われていると知りながら、そのことを全く気にしなかった。
優も永久も、ベラドンナにいたときでさえ変わり者扱いされていたから、今さらダイナモンで同じ扱いを受けたからって、驚くことじゃない。
「他の寮は何て呼ばれてるの?」
「そうね。ザクロは『美しい人』、ブドウは『麗しい人』とか。美男美女が多いのよ」
「何それ、ずるーい。イチジクとはすごい差があるんじゃない?」
「あと、樫の木は『賢い人』」
流和の言葉に、永久が反応する。
「例えば、吏紀くんみたいな? だって吏紀くん、すごく優秀そうだもの。賢い人というイメージにピッタリ」
「ご名答。 吏紀は男子寮の樫の木よ」
「じゃあ、流和の彼は?」
「空はブドウね。ちなみに美空はザクロ寮」
「ふーん。じゃあ、あの威張りんぼは?」
優が聞くと、途端に流和がキラリと目を輝かせて答えた。
「朱雀のこと? 朱雀は優と同じ、『イチジク』よ」
「うげー! どうして!? それは心外だよ」
優の膨れた顔を見て、流和が面白そうにまた、クスクス笑った。
廊下を抜けて赤の階段に差し掛かる頃、流和が思い出したように付け加えた。
「最後に残ってる、ヤナギの木だけど……、これは私の個人的な意見なんだけどね。ヤナギの寮にいる生徒はなんだか、影のある子が多い気がする。沈黙の山で闇の魔法使いについた聖羅は、ヤナギ寮だったわ」
「へえ」
「そう、なんだ……」
赤色の絨毯の敷かれた広い階段を上りながら、沈黙の山での出来事を思い出した3人が、自然と無口になった。何をどう話していいか分からない。
みんなそれぞれに恐い思いをしたし、怪我もした。闇の魔法使いという存在が、魔法界を脅かしていることも目の当たりにした。
聖羅は戻らず、ゲイルの予言書と引き換えに取り戻した美空は、未だに意識が戻らない。
だが、流和と永久が最も気になっているのは、魔法陣の中でゲイルの予言書を渡すか渡さないかで口論になったとき、朱雀と優が話していたことについてだった。
「運命を受け入れる」とか、「黄泉にくだる」とか、「光を失う」とか、流和や永久にとっては想像もできない言葉が、朱雀と優の間で飛び交っていた。
朱雀と優の間に一体、何があったのか。二人が話していたのは何のことだったのか。流和と永久はそれを聞き出すのが恐かった。
あのとき朱雀と優の二人が、自分たちの血をゲイルの予言書にたらしたことも、大きな謎だった。
――本来、血は命をかけた契約を意味するものだ。
流和はそのことを思うと、胸騒ぎがしてならなかった。
ダイナモンに着いてからの優はケロっとしていて、いつもの調子でワガママばかり言っている。
だからこそ、余計に聞きづらい。優が自分から打ち明けてくれるまで、待つべきだろうか。
空に相談してみようか……、と、流和が思い至った時、南西の塔のはずれにある小さな木の扉にたどり着いた。よく磨きこまれたマホガニーの木扉は、流和たちベラドンナの生徒にあてがわれた部屋に続いている。
扉を開けると、続く応接室の調度品もマホガニーで統一されていて、落ちついた上品な香りが漂う。
「やっと着いた! 本当、疲れるね」
優が一番最初に応接室に飛び込み、ふかふかのソファーに倒れ込んだ。スカートがめくれてパンツが見えそうになっているが、お構いなしの様子だ。
「喉がかわいたね。お茶、入れようか」
永久が真っすぐに壁際の茶卓に歩み寄って行く。優はクッションを枕にして目を閉じた。
「うん、永久のお茶が飲みたい」
「はいはい、今カモミールティーを……」
と、ポットを手に取った永久が、突然、動きを止めた。
「ねえ、ちょっと見て!」
永久の声がいきなり一オクターブ高くなった。
「どうかした?」
流和がスカートの端をつまみながら上品にソファーに腰掛けたところで、顔を上げた。そしてすぐに永久と同じように眉をしかめる。
「あら、なんだか、今朝と部屋の様子が違うみたい。何アレ、すっごい違和感……」
マホガニーで統一された部屋の中に、一点、流和が違和感を感じたものが、永久の指し示す先にあった。
「あー、喉がかわいた……永久、お茶……」
優が、死にそうな声を出している。
流和と永久が一瞬、優を振り返り、またすぐに部屋の一点に集中した。
永久が指を折りながら部屋の中を見回した。
