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第5話 希望を託す
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月人を寺の門前に捨ててから、一週間が過ぎた。
双子の母である鬼の長は、執務室で一人、深い悲しみに暮れていた。
「……月人」
我が子の名を呟くたび、胸が引き裂かれそうになる。
角のない忌み子として生まれた双子の片割れ。
しきたりに従い、人間の世界に委ねた。
それが正しい判断だったのか――今となっては、分からぬ。
「長様」
侍女が、心配そうに声をかけた。
「お食事の時間でございます」
「……後にしてくれ」
長の声は、力なく響いた。
この一週間、まともに食事も取れずにいた。それは、傷心のためばかりではない。数年前から続いた体調不良が、この度の出産でひときわ進行したようである。
長だけではない。
里に住む純血の鬼たちの体調が、日に日に悪化していた。
「長様、また二名倒れました」
執務官が、深刻な表情で報告した。
「薬師の見立てでは、鬼族特有の感染症が原因とのことです。効果のある薬を探させています」
長は、重いため息をついた。
ただでさえ、人間による森林伐採、鉱山開発により住みかを脅かされ、角目当ての乱獲が横行しているのだ。
鬼は寿命が長く、様々な能力に長けており、かつては生物の頂点に立った存在。それゆえ、かえって子をなす力が低く、純血の子は産まれにくい。
「このままでは……」
長の脳裏に、暗い未来が浮かんだ。
鬼族の絶滅。
千年以上続いた一族の、終焉。
その夜、長は古い記録を読み返していた。
かつて、この里には千を超える鬼が住んでいた。
しかし今は、純血の鬼はわずか百名足らず。
しかも、その多くが病に苦しんでいる。
「安仁……」
長は、幼い娘の寝顔を思い浮かべた。
まだ生後間もない安仁が、将来背負うことになる重荷。
一族最後の長として、滅びゆく種族を導かなければならぬ運命。
「あの子一人では、支えきれまい……」
翌朝、長は重要な決断を下した。
「安仁の婚約者候補を、公募する」
側近が驚いた。
「長様、しかし伝統では純血の鬼の中から……」
「純血にこだわっておる場合ではない」
長は、きっぱりと言った。
「血統ではなく、能力で選ぶ。安仁を支えられる優秀な者を、種族を問わず募集するのじゃ」
「そんな……前例がございません」
「ならば、儂が前例を作ろう」
長の決意は固かった。
「一族の存続のためじゃ。古い慣習にとらわれておる余裕はない」
長は里を歩いた。
市場では、様々な種族の移民が働いている。
河童の商人、狐の職人、狼の農夫――彼らは皆、それぞれの社会で居場所を失い、この里に辿り着いた者たちだ。
「長様」
一人の河童の青年が、深く頭を下げた。
「おかげさまで、安心して暮らせています」
彼の目には、感謝の光が宿っていた。
長は、ふと思った。
この者たちこそ、安仁を支える力になるのではないか。
純血にこだわっていては、一族は滅びる。
しかし、優秀な移民を味方につければ……。
安仁が生後半年を迎えた頃。
婚約者候補試験の最優秀者が、長のもとに連れてこられた。
猪一族の血を引く、美しい容貌の七歳の少年。
「名は何と言う?」
「猪八戒でございます」
長は、少年の瞳を見つめた。
聡明さと、深い悲しみが同居している。
「お主の特技はなんじゃ?」
「はい。独学ですが、数か国語を話せます」
「算術は?」
「得意でございます。」
「では、安仁の婚約者候補に加えて、護衛兼教育係として、日頃から側に仕えるように。お主には、安仁と共に成長してもらう」
猪八戒は一瞬驚きの表情を見せた後、目を輝かせた。
それから四年半後、安仁が五歳になった頃。
一人の少年が里にやってきた。
河童の沙悟浄、十二歳。
家出をして、森で倒れているところを里の者に救われた。
その類い希な知性の噂が、長の耳に入った。
長は沙悟浄の面接をした結果、安仁の側に置くことにした。
長の度重なる決定に、里の古老たちは激しく反発した。
「長様、お考え直しくださいませ!」
筆頭古老が血相を変えて訴えた。
「鬼の長の伴侶は、代々純血の中から選ばれてきました」
「それが我らの誇りでございます!」
長は、冷然と答えた。
「純血にこだわった結果が、今の惨状ではないか」
別の古老も加勢した。
「しかし、血が混じれば、鬼としての力が弱くなります」
「安仁様の子が、果たして長として相応しいでしょうか」
評議会は紛糾した。
「長様のお気持ちは分かりますが……」
中堅の鬼が、困ったように言った。