「どう見ても、ドアの数が多くなってるよね。 私の部屋と、流和の部屋と、優の部屋、……反対側が今私たちが入って来た廊下へ続くドアよね。じゃあ、ここは……」
今、永久が見つめる先に、どう見ても古典的な応接室の雰囲気にそぐわない、光沢のある桃色の扉が誇らしげに構えていた。
部屋の中にこんな場違いな桃色の扉があったなら、昨日のうちに気づいていたはずだが。
今朝までは絶対にここには無かったはずの物が、いつの間に……。
流和が意を決して立ち上がり、迷わず取ってつけたようなその桃色の扉に突き進んで、ガバっと開けた。
「あ!」
「うそ、すごい」
永久と流和が同時に息を呑んだ。
そこには、眩しいほどのピンク色の空間が広がっていた。――バスルームだ。
見まごうことなき、まことのバスルーム。ダイナモン魔法学校ではありえない、近代的なバスルーム。
それは、シャワーも、バスタブも洗面台も、全てが『薄桃色』に統一された、新品のバスルームだった。
「優、見て! これ、あなたがさっき言ってたバスルームじゃない? 飼育員になるのと引き換えに猿飛先生が下さると言ってた」
「え?」
優がうっすらと目を開け、起きあがる。
「あ!!」
それまでの疲れはどこへやら、優が興奮してソファーから跳ね上がった。
「やったー! 本当にやってくれたんだ! 亀仙人!」
喜びの歓声を上げて、突如、優が首をすぼめて背を丸め、指をパチンと鳴らす真似をした。永久には何のことやらさっぱり分からなかったが、流和には、それが業校長の真似事であるということがすぐに分かった。
優は、ドラゴンの飼育員になる代わりにバスルームをもらう約束をした。その約束を校長が見事に果たしたというわけだ。パチンと指を鳴らして、一瞬のうちに。
「でも、優、色まで指定したの? ピンクがいいって?」
流和が恥じらいながら優に問いかけた。
かの偉大な魔法使い、猿飛業校長に少女趣味のピンクカラーのバスルームをオネダリしたとあっては、ただごとではない。
優がきょとんとして首を振る。
「まさか、色のことなんてちっとも話さなかったよ。えへへ、やった。私、今日からもう大浴場には行かないからね」
早速とバスタブの蛇口をひねって、優が服を脱ぎ始める。
いぶかる流和の隣で、「良かったね」と納得顔の永久が、
「紅茶はお風呂上がりにする? ならアイスティーにしようか」
と、再び茶卓に歩み寄った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあどうしてピンク色なの? これってとても、優の好みじゃない? 猿飛先生がこんなバスルームをご自分で考案されるはずないもの」
バスルームに備えられているパッションピンクのバスタオルを取り上げて、流和がしつこく優に問いかけた。
「さあ知らないよ。魔法使いだから、私の好みが分かったんじゃない?」
優が流和の手からバスタオルを受け取って裸の体に巻きつけ、自分の部屋から着替えを持って戻って来た。
「いくら魔法使いだからって、そんなことまで分かるわけないでしょ。エスパーじゃあるまいし」
流和が戸惑い顔だ。
「もしかしたら、業校長もピンクが好きなのかもね。さすが、この薄い桃色加減が絶妙だよ。じゃ、ちょっとお風呂に入るから」
そう言って、優が桃色の扉をパタリと静かに閉めた。仕草の一つ一つに無駄があり、わざとらしいが、とても嬉しそうな優に流和がはにかむ。
「まさか、そんな……」
流和の中の厳格な業校長のイメージがガタガタと崩れて行った。
流和は愕然として、目の前で閉ざされた桃色の扉を見つめた。猿飛業校長は、威厳と尊厳に溢れた偉大な光の魔法使いなのだ。――ピンクじゃない。
「もう! ちょっと優、あんまりゆっくり入ってると、午後からの授業に遅れるわよ!」
あまりにも少女趣味な桃色の扉を恨めしく思いながら、流和が大きく溜め息をついた。
午後からは、普段の予定を変更して明後日に迫っている「試しの門」に関する特別授業が行われることになっている。
試しの門についての噂は多いが、実際にその門をくぐったことのある者は少ないからだ。
まだ、モアブの谷の魔法使いが顕在だった大昔に、ダイナモン魔法学校で用いられていたという試しの門は、もうずっと使われていない。
流和でさえ、その門を一度も見たことがないほどだ。
紅茶を沸かした永久が手招きするので、流和は再び優雅な動きでソファーに腰掛けた。
――その門をくぐろうとする者は、ある決断を迫られると言う。
それはくぐる者によって様々だ。
流和は熱々のカモミールティーを口に含み、チラとバスルームのドアに目をやった。
例えば優のように、魔法使いになりたくないと思う者は、「私は魔法使いにならない」と門の前で決断すればいい。
そして流和は、目の前で、優のためにアイスティーを作るのに氷がないと騒ぎだした永久を見やり、考える。
例えば、永久のように魔法界の戦争に巻き込まれたくないと願う者は、「私はベラドンナに帰る」と門の前で宣言すればいい。
難しいことはないはずだ。
どんな決断をするかは、自分自身にかかっているのだから。
流和とて、魔女との戦いに参戦する気は毛頭もない。それなのにどうして、不安が津波のように流和の胸に押し寄せて来る。
――3人で一緒にベラドンナに帰るのだ。
永久の編んでくれた左手首の約束の輪を、流和はそっと見下ろした。
一方で高円寺朱雀は、頑として飼育員になることを拒絶した。
熊骸先生が、みんなの見ている前で炎のドラゴンのバッジを優に手渡した。それこそが、ダイナモンの名誉あるドラゴン飼育員の証だという。
大柄で眉の太いイカつい顔の熊骸先生が白い歯を見せてニカニカ笑い、皮の手袋を脱いで、嬉しそうに優に握手を求めて来た。
初対面で、ランチの途中にいきなり身体を持ち上げられ、危険なドラゴンの前に放り出された時には死神のような人だと思った優だったが、熊骸先生の分厚い日焼けした手は、父親のように温かく優の華奢な手を包みこんだ。
大人の男の人のガッシリとした温もりに、優はホッと我に返った。
思いがけないことだが、優は両親を亡くしてからしばらく、人から褒められたり喜ばれたりすることがなかったので、熊骸先生に握手を求められ、ドラゴンの飼育員の証にバッチを手渡されたとき、自分で思った以上にホロリときてしまった。
そして急に、自分がドラゴンの前であまりにも無茶な行動をしたのだと思い知り、震えだした。
ドラゴンの紋章が刻まれた小さな銀バッジを、優は震える手で握りしめた。
寮の部屋に戻る途中、流和が誇らしげに優を見つめた。
「ドラゴンの飼育員に任命されるなんて、とても名誉なことなのよ。ドラゴンは普通、魔法使いに名を名乗ったりしないんだもの。きっと、炎の魔法使いと炎のドラゴンで通じあったのね。今まで、図書委員としての優しか見たことがなかったから、優がフィアンマ・インテンサ・ドラゴンに触ったのを見た時は、なんだか私、自分のことみたいに感動しちゃった」
「へへ、ありがとう。でもあんまり持ち上げないで。自分でも、何が何だか分からなかったの。それに、ドラゴンの名前を聞いたのは私だけじゃない、朱雀もだよ」
「いいえ、すごい勇気だったと思うわ。あのフィアンマ・インテンサ・ドラゴンの前に跪くなんて、絶対に他の誰にもできないことだったと思う」
「それは、朱雀が……」
優がつい口走った。だが、すぐに言いかけてやめる。先ほどから、朱雀、朱雀と、自分が朱雀の名前ばかりを口にしていると気付いたのだ。
優は思い直してだんまりを決め込んだ。朱雀が優のことを守ってくれる気がしたからあんなことができた、なんて言いたくない。
「朱雀くんは、いつも優のことを助けてくれるね。もしかしたら、本当はイイ人なのかも」
まるで優の心を読んだかのように永久が口を開いた。
だが、その言葉にすぐに流和が異議を唱える。
「それはどうかしら、悪い奴じゃないからって、イイ奴だとは限らないでしょう。『イイ人』って言うのは、買いかぶりすぎよ」
「私もそう思う。やっぱり、朱雀って人は偏ってるよね」
と、優も流和に賛成する。
そうして息を切らしながら螺旋階段の最後の一段を上り切り、緑色の絨毯の敷かれた5つの廊下に出ると、その先から何を目印に自分たちの部屋に進んでいいか分からないので、優が立ち止って流和を待った。
「真ん中の廊下よ。イチジクの木が目印なの」
「イチジクの木?」
そんなものがどこにあるのか、と、優が辺りを見回した。緑の絨毯と、石壁しか見えない。放射線状に延びている5本の廊下には、植木の一本も置かれていないのだ。
すると、流和がその中の一つの廊下を指差して言った。