「民の中にも、反対する声があります」
「『伝統を破るな』『鬼の誇りを汚すな』と」
「では、聞こう。純血の鬼で、安仁の婚約者に相応しい者が、何人おるか?」
一同は、沈黙した。
「儂は、一族の存続を第一に考える」
長の声に、強い意志が込められた。
「血統より能力。伝統より実用」
「それが、生き残るための道じゃ」
筆頭古老が、最後の抵抗を試みた。
「では、せめて候補者の中で、純血の者を側近にしていただけませんか」
「純粋に能力だけで判断する。最も安仁に相応しい者を選ぶ」
長の決意は、揺らがない。
「しかし……」
古老たちは、まだ納得していなかった。
長は、厳しい現実を突きつけた。
「純血の鬼で、安仁の年齢に近い者が何人いる?このままでは、安仁は完全に孤立する」
「一人で一族の重荷を背負わせるつもりか?」
古老たちは、沈黙した。
「猪八戒と沙悟浄は、確かに異種族の血を引く。しかし、彼らには才能がある。彼らを大切に育てれば、必ず安仁の力になる」
長の声に、強い確信が込められていた。
「これは、未来への投資なのだ」
猪八戒は、安仁の成長と共に期待に応えて成長した。
最初は、まだ幼い安仁の世話係として。
そして年月が経ち、安仁が言葉を覚え、歩けるようになると、遊び相手として、勉強相手として。
「安仁様、今日はこの本を読んでみましょう」
三歳になった安仁に、猪八戒が優しく語りかける。
「八戒、難しくない?」
「大丈夫です。一緒に頑張りましょう」
二人の仲睦まじい様子を見て、長は微笑んだ。
沙悟浄が加わると、安仁の教育体制はさらに充実した。
五歳の安仁、十二歳の猪八戒、十二歳の沙悟浄。
三人の関係は、すぐに良好なものとなった。
「安仁、この政治の仕組み、理解できるか?」
沙悟浄が、分かりやすく説明する。
「うーん、難しいの……」
「なら、こう考えてみろ」
一方、猪八戒は礼儀作法や言葉遣いを教える。
二人がそれぞれの得意分野で安仁を支える体制ができあがった。
長は、三人の成長を見守りながら思った。
彼らがいれば、安仁は一人ではない。
夜、一人になった母は、月を見上げた。
どこかで、月人も同じ月を見ているだろうか。
「月人……」
長は、静かに語りかけた。
「お前を手放したのは、辛い決断だった」
「しかし、それもまた、未来への希望を託すことだったのかもしれぬ」
長は激しく咳き込んだ。床に血がほとばしった。
ーーもう、時間がない。
風が、優しく頬を撫でていった。
双子の母である鬼の長は、執務室で一人、深い悲しみに暮れていた。
「……月人」
我が子の名を呟くたび、胸が引き裂かれそうになる。
角のない忌み子として生まれた双子の片割れ。
しきたりに従い、人間の世界に委ねた。
それが正しい判断だったのか――今となっては、分からぬ。
「長様」
侍女が、心配そうに声をかけた。
「お食事の時間でございます」
「……後にしてくれ」
長の声は、力なく響いた。
この一週間、まともに食事も取れずにいた。それは、傷心のためばかりではない。数年前から続いた体調不良が、この度の出産でひときわ進行したようである。
長だけではない。
里に住む純血の鬼たちの体調が、日に日に悪化していた。
「長様、また二名倒れました」
執務官が、深刻な表情で報告した。
「薬師の見立てでは、鬼族特有の感染症が原因とのことです。効果のある薬を探させています」
長は、重いため息をついた。
ただでさえ、人間による森林伐採、鉱山開発により住みかを脅かされ、角目当ての乱獲が横行しているのだ。
鬼は寿命が長く、様々な能力に長けており、かつては生物の頂点に立った存在。それゆえ、かえって子をなす力が低く、純血の子は産まれにくい。
「このままでは……」
長の脳裏に、暗い未来が浮かんだ。
鬼族の絶滅。
千年以上続いた一族の、終焉。
その夜、長は古い記録を読み返していた。
かつて、この里には千を超える鬼が住んでいた。
しかし今は、純血の鬼はわずか百名足らず。
しかも、その多くが病に苦しんでいる。
「安仁……」
長は、幼い娘の寝顔を思い浮かべた。
まだ生後間もない安仁が、将来背負うことになる重荷。
一族最後の長として、滅びゆく種族を導かなければならぬ運命。
「あの子一人では、支えきれまい……」
翌朝、長は重要な決断を下した。
「安仁の婚約者候補を、公募する」
側近が驚いた。
「長様、しかし伝統では純血の鬼の中から……」
「純血にこだわっておる場合ではない」
長は、きっぱりと言った。
「血統ではなく、能力で選ぶ。安仁を支えられる優秀な者を、種族を問わず募集するのじゃ」
「そんな……前例がございません」
「ならば、儂が前例を作ろう」
長の決意は固かった。