「ほら、それぞれの廊下の入り口がアーチになっていて、それに彫刻がほどこされてるでしょう? ほとんど消えかかってるけど、それぞれイチジク、ブドウ、ザクロ、ヤナギ、そして樫の木の彫刻が」
「あ、本当だ」
見ると、廊下の入り口に立っているアーチ状の柱に、本当にさり気なく彫刻が施されている。
その模様は廊下ごとに異なり、確かに流和の言う通り、それぞれイチジク、ブドウ、ザクロ、ヤナギ、樫の木が描かれているようだ。
優たちが進む廊下の柱には、丸みを帯びた五葉の葉と、愛想のない巾着型の実が描かれている。――イチジクの木だ。
ザクロやブドウに比べると地味で可愛げがないと、優が文句を言った。
「どうしてイチジクなの? ザクロかブドウが良かったよ」
「不思議よね。最初は、部屋割は先生が勝手に決めてるんだって思ってたんだけど、そうじゃないみたいなの」
「どういうこと?」
「この彫刻は、それぞれの寮に住む生徒たちの特徴をあらわしているというわ。ここじゃあ、何にでも意味があるのよ。」
「意味って、どんな?」
「自分が何者であるかは、誰も教えてくれないわ。だからみんな、自分で見つけるの」
「こじつけだね、そんなの」
優が口を尖らせる。
「でも、こんな噂がある。ダイナモンではね、イチジク寮に住む生徒は『変わり者』とか『掃き溜め』だと呼ばれてるのよ。例えばイチジク寮には、ダイナモンをドロップアウトした私とか、風変わりな留学生とかが住んでる。そのうち分かると思うけど、私たちの他にも変わった子がたくさんいるのよ」
と、流和がクスクス笑った。
「へえ」
「ふーん」
意外にも、優も永久も、自分たちのことを言われていると知りながら、そのことを全く気にしなかった。
優も永久も、ベラドンナにいたときでさえ変わり者扱いされていたから、今さらダイナモンで同じ扱いを受けたからって、驚くことじゃない。
「他の寮は何て呼ばれてるの?」
「そうね。ザクロは『美しい人』、ブドウは『麗しい人』とか。美男美女が多いのよ」
「何それ、ずるーい。イチジクとはすごい差があるんじゃない?」
「あと、樫の木は『賢い人』」
流和の言葉に、永久が反応する。
「例えば、吏紀くんみたいな? だって吏紀くん、すごく優秀そうだもの。賢い人というイメージにピッタリ」
「ご名答。 吏紀は男子寮の樫の木よ」
「じゃあ、流和の彼は?」
「空はブドウね。ちなみに美空はザクロ寮」
「ふーん。じゃあ、あの威張りんぼは?」
優が聞くと、途端に流和がキラリと目を輝かせて答えた。
「朱雀のこと? 朱雀は優と同じ、『イチジク』よ」
「うげー! どうして!? それは心外だよ」
優の膨れた顔を見て、流和が面白そうにまた、クスクス笑った。
廊下を抜けて赤の階段に差し掛かる頃、流和が思い出したように付け加えた。
「最後に残ってる、ヤナギの木だけど……、これは私の個人的な意見なんだけどね。ヤナギの寮にいる生徒はなんだか、影のある子が多い気がする。沈黙の山で闇の魔法使いについた聖羅は、ヤナギ寮だったわ」
「へえ」
「そう、なんだ……」
赤色の絨毯の敷かれた広い階段を上りながら、沈黙の山での出来事を思い出した3人が、自然と無口になった。何をどう話していいか分からない。
みんなそれぞれに恐い思いをしたし、怪我もした。闇の魔法使いという存在が、魔法界を脅かしていることも目の当たりにした。
聖羅は戻らず、ゲイルの予言書と引き換えに取り戻した美空は、未だに意識が戻らない。
だが、流和と永久が最も気になっているのは、魔法陣の中でゲイルの予言書を渡すか渡さないかで口論になったとき、朱雀と優が話していたことについてだった。
「運命を受け入れる」とか、「黄泉にくだる」とか、「光を失う」とか、流和や永久にとっては想像もできない言葉が、朱雀と優の間で飛び交っていた。
朱雀と優の間に一体、何があったのか。二人が話していたのは何のことだったのか。流和と永久はそれを聞き出すのが恐かった。
あのとき朱雀と優の二人が、自分たちの血をゲイルの予言書にたらしたことも、大きな謎だった。
――本来、血は命をかけた契約を意味するものだ。
流和はそのことを思うと、胸騒ぎがしてならなかった。
ダイナモンに着いてからの優はケロっとしていて、いつもの調子でワガママばかり言っている。
だからこそ、余計に聞きづらい。優が自分から打ち明けてくれるまで、待つべきだろうか。
空に相談してみようか……、と、流和が思い至った時、南西の塔のはずれにある小さな木の扉にたどり着いた。よく磨きこまれたマホガニーの木扉は、流和たちベラドンナの生徒にあてがわれた部屋に続いている。
扉を開けると、続く応接室の調度品もマホガニーで統一されていて、落ちついた上品な香りが漂う。
「やっと着いた! 本当、疲れるね」
優が一番最初に応接室に飛び込み、ふかふかのソファーに倒れ込んだ。スカートがめくれてパンツが見えそうになっているが、お構いなしの様子だ。
「喉がかわいたね。お茶、入れようか」
永久が真っすぐに壁際の茶卓に歩み寄って行く。優はクッションを枕にして目を閉じた。
「うん、永久のお茶が飲みたい」
「はいはい、今カモミールティーを……」
と、ポットを手に取った永久が、突然、動きを止めた。
「ねえ、ちょっと見て!」
永久の声がいきなり一オクターブ高くなった。
「どうかした?」
流和がスカートの端をつまみながら上品にソファーに腰掛けたところで、顔を上げた。そしてすぐに永久と同じように眉をしかめる。
「あら、なんだか、今朝と部屋の様子が違うみたい。何アレ、すっごい違和感……」
マホガニーで統一された部屋の中に、一点、流和が違和感を感じたものが、永久の指し示す先にあった。
「あー、喉がかわいた……永久、お茶……」
優が、死にそうな声を出している。
流和と永久が一瞬、優を振り返り、またすぐに部屋の一点に集中した。
永久が指を折りながら部屋の中を見回した。
「どう見ても、ドアの数が多くなってるよね。 私の部屋と、流和の部屋と、優の部屋、……反対側が今私たちが入って来た廊下へ続くドアよね。じゃあ、ここは……」
今、永久が見つめる先に、どう見ても古典的な応接室の雰囲気にそぐわない、光沢のある桃色の扉が誇らしげに構えていた。
部屋の中にこんな場違いな桃色の扉があったなら、昨日のうちに気づいていたはずだが。
今朝までは絶対にここには無かったはずの物が、いつの間に……。
流和が意を決して立ち上がり、迷わず取ってつけたようなその桃色の扉に突き進んで、ガバっと開けた。
「あ!」
「うそ、すごい」
永久と流和が同時に息を呑んだ。
そこには、眩しいほどのピンク色の空間が広がっていた。――バスルームだ。
見まごうことなき、まことのバスルーム。ダイナモン魔法学校ではありえない、近代的なバスルーム。
それは、シャワーも、バスタブも洗面台も、全てが『薄桃色』に統一された、新品のバスルームだった。
「優、見て! これ、あなたがさっき言ってたバスルームじゃない? 飼育員になるのと引き換えに猿飛先生が下さると言ってた」
「え?」
優がうっすらと目を開け、起きあがる。
「あ!!」
それまでの疲れはどこへやら、優が興奮してソファーから跳ね上がった。
「やったー! 本当にやってくれたんだ! 亀仙人!」
喜びの歓声を上げて、突如、優が首をすぼめて背を丸め、指をパチンと鳴らす真似をした。永久には何のことやらさっぱり分からなかったが、流和には、それが業校長の真似事であるということがすぐに分かった。
優は、ドラゴンの飼育員になる代わりにバスルームをもらう約束をした。その約束を校長が見事に果たしたというわけだ。パチンと指を鳴らして、一瞬のうちに。
「でも、優、色まで指定したの? ピンクがいいって?」
流和が恥じらいながら優に問いかけた。
かの偉大な魔法使い、猿飛業校長に少女趣味のピンクカラーのバスルームをオネダリしたとあっては、ただごとではない。
優がきょとんとして首を振る。
「まさか、色のことなんてちっとも話さなかったよ。えへへ、やった。私、今日からもう大浴場には行かないからね」
早速とバスタブの蛇口をひねって、優が服を脱ぎ始める。
いぶかる流和の隣で、「良かったね」と納得顔の永久が、
「紅茶はお風呂上がりにする? ならアイスティーにしようか」
と、再び茶卓に歩み寄った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあどうしてピンク色なの? これってとても、優の好みじゃない? 猿飛先生がこんなバスルームをご自分で考案されるはずないもの」
バスルームに備えられているパッションピンクのバスタオルを取り上げて、流和がしつこく優に問いかけた。