「一族の存続のためじゃ。古い慣習にとらわれておる余裕はない」
長は里を歩いた。
市場では、様々な種族の移民が働いている。
河童の商人、狐の職人、狼の農夫――彼らは皆、それぞれの社会で居場所を失い、この里に辿り着いた者たちだ。
「長様」
一人の河童の青年が、深く頭を下げた。
「おかげさまで、安心して暮らせています」
彼の目には、感謝の光が宿っていた。
長は、ふと思った。
この者たちこそ、安仁を支える力になるのではないか。
純血にこだわっていては、一族は滅びる。
しかし、優秀な移民を味方につければ……。
安仁が生後半年を迎えた頃。
婚約者候補試験の最優秀者が、長のもとに連れてこられた。
猪一族の血を引く、美しい容貌の七歳の少年。
「名は何と言う?」
「猪八戒でございます」
長は、少年の瞳を見つめた。
聡明さと、深い悲しみが同居している。
「お主の特技はなんじゃ?」
「はい。独学ですが、数か国語を話せます」
「算術は?」
「得意でございます。」
「では、安仁の婚約者候補に加えて、護衛兼教育係として、日頃から側に仕えるように。お主には、安仁と共に成長してもらう」
猪八戒は一瞬驚きの表情を見せた後、目を輝かせた。
それから四年半後、安仁が五歳になった頃。
一人の少年が里にやってきた。
河童の沙悟浄、十二歳。
家出をして、森で倒れているところを里の者に救われた。
その類い希な知性の噂が、長の耳に入った。
長は沙悟浄の面接をした結果、安仁の側に置くことにした。
長の度重なる決定に、里の古老たちは激しく反発した。
「長様、お考え直しくださいませ!」
筆頭古老が血相を変えて訴えた。
「鬼の長の伴侶は、代々純血の中から選ばれてきました」
「それが我らの誇りでございます!」
長は、冷然と答えた。
「純血にこだわった結果が、今の惨状ではないか」
別の古老も加勢した。
「しかし、血が混じれば、鬼としての力が弱くなります」
「安仁様の子が、果たして長として相応しいでしょうか」
評議会は紛糾した。
「長様のお気持ちは分かりますが……」
中堅の鬼が、困ったように言った。
「民の中にも、反対する声があります」
「『伝統を破るな』『鬼の誇りを汚すな』と」
「では、聞こう。純血の鬼で、安仁の婚約者に相応しい者が、何人おるか?」
一同は、沈黙した。
「儂は、一族の存続を第一に考える」
長の声に、強い意志が込められた。
「血統より能力。伝統より実用」
「それが、生き残るための道じゃ」
筆頭古老が、最後の抵抗を試みた。
「では、せめて候補者の中で、純血の者を側近にしていただけませんか」
「純粋に能力だけで判断する。最も安仁に相応しい者を選ぶ」
長の決意は、揺らがない。
「しかし……」
古老たちは、まだ納得していなかった。
長は、厳しい現実を突きつけた。
「純血の鬼で、安仁の年齢に近い者が何人いる?このままでは、安仁は完全に孤立する」
「一人で一族の重荷を背負わせるつもりか?」
古老たちは、沈黙した。
「猪八戒と沙悟浄は、確かに異種族の血を引く。しかし、彼らには才能がある。彼らを大切に育てれば、必ず安仁の力になる」
長の声に、強い確信が込められていた。
「これは、未来への投資なのだ」
猪八戒は、安仁の成長と共に期待に応えて成長した。
最初は、まだ幼い安仁の世話係として。
そして年月が経ち、安仁が言葉を覚え、歩けるようになると、遊び相手として、勉強相手として。
「安仁様、今日はこの本を読んでみましょう」
三歳になった安仁に、猪八戒が優しく語りかける。
「八戒、難しくない?」
「大丈夫です。一緒に頑張りましょう」
二人の仲睦まじい様子を見て、長は微笑んだ。
沙悟浄が加わると、安仁の教育体制はさらに充実した。
五歳の安仁、十二歳の猪八戒、十二歳の沙悟浄。
三人の関係は、すぐに良好なものとなった。
「安仁、この政治の仕組み、理解できるか?」
沙悟浄が、分かりやすく説明する。
「うーん、難しいの……」
「なら、こう考えてみろ」
一方、猪八戒は礼儀作法や言葉遣いを教える。
二人がそれぞれの得意分野で安仁を支える体制ができあがった。
長は、三人の成長を見守りながら思った。
彼らがいれば、安仁は一人ではない。
夜、一人になった母は、月を見上げた。
どこかで、月人も同じ月を見ているだろうか。
「月人……」
長は、静かに語りかけた。
「お前を手放したのは、辛い決断だった」
「しかし、それもまた、未来への希望を託すことだったのかもしれぬ」
長は激しく咳き込んだ。床に血がほとばしった。
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