「さあ知らないよ。魔法使いだから、私の好みが分かったんじゃない?」
優が流和の手からバスタオルを受け取って裸の体に巻きつけ、自分の部屋から着替えを持って戻って来た。
「いくら魔法使いだからって、そんなことまで分かるわけないでしょ。エスパーじゃあるまいし」
流和が戸惑い顔だ。
「もしかしたら、業校長もピンクが好きなのかもね。さすが、この薄い桃色加減が絶妙だよ。じゃ、ちょっとお風呂に入るから」
そう言って、優が桃色の扉をパタリと静かに閉めた。仕草の一つ一つに無駄があり、わざとらしいが、とても嬉しそうな優に流和がはにかむ。
「まさか、そんな……」
流和の中の厳格な業校長のイメージがガタガタと崩れて行った。
流和は愕然として、目の前で閉ざされた桃色の扉を見つめた。猿飛業校長は、威厳と尊厳に溢れた偉大な光の魔法使いなのだ。――ピンクじゃない。
「もう! ちょっと優、あんまりゆっくり入ってると、午後からの授業に遅れるわよ!」
あまりにも少女趣味な桃色の扉を恨めしく思いながら、流和が大きく溜め息をついた。
午後からは、普段の予定を変更して明後日に迫っている「試しの門」に関する特別授業が行われることになっている。
試しの門についての噂は多いが、実際にその門をくぐったことのある者は少ないからだ。
まだ、モアブの谷の魔法使いが顕在だった大昔に、ダイナモン魔法学校で用いられていたという試しの門は、もうずっと使われていない。
流和でさえ、その門を一度も見たことがないほどだ。
紅茶を沸かした永久が手招きするので、流和は再び優雅な動きでソファーに腰掛けた。
――その門をくぐろうとする者は、ある決断を迫られると言う。
それはくぐる者によって様々だ。
流和は熱々のカモミールティーを口に含み、チラとバスルームのドアに目をやった。
例えば優のように、魔法使いになりたくないと思う者は、「私は魔法使いにならない」と門の前で決断すればいい。
そして流和は、目の前で、優のためにアイスティーを作るのに氷がないと騒ぎだした永久を見やり、考える。
例えば、永久のように魔法界の戦争に巻き込まれたくないと願う者は、「私はベラドンナに帰る」と門の前で宣言すればいい。
難しいことはないはずだ。
どんな決断をするかは、自分自身にかかっているのだから。
流和とて、魔女との戦いに参戦する気は毛頭もない。それなのにどうして、不安が津波のように流和の胸に押し寄せて来る。
――3人で一緒にベラドンナに帰るのだ。
永久の編んでくれた左手首の約束の輪を、流和はそっと見下ろした。
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エレンディア王国記
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第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
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サイレント・サブマリン ―虚構の海―
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彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
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しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
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記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
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【全17話完結】
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
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